第二話 「師匠」
「ただいま」
たまたま玄関近くで、奈留実が掃除をしていた。
「あっ、おかえりなさい、信。久しぶりの学校だったけど、何も問題なかった?」
「うん、菜月葉にぶつかられた以外はね」
(本当は死にかけたけど)
「そう。菜月葉ちゃんて、ホント気の毒よね。まだ五年生なのに、あんなに苦労しないといけないなんてねえ……」
「菜月葉も大変だと思うけど、一番の被害者の俺には何も言わないのかよ。菜月葉とぶつかった回数、何故かぶっちぎりでトップなのに」
賢志にしたのと同様に、ジェスチャーを混じえて話そうとしたが、
「あなたは、私が丈夫に産んだから大丈夫よ。その証拠に、毎回そんな怪我してないじゃない」
(息子をなんだと思ってるのか……)
「見た目は平気そうでも、体ん中やばいことになってたらどうすんの?」
「もちろん、その時は全力で助けるわよ。当ったり前じゃないの」
「それならいいけど……」
『いいのかよ! 最初からもうちょい気にしてよ〜とか言わないのね』
不意につっこまれた信は、表情こそ変えないものの、内心驚愕して、
(はっ!? なんで喋るんだよ!? 消えてる意味ないだろ!?)
信は身構えたが、
「手を洗ってらっしゃい、うがいもしたら、おやつ持ってっていいわよ」
奈留実は何事もなかったかのように行ってしまった。
「うん、わかった……」
(えっ、スルーした?)
『これ、テレパシーみたいなもんだから、信にしか聞こえてないよ〜』
「そ、それ先に言ってよ……」
一安心した信は、靴を脱いでいないことに気づき、さっと脱いで洗面所へ向かう。
『ごめんごめん、つい使っちゃったわ』
「ふぅー、色々疲れたぁ〜……」
自分の部屋に入るなり、おやつを机に置き、荷物を下ろしてベッドに飛び込んだ。
「あぁ〜〜……」
「何でそんな疲れてんの?」
神が何も知らないかのように信に話しかける。
「あんたが一番わかってるでしょうがぁ!」
「あんまり大声出すと、お母さん来ちゃうから。静かにね」
左手の人差し指を口に当てながら小声で言う。
「っていうか、はやく詳しい話を聞かせてよ」
「言われなくても話すさ。その前に……これから私を呼ぶときは、『師匠』って呼んでくれない? そっちのが呼びやすいでしょう?」
「え? 師匠? まあそうかもね」
「うん。でさ、信はこれからどうやって強くなるつもりなの?」
「ん?」
「当たり前だけど、今のままだとすぐ死ぬからさ」
「まあ、そうだけど。って、まだ守り人になるとは言って――」
神の方に寝返りを打ちつつ、顔を向ける。
「じゃあさ、 自分だけで強くなれると思う?」
「む、無理だよ。魔法についてなんか何も知らないよ」
「だ・か・ら、強くなるには誰かに魔法を教わらないと無理でしょう? それで私が師匠として、君を立派な守り人にするのさっ☆」
言葉に合わせて信を指差し、ビシッとポーズを決めると、完璧なドヤ顔でウィンクしてみせる。
「ふーん、その理屈はわかった。で、はやく話して」
「はいはい。まず、『守り人』っていうのは、世界を守る者だっていうのは分かったよね?」
「うん。話が大きすぎてよくわかってないけど」
「じゃあ、どうやって世界を守ると思う?」
「はあ? さっき言ってたじゃん。魔法を使って守るんでしょ」
「ん〜……ほぼ正解だね」
「ほぼ?」
「うん、現状は魔法を鍛えればいいんだけどね。後々話すよ。今聞いても余計混乱するから」
「ふーん、まあいいか。……ってか、最初から魔法使える人を守り人にすればいいんじゃないの? よく知らないけど、今活躍してる若手の人とかだと駄目なの?」
「それだと、人間相手は平気だろうけど、その他が辛くなるんだよねぇ……」
「その他?」
「小さい頃から守り人になろうとして鍛えないと、その他の奴等には敵わないんだよね」
「守り人は、化け物とかを倒さないといけないっていうこと?」
「そうね、化け物ときどき神みたいな感じ」
聞いていた信の寝返りが止まる。
(ん? 今、『神』って言ったような……)
「……神?」
「うん」
「か、神と戦うの?」
顔を引き攣らせながら尋ねる。
(神を倒すとか、どう鍛えたって無理だろぉ!)
「大丈夫だよ。ときどきって言ったけど、そんなことほぼ無いから。今までに数回しかないし、現状そういう兆候はないからね」
「本当に?」
「平気だって! そういうことやりそうな神は、見張られてるから!」
「ふーん。そういうことならいいや」
一安心した信は、机のクッキーに手を伸ばし、勢いよく頬張る。
「やぁあふぁ、なんえおえをえあんあのあおひえへ」
信は口いっぱいにクッキーを詰め込み、リスのように頬を膨らませながら、モゴモゴと不明瞭な言葉を発した。
「食べながら喋るとわからんよ。飲み込んで話そうな」
しばらくして信が改めて聞く。
「なんで俺を選んだのか教えてよ。話から考えて、守り人ってその人の能力が発現する前に、会って育てるんでしょ。だから俺が現時点で、普通の人と違うものを持っているから選ばれたんだよね?」
「ピンポン! 信を選んだ理由はね、魔法使いとしての素質があったからだよ。守り人にならなくても、自力で将来的に日本で有名になるくらいの実力はあると思うんだ」
「えっ? マジで? 俺そんな凄いの?」
想像以上の返答に驚きつつ、思わずにやける。
「そうだよ。だから信を選んだの。今の小学四年から中学三年までの中では、普通に鍛えていればトップになれるよ。そして、実際会ってみても思ったよりいい感じだからね」
「なるほどー、俺を選んだ理由も大体わかったよ。……えーと、神があんまり手を出しちゃうとダメだから、守り人が選ばれるって事でいい?」
「まあ、そういうことよ。でさ、これから信を鍛えていくんだけど、目標がないとわかりにくいよね」
「うん。まだ乗り気じゃないけどね」
「そりゃあ、仕方ないよねぇ。いきなり世界守れなんて言われて、乗り気な奴なんて少ないよ。私も人間だったらそうだもん」
いつの間にか浮くのをやめていた神は、部屋の椅子に座りながら、「うんうん」と頷いている。
「まあ、そこまで嫌でもないからいいけど」
「信はやっぱりいい子だねー」
「そういうのいいから」
「ほーい。で、現状の目標としては……数年で日本一の魔法使いになることが良いと思うんだ」
「いきなり日本一!? 流石に無理があるでしょ」
「いやぁー、それくらいのペースじゃないと、守り人として世界守れんのよ」
「えぇ……その後はすぐ世界一を目指すの?」
「違うよ。今ね、日本が上位独占してるから、日本一になれば実質世界一って状況なんだよね」
「えっ、そうなの? 日本凄いんだ……どれ位独占してるの?」
「えーと、私が知ってる最新の情報では……世界八位までだねー」
「それってどういう順位なの? 俺そういうこと知らないから全然わからん」
信の問いに、神は嬉しそうに身を乗り出して説明を始めた。
魔法使いたちは、基本的に仕事の依頼を受けて、それをこなすことで報酬を得て生活している。依頼の内容や頻度は、実績や人柄などによって大きく異なる。そんな中で、実力を示す一番分かりやすい方法が、世界各地で開かれる“魔法選手権大会”だった。大会の形式は様々で、勝利すればするほどポイントが得られ、過去一年間の合計ポイントで世界ランキングが決まる仕組みだという。
「へー、そんな仕組みだったんだ」
「ふぅー……話は大体わかったよね?」
神は椅子の背もたれに顔を乗せ、息をつく。
「まあね。で、魔法の詳しい鍛え方は?」
「まあそれは明日でいいかな、一度に言われても頭パンクしちゃうでしょ。私もずっとこっちにいられる訳じゃないんでね」
「ふーん、師匠がそう言うならいいか」
「……! 『師匠』っていい響きだなぁ……」
さり気ない『師匠』呼びに神は嬉しそうにそう漏らす。
「そういう反応毎回するなら言わないよ」
「しないしない! 『師匠』呼びは初めてだから嬉しくて……」
「ふーん、じゃあ俺夕飯まで寝るから、おやすみ…………くぅ〜……くかぁ〜……くぅ〜……くかぁ〜……」
「寝るのはえーなぁ……。おやすみ、これから頑張ろうな」
そう言って、信の手を優しく握った。
* * *
子鳥のさえずりや朝日が、カーテンを通して柔らかく漏れてくる。人々が目覚め、朝の喧騒を起こし始める前、階段を急いで上がる音がする。
「信! 起きてる!? 今日は大事な初試合でしょ!」
そう言いながら部屋のドアを開け放つ。
「起きてるよ、母さん。来るのわかったし、昔みたいに炙られたりしないよ」
既に身支度を終えていた信は、初試合に向けて気持ちを集中させていた。素人にでもわかる圧力が既にあり、中学生にはとても見えない。
「それならいいけど。時間までにちゃんと行ってね。見に行くことは出来ないけど、ちゃんと応援してるからね」
「はいはい、わかりました」
信が朝食を食べ終えた後、家を出ようとすると、ようやく起きてきた俊昭が見送りに玄関まで来た。
「ふぁぁ〜……信、頑張ってこいよ〜……眠っ……」
「『信の初試合だー!』とか言って、昨日から眠れなかったせいだろうね」
「うん、そうだな。だからって、応援する気持ちは変わらないぞ」
「うん、ありがと。いってきます」
「いってらっしゃい」
会場までの道のりを、信はゆっくり歩いていく。通る商店街は、いつもと少し様子が違う。信が参加する大会のポスターが貼られており、隣には『U-15全国魔法選手権大会予選ブロックB3 開催記念セール!!』という紙が貼られていた。
(へぇー、大会に因んだセールするんだ)
商店街を抜け、会場が近付いてきた。
「……そういえば、今日は師匠出てこないなぁ。朝いつも出てきて声掛けてくるのに」
その時、歩いている信の周囲に一瞬風が吹いたかと思うと、目の前に見慣れた後ろ姿が現れた。そして振り向いて、
「心配してくれたんだね、大丈夫さ、離れていても心は繋がってるから」
そしていつも通りのキメ顔をする。
「いやいや、心配は全くしてないから」
信はすぐ否定して、再び歩き出す。
「いよいよだね、まあ余裕だろうけど。リラックスだよぉー」
「わかってるって。見えてないよね?」
「うん、大丈夫。信以外には見えないよ」
「ふーん……よしっ、行きますかぁ」
「レッツゴー!」
天地信、時に十二歳の夏、魔法界の表舞台に姿を現す。