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第三部 『歪み歪歯車編』  暴力少女 埜逆崎櫻 5

ぴちゃん…ぴちゃん…


 この音は何回目だっけ…


 櫻は朦朧とした頭の中考える。真っ暗闇の中、聞こえるものといえばこの滴り落ちる水滴だけだ。


 どことなくかび臭い、苔むした匂いが鼻につく。


 櫻は両手を吊り上げられその身にはぼろを着せられていた。素足からは血がだらだらと流れ続けている。


 石造りの牢屋の中の空気は身震いしてしまいそうなほどに冷たい。真っ暗闇に暗応した視界の中おぼろげに輪郭が滲みだす。


 足元にはガラスの破片が敷き詰められていた。ただ立っているだけでガラスが肉に食い込み、血を流させる。かといって足を動かせばまた別の破片を踏み、けっきょくは同じだ。


 両手首を固定するこの枷は特殊な文字式でも刻まれているらしく、櫻は力なくうな垂れることしかできない。


 ぎぃ、とどこかでドアが開く音がした。櫻はそちらに目を向ける。階段の上から光が差している。シルエットは逆光で黒く塗りつぶされた背が高い男、そして鎧の輪郭をしていないことから兵士ではない、その程度のことしか読み取れない。その影は壁に手を突き、なにやら唱える。そうすると暗い地下牢内に灯りがともった。


 突然の光は真っ白に視界を灼き痛みで櫻は思わず目を閉じた。瞼の裏側で光を感じながらなんとか慣れてくるとゆっくりと目を開く。


 目の前に立っていたのは見覚えのない少年と小さな女の子だった。


 少年は櫻と同じか少しだけ年下だ。ただ身長に関しては櫻よりも拳一つは高い。洋服のことがよくわからない櫻が見ても彼が着ているシャツやズボンはその布地、施された金や赤の刺繍、高価なものだということはわかる。そしてそれを下品にならない程度に洒脱に着崩している。真っ白な髪の毛は男にしては長めその前髪は目にかかる程でその下には宝石のような青い瞳をのぞかせている。笑顔を浮かべてはいるのだがそのへらへらとした笑顔には親密さや安心感よりもその裏側に蠢くものを想像させてしまい、櫻の警戒心を煽った。


 女の子の方は男のこの半分も背丈がなくて腰まで届く長い銀髪だ。光を反射させキラキラと輝く様はその髪の中に星屑を散りばめているかのよう。耳の後ろ辺りから髪をかき分けてとんがった、短いながらも角としか呼べないものが突き出している。大理石のように真っ白で光沢のある角だ。少年とは対照的に赫い瞳。血を混ぜ込んだような美しさ。幼くも人形のように均整の取れた、そして愛らしさのある顔立ち。右目の下には暗褐色の複数の図形を組み合わせた模様が刻まれている。女の子には似つかわしくない亡者の叫びのようにも見えるその並びは見覚えがある、と櫻は考えたけれどどこで見たか思い出せなかった。フリルのついたゴシック風の黒いドレス。これもその意匠、素材それだけで高価なものだとわかる。人間で例えればまだ10歳にもなっていないであろう女の子は少年の後ろに隠れて顔だけおどおどと覗かせた。


「あははは…まったく、初めての対面だというのにこれはあまりにもひどすぎるんじゃないかな」


 櫻は闇を煮詰めたどんよりと曇った目で少年を見つめる。


「あのさ…もっとまともな人だと僕は一応思っていたいわけ。なのになんなの、そのざまは?本当に最低だね、頭が痛くなる」


「お前、誰、なの?」


 ボソッと櫻は呟いた。部屋が一気に静まり返る。


「に、にぃさまぁ…」


 女の子は少年を見上げてぎゅっと袖を握り締めた。


「ああ、もう、ひぃちゃん、そんなに怖がらなくていいよ…大丈夫、お兄ちゃんがいるからね」


 少年は女の子の頭を優しくなでると櫻に目を戻した。


「誰、とはあんまりなんじゃないかな、ねぇ?そりゃたしかに会うのは初めてだよ?


 でも僕はちゃんと知っているんだ。だからそれは無いんじゃないかな?」


「だから誰、なの?」


「埜逆崎…死尽…君の弟だよ、姉さん」


「ふぅん…」


 櫻はすぐに興味がない、とでもいうように目を逸らした。弟。血が繋がった存在。意味は分かる。それだけだ。


「あははは、連れないねぇ。僕の方はちゃんと姉さんのことを知っているよ。生まれ育ち置かれた環境、半分とはいえ同じ血を分けているんだ、なのに姉さんの方は全然興味がないってわけだ。それはちょっと辛いな。僕としたことが完全な片思いだよ。ありえなくない?


 まぁ姉さんの方がよっぽどあり得ないけれど。この国随一の魔力の血統である魔王の長子でありながら『価値無し』おまけに今では『劇団グランギニョル』の下働きなんて。


 僕たちは会う機会はなかったけれどそれでも姉さんも僕たちのことを気にかけてくれているって思ったのに」


「そう…わたしはあなたたちの存在自体知らなかったから、なの。それに『劇団グランギニョル』そんなものも知らない、那の」


「嘘をつくにしてももっと上手についてくれないと困るよ、姉さん。


 その胸元に刻まれた徴、それは『劇団グランギニョル』団員の徴じゃないか」


 がりがりとガラスをブーツで砕きながら死尽は櫻に近づきぼろきれの隙間から覗いている白い胸元に残る『鳥刺し男』の徴を指で撫でた。


 『劇団グランギニョル』


 そう名乗る彼らは少人数でありながらもその危険度は計り知れない。なぜなら彼らの使う魔法や技術は欠落魔法と呼ばれる過去の遺物、あるいは未知のモノばかりで一般に知られている魔法ではなかなか太刀打ちできない。彼らはこちらの物差しを知っているがこちらは彼らの力を測り解析するすべがないのだ。なおかつ『鳥刺し男』を掲げている通り、螺子の狂った集団でその思想もまったく読みきれないのでたちが悪い。彼らが世界征服、あるいは巨万の富を築く、もしくは特定の組織、国家、民族への復讐、そんなわかりやすい目的で動いてくれるなら助かるのだが彼らの目的は全然違う。追い詰められたものが行き着く狂気の果て、を観察するのが彼らの一番の目的なのだ。ようは彼らにとって面白いことが起きそうなところ、に彼らは現れる。


 東欧の某国の事件で『劇団グランギニョル』のその名は各国の上層部の知るところとなった。表向きは平穏で王は賢王と国民に親しまれ尊敬された国。その国の皇女と彼女付きの小間使いの少年、婚約者たる有力貴族の息子の三角関係を中心に王の歪曲させられた愛情、そして後妻である王妃の嫉妬を背景にした、議会内の権力争い、大貴族である地方領主まで巻き込んだ内乱に次ぐ内乱の悲喜劇。けっきょく疲弊、弱体化したその国はすぐに隣国に攻められ滅びた。かつての某国民は上流階級であった王族、議会、貴族そんな上流階級すべてを国民自らギロチン台に揃えて並べて切り落とし転がり転がる首を拾い集めて涙ながらに隣国に命乞いをした。そんな舞台をお膳立てし、役者を唆し、暗躍の限りを尽くした後にゲラゲラと笑い転げて姿を消したのが『劇団グランギニョル』だ。


 彼らは基本的に表舞台を好まず、代わりに誰かを唆して自滅を誘うことが多い。そして数少ない目撃報告によれば『グランギニョル』の一員は身体のどこかに掲げる『鳥刺し男』の徴を入れているという。これは『劇団グランギニョル』の存在を知る上層部でもさらにその一部しか知ることを許されない極秘事項だ。


 そんな『劇団グランギニョル』の一員が捕らえられたというのだ。これを一気に叩くチャンスといわず、なんといおう。


「違う…わたしはそれを知らない、なの。この徴だって昨日つけられた、なの」


「だから言ってるよね、嘘は困るって。それ、どう見たって昨日今日の火傷じゃないでしょ?


 どう考えても数ヶ月は経っている。仮に『価値無し』の姉さんが傷の治りが早かったとしてもさ、だったら昨日負ったその火傷が何でまだ治っていないかわからないし」


 死尽は櫻の右肩、戒音がつけた火傷を指差した。


「これは…治癒魔法を…」


「治癒は欠落魔法の中ですら存在しない、一体誰が使えるって言うの?」


「それはあいつ…『グランギニョル』のあいつが…」


「残念だけど、姉さん、治癒魔法は血統が必要なんだ。


 治癒魔法は魔法というより先天的能力って言ったほうが正しいぐらいなんだからね


 そしてその種族は当の昔に消え去ってしまっている」


 歴史書にも書かれている大虐殺、その果てに今の魔都が築かれたのだが剣を握り殺すこと以外してこなかった櫻はそんな当然のことも知らなかった。


「疑う、なの…?」


 死尽は大げさに両手を広げてみせる。


「信じたいって気持ちはあったけれどね、その徴を見たあとじゃあもうどうしようもないな。その図案は国家機密だ。なのにくっきりはっきり寸分の違いもなくそこに刻まれている。それじゃあもう言い訳もできないし信じるなんてもってのほかだ。姉さんの立場を擁護してしまえば次に疑われるのは僕だし姉さんのために危ない橋を渡るには僕たちの間には歴史がないからね。


 それにしても姉さん、いや『グランギニョル』だっけ?どっちにしろ大それたことをしようとしてくれたよ、魔王の暗殺だなんて。別に父さんなんてどうなっても構わないけどさ。まだ次期王が指定されてないこのタイミングでそんなことが起きればこの国にも少なからず派閥争いが起きるよ。僕たちの周りもどんどんきな臭くなっていく、その結果ひぃちゃんにまでその火の粉が及ぶっていうんだったらやっぱり僕はその全てを殺したいと思うわけだ。だから姉さん、姉さんも少しは僕たち弟妹を思う姉としての気持ちがあるんだったら素直になってくれないかな?この国であいつらが動いているっていうんなら役者に選ばれるのはたぶん僕たちなんだ。彼ら風に言うと面白くなりそうな舞台装置が僕たちには揃い過ぎているからね。


 僕はね、ひぃちゃんだけは守りたいと思う。悪いけれどそれが姉さんを切ることになっても、だ」


「知らないものは知らない、なの…」


「期待はしてなかったけれどやっぱりそう答えるか…正直『価値無し』の姉さんにこの程度じゃ意味があるかどうかも怪しかったし受け答えもはっきりしているし全然平気そうだ。さすが姉さん、と素直に喜ぶ場面なのかな」


 やれやれ、と死尽は息を吐く。


「にぃさま、にぃさま…」


 くいくいと背中に隠れていた少女はは死尽のシャツを引っ張った。


「ん、どうしたの?ひぃちゃん」


「あのおねぇちゃん…わたしたちのねぇさまなの?」


「そうだよ、今はすこーし悪いことして反省中だけどあれがぼくたちの姉さまだ。ちょっと難しい話をするから少し耳をふさいでいてくれるかな?」


 死尽は女の子の頭の上に手のひらを置く。女の子は素直に両手をその銀髪から除く角の少し下、つまり耳に当てる。そしてなぜか目までぎゅっとつむっている。


「姉さん、ちなみにこの子が末子にして僕らの妹、密だ。さっきの様子だと多分ひぃちゃんのことも知らないっていうだろうけど。


 正直姉さんの立場は最悪だよ。国家反逆罪が即死刑なのは世の常、それはこの国でも変わらない。なのに執行されていない理由はわかる?ついに『劇団グランギニョル』との繋がりを手に入れた、少しでも情報を手に入れなければならない、そう考える人たちがいるからだ。


 このまま何も応えなくても姉さんの心証はすこぶる悪い。戦場ではあれだけ勝利に貢献しているっていうのにそれでも僕たち普通の魔族にとってはなにを考えているかわからない化け物だからね。もしここから乾坤一擲、潔白を示しても、そうかもしれないって疑念はそう簡単に消えないよ。そしてそれがある限りもう無罪放免というわけにはいかない。誰も隣で斬られたくないからね。よくてこのままここで衰弱死かあるいは公開処刑か…


 そして素直に『劇団グランギニョル』のことについて証言してもそれを機に罪の軽減なんてこともあり得ないよ。それすら台本の一部の可能性がある。なんなら公開処刑まで見越してやつらはシナリオを作っているかもしれない。でも姉さんと剣を交える可能性を考えればたとえあいつらの手の平だとしても姉さんは処刑されるだろうけど。


 櫻はぼんやりとその会話を聞く。そして女の子に目をやった。ということはあの何も知らなさそうな小さな女の子が妹に当たるのだろうか?死尽の後ろから恐る恐る櫻を見ていた女の子は櫻と目があうと「ひ」とか細い声を上げてすぐにまた死尽の後ろに隠れてしまう。


「…まぁいくらでも時間はあるし、ゆっくりとやらせてもらうよ。


 正直、実の弟妹の僕たちと会えば少しは姉さんも違った反応を見せてくれると思ったけど全然そんなことなかったね。


 たとえ血と肉を分けた僕たちですら姉さんには価値がないってことか」


 死尽はつまらなそうに口元を歪めた。失望と自虐の混じった溜息を吐きながら。


「しゃべることは何も無い、なの。わたしは何も知らないのだから、なの。


 聞くんだったらあの目の回りに赤い模様を入れた女のほうがよっぽどマシ、なの」


「ああ、姉さんを捕まえてきたあの学生だね、そうだね、彼女に聞くこともまだ山ほどあるかな。


 じゃ、今日はこれで。次に僕が来たときは姉さんもどうなりたいのか覚悟を決めておいたほうがいいと思うよ。次はひぃちゃんを連れてくる気は無いんだからね。だったら僕がどんな手段に出ようとそれをとめる良心は無いってことだから。


 ま、こんな物言いもこけおどしじみて好きじゃないんだ。ようは、我慢比べは次会ったときが本番ってことさ。


 あとこれは個人的なお願いなんだけど、少しはひぃちゃんにお姉ちゃんらしいところを見せてほしかったかな。


 このままとんとん拍子で処刑になってしまえばひぃちゃんは一生姉さんと会わない可能性だってあった。だからせっかく連れてきたのにその態度はつれないよ。僕たちはたった3人の魔王の血族なんだ」


 死尽は踵を返してひらひらと手を振る。女の子もそれに続く。櫻はその後姿をぼんやりと見守った。


 女の子はちょっと最後に振り返る。櫻と目があうとまたぎゅうぅ、と死尽のシャツを握り締めてとたとたと逃げるように去った。そして再び、牢屋は暗闇に閉ざされ、水の滴る音だけが響いた。

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