第逸話 狂気・洞木 唯一
日本の中心、大都会。
東京都のどこかに、僕の通う私立 八宮高校は建立していた。
だから人混みの嫌いな僕にとって、登下校中の人集り──というか、24時間365日で年中無休、都会はそれなりに騒がしい場所ではあるので、残念なことだが、既に通学そのものに嫌気がさしてしまっている。
人々の話し声やら何やらで形成される喧騒に、鬱陶しさ以外の何かを先んじて感じることはまず不可能に近いのだ。
「・・・・・・・・あー。」
そうか。
そうだった。
僕が語り部である以上、僕の紹介をある程度しておかなければからないのか。
僕は先述した通り、東京都の何処かにある私立八宮高校に通う高校生だ。
身長は175センチ、体重は70キロ。
誕生日は11月17日。つまり高校1年生から高校2年生へ移り変わる変遷期である3月某日──今現在では16歳。
血液型はA型のRhプラス。
性格は素直な正直者。
特筆すべき趣味嗜好などはなし。
親しい友人、恋人も特にない。
家族構成、両親2人と妹1人。
まあこのくらいでいいか。
元々『無個性』という個性を無理やり前面に、そして全面に押し出したような人間だから、特に語りたいことも、語るべきこともないんだよ。念頭に置いておいてほしいことといえば、まあ、そうだな──────僕はこの奇怪極まりない物語において、«語り部»ではあるが決して«主人公»ではないってことくらいだろうか。
なんてね。
何はともあれ、僕はそんな感じの平々凡々な男子高校生として日々をどうにかこうにかやり過ごしていた。
今日も今日とて学校の授業を終え、なんとなく内容を頭の中で回想しながら帰路を歩いていると、それと同時に、スマホに電話の着信が届いていることに気づく。取り出すと、ポケットの中でバイブ機能によって携帯電話が甲斐甲斐しく振動していた。
その電話の番号にはやはり見覚えがある──というか、妹だ。
僕は歩きながら電話というのもマナーに反して嫌だな、と思ったので、近くの公園の木陰に身を寄せてから、あの愚妹のことだ、「今度はどれほどくだらない話題が寄せられたものだろう」なんて一瞬の思考を挟み、それでも着信のパネルに指でそっと触れた。
「はい、もしもし」
「おい、兄貴ぃっ!!」
・・・・・・・・・・。
うおお。
思いのほか大音声の怒声が耳を劈く。僕の鼓膜と命に本格的な危機が迫っていることをこれ以上なく如実に表す切り出し方だな、と妹・悠香の表現力に素直に感心した。
「なんだ、愛すべき妹。そんな叫ばなくても聞こえるけど」
「あたしのシュークリーム食ったろ!!許さねえぞ!!!」
ああ、そういうことか。
・・・・・・いや、どういうことだろう。
現代でそんなベタな展開があるかよ──これがシュークリームでなくプリンだったら、100点満点パーフェクトベタだった。キング・オブ・ベタだったろう。
「なんだそれは?知らないね。自分で寝惚けて食っちまったんじゃないのか?僕は食べてないぞ。」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「食べただろうがぁっ!」
「食べたけど」
うん。
食べたけどさ。
畜生・・・なんでこいつ、おやつのことにはこんなに執着するんだ。タフすぎる。ちなみに頂いたのは(これもまたベタなことに)期間限定商品のシュークリームらしく、なんだか長ったらしい名前の特殊なクリームが使用されているらしい・・・正直、通常版との差異なんて全然分からなかったけれど。
金だけ払って損した気分。
いや、僕は払っていないのだが。
「うん、食べた。ごめん。お前の身体みたいに柔らかかったよ。なんつーか、お前のおっぱいみたいだったぜ。はっはっは。」
ふざけてみよう。妹を揶揄って遊ぶのならば、僕にも遊び心は人並み以上にあるのだ。
「・・・・・・・・・・・!!」
おお。
携帯の向こうで悠香が顔を真っ赤に紅潮させているのが分かる。
いや、まさか激怒ってわけはないよな。
怒られる謂れなど、僕にはあるまい。
これでも褒めたつもりだ(妹もシュークリームも)。褒め言葉を言われて顔を紅潮させるほど激怒する妹なんてこの世にいるわけない。いるはずがない。
そりゃあ流石に非人道的すぎるってもんだ。
素直に喜べ。
「密度すっかすかじゃねえか。帰ってきたら覚えてろよ」
結局その一言を残し、勝手に通話を切られてしまった。
声のトーンがめちゃくちゃ低い。これはかなり怒られる──というか、最悪、今日が僕の命日になり得ない。
つーか、普通にいたわ。
激怒する妹、お前かよ。
密度に関する指摘だって、疑いようもなく正論だしな。
「ま、そりゃそうか・・・。」
悠香はたしかもう15歳──こんなことを言われて怒らない方がどうかしている。いや、15歳でなくともそこは是非に怒ってほしいところだけれど。シュークリームを自分の乳に喩えられて怒らない方がどうかしてるってもんだ。
とにかく。
いつも素直で優しく兄にべったりな可愛い妹との電話を終え、既に綺麗な夕暮れ色に染まった空を見上げることで、なんとなく優越感を感じながら僕は帰宅するべく駅へと歩いていった。
仕方ない。お土産に何か買って行ってやるとするか。
駅近くの小さな店で、僕はセットで箱に入れられた饅頭を購入。
茶髪な若いお姉さんの愛想良い笑顔をこちらも愛想笑いで返してから(意味合いが全然違う)、僕は学生鞄に袋ごと箱を詰めて歩き出す。
歩き出す。
しばらく歩き続けた。
歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。
「──────────────────────────。」
「・・・・・・・・っ!?」
────そのとき。
────ぞくりと。
────ぶるりと。
ふるえた。
。 が だ ら か 、 の く ぼ
まるで脊椎にアイスキャンディーを無理やり詰め込まれたような、あるいは氷柱でも押し込まれたような鋭い痛みが全身に走り、続いて悪寒が迸る。
なんというか、これだけ記すとインフルエンザの症状っぽく見えなくもないが、そんなものとは実際比にならない程度の──そう。
それは有り体に言って恐怖だった。
こわい。
コワイ。
ゾッとする。
そして何より問題なのが、その«恐怖»が明確な意思を有して、僕を尾行していること。
まずいぞ。
その時に感じたのは殺意。
敵意とか悪意とか害意とか、そういうものすらも全て無粋に感じてしまって──そしてその無粋なものを考える余地が一切存在しないほどに、純度100パーセントの鋭利な殺意のみを僕は背中に受けていた。
自然と歩みを進める速度が加速する。
身体が焼かれるように熱く、燃やされるほどに熱い。
ただその芯はひどく冷たい圧力を受けていて、今にも僕という人間そのものが破壊されてしまいそうだった。
気配がついてくる──が、最早振り向く必要はなかった。
それくらいにヤバい。
僕は恨まれる覚えは数えきれないくらいにあったとしても、殺される覚えは皆無だ。厄介事に身を包まれているわけでもないのに。
なぜ。なぜ。なぜ。
頭の中で、日頃ニュースで見かける殺人事件の映像がフラッシュバックする。
『○月✕日、△△市で■■さんが路上で亡くなって────
『死因は何者かによる刺殺『何者かによる殴殺『何者かによる銃殺『何者かによる圧殺『何者かによる絞殺『何者かによる斬殺『何者かによる薬殺──────』
殺される、殺される。
殺される殺される殺される
殺される殺される殺される殺される殺される殺される。
やめろ。
やめろやめろやめろやめろ!
──この時の僕は、限りなく混乱していた。頭脳はまともに機能しなかったし、今にも路上に胃の中の全てをぶちまける寸前だったのだ。足がもつれて、ふらついている。それでも無理やり歩いているような、そんな状況だった。
個人的な怨恨なのか、狂人による無差別殺人なのか・・・まあ何にせよ、どういう理由、どういう可能性を考慮してみたところで、今ひとつ腑に落ちないところがあった。
不審というか。
どこか不自然──?
まるで、誰かに覗かれているような。
たとえば、▓▓▓▓▓▓▓▓から。
たとえば、▓▓▓▓▓▓▓▓から。
たとえば、▓▓▓▓▓▓▓▓から。
自分の一歩ばかり後ろからは、既に世界が破滅し終えていて、その«絶望»が常に僕を追いかけ続けている──みたいな。
決して踏み越えてはいけない禁忌の赤線を、無意識的に、無自覚的に既に一歩だけ越してしまっているかのような。
僕は次第に疲弊してきた足を、それでも無理矢理に動かして進む。
実を言えば、闇雲に逃げているわけではない──ちゃんと、目的地に向かっている。
僕は歩く。
«奴»も来る。
僕は歩いた。
«奴»も来た。
「・・・・・・こいつは参ったな」
僕は独り言として、小声でぼやく──けれど、その声はおそらく奴にも聞こえていたのだろう。
何故なら僕は、いや僕らは、既にとても閑静な川沿いの平野にやってきていたから。
この辺りに長いこと住んできた者としての、悪あがきじみた土地勘だ。
──というには、やはり浅はかすぎるだろうか。
普段から人も寄り付かないような、この場所に。
そこで互いの足音が止まった。
「!!」
咄嗟にその奇怪な«気配»の変化を感じ、僕は意を決して振り向く。
「・・・・・・・・・・?」
そこには、«誰か»がいた。
いや。
誰か?
誰かって、誰だ?
解らない。
とにかくそう形容するしかない。
全てが謎に包まれている。
身長は僕と同じくらい。
非常に整った顔立ちをしていて、しかし目つきがめちゃくちゃ悪い。視線で圧殺されてしまいそうだ。
既に外は暗くなり始めていたので、その出で立ちは目を凝らさねば分からない──様々な箇所に明るい黄色のアクセサリーが多く見受けられる。好みの色なのだろうか?
黒い手袋の嵌められた両手には、銀色に光る小型のナイフがそれぞれ握られている。
これが殺意の正体。
嫋やかなその体格を見る限り──女性、なのか?
だとしたらそこそこの長身だぞ。
いやでも、艶やかな黒髪をポニーテールに纏めているのが見える。
決定打をもう一つ挙げるならば、彼女?の服装はセーラー服だった。
どこの学校のものかは見覚えなんてないけれど、とにかく彼女は黒を基調としたセーラー服を着ていて、もちろんそれもところどころが黄色で装飾されている。
これが女性でなければ何なのだ。
僕はズキズキと痛む胸を抑え、荒い呼吸を整えようとする。
しかし視界からは決してその少女を外さなかった。
「・・・・──────?」
僕は何かを言ったような気がするけれど、何と言ったのかは分からないし、ちゃんと発声出来たのかすら怪しい。恐怖のあまり全身が震えている。
多分、お前は誰だ?とか、そんなことを訊いた気がするのだけれど。
「・・・・・・・・・・・。」
彼女はなお沈黙を紡ぐ。
沈んで黙り続けている。
すると突如、彼女はゆっくりと左手を空に掲げ、ナイフをクイッと動かした。
「・・・・・・?」
僕にはその意味がよく分からなかった。1歩も動くことなく、ただナイフで空を切った──それだけのことなのに。
なのに。
なのに、なんで。
「ぐあああああああっ・・・!」
不意に、僕の右頬を鋭い痛みが支配する。反射的に触れてみると、ぬるり、と液体の感触が手に纏わりついた──凡そ予想はついていたが、血だ。街灯の明かりに触れて、その紅色が嫌に煌めいている。
顔に歪な切り傷の感触を感じ、そしてその傷の本数は大体6本くらいだと僕が確認を終えたそのところで、漸く目の前の少女は口を開く。
「私の名前は切裂 遊海──私情で動く«殺し屋»よ。」
ほう。
殺し屋とな。
そりゃあまた、随分と大胆な名乗り方をする奴がいたもんだ。正直こういうのって、暗殺が主流だと思ってた。というかそもそも、こんなのが存在するとは元々思っていなかったけれども。
「獲物を仕留める前には必ず名乗ることにしているのよ、流儀だから・・・私の趣味で、なんとなくアナタを解したくなった。別に構わないわね?」
趣味ってなんだよ。理不尽だな。
断れば、見逃してくれるのか?
否。
断ったって意味が無いことくらい、僕だって分かる──ならばもう、選択肢は肯定しかないのではないか。
僕は目線を下に向ける。
それは「解体して殺してもいいか」という問いに対して首を縦に振って頷いたのかもしれなかったし、或いは殺されるのが嫌でただ項垂れただけなのかもしれなかった。
何にせよ頬の傷は思ったより深いので一言くらいしか喋れそうにないし、出血のせいで意識が朦朧としてしまっている。
仕方ない。
短い言葉くらいならまだ激痛に耐えれば喋れそうなもんだけれど、どうしよう。
愛すべき妹に、育ててくれた両親に、愚かしい自分自身に。
遺言でも遺してみるか?
決して伝わることはないだろうが。
赤と紅と朱。
交わる鉄の臭い。
自分はもうすぐ死にます。
ありがとう。
ばいばい。
さようなら。
おつかれさま。
おやすみ。
がんばったね。
がんばってね。
ごめんなさい。
ゆるして。
ゆるして、ください。
「助けて・・・・・・」
?
今、助けを求めたのか?
愚かだな。
誰だよ。
未だに足掻こうとしている愚者は。
「助けてくれ・・・誰か」
なぜ、僕は。
この場に及んで、それでも未だ尚、生き続けようとしているのだろう。
ずっと前から、昔から、既に終わり過ぎて終わっているような人間なのに。
なぜ。
死に続けようと、しているのだろう。
終わり続けようと、しているのだろう。
すると。
目の前に黒い影が走る。
闇夜の中でも燦然と光り輝く虚無の色。絶無の色。
何よりも黒い。誰よりも狂い。
その影は、よく透き通った綺麗な声で、こう言った。
「無駄な抵抗は止せ、序列7位・切裂 遊海──。この少年の依頼によって、俺はアンタを完膚なきまでに切断する。」
虚ろな目で見やると、彼の右腕には大鎌が握られているように見える。その鎌はまるで、怪物の牙のように鋭く尖っていて、そして、なんだか──。
笑っているように、見えた。
それを見て僕は思うわけだ。
ああ。
やっぱり、僕はそろそろ死ぬのか。
鎌を持った少年の幻覚なんて、こんな時に見てどうするんだよ。
全く、馬鹿馬鹿しくて、愚かしい。
突然の闖入者の登場に警戒を強めた切裂という少女は、ナイフを構えて戦闘態勢に入る。
「アナタは──何者?」
その問を受けて、どうやら朧な幻なんかではないらしい彼は答えるのだ。
歪んだ殺意の大鎌を携えて。
「洞木 唯一────«何でも屋»だ。」
後ろにへたり込む僕を振り返りながら、彼は、洞木はニヤリと笑ってそう言った。
ように、見えた。
そんなふうに、視えたのだ。