息絶えた郷愁
神凪 舞姫。
僕が出会うことは恐らく無いのであろうその少女についても、やはり語らなければならないのだろう。
殺し屋ギルド序列2位・«花火»の刃とまで言われる超トップクラスの暗殺者として、今も尚、幹部の椅子に座位している。
しかし元々そこには彼女の兄──神凪 緋雨が位置していた。
しかし彼は数年前に自主的にそこから退き、どころか«花火»そのものを脱退。
«花火»の中でも殺し屋の血族・神凪の名を持って生まれた実力者が自主脱退を許されること自体が、まず異例中の異例であることをここでご理解願いたいところだ。
その経緯について少しばかり簡単に説明しよう。
過去の話。
幹部と言っても、全部でそれは6人いた。
柒櫛 砦。
藍上 おかき。
猫削 六郎。
道枷 すず。
黒条 一二三。
────そして、神凪 緋雨。
例外として、幹部ではないが既に卓越した実力を持っていた暗殺者・神凪 舞姫。
昔々のそのまた昔、御伽話と夢物語が数多く交錯し、都市伝説も道聴塗説も街談巷説も絶えることはないその世界。
«花火»の幹部全員が出動する、特異な任務が1度だけあった。
その内容は、1人の青年の捕獲(──詳しいことは省略しよう)。
しかしその青年というのが一癖も二癖もある化物のようなヤツで、相当な戦闘技術を有する彼ら彼女ら7人も、既に瀕死の状態だった。戦闘を放棄しようとするものさえ現れる始末だったのだ。
«花火»の壊滅という形で完全敗北を喫するのは、どう見ても時間の問題だろう──と、誰もがそう思っていたものの、少女・神凪 舞姫だけは決して諦めることも、逃げることもせず、芽生えかけていた異能力の«暴走»、最後の悪足掻きと言わざるを得ない形で戦闘を続行。
その結果、異能力の副作用として敵味方の区別が付かなくなり、兄である緋雨以外の5人をその手で殺してしまう。
なんとか彼ら兄妹は死地から生還したものの、その標的には刃傷1つしか与えることは出来なかった。
当時の«花火»のボスであった捌花 無蔵は、正式な幹部ではない上に、独断で勝手な行動を起こした神凪 舞姫を、通常通り«処罰»しようとした────この場合の«処罰»が何を指すかは、最早言うまでもない。
しかし兄である緋雨さんは妹を庇う。殺し屋の血族として名を馳せていた神凪の家と絶縁してまで、無理矢理に妹を庇おうとした。
その全ての責任を一身に負う形で彼は裏の世界の殺し屋業界から姿を消すのだった──────。
妹の罪を不問とすることを、たったひとつの約束として。
そんな話を、緋雨さんは思いのほかあっさりと教えてくれた。
「本当はな。舞姫は今、外で活動する時は偽名を使ってんのよ。氷室 舞雪っつー、そりゃまた妙に洒落た名前でさ。」
僕ら2人は並んで«蟷螂»の拠点へ向かう最中、そんな話をしていた。
「え・・・?でも、書類の依頼人名には、しっかりと神凪 舞姫の名前が記されていましたけれど・・・。」
「馬鹿。お兄ちゃんよお、人の話は最後まで聞けや。あれは舞姫が、己の身が捕まる危険をある程度犯してまで俺に届けようとした依頼書なんだ。本名で依頼したのも、多分何か意味がある。」
緋雨さんは少し、悲しそうな顔を見せた。そんな表情は初めて見るもんで──僕はやっぱり、面食らってしまうのだ。
「舞姫さんは」
「あぁ?」
「・・・舞姫さんは、自分の目の前で、自分の腕の中で仲間が死んで、その時に何を思ったんでしょうか。」
口をついて出たのは、そんな言葉だった。
「何が言いたい。言いたいことがあるならハッキリ言えよ、テメェ・・・。」
「あなた方にしたら普通のことかも知れませんけれど、僕は今まで、«表»の人間で、実際そのように生きてきたんです。でも、そんな僕は──」
身体がぞわぞわと震え出し。
吐き気がこみ上げる。
「そんな、僕は、むかし・・・・・っ。」
思わず口元を覆ってしまう。
伝えなきゃ。
この人たちには、伝えられるなら伝えておいた方が良いんだ。
「──ぼくはむかし、ひとをころしました。」
「──ぼくはむかし、ゆうじんを、こいびとを、ころしたんです。」
「ふうん、そっか。」
涙目で嘔吐きながらも、漸く絞り出したその言葉に、緋雨さんは何も深追いすることなく頷いた。
怖くて恐くて。
壊くて強くて。
「・・・妹が何を思ったかなんて知らねえし、多分知ったところでお前の参考にはならねえよ。」
「俺はお前の過去を知らない。別に知りたいわけでもない。ただ1つだけ言えるのは──」
「俺に大人しくついてくりゃ、少なくとも再び道を踏み外すことだけは有り得ねえ。そんな失態、この俺が許可しない。お前が地の底へ堕ちようものなら、俺が必ず引き上げる──だから気にすんな。」
「・・・・・・・・・・・・。」
僕は黙るしかなかった。
口を開けば、また何かが飛び出しそうで。
道を踏み外すなんて。
僕が今、何処を歩いているかなんて、知らない癖に────。
「オイ、気の利いた台詞を言ってやったんだから何か返せよ。」
緋雨さんは僕の目の前で2回手拍子を打った。パン、パンと大きな音が響く。上の空だった意識が、やっとそこで引き戻された。
「あ・・・すみません。その、ありがとうございます。」
「ったく・・・・・・それよりも、これからの話をしよーぜ。過ぎたことよりこれからだ。«蟷螂»に着いてからのこと。っつっても話すことなんてねえよな。俺が暴れりゃあいいだけなのさ。ハイ、この話終わりっ」
緋雨さんは快活に笑う。
それを聞いて、やはり僕は考えてしまうのだ。
彼の言う暴れるというのは──
裏の世界で言うところの「暴れる」というのは──
そんな生半可なものでなく。
そんな中途半端な意味でなく。
容赦も同情も温情も躊躇も遠慮も臆面も一切合切何も無しに、全てを完膚なきまでに。
僕は腰のベルトに装着してあるソレに手を伸ばす──出発前に、朝比奈ちゃんから授かったモノ。
「僕にも妹がいるんですよ」
「へえ。そうなのか?」
「ええ。何かある度に僕を殺そうとするんです。」
「ふーん。そいつァなかなか、殺し屋としての才能があるんじゃねえか?今度ウチに連れてこいよ。」
はっはっは、と高らかに哄笑する緋雨さん。舞姫さんは──彼の妹は、この兄を見て、何を思って育ってきたのだろうか。
と。
そこで。
「«魔法論理»──人の錯覚を呼び起こす能力なんだが」
と、声がした。それは脳内に直接響くような、なんとも恐ろしい、不気味な声。
僕と緋雨さんは背中合わせになって周囲を注意深く見渡す。
「ああ、失礼──いきなり話しかけられて驚いたかな。とにかくそういう能力・・・人の錯覚、思い込みを意図的に引き起こす能力が私の能力だ。」
「あんたらは今、ただ整然とした道を歩いているつもりだったろう?それが違うんだよ。とっくにあんたらに思い込ませていたのさ──ここは既に、«蟷螂»の領域内さ。歓迎しよう、神凪 緋雨────特に君はね。」
辺りを見回せば、ふとそこに、30代半ばくらいの男性が立っているのに気づく。
何故その存在に今まで気づけなかったか不思議なくらいの、有り体に言うならば«不穏»なオーラを放つ男だった。
漆黒のダークスーツに身を包んだ、精悍な顔立ちの男。
その表情からは何を考えているか全く読み取れず、だからこそ何よりも先に気持ち悪さが先行した。
彼は名乗る。
「私の名前は有栖川。そこのガキはともかくとして、神凪 緋雨クン──聡明な君ならば、これだけ言えば充分だろう?」
ガキと呼ばれたことなど最早気にならず、見上げるようにして緋雨さんの表情を窺う。
彼の眼差しはたしかに殺意に満ち溢れていて、そして燃え滾る力を発揮出来ることに歓喜している悪鬼のようにこう言った。
「オーケイ、あんたか・・・。」
「──────完膚なきまでに殺してやるよ、今度こそ。」