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第二部 『背中合わせ鏡』編 半透明少女 埜逆崎櫻 5

「アハアハアハ…トンデモないことになってきたぞ、コレは…コンナ面白い存在だとは…ますます欲しくなるナ…『価値無し』…我々の看板女優にこれほどふさわしい役者はないぞ…尊ばれる血筋でアリながら蔑まれる…刀を握った変態欲求の化身だ…自分に殺される虫けらの視線でしか自分というものを上手く把握できない…それどころじゃないナ…悦楽すら感じてるハズだ…とてもマトモな神経じゃない…踏み込むことの許されないオソロシイ禁忌の領域だ…血に塗れ、腸を引きずり出し身体に巻きつけ…抉り出した心臓を握りつぶし…眼球を垂れ流し…脳汁を啜り…笑い…泣く大人子供全員殺す…アハアハアハ…これはトンデモない変態だ…嗜虐趣味だ…タマラナイタマラナイ」

 椅子に座ったまま少年はグラスを揺らした。

 彼が座った椅子の後ろには例の『鳥刺し男』の旗が掲げられている。

 真っ暗な部屋の中映像が壁に投影されている。まず櫻の戦場での映像が流れ、それが終わっていま映されているのは紫の教室内の風景だった。

 そこでの一部始終を少年はアルカホールをチビリチビリと舐めながら見ていた。

「トコロデこの『目玉』の存在はバレていないんだろうな?」

 目の前にはやはり青年がひざまづいている。そして少年の言葉に丁寧で、それでいて抑揚のない機械的な返事をした。

「『価値無し』は魔力を察すること自体が無理ですし、同席の少女『日向琉架』にしても多重的に魔力遮断を施された『目玉』に気付くことはほぼないでしょう。それに何よりもアニミズムなどくだらない主張を元に魔式構成をしている彼らには私たちの魔法に気付くこともほぼありえません」

「ソレならいい…ハテ、『価値無し』を引きずり込もうとしたものの…ミゴトなほど孤立しているナ…

 これだったら引きずり込むのも簡単じゃないのか…どう思う?」

「…無理だと思われます」

「ナンデ…ソウ思う?」

「どうこういったところでいまのところ『価値無し』は魔王が定めたルールを破るようなことはないと思われますので。いま貴下がごらんになった映像も魔王が殲滅許可を出した戦場での出来事ですから」

「アハアハ…まぁ、どっちでもいい…俺には考えがあるからナ…こういうのはシンプルで簡単にいくべきだと思わないか?ナァ…瑛椰?」

「…と、申しますと?」

「俺には考えがある…後はお前がウマクやるだけだ…できるだろ?…ウマクいけばいい見世物だ…アハアハアハ…ナァ、お前にも見せてやれるかも知れないナ…世にも恐ろしい女の嫉妬による残酷絵図の喜劇だぞ…封切りすれば千客万来、ヨッテラッシャイミテラッシャイのケッサクな喜劇だ…歴史に繰り返し刻まれる嫉妬やきもち狂いの血塗れ絵…サァサァ御代はケッコウ…まずは見てくだされってナものだ…幻想怪奇のグランギニョル劇団、まずはこの一幕から皆様のお目にかけてミセマショウ…誰もが知っていながら到底お目にかかることのないエログロナンセンスの喜劇コメディの開演でゴザイマス」

 そしてまた少年はグラスを煽ると覚束ない手つきで酒を注ぎ足す。そしてそれを高々と掲げた。

「グランギニョルにふさわしい一幕を開幕することにしようじゃないか…アハアハアハ」

「全ては仰せのままに。私は舞台を整えるだけの黒子でありますから」

 青年は深々と頷く。


「…うぅ~」

 いつも放課後は『紫』の部室に通い詰めだっただけにそこを飛び出してしまえばどうすればいいのかわからなくなる。クラスメイトはこんな時間でもきちんと自分の居場所を見つけているというのに戒音はそこから追い出されてはあてどもなく歩くだけだった。

 寮の自分の部屋に帰るという手もあったのだけれど、そんなことをすればへたになんやかやと詮索されるのも目に見えて、ただうろうろとするだけだ。図書館ではいまは戦史研究会陣取っているはずだし、グランウンドは行かなくてもわかるぐらいに戦技関係の部活や運動系の部活の声がここまで響いてくる。

 いまはとりあえず誰の目にも触れたくなかった。

 みっともない表情をしているのは自分でもわかっているのだ。下唇をかみ締めて握った拳をどこかにぶつけたいと思いながらも握り締めるだけでそこからなんにもなりはしない。

「バカ、バカッスよ…」

 人の気配から逃げるように校舎の中を動き回っていると気がつくと屋上へと続く階段にたどり着いた。

 見上げると鉄製の重苦しい扉は鎖でがっちりと閉じられ、そこには4桁数合わせ式の鍵がぶら下がっている。

 けども実際はそれはどうぞお入りください、見たいなもので生徒の大半はそのナンバーを知っていた。ただ琉架が目を見晴らせてからは誰もこなくなっただけで。かつては少年少女の逢引の空間として第2訓練場がある外れの森と同様に人気のある場所だった。

 戒音は迷うことなく鍵を開けると屋上に侵入した。あっという間に青い空が頭上に広がった。山の向うに白いもくもくした雲が見える。一瞬にして誰もいない自分の世界に入り込んでしまったような気がする。

 実際はすぐ目の前のグラウンドにも、そして足の下にもたくさんの魔族がひしめき合っているというのに。

 やたらと高い空がこういうときに限って青く透き通って、それこそどこまでも続いているので戒音は逆に自分がなにもかもから見放されてとんでもなくちっぽけで虫けらじみた感じが全身を包むのを感じた。

 ぎゅっと自分の身体を抱きしめればそれは恐ろしいほどにか細く、弱い。

 琉架というよりどころがハッキリと戒音よりも『価値無し』を選んだ、それだけでここまで戒音は打ちのめされてしまうのだ。琉架にそんなつもりはなかったかもしれないけれど戒音にとってはそうだ。いつも冗談めかしたように『嫁だ』なんだと戒音は言っていたけれど、それは冗談めかしたようにしか戒音は本当のことが言えないだけなのだ。

 それでもよかった。琉架のそばで過ごせている間は。

 ガシャリ、と金網に身体を預けて戒音は空を仰ぎ見る。取り止めもなく、いろんなことが浮かんでは消え、そのほとんどが琉架とのことばっかりだった。

 もともとは戒音も『奇郷人ストレンジ』だ。ただ、『価値無し』ほど扱いがひどくないというだけで。

 数百年前に魔王に属したとはいえ戒音の生まれた地方ではいまだに色濃くその伝統が受け継がれている。

 右目の周りに彫られた流炎の刺青なんてそれの最たる象徴でそしてそれが戒音の『奇郷人』としての刻印なのだ。そのせいでずっと見下され続けた。いつだって死に場所を失った敵に送られるのは冷笑と蔑みだけなのだ。それは幼かった戒音にも一緒だ。だけど、戒音自身も自分がたしかに『奇郷人』だとは思う。形式であって本質はみんなと違う。そのことを誰よりも思い知らされているつもりだ。それを初めて自覚したのはまだ初等学校に行き始めて2年ばかりのときだ。そのころの戒音は幼い少女だった。

 戒音の隣に住んでいた家族は平等主義者だった。いまは魔族の一員であるのだし、と戒音の家族にも親切にしてくれる。気がつけばお互いの家を行きかうような関係にまでなっていた。晩御飯を一緒にすることもよくあったし、戒音も隣の家の五つばかりの年上の男の子にいつも頭をなでてもらったり、三つぐらい上の女の子にお菓子を貰ったりしていたことはよく覚えている。

 ある日、その家は火災に見舞われた。それは戒音のバースデイの為に隣の家族が料理を作っているときに起きた。高熱で瞬間的に焼き上げるのをコツとする料理の途中、魔法の制御に失敗したのだ。あっという間に火の手は家を包み逃げ出す暇も助けが来る時間もなく、3階建ての建物と4人の家族を飲み込み真っ黒焦げにした。葬儀にはもちろん戒音の一家も出た。父親も母親も泣いた。戒音はぼんやりとあれ、なんでみんな泣いているんだろうなぁ、とまるで水族館かなにかのガラス張りの向うの生き物を見るような目でそれを見ていた。両親は言う。『戒音はまだ幼いからこのことがよくわからないんだね』戒音は思う。そんなことはない。彼らは死んだのだ。真っ黒焦げの炭に成り果てたのだ。死ぬとはどういうことか?そこで戒音は急に怖くなって涙がぽろぽろと出た。

 彼らとはもう二度と会えない。遊ぶこともできないし、お菓子を貰うこともないだろう。言葉を交わすなんてもってのほかだ。

 だけどそんなことはどうでもいい。本当にどうでもよく、些細なこと。戒音にとってはふぅん、そうなのか、のそれだけで済まされることだった。お菓子をもらえないことは残念だけど、別に会えないということに何の問題もない。

 ただ、死ぬとはなんなのか、そのことを考えるとひどく怖かった。自分という意識が消えてしまうということだろうか。蝋燭の炎のようにふっと掻き消えてしまうのだろうか?いまこう考えてる自分がこの世のどこにもいなくなる?それって何?どんどんと押し寄せるそんな考えがあっという間に戒音の心臓を絞り上げてしまう。あっという間に周りが真っ暗になって自分が崖っぷちに立たされたように感じた。戒音は生きている。戒音はまだ幼い。でもいずれ、火事でなくとも押し寄せる時間の果てにそれを迎えることは間違いなくて、それがとても絶望的だ。そのことに気付いて、戒音は泣いてしまう。死にたくない、死にたくない。

 そして戒音は気付く。みんなの涙は死人のためだ。でも戒音の涙はいずれ来る自分の死のためだ。

 戒音はきっと自分以外の誰かを自分よりも大事に、いやそれどころか失いたくないと思えるほど大事に思うこともないのだろうとそのとき確信した。だって戒音がそのとき思ったのはその早死にして余った分の寿命を戒音に貰えたらいいのに、少しでも来るべき死を引き伸ばせたらいいのに、ということだったわけだし。

 戒音は何よりも自分が大事なのだ。他の何を踏み台にしても自分だけは守りたい。

 戒音はそんな考えを抱えていて、だけどそれは気付かれたらいけないことだとうすうす感づいていた。だからばれないようになるべくなるべくみんなに合わせようとするのだけれどどことなく崩れてしまう。いつだったか教室で飼っていたハムスターに似た小動物『モルスカ』が死んだ時だってそうだった。とくに女の子なんてもう、この世の終わりみたいに泣いていたし、泣かなくても悲しむような言葉が教室を支配していた。だけどモルスカとしてはその辺が寿命だっただけだ。モルスカは前の上級生からの引継ぎで戒音達の教室で飼うようになった時はもう5年目だった。モルスカは平均寿命は3~4年、いつ死んでもおかしくなかったわけだ。だから戒音は馬鹿正直に言ってしまった。『なにがそんなに悲しいの?これ、そろそろ死ぬってわかってたことだよ?』あっという間に非難の集中砲火。『冗談、冗談だよ、ウソウソ』取り繕う言葉の白々しさ。ましてやそんな言葉でごまかされるはずもなく。

 他にもおんなじ様なことはたくさんあった。その度にへらへら笑ってごまかそうとするけれどそれが余計に苛立ちを誘うことがわかるようになったのはもう少し後のことだ。だからそこから先は最初から道化の仮面をすすんでかぶった。最初っからバカの振りをしていれば誰も責めない。でもそれもうまくいかない。すぐにつるし上げの標的にされる。それは痛いし情けないし、戒音は嫌だ。

 見返そうとは思わなかった、ただ人並みには、普通にはなりたかったから一生懸命頑張ってこの学校に入ったのだ。最初からやり直して、みんなと同じことに泣いたり笑ったりしたい。でも幼いころから刻まれた自分はみんなと違う、みんなよりくだらない存在なのだ、という考えは簡単にぬぐえはしない。

 だから学園に入って寮というどこまでも付きまとう集団生活の中、常に人の顔色を窺い、おべっかを使い、面白おかしいことを言ってごまかそうとしていたのにそんなことはすぐに見透かされてしまう。そこまで戒音は器用じゃないのだ。

 琉架を初めて見たとき、それはまさに戒音の理想の現れだった。

 誰かのためにしか動かない。たとえそれが『魔王』という絶対権力の象徴であれど、琉架の行動は全て『魔王』のためであって、少しも自分の利、というものが絡んでいなかった。『紫』という絶対権力の長に収まればいくらでも回避できる汚い仕事。誰もが嫌がること。そういうことも琉架は全部一人でやってのけている。変わるためにはこの人の側にいるしかない。それはもう確信ですらない。強迫だ。それしか許されていないのだ。

 この人の側にいることができなければ戒音は一生自分と周りに張られたこのガラスの壁を突破することはできないのだ。

 そこから戒音は今まで以上に明るく、無能に振舞うことに決めた。この人にだけは自分の『ヒトデナシ』の本性は知られたくない。他人の死も悲しめないようなそんな汚れたこの心。琉架のように、ルカ先輩のように、なりたい。ただそれだけで、もうこの人に見捨てられたらそこが戒音の終わりだ。

「…終わったッス」

 戒音は呟いた。そして完全に打ちのめされた。なにしろ琉架は『価値無し』を。戒音が唯一平静を保てていたのは、こんな『ヒトデナシ』でも『価値無し』よりはまだましだ、というその一点だけだった。だけどいまや『価値無し』以下の自分に与えられる記号は一体なんなのか。崖っぷちに立っていたと思っていた戒音だけどそれはどうやらまだ希望的観測だったらしい。戒音は奈落の底からずっと、光の射す方を眺めるだけの存在だったみたいだ。

 ぐにゃり、と影が歪んだのに戒音が気付くのはもはやそれが目の前に現れてからだった。

 突如目の前に現れたのは銀髪の青年だった。身にまとっているのはシャツからネクタイまで黒を身にまとった黒いスーツの男だった。シャツに関してはグレイに近かったがスーツとネクタイに関しては本当に真っ黒だ。だから陶磁器のように透き通った青白い肌はなおさら不気味で、背筋を震わせるような美しさを漂わせている。彼はまるで一流の執事の様に恭しく戒音に頭を下げた。

 戒音は驚き飛び退る。

「な、なんッスか、おっさんはっ」

「黒子に名など在りませぬ。私は舞台を整えるだけの下っ端でございますから」

「意味がわからないッスよっ!!は、さては、へ、変質者ッスねっ!!この学園の制服、とくにネクタイ辺りにハァハァするような変態ッスねっ!!ひぃ、まさかこんなところでも戒音の貞操が危機に晒されようとはっ!!け、警備員さぁんっ!!変態、変態がいるッスよー!!」

 やたらめったら騒ぎ立てる戒音。だけど青年は顔色をまったく変えずにそっと戒音の肩に手を乗せた。

「もう、演技をする必要はないのではありませんか?戒音嬢?

 一体誰にその演技を見せるというのです?いまや貴女が演じていた『戒音』は観客を失い舞台から降りてしまったではありませんか?」

「う…」

 青年が誰だかわかったわけではない。それでも全てをすでに見透かされていることに戒音は下唇をかみ締めるしかなかった。

「な、なんで…知っているの?」

 それまで明るく、すっとぼけた戒音の言動が一変した。いや、こちらがもともとの戒音、というべきだ。

「黒子は常に舞台の場を仕立て上げるものです。この先の展開に合わせて場を整え、道具を用意する。ならば私が貴女のことを存じ上げているのも至極当然のことでしょう」

 にこり、と笑って青年は首を傾けた。が、それは全然愛嬌や人懐こさとは無縁な、ただただ不気味さをさらに印象付けるだけの得体の知れなさを漂わせているのみだ。

「ましてや名乗る名もない私ではありますが、私は貴女の敵ではございませぬ。

 ただ私たちの舞台に貴女に立っていただきたいだけなのです。

 そう簡単に信じていただけるとは思いませんが」

「そ、そりゃそうだよ…だいたい、さっきだってどうやって現れたの?あんな魔法、見たことなかった…」

「残念ながら今は私の属する劇団については多くを語ることは許されませぬ。だけどそれで私の言葉を信じろというのも当然無理なのも承知しているつもりです。

 だからたった一つだけ、説明させていただきます。私たちは貴女方と違う魔式を使い、魔法を操るものです。だからアニミズムを信仰しておられる貴女方と違い、五色にとらわれぬ現象も引き起こせる…

 貴女も頭の良い方だ。ここまで話せばおおむね私たちのことを察してくれると思います」

 たしかにそうだ。もはやある程度、戒音にも彼が属する『劇団』というものがどういう性質のものかおぼろげにも見えてきた。五色から外れた魔法。それはつまり火の鳥信仰から言えば冒涜の魔法。それと同時に先ほどまで以上に背筋が冷たく打ち震えるの感じている。冒涜の魔法は忌避されていた以上にその複雑な魔式の運用に今や滅びたとされている。それを操る組織。今、とんでもないことに巻き込まれているのは戒音のほうではないのか?

「か…戒音は別段たいしたこともないよ…戦技も学力もあまりよくないし…利用するならもっと強い子も頭のいい子もいっぱいいいるよ…」

 口にして初めて戒音は自分の声が震えているのに気付いた。

「何を怯えておられるのです?いまや貴女は私より立場が上なのです。なにしろ我が劇団は貴女に依頼に参ったのですから。堂々と胸を張られてください。舞台に出て緊張のあまりしくじる女優ほど笑えないものはないでしょう?」

「戒音は…女優でもないよ…誰かをひきつけるなんて、そんな魅力戒音にはないし…」

「いえ…貴女はとても素晴らしい女優です。何しろ貴女は今の今まで『日向琉架』嬢、及び『夜行赫紗』嬢に一度たりとも見透かされたことはなかったではございませんか。それは当たり前の女優と同じ、わずか数時間の演技とは違います。あなたは一日の殆ど、それはもう眠る時間以外は演技をし続けて二人を欺くことに成功した。貴女が抱える、他人のことを大事になど思えぬ、ましてや自分のためには誰も彼もを見殺しにできるその素敵に恐ろしい本性を隠し通せたではございませんか」

「…だ、だからなにを言いたいの?」

 一刻も早く戒音はこの男から逃げ出したかった。男は直接戒音に何をしたというわけでもない。なのに言葉の一つ一つが、やたらと戒音を締め付ける。最近すっかり見ることをやめていた戒音の本性、男はその言葉の一つ一つで戒音のその本性を浮き彫りにしてはっきりと戒音に晒そうとしているようだった。

「私はその貴女の素晴らしい性質を見込んで頼みがあるのです。

 あの『価値無し』を壊してもらいたい。もちろん貴女にとっても悪い話ではないでしょう?

 貴女にとって初めて自分の次に大事にしたい、と思えた日向嬢の隣という役回りを取り戻せるのでありますから」

 そう、琉架は初めて大事にしたい、と思えた存在だった。他の誰かはいくら切り捨てようが戒音の心には何も残さない。そして自分が死んでしまう、そんなときにはきっと戒音は琉架だって裏切るだろう。でも、琉架にだけはきっと罪悪感を感じてしまうのだろう。それが間違いのないことだ。

「お兄さん、その話、最初から無理が二つあるよ…『価値無し』なんかにわたしが勝てるわけがないし…琉架先輩の性格からしてそんなことをした戒音をもう一度側に置こうと思うわけがないから」

「ええ、ええ、そう思われるのは至極当然です。しかし、ご安心ください。そうならないように舞台を仕立て上げるのが私ですから。まず、一つ目の問題…それは驚くほど簡単です」

 そういうと青年は懐から小瓶とそして小さな棒をいくつも取り出した。

「『リキッド』と『ステイカー』です。これで私の図示する魔法陣を形成してください。そうすれば『価値無し』はまず身動き一つまともに取れなくなります。一切の魔力を持たない『価値無し』、だからこそこの魔法陣の威力も絶大でしょう。

 それに魔力の心配もありません。この液と杭を媒介にすることで我が主が魔法陣に魔力を注ぎます。大変失礼だと思いますが敢えて申し上げさせてもらえば我が主は貴女よりも大変魔力に優れていますし、相手は『価値無し』なので魔法に対する抵抗力も零、まず問題ないでしょう。

 だからそこから壊すのは貴女の仕事です。とても簡単なことですね」

 男の手に握られた小瓶と数本の棒。小瓶の中では暗褐色の液体が揺れており、杭にいたっては戒音の目にしたことのない魔図形が彫られている。

「でも、戒音がやったら…それが琉架先輩にばれたら…」

「もちろんその点についても私たちがうまくやるので心配しないでください。

 単純に言えば、『価値無し』を罪人に、そして貴女を英雄に仕立て上げます。

 最高ではないですか?やはり、裏切り、罪人の『価値無し』そしてそれを成敗する貴女。ヒロイックサーガの主人公なんてとてもなれる機会はございませんよ」

「そこまで準備ができてるなら…自分でやればいいよ…戒音に頼まなくても。

 それに、そんな仕組まれたお話の主人公だなんて…別に戒音はそんなものになりたくない」

「よくできたお話、はしょせんお話でしかないんです。どこかで誰かが糸を引いていたか、あるいは後世にお話として仕立て直されているだけなんですよ。

 それに『価値無し』が魔王の命を狙っていたとしたら?そして貴女がそのたくらみを未然に防いだとすれば?貴女に対する日向嬢の評価はどう変わるでしょうか?

 残念ですが、私たちだと警戒されますから…『価値無し』だって自らの魔法に対する弱点は充分に自覚していますからね…みすみすと突っ込むような真似はなさるますまい。あれは魔力はなくとも魔族とそれ以外をかぎ分ける力には優れている。

 もちろん、それは貴女の場合も一緒です。チャンスはたった一度だということをきちんと頭に入れておいてください。二度目はこんなチープなワナにかかるはずがないですから、そこは貴女の女優としての演技に私たちは期待しているんですよ」

「……」

 戒音はじっと男の用意した二つの道具を見つめた。

「受け取ってくださいますか…?」

「す、戒音は…っ戒音は…」

 だけどそこからどうしたいのか戒音自身にもよくわからなかった。そんなことはしない、といいたいのだろうか?それとも必ずそれをやってのける、と?わからない。

「まぁ、ゆっくりお考えください。我が主も急いではおりませぬ。ただ、あなたが一言呼んで頂ければ私はいつでも馳せ参じます。そのときはどうぞ、これに魔力を注いでください。少しで構いません」

 男は戒音の手をとり、斑玉を握らせる。緑と赫が水中に落とした絵の具のように溶け合っている不思議な小さな玉だ。

「では、いいお返事をお待ちしております」

 男は最後にもう一度、恭しく礼をすると戒音の影の中に溶けていった。

 瞬間、重く張り詰めていた空気が一気に解ける。

「はふぅ…琉架先輩…戒音は…戒音は…」

 空を仰ぎ見る。突き放すほど高い青空は戒音の孤独を約束している。

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