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「水晶の魔女」の魔法塾

国境の魔女ふたり

作者: 蒼久斎

「水晶の魔女」シリーズも、ついに第13弾。原点回帰の地味エピソードin喫茶店。ただし、今回の話の中心は、アヤ先生の古参弟子「カルテット」の二人。






 取り出したるは、コンパスと定規。

「最近はコンピュータ作業する人も増えているけど、アナログに勝る修練はないわ」

 アヤ先生は重々しくそう仰って、退路を塞いだ。

 リーことジャン麗華リーファ、ジョンことシンジョンチョル、アインことグエンティエンアインの三名は、諦めて頷いた。

 これから始めるのは、「魔法陣」を用いた簡易呪符の製作である。

 エロイムエッサイム的な呪文を唱えたら、中からバランガバランガ不思議なものが出てきたりするような、ミラクルなブツはこの世に存在しない。

 そんな出来事が起きるとしたら、頭の中であり、起きたと主張している人は、頭の中で起きた出来事を、現実と混同しているだけである。

 魔法塾であるにも関わらず、そこらの夢とロマンは、最初っから否定されている。

 いわく、魔力などというものはファンタジーの産物である。

 いわく、魔法にも魔術にも、精巧な理論化作業以外には何も要らない。

 そういうわけだから、不思議パワーが自分にあるなどと思ってはいけない。

 ……魔法塾のセリフとも思えない非情さである。

 やっている内容がファンタジックなせいで、これで、なんでマジカルミラクルな現象が、チョチョイと起こせないんだと、本当に嘆きたくなる。

 正直、魔法使いにならない方が、この世は生きやすかったと思う。

 秘められた人の心なんて読めない方が幸せだ。

 受験対策のために、半端にアンテナの受信感度を上げ、結果として人生を売り渡した、あほな四人組カルテットとして、自分たちは少なくともこの一門の歴史には、名を刻むんではなかろうか。

 百円均一の画用紙を手元に、とりあえず2B鉛筆で枠線を描く。

「とりあえず、まず1枚、自由に図画工作してみましょう」

 それが困るんですと、三人は顔を見合わせ、無言で意思疎通した。

 自由。それは甘美にして恐ろしい言葉だ。

 なんでもやっていいと言われたら、かえって、何をしたらいいのかわからなくなる。

 うーん、うーん、と唸るが、アイデアは沸いてこない。

「難しく考えずにやればいいのに」

 それは先生だから言えることなんですよと、内心に抗議をする三人。

 アヤ先生は、猛スピードでペンを動かし、すでに2枚目の画用紙に突入している。1枚目の図案も、とんでもなく複雑な仕上がりだった。

「なんでそんな図案できるんですか……」

 ジョンがうめくように問う。

「基本的な文法をおさえて、あとはひらめきよ?」

「基本の文法って何すか? 図画工作ですよ?」

 アインが不思議そうに首を傾げる。

「図形には、歴史的に認識が深められてきた『象徴性』があるからね。それを応用して、チョチョイといじれば、それなりに意味を持つものは、簡単に描けるのよ」

 それを教えずに、とにかく描けというのは、無茶ぶりじゃなかろうか。

 三人の声は無言で通じ合い、リーが代表して手を挙げた。

「文法の解説が聞きたいです」

「自分の『水晶』を傾聴してから、あ・と・で!」



 むごい。

 しかし目の前の課題を、どうにか足掻いてクリアしなければ、その「文法」とやらには一生辿り着けないに違いない。

 必死になって、めいめいの「適合水晶」を、鉛筆を持たない方の手に握りしめる。リーは蜜柑タンジェリン水晶クォーツ、ジョンは透明水晶ロッククリスタル、アインは紅玉髄カーネリアン

「あんまり必死になると聞き落とすわよ」

 必死にさせているのは誰だ。

 内心でツッコむリーとジョンを後目に、アインの手が動き出す。

「おおお~。こんなカンジっすか!」

 なんでお前描けてるの?

「そうそう。意識のリズムを石に合わせて、オイリュトミーみたいな感じで、受け取ったイメージを紙に落としていくのね」

 なんでそこでシュタイナー教育が出てくるんだ。

 ていうか、この塾ってあんまり、オイリュトミーやりませんよね?

「真面目なオイリュトミーは『舞踏の魔女』から教わった方が良いでしょ」

 生徒二人の内心を見透かしたように、アヤ先生はそううそぶく。

 後に二人は、アヤ先生がオイリュトミーをやりたがらない理由が、実のところ素晴らしい運動音痴にあったという、コメントに困る事実を知るのだが。

 アインは1枚目をそろそろ書き上げる。

 リーとジョンの鉛筆は、いまだにぴくりとも動かない。

「頭の中でリズムを流すとやりやすいよ。ツートントン、ツートントン」

 それはモールス信号だ。

 と、真面目なツッコミを入れつつも、アインの助言を受け取って、頭の中でひたすらツートントンを繰り返してみる。あ、ワルツのリズムでもあるのか。

 一定のリズムには、催眠の作用があるんだよなぁと、後になって理解する。

 頭の中を「ツートントン」で埋め尽くすと、案外と自然に、手は動いていた。

 無我の境地というのは、とても大切なのだなぁ。

 なるほど、お釈迦様が座禅の中で無我の境地に到達して悟りを開き、曹洞宗の高祖・道元禅師が只管打坐しかんたざを説いたのも、余計なことを考えないという行為の結果……なのかもしれない。





「……なんてことも思ったりしたわ」

「リー、あの時は、受験の直後だったもんねぇ」

 カラカラと、アインは明るく笑う。

 午後の日ざしも、なお凶暴な八月半ば。

 アヤ先生の喫茶店の一室で、二人は膨大な量の紙を前に、お茶をしながら雑談をしつつ、同時に大量の呪符を描いている。

「日本史の暗記地獄から、ようやく解放された直後だったのにね。受験モード抜けきってなくって。何やかにやにつけて、受験関連の連想記憶がポンポン出てきて」

「あったあった」

「ホント? アインって、なんか忘れるの早いイメージなんだけど……良くも悪くも」

「よく忘れるけど、よく覚えるよ」

 意味が掴みにくい返事で、レイは首を傾げた。

「忘れっぽいからこそ、覚える努力は重ねたし、一度覚えると、忘れるのも時間掛かるタイプなんだ。だからアヤ先生の連想記憶術は、本当、勉強には役に立った」

 日常生活で余計な副作用がついてきたが。

 今や、自分たちも一端の魔道士になり、今度は後進の指導に、補助という形ではあれ、入れるようになったのだ。あの日々も遠くなりにけり、である。

「そういや、今日はジョン、来ないのね」

「そろそろ『医療の魔女』が戻ってくるんだって。水晶呪具の装備を一新するとかで、修行のためにしばらく『天文の魔女』の方メインに顔出しするってさ。本当、医療関係は全力だ」

 ジョンの現在の師匠、『医療の魔女』アユミは、アフガニスタンで医療支援活動に従事している、立派な免許持ちの正規の医者である。

 医学部に行くには、何をどうひっくり返しても偏差値の足りなかったジョンは、福祉系学部に推薦で合格し、就職したものの、その後、医療関係の専門学校を受験しなおした。現在は、作業療法士と理学療法士の資格取得を目指している。

 そのうち、医療系魔道のクリニックっていうか、セラピー施設みたいなのを開けたらいいな、って思ってるんだけど、現行法でどう対処したらいいかなぁ、とは、このところのジョンの口癖である。

 多分リハビリ施設的なものになるのだろうが、そうすると「カルテット」残り三人も、全員巻き込まれることになるのでは、という気がしている。



「……ジョンが『開業』したら、私たちも引き抜きに合うのかしら?」

「リーは公務員だから、そう簡単には引き抜けねえでしょ。スミレも民間企業とはいえ保健師だから、結構引き抜きにくいと思うなぁ。私は介護福祉士だから、どっこも手が足りてないんだけど、本当入れ替わり激しい職場だからさぁ……引き抜きやすさって点では私が最強じゃないの? ていうか、ジョンのクリニックなら私、移ってもいいっていうか、移りたいかも」

 ぷーっとアインは唇を尖らせた。

「日本社会ってやっぱ『冷たい』って感じるよ。日本人には優しい人もいっぱいいるよ。でも個人の優しさではどうにもフォローしきれない、社会システムの面では、日本は本当閉鎖的って感じる。それに、閉鎖的で排他的な人たちがいるのだって、優しい人がいてくれるのと同じぐらい、現実なんだよね……グエンティエンアインって本名で生きるのは、リスクがいっぱいだ。通名で暮らしたくなる気持ちが、通名で暮らさなくなってから、本当に理解できる」

 うん。わかる。

 レイは静かに頷いた。

 普通は、散々にシミュレートして、覚悟の上にも覚悟を固めて、それから本名デビューなのだ。

 それが、呪術適性を底上げするために、どうしても必要だという、きわめつけに妙な理由で、十分な覚悟が形成されないうちに、本名デビューすることとなってしまったのだから。

 祖国が南北に分かれてしまっているとはいえ、日本国内に戦前から居住し、まだ同胞からの支援体制が整っている、韓国系のジョンはいい。まだ、いい方だ、と、アインは思う。

 内戦が激化する祖国から脱出し、今や世界史の黒歴史にされている気配すらある「南ベトナム」系のアインは、逃げ込んだこの国で、手探りで同胞の共同体が構築されていく最中に生まれた。

 皆、慣れない国で生きるのに必死で、慣れられない苦しみから酒や薬物などに逃避してしまう者もいたりして、それがさらにベトナム系移民への偏見を強めて……そんな負の連鎖を、目の当たりにしながら生きてきた。

 在日コリアンの問題を知っている人でも、在日ベトナム人の問題を知っている人は少なくて。

 ついでに、ベトナムも漢字文化圏だということも知らない人の方が多くて、本名を見せたら「韓国人?」もしくは「中国人?」と聞かれ、「ベトナムです」と答えたら、「ああ、ホーチミンの!」と返されて凹んだ回数は数知れない。

 それは「北ベトナム」の英雄であって、内戦から逃れてきた「南ベトナム」の自分からは、どこか遠い存在なのだ。少なくとも自分にとっての英雄だとは思えない。

 南ベトナムの政治情勢とかは、大人になってからちょくちょく調べて、あんまりの腐敗っぷりに言葉もなかったし、だからこそ北ベトナムという勢力が立ち上がった理由もわかるのだけれど、でもだからって、あの南北の戦争が起きなければ、アインは日本で生まれることはなかったので。



「そういう国だからかなぁ……日本国籍を取りたいと思えんのだよね」

 アインは、ショリショリとカッターで、鉛筆を削る。

 レイは、画用紙や和紙などを、必要な大きさに切り分けている。

 アインの言いたいことは、元外国籍として、レイも分からなくはない。そしてアインにとっては、いわゆる「帰化」への心のハードルは、自分以上に高いのだろう。

「私の場合は台湾で、まぁ植民地統治が随分長くて、しかも私の家系ときたら、戦前から日本人として台湾から日本に移住していた組だからね……高校卒業前に帰化の手続き通って、だから私だけ、カミングアウト時期がほとんどないのよねぇ……」

 卒業証書の名前は、通名ではなく本名としての「張本麗佳」だ。

「多分『張本麗佳』を『リー』って呼んでんのは、あたしとジョンぐらいだろうなぁ……」

 カルテットの残る一人、福本ふくもと澄麗すみれは、今ではレイ呼びをしている。彼女がレイをリーと呼んだのは、高校三年生の一年にも満たない間だけだ。

「スミレちゃんは、カクレキリシタンの系譜に属するから、まぁ日本人の中では明らかに非主流派なんだけども、しかし、生まれも育ちも日本の、生まれた時から両親とも揃って日本国籍、というのが、いかにアドバンテージであるかというのは、もうあっちこっちから感じる」

「言い切るねぇ……」

「役所の手続きとか一気に楽になったし」

「それかい! まぁそれは分かる……めんどくさいよね。再入国手続きとか」

 アインは遠い目をして、ジョンとのベトナムツアーを思い出す。

 男女の二人旅なのは別に問題なかった。

 そして出国は、まだ問題なかった。

 七面倒くさかったのは「再入国」である。生まれたところに帰ってくるだけなのに、非日本国籍のアインとジョンは「再入国」なのである。空港で二人して「ケッ」と毒吐いたものだ。

 なお、親世代としては非常に不本意なのであろうが、残念ながらアインの現状の国籍は「ベトナム社会主義共和国」である。日本は移民に不寛容きわまりない国であり、南ベトナムから日本に国籍変更をするハードルは、南ベトナムから北ベトナムに国籍変更をするよりもよっぽど高かったのだ。

 ジョンはもう在日五世ぐらいなので、さすがに国籍変更も通りやすいのではなかろうか、と思われるが、まぁ彼の所属共同体が、ホイホイ「帰化」を認めるとも思えない。



 まぁるい地球の上に国境を引いて、取り締まりを開始したヤツをぶん殴りたい……と妄想する程度には、国籍の問題には複雑な思いがある。考えることを面倒くさいと思う方であるアインでさえ、しばしばそんなことを考えてしまう程度には。

「たしかに日本国籍にしてから、海外旅行すっごい行きやすくなったわね……ホラ、台湾って、国かどうか微妙な線でしょ? 大陸との関係の都合でさ……明確に『国』だからね、日本は」

「あー……南ベトナムなんか、完全に滅亡してるから、諦めつくっちゃつくんだよね」

 南ベトナムのように滅んだわけでもなく、韓国のように独立を国際的に承認されているわけでもなく。それにも関わらず、事実上の独立政権が存続しているという、奇妙な存在だ。

「さっさと大陸は、台湾の独立を諦めて受容すればいいと思う」

「香港のポジションではだめなんだな」

「だってさぁ……一国二制度とかいったって、結局のところ中国共産党、バリッバリに香港の動きに口出しして手も出してるし……こっち来んなって感じでしょ」

「公務員とも思えないセリフだ」

「ここはプライベートで、今の私は『張本麗佳』というよりは『張麗華』モード」

「存在は、国境では区切れんね。まったく」

 まったくそのとおりだと、全面的に同意だ。

 しかし、ジョンには悪いのだが、彼が開業を達成しても、当分のところ自分は参加できないだろうな、とレイは思っている。何せ、公務員は副業禁止だ。

 アクセサリー作りは趣味である。その実態は修行であろうとも。

 そして、呪符作りはボランティアである。

「円に始まり円に終わり、円を開いて円に閉じる」

 半分ほどは自分で考えた「呪文」を唱えながら、コンパスを紙の真ん中にセットして、一息に円を描く。躊躇すると崩れるので、軽く、しかし勢いよくだ。

「円に始まり円に終わり、円に封じて円を奉じる」

 アインも、アインが考えた「呪文」を唱えながら、同様に円を描く。

 某魔法学校のごとき「正しい呪文」というものは、この塾が教えてくれたものには存在しない。自分のイメージが最も明確になるのが、自分にとっての正解である。

 さすがに噛むとか舌がもつれるというのは、詠唱としてはナシだが。



 レイの呪文は「開閉」という似通った字面にイメージを託し、アインの呪文は「ふうじる」と「ほうじる」という似通った音の響きで、イメージを増幅している。

「六芒星は、地水火風の四元素……上昇と下降を重ならせ、状態変化を目に示し……」

 コンパスの針を円周にのせて、レイは手早く六ヶ所の印を打つ。

 中世欧州の錬金術記号では、上向きの三角形(△)で火を表し、それに「-」を加えた記号で空気を表した。さらに、下向きの三角形(▽)で水を表し、それに「-」を加えた記号で土を表す。

 六芒星とは、この四つの記号を一箇所に重ねて書いた時に完成する図形であり、それはすなわち、四元素から成立する、この世界そのものを示す記号なのである。

 火(△)と水(▽)だけでも六芒星は描けるが、そこはそれ、描き手のイメージ力の問題というやつだ。少なくとも術者がそう認識しているなら、魔術と魔道では問題はない。魔法となると、これは外界自体の「ありのままの姿」というものが大きく関わってくるので、自己へか他者へかはともかく催眠的要素の強い魔術や魔道とは違い、ちょっとどうにもならない部分が出てくるが。

 レイは魔道士であって、魔法はあまり向いていない。アインはやや魔法使い寄りだが、彼女にしたって、気象を操るような大規模な魔法とは無縁である。

 なお、西洋系の魔術師には六芒星系の陣を使いやすいと感じる者が多いらしい。自分は魔道士だと思いつつ、レイも理論化云々を考えると、六芒星の方を多用する。

 一方のアインは、分度器を取り出して、中心角を72度ずつ計測しはじめた。円周上に、正五角形に点を打つと、定規で星形を描き始める。

「五芒星は、木火土金水、五行の相克……エネルギーの変異と転化を示し……」

 東洋系の呪術師が得意とする、五芒星の陣を、アインは使う。

 無論、基本理論は、陰陽五行説だ。

 レイの感覚で言うなら、六芒星の陣よりも、五芒星の陣の方が、エネルギー効率が良い。例えるならコンパクトながらに燃費もよろしく出力もそれなりにある、日本車のエンジンである。図形自体が「循環」を表現しているためか、無駄が出にくいらしい。

 それでもレイが六芒星の陣を使うのは、コッチの方が自分には理解しやすいからである。

 理解レベルは、結局のところ術の効率を作用する、もっとも大きな要因だ。

 どんなに効率的で美しい公式であろうと、意味が理解できない人には数字と記号の羅列である。魔法陣も同じで、その図形などが何を意味し、どのような作用を持つのか理解していなければ、目的の結果を導くことなどできない。答えに辿り着けなければ、どんなに公式が美しくても無意味だ。正解に辿り着ける、泥臭い計算の方が、確かなのである。



「function(x)に、二次関数、y=ax^2+bx+c を定義し……」


「a>0 かつ a≠1 となる定数 a において……」



 まるで数学の授業状態であるが、魔法陣の運用は、最終的に数学だ。

 より正確には物理学なのだろうけれど、結局のところ数式で目的を記述するので、数学の知識がなければぼんやりした効果しか付与できない。

 それっぽい英語や記号を描けば良いと思っている連中は、この血反吐を吐きそうな数式地獄を見てからモノを言えと、常日頃から二人は思っている。

 それが何を示すか理解できなければ、使いこなすことはできない。

 この魔法塾の鉄則からは、魔法陣だって外れていない。

 求めよ、さらば与えられん……ではないのだ。

 (答えを欲するならば式を立てて)求めよ、さらば(答えは)与えられん、だ。

 ただの計算である。

 おかげで、社会人になっているというのに、二人の数学の能力は、むしろ高校受験現役時代より、さらに向上している。

 決して数学が好きなわけではない。必要だからやらざるを得ないだけだ。

 数学好きの方々には申し訳ないのだが、ツールとして扱っているだけであって、これが美しいとかいうことには、多分まだ当分は目覚められないという自信がある。

「うう……方程式から、どう足掻いても逃れられない……」

 二人揃って、うんうん唸る。

 ニュートンの運動方程式など、まだまだ優しい方だ。マクスウェルの方程式も、まだ頑張れる。アインシュタイン方程式になると、だんだん生温い微笑みで誤魔化したくなってくる。そしてシュレディンガー方程式が登場すると、明後日の方向を向いて、見なかったことにしたくなる。

「我々の世界は、物理屋の計算の上に動いている……アアア……」

 アインが、メモ用紙に方程式をガンガン書き連ねて、求める効果を選別しながら呻く。物理現象に干渉したいのなら、それに関する方程式が必要だ。残念ながら。

 もっともそれは魔法陣に限った話ではなく、すべての「魔術」「魔道」「魔法」に、共通の問題だ。研究途上の「呪術」には、山勘で行使されているものも少なくはないが、結局のところ、効率を求めるのなら、最終的には計算から逃げられないのだ。



「術と言えばさ……」

 オーバーヒートした頭を保冷剤で冷やしながら、アインが脱線した。

「何なに?」

 それに乗っかる程度には、レイも疲れている。

「『結社』の……朱珪雪っているじゃん? すっげえ暗い雰囲気の」

「あー、ユキね……」

 陰鬱な空気をまとい、暗闇の中からずるずる這い出てくるような女だ。

「あれって、どういう仕組みの術なの? 光学系のかなり相当やばい面倒な計算しないと、あんな効果出せないかなと思うんだけどさ」

「なんかエリカ様が仰ってたけど、私には理解できなかった。とりあえず、重力で光をねじ曲げて、視界に入らないとか何とかカントカ」

「それだと眼球にも光が届かないから、何も見えなくなるんじゃね?」

「アッ……うん、分からん。私にはさっぱり」

「あれ、できたら便利な気がするんだけどなぁ……」

「暗い雰囲気のアインって、なんかなぁ」

「それもそうか」

「まぁ、あの暗さは本人の性格も、絶対絡んでると思うけど……」

 数枚の呪符を仕上げて、お茶を飲んで休憩だ。

 ティファールをコンセントに差し、立て続けに湯を沸かしている。

 この部屋にこもると明言したら、先生方がタダでくれたハーブティーを淹れる。

「ああ、でも、ユキが歪むのも理解できるわよ。曹のオッサンの計画は本当にえぐい」

 ようするに、いわゆる蠱毒こどくなのだ。

 壺の中に虫を入れて相争わせ、最後に残った一匹を儀式に使う。

 壺に放り込まれた虫にしてみれば、堪った話ではないだろう。

 しかも、ユキも望んで呪術師になったわけではなく、家系の都合というか、父親である曹文宣の強い影響で、呪術を学ばねばならなかったのだ。



「生まれた時から兄弟と殺し合う宿命だなんて、まぁ、歪むわな」

 そう答えて、アインは、マグカップに蓋をして、揮発成分を飛ばさないようにする。

 そうね、と返したレイ、はティーに口を付け、げほっ、とむせて咳き込んだ。

「ローズマリーは本当に不味いわね……記憶強化の効能があるけど」

 うえー、と舌を出しながら、ちびりちびりと、不味いティーをそれでも飲む。

「レモングラスは最高よぉ」

 すんすん、と何度も匂いを嗅いで確認し、アタリを引き当てたぞ、と言わんばかりに、アインは得意げである。ちなみに四人の中で、アインは五感が最も鋭い。

「それの学名は?」

 意趣返しを込めて、レイは、エリカ様と同じ課題を出してみる。

「……シンポポゴン・ストラトゥス、かな?」

 少し意外なことに、アインは少し戸惑いながらも、きちんとラテン語の学名を挙げてみせた。ああ、そういえば、やられっぱなしで終わらないから、才能がないなりに伸びてきた「カルテット」なのだ。

 努力は全てを克服しないが、努力で克服できるモノもある。

 中学時代の自分に、将来の自分はアルミ缶から剣を錬成できるようになる、なんて言えば、頭がおかしくなったと思われるに違いない。レイはそう確信する。自分が使えるもっとも不思議な「不思議」だ。信じなければ失敗するから、1ミリだって疑ってはいけないけれど、それでもやっぱり、自分でも不思議だ。

 アインだって、青銅の剣の刃を念じるだけで潰してしまえる、なんて、昔の自分に言っても、やっぱり信じられることはないだろう。

 けれど、一応「玻璃の魔女」「防衛の魔女」と、それぞれ名乗りを許されて、一級の術師にはどう足掻いたって手が届かなくても、それでも、半端者ではもうないのだ。

 描き上げた魔法陣の呪符を見ながら、レイは少し、笑ってしまった。

「お互い、なんか、不思議なモノになっちゃったよね」

「だよねぇ」



 曹文宣と「結社」が、次からどんな手を打ってくるのかは分からない。

 劉貴深が、本気で「十七国計画」に加担しているのか、それも判然としない。

 分かっているのは、それでもマイとモモの二人を、他のどこの組織の手にも渡してはならない、ということだけだ。特に、マイ。

「思えば遠くへ来たものね」

 しみじみと感慨に耽る。ローズマリーが飲みたくないからではない。

「受験勉強でヒィヒィ言ってた程度の己に、未来は魔法戦士になってるんだぞ、って言ったら、気が滅入りすぎて狂ったと思われるな。もう確実に」

 友人も同じ事を思っていたのだなと、レイはちょっと、うれしくなる。

「まぁ、確かにね。私もアインも、戦闘系よね」

 そして回復系のジョンとスミレで、四人組のパーティーだ。スミレは攻撃補助もできるが、特技の催眠は攻撃の主体には向かない。主戦力はレイとアインである。

「リー、またビールの缶が必要なら、貯めて洗ってあるから持っていきなよ」

 アインの言葉に、じゃあありがたく、と返す。

 レイは、アルコールを摂取すると、戦闘狂のスイッチが入ってしまう。

 よって、魔術剣の錬成材料にするアルミ缶は、基本的にアインからの調達である。

「で、最近はどのビールにハマッてるの?」

「ヴァイツェン。国内の醸造所でも、造ってるとこが増えてきてさぁ」

 彼女の言う「国内」は、日本国内のことである。ベトナム社会主義共和国の国籍になれど、しかし、彼女には北ベトナムへの忠誠心など一ミリもない。南ベトナムへの忠誠心もないのだけれど。

 自分も、日本国籍は取得したけれど、でも「日本人」という自覚はあまりない。公務員にまで採用されておきながら、多少は申し訳ないと思うのだけれども。だけれど、別に、台湾を「祖国」と思うかと問われたなら、それもなんだか実感が湧かない。

 たぶん、アインも同じだろう。

 そういう自分たちにとって、じゃあ、居場所はどこかと問われたら、やっぱり、この「魔法塾」ではないかな、と思う。国籍のせいだけではないけれど、どこか社会になじみきれなかった自分たちに、アヤ先生は魔女として「組織の一員」という安心感を与えてくれた。

 教師としては問題のある行動でしかないけれど、そういう外れ者にしか、手を伸ばせないはぐれもの、というのも、この世にはいると思うし、自分たちはそれだったと思う。

 この「魔法塾」こそが、自分の居場所だし、ここの関係者は、つまり自分の「第二の家族」だと思っている。

 だから、ここがなくなるのは嫌だし、「水晶の魔女」一門に攻撃を仕掛けてくる存在は、許せない。それは、大切なものを踏みにじられることだ。

 たとえ「祖国」があやふやでも、拠って立つ場所はあり得るのだ。

 きっと国のために命をかける人にとっては、国が自分たちにとっての「魔法塾」のような、あるいは「水晶の魔女」一門のような、そういう存在に思えているのだろう。

 その感覚は一生分からないと思うけれども、そして、自民族を特別に素晴らしいと思う、曹文宣などの感覚も、一生分からないと思うけれども。それでも、自分がこの塾と仲間たちを特別に思っているのと、似たような感覚なのだと思えば、出てくる結論はひとつだ。


 ぶつかったら、戦うしかない。

 ゆずれないものを持ってしまうから、人類は相争うのだろう。

 でも、ゆずりたくないと思えるほどに大切なものがあるから、人は強くなれるのだと思う。



 通名を使って、日本人ですよという顔で、でも、なんとなく居心地悪く生きてきた、高校生までの自分。

 どうにも周囲にしっくり馴染みきれなくて、それでも、馴染んでいますよという顔を取り繕うって、心のどこかでしんどさを感じていた。

 元から日本国籍のスミレも、神社や寺が同居する「日本文化」には、大きな違和感があって、それを当たり前として受け入れるような周囲に、溶け込みづらさがあったという。

 ちょっとだけ「普通」からずれた、自分たち四人。

 その「普通じゃない感覚」を、そのままぶちまけても大丈夫な、この「塾」は、そのままの自分で生きていくことを、肯定してくれた場所なのだ。大げさに言えば。

 馴染めない自分を、ありのまま認めてくれる。

 ほっと一息ついてリフレッシュできる、この大切な「隠れ家」を、守りたい。

 そして、四人の絆を、これからも大事にしていきたい。

 今のところ、戦う理由なんて、それだけだ。

 マイやモモやアキのような、妹分たちが可愛い、というのもあるけれど。

 戦闘に臨んで躊躇せずにいられるのは、三人の友だちと、風変わりな恩師との思い出を、踏みにじらせてなるものか、という強い思いだ。


 自分の居場所を守る。

 攻めてくる者があるなら、絶対に撃退する。

 なんだかふわふわした自分にとっての、この「塾」は拠り所だから。





「○○人」っていうのは、実際問題、かなり感性の産物なんではなかろうか。

自分自身の中に国境があるような人の場合、「○○人なら~」っていう表現自体が、居場所をどこにも認められていないような苦しさをもたらすのではないか、って思うわけです。


カルテットの4分の3が非日本国籍(※当時)ってのは、外国籍の生徒だから選んだ、というわけではなく、大多数の中になじめない生徒を選んだら外国籍が多かった……という。


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