8
「はい、喉の奥を見るから口を大きく開けて」
クレイが熱を出して3日後、熱が下がった。
高い熱が出たのは初日だけだったが、その後も微熱が続いていたのだ。その間、ウォルバートン先生は、毎日診察に来てくれた。
「うん、いいね。もう、腫れは無い。熱も下がったようだし、そろそろベッドから出てもいいよ」
先生の言葉に、クレイはベッドから飛び出した。
「クレイ、先生にお礼を言うんだ」
外へと飛び出そうとしたクレイに、ステアが注意した。
クレイは慌てて戻り、ウォルバートン先生に「ありがとうございました!」と頭を下げた。
「どういたしまして。病み上がりなんだから無理しちゃダメだよ」
「わかりました」
クレイは頷くと、手に服を持ち、今度こそ部屋から出て行った。
軽い足音が廊下を走り、キッチンへと駆け込むのが聞こえた。
「あいつは頑張り屋だなあ……」
オレは苦笑しながら呟く。
「当然だ。それでこそ、我が弟子だ」
ステアは我が事のように胸を張り、言った。
「さて、それでは医者。栄養のある料理について質問したいのだが……」
「はいはい。何でも聞いてくださいな」
ステアは先生の前でノートと古今東西の料理本を広げ、ウォルバートン先生にあれこれと質問を始めた。
その内容は、成長期である子供に食べさせるべき栄養素と、その栄養素をたっぷりと含んだ美味しい料理のレシピである。
クレイが熱を出し倒れたことで、ステアは人間について知らなさすぎる事を問題だと感じたらしく、三日前からオレとウォルバートン先生を捕まえては質問を浴びせている。
特にウォルバートン先生の持つ医療についての知識には目を輝かせていた。人間の体の構造を、かなり詳しく説明してくれるおかげで、勉強好きのステアの探求心に火が付いたらしい。どこから手に入れたのか、現代の医学書を手に、先生とあれこれ小難しいことを話しているのを聞く。
今日のお題はクレイに食べさせる為の料理について、らしい。
人間が栄養とする食物は種類が豊富で、その栄養もまた幾種類もある。お腹を満たすためだけに、一つのものを食べ続けても、健康な体は作れない。沢山の栄養素を上手に体に取り入れることで、骨や筋肉、組織を作り上げ、強い体ができるのだ、という話を聞いてからというもの、ステアは栄養学の本を片手にクレイに食べさせるべき食材を吟味し始めた。そして、クレイが倒れた翌日に、栄養満点だという料理を作ってくれた。
ステアが自信満々で出した料理は、火の通っていない魚や血液にまみれたままの鳥の内臓、切っただけの生の野菜、生卵ジュースだった。
味もさることながら、生臭さが漂うその食卓に、オレはたっぷりと文句を垂れた。
栄養が一番取れる状態で出してくれたようだが、これではクレイのような子供は食べない!人間には味や匂いも大切なんだ!とオレが断言すると、今度は料理の本を出し、研究し始めた。
「そうだねえ、子供は美味しくないと口に運んでくれないからねえ」
「むう……それでは苦みのあるものはダメか……この野菜は栄養満点なのに……」
料理のレシピ本を見ながら悩む吸血鬼の姿は、オレの目から見ても笑えた。
魔法を使う種族としては最強と恐れられる存在が、人間の子供に何を食べさせたらいいのかと悩んでいる。
「師匠っていうか、パパだな……」
「何か言ったか?」
「別に。あれ?クレイが何か言ってないか?」
扉の外からクレイの声が聞こえていた。
すぐにクレイが扉を開けて、飛び込んできた。その顔は、これまで見た中で一番の輝きを放っていた。
「できた!師匠、できたよ!」
「?何ができたのだ?」
「火だよ!竈に火をつけた!火が付いたんだよ!」
オレ達は一瞬ぽかんとした後、慌てて立ち上がり、キッチンへと向かった。
クレイの言った通り、かまどの中で薪がぱちぱちと音を立てている。煙も上がっていた。
「おお!おおおおお!素晴らしい!」
「一発でできたんだ!」
「クレイ!お前は天才だ!」
ステアはクレイを抱き上げ、高い高いの状態でくるくると回りだした。
「ええと……一人で火を起こしたことが嬉しいのかい?」
ウォルバートン先生が首を傾げて聞いてきた。
「いえ、魔法ですよ、クレイは魔法で薪に火をつけたんです。ここ最近、ずっとこれを練習していたんですよ」
「魔法?こんな小さな子が?」
「小さくても、立派な魔法使いだぞ!うむ、やはり食事と栄養とは馬鹿にできないな。こんなにも早く結果が現れるとは!!」
ステアはクレイに負けず劣らず興奮している。
クレイは倒れて以来、朝昼晩と三食しっかり食べている。まだ、消化に良いものしか食べさせてはいないが、食べる前と後では、肌や瞳の輝きがまるで違う、落ちくぼんでいた目元や、こけていた頬がふっくらとしてきて、赤みがさしてきた。
動きや声にも力が感じられる。
「…………」
オレは竈の傍にある火打石を見た。
クレイを疑う気は無いが、先日、クレイが火を起こすのに苦戦していた事を思いだすと、本当に魔法で火をつけたのか疑わしく思ってしまう。
「おい、俺はずるなんかしてないぞ」
クレイに睨まれた。
「見てろ」と言って、クレイが呪文を唱え始める。
杖の先に小さな赤い炎が灯る。
マッチの先に点くくらいの小さな奴だが、確かに火だった。
「おお!本当だ!」
「当たり前だ。第一、火打石で点けた火と、魔法で点けた火は全然違う。見てわからないのか?」
ステアが冷たい視線をよこした。
「わかんねえよ」
「ふん、これだから魔法の使えないやつは」
ステアはオレを馬鹿にしたようにそう言って、クレイの頭を撫でた。
「素晴らしい上達ぶりだ。呪文の発音も完ぺきだった」
クレイは頬を赤くして微笑む。
「それでは、料理にかかろう。クレイ、杖を置きなさい。ここからは魔法は使わない」
「え?わ、わかった」
クレイはステアの言葉に従い、杖を置いた。