僕の可愛いメイドは笑う
王都の西側の小高い丘には、貴族の屋敷が多く建っている。
広い石畳の道は、綺麗に磨かれ、太陽の光を反射している。重厚な門の前には、門番と従者と馬車が横付けされている。
屋敷が立ち並ぶ中、大きな黒い壁が目の前に迫ってくる。
厚い塀に囲まれた屋敷は、周りの高級住宅街と呼ばれた中でも、異質な存在だった。
屋敷の主はダグス・ラズル家の当主が住んでいた。通称ダグラス家と呼ばれ、当主は若いながら経済部門の大臣を務め、国の中心を担う貴族だ。
まるで要塞のような高い塀は、来る者を威圧する。
「大きい、ですね・・・・・」
「グラッセ、口が開いてるぞ」
グラッセが門の前で、呆然としている。
横でダイダイが苦笑いをした。
季節が2つほど変わってしまった。
ミリはちゃんと私を覚えているだろうか。
「しかし、ダクス・ラルズ家の嫡男が直接、取引に応じるとは思いませんでした」
グラッセが緊張しながら、礼服の襟を正す。
「取引を始める時は、必ず嫡男が面会をして決めるらしい。三分の二が振るいに落とされるそうだ」
「・・・・・うちは分が悪いでしょう。やっと王都にたどり着いた弱小だ」
「出世買いだ。狼狽えるな。行くぞ」
颯爽とダイダイは歩きだした。
第一印象は〝異質な者〟だった。
目の前には、ダクス・ラルズ家の嫡男イツが微笑みながら座っている。
陽光が取り入れられた明るい部屋だ。
人払いされているのか、後に護衛が一人だけ立っている。
ダイダイは、グラッセと護衛二人の来室を認められたので、破格だった。
ミリの後見人だったおかげだと、ダイダイは確信している。
ロジム国の貴族は、その血族に特有の容姿が現れる。
ブラッドリー家のダイダイが黒髪に紺色の瞳であるように、ダクス・ラルズ家公爵は、黒髪で金黒目をしている。
黒髪と虎目石のような金の縁取りの黒目は、ダクス・ラルズ家の固有の物だ。
目の前にいるイツは、美しい白銀の髪に真っ青な宝石のような瞳をしている。白い陶磁のような肌に、整った目鼻立ちに、大きな瞳。
まるで、精巧な美しい人形だった。
そして、幼子だ。姿形だけは。
姿に合わせたように、白いシャツはますます人ではない、異質な存在を匂わせる。
「え・・・・」
グラッセが思わず声を出した。
「初めまして、ダイダイ侯爵。容姿が珍しいのは申し訳ない。僕の名前は、イツ=ダクス・ラルズ。正真正銘、ダクス・ラルズ家の息子です」
だが、妙に人間臭い、人の裏を見ているような瞳をしている。
狡猾な眼だな。と、ダイダイは思った。
「うちの部下が申し訳ない。無礼を詫びます」
ダイダイが頭を下げ、戸惑うグラッセを後ろに下がらせた。
ダイダイの胸ぐらいの高さしかないイツは、少年の姿をしていたが、瞳は大人のそれだった。
「・・・・・貴方は驚かないようだ」
「ミリで慣れておりますから」
成長の遅い一族だ。
ミリは心も身体と同レベルで成長したが、精神だけ他と同じに成長した人間もいるだろう。
それに、この少年の目は、ミリのように純粋ではない。
そんなダイダイに、面白そうにイツが見つめ返す。
「ああ、本当に、ミリの主人だった『腑抜けのブレットリー』だ。狡猾でいい目をしている」
嘲りではなく、本当に感心したようにダグス・ラズル家の嫡男は呟いた。
「あまり公言されたくない通り名ですね」
不遜気にダイダイが言うと、イツが困ったように眉根を寄せた。
「失礼。女に腑抜けている癖に、業績が群を抜いている侯爵は、とても興味深いですからね。父も喜んでいましたよ。面白い貴族が出てきたと」
にこりと笑う。
つかみどころがない。
「さあ、座ってください。ただのぼんぼんなら、叩き出す予定でしたが、貴方の目はとても狡くて強い目をしている。楽しめそうだ」
褒め言葉なのだろうか。
イツが子供のように楽しそうに笑った。
商談は無事に済んだ。
初めの触りだけ、イツが出てくると思ったのだが、彼は全ての書類に目を通した。
わざと自分の姿を見せて、相手の動向を見るのだろう。
卑怯な手だ。
見くびった相手を、噛み殺すのだ。
イツは、ミリの後見人になる。
こんな人間に、ミリが毒されていないか、ダイダイは不安になった。
これは一筋縄でいかない。
ミリの近くにいてはいけない。
見つけたら、連れて帰ってしまおう。
早くミリに会いたい。
「これは、雇い主としではなく、貴族ミリの後見人としての意見です」
はっとした。
いつの間にか、書類は片付けられ、目の前に琥珀色のお茶が入った白いカップが置かれている。
「これから、末永くよろしくお願いしますね、ブラッドリー侯爵」
にこりと笑う。
そして、裏を探るように、ダイダイを見つめた。
青い瞳は、揺れている。
連れてきた護衛は、部屋の外に出された。
居るのは、イツとダイダイとグラッセ、そして、イツの後に控える護衛一人だけだ。
「あ、ああ・・・・・、こちらこそ。ミ、ミリは、何処に」
「ミリは、こちらで楽しく過ごしています。無理じいは、許しませんよ?」
「・・・・元々は、私が後見人でした。ミリも嫌がっていなかった。私の知らない所で勝手に代えられただけだ」
顔が強張ったまま、ダイダイが言い、慌ててグラッセが裾を引く。
「な、何いってるんですかっ、ダイダイ様っ」
「・・・・・この状態は、望んでいなかったと?」
「ミリがこちらにいるから、ここを目指しただけだ」
「ふむ。お付きの方、このダイダイ侯爵は、いつもこんな感じで、ミリ一筋かい?」
「・・・・・ええ、そうです」
諦めたように、グラッセが頷く。
隠していた感情が溢れだし、ダイダイはイツを睨み付けている。
イツはその様子を面白そうに見つめた。
「富や名声よりも、ミリを望むんだ」
嬉しそうに微笑むと、イツはダイダイを見つめ返す。
「お付きの方、僕は少し変わっていてね。僕と話すと、たまに相手が正直者になってしまう事があるんだ。だから、ダイダイ侯が激高して殴り掛かったら止めてね?僕の護衛、優秀だから僕を触る前に、貴殿方の部品が何個か離れてしまうかも」
後ろに控えているイツの秀麗な顔立ちをした護衛が、返事がわりにカチャリとさや口を鳴らした。
「わ、わかりました」
グラッセが泣きそうになる。
イツはゆっくりとお茶を飲んだ。
「ミリの繁殖期まで。あれだけ、長い時間いたけれど、貴方はミリに手を出すことが出来なかった」
見てきたように、イツは言った。
パラトスが報告していたのだろうか。
「・・・・・・」
「ミリの繁殖期も一緒にいて、世話をしていても、手出し出来なかった」
「・・・・意気地無しと?」
両方とも何を言い出すんだと、グラッセが慌てる。
殴りかからないように、グラッセが服を掴んでいる。
イツは大袈裟にかぶりをふった。
「まさか。貴方の繁殖期の時も、ミリは貴方に襲われる事なく、世話をしていたでしょう。ミリは、自分がまだ子供で魅力がないからだと思っていましたが」
「ミリはまだ、子供だ。子供には手を出さない」
ミリはまだ子供なんだ。
私が大切に護らないと駄目なんだ。
「・・・・・・違うでしょう。ミリが望まないからです。ミリが望まないと貴方は前に進めない。行動出来ない」
少し哀れんだような顔で、イツはダイダイを見つめる。
「・・・・・・」
「だから、離して生活させるように、パラトスに進言したのです。こんなに、ミリに依存してしまったら、貴方は人形になってしまう」
「人形・・・・・?」
イツは、冷たい目をしていたが、老人のよう達観した目にも見える。
「ミリの血は、他人を魅了します。全て、ミリの思い通りに動かしてします。ミリは貴方の幸いだけれど、神様でもある」
ああ、何か聞いたことがある。
昔話だ。
昔昔、ロジム国を作った祖の神様。
獣と神の子供は、人々に幸せと破滅を与えた。
ダイダイが、ぼんやりとミリを思い描く。
「そして、私を破滅に向かわせるのか?」
イツが目を見開いた。
「いいえ!まさか。言ったでしょう?“ミリの思い通り”だと。ミリの血統は、善人が多いんです」
「善人?」
頷いた。まるで、言い聞かせるようにイツが言う。
「ミリが望む、ご主人様に貴方は成れていたでしょう?人に優しく、強くて、賢くて、お金持ちで、カッコいいご主人様。絵に書いたような理想のご主人様。メイドのミリはいつも、そうやって褒め称えていた。だから、貴方はミリの為に、そうなろうと努力した。ミリの血は、幸せを呼ぶんですよ」
「幸せ・・・・・」
「富を運ぶと呼ばれている一族だ。でも、それは違う。魅了された人間が、選ばれる為に努力した結果だ」
「・・・・・」
「ミリが望む姿になりたいと。そして、ほんの少しの幸運を。それを使えるかどうかは、自身次第だ」
イツは楽しそうに、ダイダイを見つめた。
「・・・・では、私はミリを正面から口説いていいということですか?」
ダイダイは真面目に言った。
イツが首を傾げた。
「・・・・・・?僕は、そんな事を言いましたか?」
グラッセに確認を求めると、彼は頭を横にふった。
「申し訳ありません。うちの主は、ミリの事になると、周りが見えなくなります」
「まあ・・・・いいでしょう。ミリに対して危害を加えるようでもなさそうだし。それに、ここまで、がっぷりミリに入れ込んでいたら、振られたときは貴方がたが地獄でしょう」
ダイダイは周りの人間を、全ての巻き込む。
なまじ貴族は良し悪しに関わらず、目立つ存在だ。
「振られ、ますか?」
グラッセが何か決意をしているダイダイを横目に、イツにすがるような目をした。
「人の話を聞かない節がありますよね。ミリはまだ、貴族籍になったことを知りませんよ。奴隷から貴族にいきなりなっても問題でしょうから、段階をおってます。まず、ミリの納得からでしょう。それにミリは、ダイダイ侯ががっちりガードしていたお掛けで、とんでもなく恋愛に鈍くなっている」
「ああ・・・・」
グラッセの胃がキリキリ痛んだ。
ざわざわと執務室は人で溢れ返っていた。
貴族の執務室というより、商会の商談所のようだった。
沢山のテーブルで、様々な人種が商談や設計図をにらみ合っている。
商人を厚く保護しているというのは、噂では無いようだ。
だからこそ、ブラッドリー家も食い込めたのだが。
自由に見学していいと言われて、ダイダイはすぐに家人たちの執務室に向かった。
大勢の人の中、すぐに、ダイダイは見つけた。
「ミリだ」
え?とグラッセが顔を向けた。
先には、自分たちより年上と思われる茶髪の女性と少年が、壁に貼られた紙を見ながら、話し合っている。
「・・・・・よくわかりましたね」
グラッセがダイダイを見ると、彼はうっとりとしながら少年の姿をしたミリを見つめている。
ミリは男装していた
少年の格好をしていた方が、女が一人で出歩くよりも安全だからだ。
身体の凹凸が見えないだぼりとした服装だった。
斜めかけのバッグには、書類なのか、紙の束が見える。
髪は丸い帽子で隠している。
男装と言うよりも、本当に少年のようだ。
「ミリ」
その声に驚いたように、振り返った。
「え?ダイダイ様?」
「うん、お前の旦那様だ」
小さな花束を差し出しながら、ダイダイが微笑んだ。
周りがダイダイの姿に気付いたのか、ざわりと揺れた。
ミリは屋敷の主人であるイツの〝お気に入り〟である。数ヶ月前にいきなり連れてこられ、雑用から仕事を始め、すぐに他の人間の補佐として付いた。
遠い親戚の子供という触れ込みだ。
横にいたグラッセが、少し首を傾げている。
どこで花を用意したんだろう?
流石、女たらしだなと感心する。
「可愛い」
ミリは、普通に花を受け取っている。
ミリが動じない事で、周りも前の知り合いと認識して、すぐに興味を失ったように雑談が始まった。
「お久しぶりです。今日は、ダグラズ家にご用事ですか?」
「う、うん」
「まあ、イツ様と取引を始められるのですね!」
嬉しそうにミリが言う。
「そうだ。始める。うちの商品は物がいいんだ」
さすが、ダイダイ様と、ミリが笑う。
「では、現地調査で行くかも知れませんね」
「あ、ああ。担当は、ミリにしてもらうようにお願いしたんだ」
「本当ですか?嬉しい。遠いから、出張になるのかしら。楽しみです。お宿に泊まれるかしら」
「雇い主は、無駄な経費を好まんだろう」
「そうですね。イツ様は、無駄を嫌われます。野営になるかしら。テントは郊外の更地になら大丈夫でしたよね?」
本気で言っていたので、グラッセは変わらないなとミリを見ていた。
「女性が野営するものではない。ミリなら、私の屋敷に寝泊まりしても、誰も文句言わないし、経費削減になると思う。ミリの部屋もちゃんとあるんだ」
「まあ、本当ですか?そのままにしてるのですか?」
「そんなところだ。私の専属メイドは、ミリだけだ」
嬉しそうに聞いていたが、ミリの笑顔が少し陰った。
「・・・・・でも、美代の方が」
「私は独り身なんだ。婚約も結婚もしていない」
ミリはきょとんとしている。
「ダイダイ様はご結婚をされていないのですか?」
「け、結婚していないんだ」
「そうなのですか?」
不思議そうに首を捻っている。
婚約は秒読みだと聞かされていたのに。
「ま、まだ、了承をとって、いないんだ」
「ああ、ダイダイ様はおもてになりますものね。沢山いらっしゃるから、選べないのですね?」
にこにこと笑うミリに、ダイダイは頷く。
「う、うん。ミリは?ミリは男は居ないよね?」
「男、ですか?」
「恋人、とか」
言われてミリが、カアッと赤くなった。
赤くなって下を向いたミリに、ダイダイは唖然とした。
「だ、誰?お、教えてくれたら、ミリの好きなお菓子をあげる」
「お菓子ですか?」
ふふ、とミリは笑った。
ダイダイの中では、可愛い小さいミリのままなのだ。
「ダイダイ様、わたしはもう大人ですよ?」
「し、知ってる」
「ミリ」
控えめに、隣にいたミリの同僚が声をかけた。
「昔の上司?でしょう。ここはいいから、休憩に入ったら?」
「え、あ、ごめんなさい、ダイダイ様。仕、きゃっ!」
最後まで言えなかった。
ダイダイがミリを抱き上げたのだ。
「ダイダイ様、何してるんですか!?」
グラッセが慌てて近付く。
「何って。ミリと話すから、場所を変えるんだ。さあ、行こう、ミリ。途中で、中庭があった」
「ダイダイ様っ。ミリは、仕事中ですよ!」
「お嬢さん、申し訳ありませんが、ミリをお借りします。代わりに部下のグラッセを置いて置きます。どうぞ、お使いください」
美しい紺の瞳を揺らめかせ、背の高い美丈夫は麗しげに囁いた。
「は、はい。どうぞ」
一瞬で真っ赤になりながら、化粧っ気のない同僚の女性は、がくがくと頭を縦に振る。
ダイダイは優雅に微笑むと、片手でミリの腰を持ち上げながら、グラッセの肩を叩いた。
「仕事だ。私の未来が掛かっている。このお嬢様のお手伝いをしろ」
「ダイダイ様」
グラッセがダイダイを見た。
「特別給与を付ける」
「仕方ありませんね。ごゆっくりどうぞ」
グラッセが襟をただして、ミリの上司に向き直った。
ダイダイは、ミリを抱き締めるような形で、抱き上げたまま歩き出した。
「ダイダイ様。わたしはもう子供ではありませんよ?」
「知ってる。だから、二人っきりで話したい」
「降ります。ダイダイ様、重くないですか?」
揺られながら、ミリが見上げる。
ダイダイがうっとりとミリを見つめながら、歩いている。
このまま、連れて帰ってしまおうか。
「全然大丈夫だ。それに前より、背が伸びてる」
「はい。前より背が高くなったんですよ」
ミリは無邪気に見上げている。
中庭の東屋のベンチに座らせた。
「ダイダイ様、飲み物をご用意しますね」
そう言って立ち上がったミリの腕を掴む。
「い、いらない。ミリ、大切な話があるんだ」
「はい、なんでしょう?ダイダイ様」
座らせながら、ミリの帽子を外した。
固く結われている髪を解いた。
「ダイダイ様?」
「ミリの髪は、いつも綺麗だ」
「ありがとうございます」
ダイダイが、波打つ赤い髪をうっとりと見つめる。
ミリは嫌がる事なく、ダイダイのされるままに髪を撫でられている。
「ミリは、仕事が出来て、格好いい男がすきなんだろう?私は、ちゃんと出来ているか?」
「勿論です。ダイダイ様は、とても格好いいです」
「しばらく会わなかったから、私は変になってないか?」
ミリが上から下まで見て、ダイダイを嬉しそうに見た。
「ダイダイ様はいつでも格好いいです」
「う、うん。ありがとう」
ダイダイが真っ赤になりながら、頷いた。
ミリは不思議そうに、肯定している。
なぜ、そんな当たり前の事をダイダイはいうのだろう?
ダイダイ様はいつでも格好いいのに。
「ミリは長い髪よりも、短い髪の男が好きなんだ。前髪があった方が、いいかな?」
会合用にオールバックにしていた。
大人の色気が漂っていたが、ミリの前で少年のように瞳を潤ませている。
「ダイダイ様はどちらでもお似合いです」
「う、うん。あの、お願いがあるんだ」
「なんでしょう?」
「わ、私と結婚してくださいっ!」
ぽかんとミリがダイダイを見つめた。
「な、何でもあげるから。宝石だって花だって服だって用意する。ミリが好きなもの、全部かってあげるからっ」
こてんとミリが首を傾げた。
「ダイダイ様、契約奴隷と貴族は結婚出来ません」
「ミ、ミリは、もう奴隷じゃない」
「わたしは、ダイダイ様の女性のタイプではありませんよ?」
ダイダイは、背が高く胸の大きな女性がタイプだったはず。
「か、かまわない。い、いや、違う、そうじゃないんだっ」
わたわたと慌てるダイダイに、ミリはわかったように顔を明るくした。
「ダイダイ様、結婚がしたくないからと言って、偽装するのはいけません」
「ぎ、偽装じゃ。あ、ああ、あの、偽装だったら、婚約してくれるのか?」
気付いたように、ダイダイは尋ねた。
「婚約?」
「うん、婚約しよう。偽装でいいから、婚約したい」
接点がなくなってしまう事をダイダイは恐れていた。
仕事だけじゃない確かな繋がりなら、何でも良かった。
ぐずぐずとダイダイは泣き出した。
「ダイダイ様!?」
ミリが、泣き出したダイダイに慌てて、ハンカチを差し出す。
「行かないで。側にいて。ひどい、ずっと私の世話をしてくれるって、言ったのに。私から逃げて、他の仕事をしてるなんて」
「申し訳ありません。わたしの居場所がないと思ってしまいました・・・・」
「じゃあ、帰ってきて。何でもしてあげるから。婚約、偽装でいいから」
きっと、何も出来ないまま、ミリと離れたら、ミリを壊してしまうかもしれない。
「・・・・・」
ミリが困ったように見つめ、ダイダイの涙を拭う。
「・・・・・ミリは、ここの仕事好き?」
「はい。皆さん、よくしていただいてます」
「もう、私の面倒を見てくれないの?ミリが面倒見てくれないなら、私は悪いことをする」
「それはいけません」
「じゃあ、婚約して。大切にするから、お願いだ。婚約してくれるなら、まだ、連れて帰らないから」
困った顔をしているミリを、ダイダイは真摯に見つめる。
ミリは少し困ったように笑うと、頷いた。
「・・・・・わかりました」
「本当?嬉しいっ」
「ダイダイ様が、本当に結婚したい美代の方が現れたら、すぐに外してもらいますね」
「うん。必ず絶対、幸せにするからっ」
ダイダイがぎゅっと、ミリを抱き締めた。
「・・・・・泣き落としで、プロポーズを了承させたよね、今」
中庭が見える三階の執務室から、イツが眉根をひそめながら見つめていた。
「風上にも置けない行為ですね」
横で呆れたように、護衛が同じように見ている。
背後には執事とメイドが、お茶のお代わりのポットを持って立っていた。
初老の執事は、空になったカップにお茶を注いだ。
「・・・・あれでいいと思う?」
イツがカップに口をつけながら、護衛に首を傾げた。
「駄目でしょう」
「だよね。ミリの優しさに付け入るのは頂けない」
イツは首を捻りながら考えている。
この白銀の髪を持つ美しい主人は、あまり他人に興味がないはずなのだが。
「イツ様、ダイダイ侯爵を気に入られたみたいですね」
護衛が少し嬉しそうに呟いた。
「うん?まあね。あの猫かぶりな狡猾な感じは、お父様に似てると思わないか?なんでもかんでも思い通りなんて、成長出来ないでしょう?ミリの出張を餌に、重い利益配当金を請求しようかな。達成するまで、ミリの担当は外そう」
楽しそうに笑う。
イツの父であるダクス・ラルズ家の家長オリオンは、イツの母親を閉じ込めて溺愛して壊しかけた。
今、隣国に強制的に別居させている状態だ。
「一族に捕らわれた人間は、行動が極端すぎる」
「逃げられますよ」
呆れたように護衛が言うと、イツが悪戯気に笑う。
「逃げれないよ。ミリは渡さないし。ミリは、僕が後見人になってるんだもの。僕のものを、勝手に連れ出すことは無理だろうしね」
圧倒的な自信は確信だった。
執事が感慨深げに頷いた。
「かわいがり方が、お館様にそっくりでございます」
「お父様の子供だから、当たり前だろう」
楽しそうにイツが笑った。
ぱくりと、出されたケーキを口に含んだ。
横で見ていた護衛がため息をついた。
眼下には、満面の笑みを浮かべたダイダイがミリを抱き上げている姿がある。
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