第二部 『背中合わせ鏡』編 半透明少女 埜逆崎櫻 6
「あ、あのですね…櫻さん?」
「なに、ルカ?」
琉架は今日も部室で櫻に勉強を教えている。本来なら会議のために使われるホワイトボードには奇襲のやり方として1万の軍勢をどう分けてどのように敵の周りを囲むか、を一生懸命矢印を引っ張って説明しているのだが。
「もうちょっと…マジメになる気、ないんですか?」
そう、さっきから櫻は窓の外を見ながら鉛筆をくるくる回すばかりだ。
「だって…それぐらいだったらわたし一人でいったらすぐ終わる、なの」
ここで調子に乗ったこというんじゃないですよっ!!とがばぁ、と机をひっくり返せてしまえれば楽なのだが、確かに櫻だったらそれが可能なのだ。琉架は閉口するしかない。でもそれだと話が進まないのも事実。
「でも勉強は必要ですから」
「使わない勉強は不必要、なの」
「くっ…ああいえばこういうっ!!なんていうワガママさんなのかしらっ!!まったく誰に似たんでしょうか、親御さんの顔を見てみたいものですっ!!」
「…親、魔王、なの」
ぽそっと櫻は呟く。
あひゃぁと琉架は両手を上げた。
「ギャー!!たしかにそうだったー!!!す、すいません、魔王様っ!!貴方を侮蔑するような発言をして…
も~いいですっ!!その話はここで終わりですっ!!今日は試験しますっ!!これでいい点取れなかったら櫻さん、失格ですからねっ!!」
びしっと櫻を指差す琉架。櫻はぽんやりと聞き返す。
「何が失格、なの?」
「に、人間!!」
「ああ、だったらすでに人間失格、なの」
魔族だし。それどころか魔族すら失格かも。『価値無し』だし。
「そこっ、笑うところですよっ!!」
「え、なんでなの?」
きょとんとする櫻。そしていってからなんで琉架もここが笑うところなのか、と考えるとわけがわからなくなった。多分異世界の電波だ。
「とりあえず、試験だからっ!!赫紗っ、赫紗っ!!問題用紙をっ」
「はぁい」
「あと戒音は…戒音は…そっか」
ぽそっと寂しげな響きが琉架の口から漏れた。
赫紗は櫻に問題用紙を手渡すと琉架の元に駆け寄る。
赫紗も最初は櫻に勉強を教えるという琉架に度肝を抜かしたものの、いまはそれなりに理解を示してくれている。最近は表情を曇らせないし。でもやっぱり琉架も一緒にいないと何をしたらいいのかわからないらしくて運悪く、赫紗と櫻が先に部室に着いたときは赫紗はファイル片手に所在無さげにうろうろしている。今まではスライムのように机にぐだーと突っ伏していたころよりはまぁいいか。
「…やっぱり、謝った方がいいんじゃないー?」
「で、でも悪いのはわたしじゃないからっ!!…戒音が櫻さんにひどいことをいうものだから」
「琉架さん…自分が正しくてもたまには折れないとだめだよー
琉架さんの意志の強さは魅力だけど欠点でもあるよー。それに戒音はあんな子だからきっと自分から素直には謝りにこれないって。だから、お姉さんの琉架さんのほうから謝ってあげた方が戒音も戻ってきやすいと思うんだけどなー」
そして赫紗はくいっとメガネを上げた。この何気ない仕草には、あれ、今いいこといったんじゃないの?と自分に酔ってる自画自賛が含まれている。
「ですかねぇ…でも…」
「ま、琉架さんも考えといてねー。わたしは戒音を探しに行くよー。ここ最近、学園の中でもちっとも姿を見てないんだー。寮には帰っているみたいだけど」
あれから戒音は『紫』どころか授業にも顔を出していなかった。
「すいません、頼みますよ、赫紗」
たしかに、赫紗の言うとおりだ。それに琉架は戒音もいてくれたほうがいい。
赫紗が出て行くと琉架は壁にかかった時計に目をやった。
「じゃ、櫻さん、あれが10分を差したら開始しましょう。
制限時間は50分で…いいですね?」
「わかった、なの」
「それでは…試験開始」
が、実際試験監督、というのもヒマなもので琉架は意味もなくぐるぐると教室を二周ほど歩くとすぐに飽きてしまった。
なんとなく、机の足元に目をやる。そこには箱いっぱいにガラクタとしかいえないようなものが詰め込んである。これはいわゆるご奉仕活動、として近くの初等学校に一日保育士みたいな真似事をしにいくときに使うおもちゃだ。それもカリキュラムの一つで守るべき魔王の財産としての子供にじかに触れることで使命感と責任感を煽る狙いらしい。
といっても古びたおもちゃばかり。いまの子供たちはこのうちの何個に目を輝かせるだろうか。
ホコリまみれのお手玉が目に入る。琉架はそれを手に取るとパンパンとほこりを払うとくすんでいたお手玉はきれいな青色を取り戻した。
琉架はお手玉が得意だった。が、それは琉架にはお手玉ぐらいしかおもちゃがなかったということだ。
旧家『日向家』は琉架が小さいころにはとっくに零落してしまっていた。名前だけは今もそれなりの知名度と敬意を払われるがその実情は財力も権力も残していない。琉架の父親はいつまでたっても貴族体質だった。誇り高い、という意味での貴族らしさだ。それはお手玉しかおもちゃがないほどに日向家を落ちぶれさせてしまうぐらい。
父親はついに残っていた家財道具まで売り払ってしまった。しかしそれだけでも一家が充分過ごせるだけの金額になった。それぐらい、かつての日向家は栄華を極めていた。だが父親はその売り払ってできたお金を均等に使用人に配分してしまったのだ。なにしろいまの日向家は使用人を雇うほどの給料は貰えず、だからといって代々使えてきた使用人をそう簡単に切り捨てることもできないからだ。彼らにだって家族があるし、守る生活だってある。
最後にはあの大きくて立派だった屋敷も売りに出し、そのお金も全部使用人に分け与えた。彼はそうやってできたお金に一銭も手をつけなかったのだ。そのときの父親の言葉はいまも琉架は覚えている。
母と二人呼ばれたときのことだ。
『これが貴族の責任だ。裕福な暮しのときは誰よりも贅沢を。ただし、苦しいときは身を削ってでも使用人を守る。そのためにお前たちには苦しい思いをさせてしまう。すまない』
だけど母も琉架もそんな父親が大好きだった。
琉架はだからいつも母親に教えてもらったお手玉で部屋の隅で遊んでいた。
琉架がこの学園に入ったのはそんな理由も大きい。学生であれど軍人扱いのこの学園は学びながらにしてお給料が貰えるからだ。
いまもお父さんは元気にしているだろうか?もう年なんだからあまり無理はしないで欲しい。
今度はお母さんにきれいな服でも買ってあげようかなぁ…
お手玉を見ているうちに懐かしさばかりがこみ上げてくる。
「ひとつ 引かれてきた淵の
ふたつ 深みに身を沈め
みっつ 満たした夜の夢は」
ぽんぽんぽん、と三つのお手玉は琉架の手の内で踊る、踊る。
母親に教えてもらった、数え歌。
「よっつ 良き日の忌み語り
いつつ 息づく骸手は
むっつ 迎えの波小船
ななつ 倣いの闇歩き
やっつ 山路を越えてゆく」
四つ、五つ、数を増やしていく。琉架の手の平で五つのお手玉が飛び交う。
「ここのつ 今夜は扉も開く
とおで 飛び行く緋の魂緒
ふふふ…まだまだわたしも捨てたものじゃないですね」
「ルカ…気持ち悪い、なの」
はっ、と我に返って琉架は櫻を見据えた。そしていまなんて言われたか思い出す。ぼとぼとぼと、と調子よく舞っていたお手玉が次々と床に落ちる。くわっと琉架は吼えた。
「き、気持ち悪いって、気持ち悪いって!!な、なにがですかっ!!」
「そんな、玉投げてニヤニヤして、なにが面白い、なの?」
「玉投げじゃありません。お手玉、です」
「お手玉…?」
「ええ、そうですよ。こうやって…右手、左手で次々と玉を投げる簡単でとても面白い遊びです」
「遊び、だった、なの?それ…」
櫻はますます不思議そうに目を丸めた。
琉架がポンポンと投げるたびに櫻は頭をぐりんぐりんさせながらその玉を目で追いかける。どうやらかなり気になっているようだ。
「やってみます?」
トストストス、と五つのお手玉、全てが琉架の両手に収まる。
「いい、なの。それ、面白いって嘘、なの」
櫻は慌てて目を逸らす。
「あらあら…そんなこと言って、ほんとはできないからしたくないだけじゃないですか?」
琉架は意地悪く笑う。
「それぐらいできる、なの」
珍しく櫻は唇を尖らせて口答えした。やっぱりちょっとむっとしているらしい。
「貸す、なの」
「はいはい」
ずいっと差し出された櫻の手の平に琉架はお手玉を乗せてあげる。
「よ…あ…」
ぽん、ぽん。やはり初めての成果櫻の場合全てがぎこちない。玉を投げるのも遅すぎだし玉が落ちてくるころには受け止める手はまださっきの玉を握ったままで、ぼと、と落ちてしまう。
「あら、あらら…全然できてないじゃないですか」
ますます調子付く琉架。
「ふ、二つならできる、なの」
ビシィ、と指二本を琉架に見せつける櫻。琉架は呆れてため息しかでない。
「…そ、それじゃお手玉になりませんよ。せめて三つじゃないと」
「三つ…三つ…」
ぼそぼそと呟きながら櫻はまた挑戦するがそんなにすぐできるわけがない。またぼとり、と取りこぼしてしまう。
「……」
櫻は無言で床に落ちた三つ目のお手玉を恨めしそうに見つめた。
「まぁ、そう簡単にできるものじゃないですから…って、あ、試験中だったっ!!
櫻さん試験、試験ですよっ!!遊んでる場合じゃないですって!!」
「最初に遊んだのルカ、なの」
「そ、それはそうですけど…でも試験再開です。櫻さん、席に戻って戻って、はい、カムバックカムバック」
「はぁい…」
すごすごと櫻は席に戻る。
そして今度はじっと琉架は櫻の試験監督をするのだけど、いかんせんヒマだ。ただ座って櫻を見ているとだんだん意識がもうろうとして来る。ここ最近、勉強を教えてるせいで『紫』としての仕事は寮に帰ってから夜中にばっかりやっていた。だからか、だんだん、だんだんとまぶたが重くなっていく。意識はずぶずぶと眠りに片足を突っ込んで…