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試技

作者: 加藤 弓雅

彼女は空と戦っている。


抜けるような青の中に、Hの文字が浮かんでいる。

まだ会ったことのない後輩たちが、昨日は試練に挑み、

そして今日まだ在校生が立ち入れない校舎を小さく遠景にして。

渡されたバーを乗り越えようと、彼女は大地を蹴りあげ空へと跳んだ。

けれど身体は天へと届かず、重たい音とともにマットに沈み、

一泊遅れて乾いた音が、紅白のバーと一緒に降ってくる。

残されたのは、青の中に浮かぶ二本のI。

彼女は、強い視線で宙を睨んで立ち上がり、バーを戻すと開始線へ歩き出す。


彼女は再び挑む。

細い体が、大きく上下に振れる。

つられて、無造作に括った彼女の髪も上下に揺れる。

まだ、始めない。

まだ走らない。

焦燥と弛緩。

躍動と静寂。

ひときわ大きく沈み込むと、小麦色の弾丸は解き放たれる。


彼女は高く弾みながら走路を疾駆する。

早く。

高く。

より速く。

より高く。

赤いアンツーカーに引かれたラインの手前で、彼女は背中から宇宙へ斬り込む。

弓よりも丸く撓みながら、高く遠くへ、より高くより遠くへと回転する。

水面から宙へと舞いあがるイルカのように。


音のない世界を進んだ彼女の身体はマットの上へと還り、湿った音を立てる。

音は、ただそれだけ。

風の音すら消えた中を、彼女はゆっくりと振り仰ぐ。

群青の中に浮かぶ、Hの文字を。

彼女は半身を起こしたままで、小さく拳を握る。

瞬間、僕の耳だけに響く。

周囲で弾ける万雷の拍手の音が。

僕だけが腰掛けたグラウンドの土手が、まるでスタジアムに変わったように。


彼女はこちらに視線を向けて、静かに問う。

どう。

僕も眼差しに力を込めて、彼女へと送る。

うん。


あの日、目の前で起こったあまりにも大きな出来事に、

肩を寄せ合って震えていることしか出来なかった僕らだったけれど。

ほんの少しだけ大きくなり、ほんの少しだけ逞しくなった。

空へと挑めるほどに、それを静かに見守れるほどに。


そして彼女はしっかりとと歩みだす。

更に、更に高く跳ぶために。






これまでも、これからも。

変わらずにある空に、願いを託して。

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