折鶴のゆくえ
月の良い晩のことでした。昨日からの雪が夜半にやんで、辺りは森閑としています。
山奥の道はずっしりと積もった雪に覆われ、人が立ち入ることは叶いません。枝も梢も綿帽子を分厚く被り、尖った所は見当たらない程でした。
月の光はほの白く、雪の表面に宿っています。
そんな雪明かりの山奥に、寂れた神社がありました。この神社が建てられたのは、麓の村が出来るよりもずっと以前のことでした。鎮守の神様は、村の外れにございます。ですから、この古いお社へ訪れる人は、ごく稀なのでありました。
剥げた鳥居には、ところどころ、まだ丹塗が残っています。荒注連縄は朽ちかけて、紙垂も破れて見る影もありません。それでも、時々訪れる人でもあるのか、全く崩れ落ちているというわけでもないのでした。
小さな鳥居をくぐるには、大人なら屈む必要がありました。屈んだ先には、風雪にさらされて丸く削れた、一対の石灯籠が立っています。暗くなると、自然にぽっと灯りがともるのでした。
灯籠の灯りは、白銀の雪を柔らかな黄色で照らします。鳥居の外では、雪明かりでうっすら蒼白く見えた狐も、美しい毛並みに乗せた雪を、暖かく煌めかせておりました。
短い参道には、特に敷石もなく、石灯籠の足元は半分くらい雪に埋れておりました。
春になれば、鳥居からほんの十歩程度の社殿ですが、今の季節は、雪を漕いでゆかねばなりません。
高床式の建物ですが、脚の部分はやっぱり雪に埋まっております。
堅く閉ざされた扉のなかで、今、一人の神様が、折鶴を作っておりました。丁寧に角と角を合わせ、しゅっと音を立てながら、真っ白い紙をたたんでゆきます。
少し節くれだった長い指をしなやかに動かし、月の雪山を飛び立つ紙の鶴を折り上げました。
神様の折鶴は、月の光を浴びてふわりと夜空に昇ります。風もない静かな夜を、音もなく滑って行けば、雪だらけの枝に潜んで羽を膨らませた梟達が、驚いて頸をぐるぐる致します。
銀の粉を跡に引きながら、折鶴は山を下ります。その日旅立つ魂を、夜毎迎えに行くのです。
この地に生を受けたなら、山奥の寂しい神社を通って、魂は山に還るのです。そして、いつかまたこの土地に生まれ替わってくるのでありました。
山村にしては立派な造りの鎮守さまを、そのままふんわり飛び過ぎて、神様の折鶴は、村に入って行きました。
立派な神社の本殿で、白い着物にきちんと袴をつけた若々しい神様が、回り縁に出ておりました。雪見酒と洒落こんでいたのです。
「おや、山奥の神様が、村の魂を迎えにお使いを出したのかい」
村はとても小さいので、村人の魂にお迎えが来ることは滅多にないのです。毎夜飛び立つ折鶴は、たいがい山の獣や鳥たちの小さな魂を運んで、山奥の神社に戻るのでした。
鎮守さまが盃を覗くと、歪んだ月が揺れていました。
「これはまた、難儀だねえ」
鎮守さまの盃は、世の理を映すのです。折鶴の背にした月が歪んでいるのは、これから探しに行く魂に何か不具合が起きているからでしょう。
鎮守さまは、心配そうに白い折鶴を見送りました。
村も、すっかり白く雪に覆われておりました。茅葺き屋根が多い中、一軒の板葺き屋根がありました。今は、重たい雪でミシミシときしんでおります。
神社から一番遠い、貧しく小さな猟師の家でした。もう、ずっと独りで住んでいて、村人も半分忘れてしまった男です。
分厚く積もった屋根の雪を少しもへこませずに、男は座っておりました。すっかり痩せて、白髪も疎らな老人ですが、穏やかに月を眺めておりました。
冴え冴えとした円い月は、なにやら凪いだ心持ちを作るのでしょうか。きっとつらい人生でしたでしょうに、男の魂は、微笑みすら浮かべておりました。
そこへ漂ってきた山奥の神様の白い折鶴は、ふうわりふうわり男の回りを二、三度巡ります。男は落ち着いて折鶴の動きを見ていました。
折鶴は、それから男を離れてまた遠くへと飛んで行きます。一体どうしたことでしょう。村外れの板葺き屋根を過ぎれば、そこはもう、山奥の神様が司る土地ではありません。
深い雪に隠された畑も、これより先には無いのです。そこは、風が雪を運び去り、山奥よりは少ないのですが、やはり雪深い野原でありました。
野原を蛇行する凍った川は、やがて都の外側を迂回して海へと注ぎます。
都から華やかな彫刻を施された橋を渡ったこちら側は、綾や錦の打ち掛けを自慢気に翻す女の人が、何人も住んでいます。素朴な白い折鶴には、まるで似つかわしくない所です。
鶴は、氷の川を下って行きます。ちっとも急がず、ふわふわふわりと都のそばまでやってきました。
こちら側の賑やかな街にも、雪は同じように積もっております。折鶴は、ふわふわ進みます。
真っ赤に塗られた木の灯籠は、狭い間隔で街の通りに灯っております。あまりにも明るすぎるので、月も星も、何だか偽物みたいに見えました。
てらてら光る黒い格子の二階から、幾つもの鼈甲や銀の櫛・笄で飾り立てた黒髪の女が月を仰いでおりました。
女は、冷たく心の見えない目付きをしています。
静かに漂ってきた折鶴には、ちらりとも視線をむけません。
彼女の体は、格子窓がある座敷の奥に敷かれた、豪華な羽二重の布団の下で、しわくちゃに萎びておりました。
折鶴は、めげずに遊女の回りを巡ります。折鶴が作る銀の跡が、魂ばかりで月を見上げる遊女の、売れっ子だった昔の姿に色を添えました。
「山へお帰りな」
黒い格子をつるりと抜けて、紅い錨綱を首に巻かれた三毛猫が、折鶴の援護をいたします。彼は、この遊郭の隅に祀られた社に住む神様のお使いです。
「幼馴染みのヘイキチがずっと心配していたそうな」
「そんな男は知らぬわいなぁ」
「ヘイキチも今宵山に還るぞよ」
「それが何としやんすかいな」
「花魁、これも何かの縁よの」
「嫌な事を言やる猫じゃわいの」
山に生まれた命はみな、山に還る。それが理。しかし、女の魂は、ちっとも聞く耳を持たないのでした。
「還らぬ魂は消えるぞよ」
「あちきゃあきッと、都に還りんす」
「そうは行かぬが理よ」
ちりん、と三毛猫の鈴がなりました。
折鶴の回りを飾る銀の光に、金の粒が加わり渦巻きます。遊郭の小さな社の神様が寄越した三毛猫が、神通力を使ったのです。
「何をしやんす」
遊女の魂は、恐ろしい顔をして体を捩ります。魂でありながら、華やかな飾りが次々と抜け落ちて、髪もおどろになりました。売れっ子遊女の面影は消え、妄念の女が胡麻塩頭を振り立てるばかり。
「連れてお行きな、山奥の」
折鶴には声がなく、言葉が伝わったのかどうかは解りません。ですが、心なしか白い紙の羽を傾けて、お辞儀をしたように見えました。
三毛猫と、作り物みたいな花街の月に見送られ、折鶴は真っ直ぐ山に帰ります。金と銀との光の帯が、かつて花魁だった女の魂をぐるぐる巻きにして飛び行く折鶴に繋がっていました。
そのまま雪深い村にたどり着くと、板葺き屋根に座っていた男が、嬉しそうに立ち上がりました。彼は、すうっと足を踏み出して、折鶴と同じように月夜を滑って行きました。
やがて山奥の社に着くと、山奥の神様が、小さな社の扉を開けました。奥には、鏡がありました。男は何でもないように、大人の拳くらいの小さく円い鏡に吸い込まれて行きました。
女は、縛られたまま、神様を睨みます。
「困りましたね。理を外れた魂は、ただ消えて行くしかありませんよ」
「あちきゃあ、都に生まれ変わりんす」
「都に残ったからといって、都の神社を通って都に生まれ変わることは出来ません」
「ふん」
花魁らしい冷たい笑いで、女は三日月型に目を細めます。
「そもそも、今の都がある場所が、いつまでも都であるとは限りませんよ」
「ばからし」
女は嘲るように口を歪めます。
「どのみち、数日もすれば、ただ消えるしかありませんよ」
「ほほ」
花魁の魂は、はなから山奥の忘れられそうな神様の言葉など、信じようとはしないのでした。
それに加えて、困ったことに、遠く離れたこの地では、花街の小さな社の神様が、神通力を振るい続けるのは難しいことなのです。
金色の帯は、だんだん薄れて、雪の中へと混ざってしまいました。折鶴もまた、魂をこの社に導く役目を終えて、ただの白い紙に戻ってしまいます。
自由になった女は、これ幸いと都を目指して飛び去りました。
「全く世話の妬けることですねえ」
神様は、ため息をひとつ吐くと、懐から新しい紙を取り出しました。
「消えてしまうなんて、かわいそうですからね」
呆れながらも神様は、山で生まれた大切な命を、失うなんて出来ません。どうにか鏡をくぐらせようと、鎮守さまにも力を借りることにしました。
今度の折鶴は、鎮守さまのお社を飛び過ぎず、お使いの狐を乗せて行きました。
鎮守さまの白い狐は、遊郭に着くと、頭を下げてもう一度協力をお願いしました。
声なき折鶴と、白い狐と、紅い錨綱の三毛猫は、再び黒い格子の中で月を眺める遊女の元へ向かいます。
「お迎えだよう」
「お還りなさいって」
「お引き取りなすってくんなんし」
なおも遊女の魂は抵抗を続けます。
もう、実力行使しかありません。
白い折鶴の銀の粉、三毛猫の金の帯、そして狐の操る蒼白い焔が網目となって、遊女の魂を絡めとりました。
流石の強情な魂も、これでは従わざるを得ません。
とうとう遊女は、山奥の雪に埋もれた社の奥で、小さな鏡の中へと放り込まれてしまったのでした。
「あんなの、放っておいたら良かったのに」
狐が不満そうに言いました。
三毛猫は、力を貸してはくれましたが、都を離れる程の神通力を持たないので、ここにはいません。
折鶴は話せません。けれども、ちょっぴり悲しそうに白い紙の羽を揺らして、ぱたぱたと四角い紙に戻ってしまったのでした。
冬の童話投稿最終作
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