第27話 信じるか信じないか
路地裏。人気はなく、袋小路で、木箱が積まれている。
奇遇にも、以前、追っ手から逃げて、追い込まれた場所と同じだった。
「首元、失礼するよ」
ジェノは首輪からケーブルを伸ばし、メリッサの首輪に接続する。
『ちょ、いきなり何を……』
頭には、メリッサの声が響き、口を経由しなくても伝わった。
『外では話せないことだったからね』
首輪には秘匿通信機能があると聞いていた。
外で言えないことを話すには、うってつけの機能だ。
『……ふん。うちに説教でもするつもりっすか』
『違う。メリッサの母親だったんでしょ。さっきの依頼主って』
早速、本題を切り出した。
『…………え』
反応は悪くない。後は続けるだけだ。
『昨日言ったよね。父親の手掛かりが見つからなかったから、戻ってきたって』
『……』
『それって、ここが生まれ故郷ってことでしょ。母親がいてもおかしくないよ』
言われた時は、なんの疑問も浮かばなかった。
でも、さっきの涙を見て、繋がった。分かってしまった。
自分が嫌われたんじゃないなら、原因はメリッサの母親しかないって。
『分かってたんすね。ここが、ゲームの世界じゃないって……』
『トイレで吐いた時に確信したよ。体質まで再現できるわけないから』
『……隠しても無駄みたいっすね。うちはここで生まれてここで育ったっす』
メリッサが認めるのは、タブーとしていた、生い立ちの話。
心を開いてくれたから話してくれたのかもしれない。そう思うと嬉しかった。
『どこかの無人島なんでしょ?』
『いや、マンハッタンの地下っすよ』
『え、ここって、アメリカだったの!?』
驚いた。思ったよりも身近な場所にあったみたいだ。
確かに、マンハッタンの地下には空洞があると聞いたことはあったけど。
『驚くのも無理ないっすね。作り物にしてはよくできてるっすから』
ただ、本題はそこじゃない。ここがどこにあるかは関係ない。
『……いや、それより、さっきは母親が原因で逃げたんだよね?』
『だとしたらどうするんすか。仲直りさせるとか言わないでくださいっすよ』
確かに、仲直りが問題解決に一番手っ取り早いのは、間違いない。
だけど、同時にメリッサの気持ちを踏みにじることになる。それは、嫌だ。
『会いたくないなら、会わなくていいんじゃない』
だったら、無理をさせる必要はない。それが、最初に浮かんだ答えだった。
『…………え? それでいいんすか』
きょとんとした顔で、メリッサは反応を示す。
そんなことを言われるとは思ってもいなかったんだろう。
『依頼主に会えなんて書いてないし、逃げたかったら、逃げてもいいでしょ』
『いやでも、会わないと話が進まなかったら、どうするんすか?』
『試験を諦める。メリッサが一緒じゃないと意味ないし』
『そんな、あっさり……。うちを切り捨てれば済む話じゃないっすか』
『あの時、俺を切り捨てなかったのはメリッサでしょ。俺が切り捨てると思う?』
そう言うと、なぜか、メリッサの表情が険しくなった。
『……それ、本気で言ってんすか?』
そして、驚くほど冷たいトーンで、問いかけられる。
『本気じゃなかったら、あの時点でとっくに切り捨ててるよ』
『甘すぎるっすよ、ジェノさん。もっと人を疑うとかないんすか!?』
『裏切られてもいいって思える人が本当の仲間でしょ。だから、疑わないよ』
言ってることは分かる。
人を疑うのが当たり前のこの世界なら、なおさらだ。
でも、だからこそ、人を信じたい。
歪んだ常識に染まるぐらいなら、死んだ方がマシだった。
『……口だけなら、なんとでも言えるっすよね』
『そうかもしれない。だけど、思いは口にしないと誰にも届かない』
『詭弁っす、綺麗事っす、耳障りがいい言葉なだけっす! うちは信じない』
『強制はしないし、無理強いもしない。メリッサが望むならそれでいいと思うよ』
機械を通じてじゃ、たぶん届かない。さっき言ったことが嘘になる。
(もう、これはいらないな……)
だから、ケーブルを引き抜いて、
「一度だけでいいから俺を信じてほしい。損はさせないようにするから」
本心を、そのまま伝えることにした。
今度はこちら側から、手を差し伸べる形で。
「……次、近寄ったら殺す。前にそう言ったっすよね」
だけど、メリッサは簡単には掴んでこない。
それどころか、脅すような言葉をかけてくる。
「まだ、そんなこと言ってるの? どうせ、嘘なんでしょ?」
「だから、ここで殺されてくださいっす。仲間だったら、大人しく」
聞く耳を持たないメリッサは、拳を構え、言い放つ。
(……仲間だったら、か。殺すなら、そんなこと言う必要ないよな)
確証はない。だけど、試されているような気がした。
「分かった。メリッサが言うなら、仕方ない。ここで、死ぬよ」
本気でメリッサが殺すつもりだったら、たぶん、死ぬ。
だけど、本気でメリッサを信じるためなら、ここで死んだっていい。
「本当にいいんすね?」
「……もう、覚悟はできてる」
「なら、敬意を表して、一発で仕留めてやるっすよ」
拳を振りかぶるその姿を、じっと、見つめる。
疑う気持ちなんて微塵もなかった。だから、これ以上は何もしない。
「――ここで、お別れっすっ!」
対し、メリッサは威勢のいい声と共に、拳を振るう。
放たれた拳は、真っすぐに、一直線に、眼前にまで迫る。
砕けた音が響き、赤い液体が弾け、辺りは血の色で染まっていく。
「……はぁ、はぁ」
拳を引き抜き、メリッサは、辛そうに呼吸を漏らす。
「……どうして、どうして、避けなかったんすか!!!」
そして、愚かな行いを、怒鳴りつけるように言った。
殴りつけても、なお、微動だにしなかった、愚かな相手に向かって。
「決まってるでしょ。信じていたからだよ。メリッサを」
拳は止まらなかった。でも、狙いは外れている。
顔の左。砕けたのは、その先にあった木箱と、赤いトマトだった。
「はぁ……ジェノさんって本当に馬鹿なんすね。付き合ってられないっすよ」
「え……じゃあ、もう、ここで、お別れってこと?」
「手をあげてもらえるっすか?」
メリッサはそれには答えない。ただ、よく分からない指示を出してきた。
「こう?」
別れの挨拶なのかもしれない。そう不安に思いながらも、右手をぐっとあげた。
「せーのっ!」
直後、パチンという小気味のいい音が鳴り、心地のいい痛みが手に走る。
「ハイタッチって言うんすよ、これ。知ってたっすか?」
得意げに語るメリッサの黒い瞳には、もう涙は消えていた。




