その名はヴァルキリー(その3)
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・2月10日午前1時44分付
誤植修正:8月→3月
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3月4日午前10時、榛名・ヴァルキリーは別のエリアでレースの準備を行っていた。
昨日のレースは結論から言うと不発だった。別勢力をおびき寄せ、そちらに対してダメージを与える事には成功したが、それは副産物でしかない。
結局、本命には遭遇しなかったのである。直前で気が付いたという訳ではなく、確かにエントリーは確認されていた。
「あの時のレースにいたネーム――偽者やなりすましとは考えにくい状況だったが、情報が古かったのか」
ARゲームの場合、なりすまし等による不正プレイ防止という観点から、サブカード及びサブアカウントの類は認められていない。
一部の機種であれば特例で認めているケースもあるかもしれないが、アカウントが不正転売されそうなジャンル、イースポーツとして浸透しているARデュエル等では認められていない。
イースポーツとしてメジャーになったジャンルでは、八百長や出来レース、芸能事務所の利益争奪戦等に悪用される事を踏まえ、アカウントは基本的に1人1個までが決まっている。
そこまで厳重に決められているジャンルもあれば、ユーザーのモラルに任せると言うジャンルも存在し、この辺りは毎年議論されているが……。
午前10時10分、榛名が参加すると言われているレースに姿を見せた人物がいた。有名プレイヤーの走りを見ておこうと思った蒼空ナズナである。
「なるほど。彼が例の――」
蒼空の姿を確認したのは、コンテンツの正常流通を目的として設立されたアキバガーディアンのメンバーである。
俗にいう私服警官の様な外見だが、こうでもしないとアイドル投資家や超有名アイドルファンに警戒されると言う事情もあった。
「こちら神崎――」
様子を見ていた人物、それはアキバガーディアンのメンバーでもある神崎ハルだったのである。
彼女の目的は榛名にもあるのだが、それ以上に別勢力の排除と言うのもあった。
同時刻、蒼空はアキバガーディアンをはじめとした勢力にマークされている事に気付いていない。
気が付いていたとしても、見ないふりをしているというのが正しいのかもしれないが。
実際、マスコミの一部もレース場に姿を見せているのだが――向こうの目当ては実際のレースその物ではないだろう。
「あの記者は例の週刊誌絡みか――今度は、どのアーティストを潰す気なのか」
その中で蒼空が警戒しているのは、アーティスト壊し屋とも言われている男性記者だ。
あの記者がターゲットに選んだアーティストは逃げ切る事は不可能と言われている。今年に入って、解散に追い込まれたバンドもいる位だ。
その目的は定かではないが、とある超有名アイドルの芸能事務所から裏金を受け取っているとネット上で話題になっている。
もしかすると、別の世界線における事件が写し鏡のように――と言うのは考え過ぎだろう。
午前10時30分、レースの方が終了し、榛名がトップでゴールイン。今回はさほど苦戦するようなコースでもなければ、見所がある訳でもない。
唯一の見所があるとすれば、圧倒的とも言える榛名無双である。2位とのタイム差は1分を越えているのだが、これに対して選手側が反則と声を上げる場面もあった。
『榛名選手に関してですが、レース前のガジェットチェックで外部ツールおよびチートの実装が確認されていない以上、問題なしと判断します』
運営スタッフによる放送では、どうやらレース前にガジェットチェックを行っているらしい。このチェックでエラーが出たガジェットは安全性の都合上で使用不可、つまり整備不良で出場不能となる。
このチェックがある関係で、レース開始10分前以上に会場入りをしなければ間に合わないという寸法だ。
つまり、完全滑り込みでレースの参加は認められない。格闘ゲームで言う乱入要素は、ARパルクールには存在しないのである。
同時刻、谷塚駅と竹ノ塚駅の中間に位置するエリア、そこにはある人物と超有名アイドルファンがARサバイバルで対決をしている。
ARサバイバルは一種のサバゲ―をより臨場感のある物へと進化させたARゲームであり、数少ないアナログゲームをARゲームへ移植して成功した事例だ。
「貴様か――超有名アイドル布教を妨害するのは」
超有名アイドル側を煽って先導するのは、黒い提督服の男性――彼の名は北条提督、提督と言っても偽名扱いで本名は不明だが。
「こういう方法を布教とは言わない。金に物を言わせたゴリ押し――いわゆるチートよ」
北条提督及びアイドル投資家に抵抗しているのは、たった一人の女性だった。彼女はARガジェットであるハンドガン、ARギアと連動するインナースーツで武装している。
「お前も榛名・ヴァルキリーと同じ事を言うのか!」
北条提督は、彼女の発言に対して榛名と重なる事に対して混乱にも似たような表情を浮かべる。
「榛名と言う人物は初耳だが――金に物を言わせるゴリ押しを行う芸能事務所は、いつの時代、何処の世界線でも繰り返されるのか」
「世界線だと――貴様、何処の世界からやってきた? スターシステムか? それとも、アカシックレコードを悪用しようとする――」
「気が変わった。アカシックレコードの単語を出した以上、お前を逃がす理由はなくなった」
女性の方は北条提督を逃がしても問題ないと考えていたのだが、彼の口から出てきたアカシックレコードと言う単語を聞き、事情を聴く必要性を感じた。
午前10時45分、榛名はある人物の前に姿を見せた。マスコミは例によって彼女を避けている為、その人物と言うのは――かなりの割合で絞られる。
「あなたが――」
蒼空がレースが終わったのを確認して帰ろうとした矢先、姿を見せたのは榛名だった。
「お前が噂の――」
「噂?」
「初レースはまだのようだが、この世界に足を踏み入れるのであれば……相応の覚悟は必要だ」
「覚悟? ゲームをプレイするのに覚悟が必要なのですか?」
「中途半端の姿勢でゲームをプレイしたとしても、ゲームそのものの印象が悪くなるだけだ」
「つまり、お試しプレイだとしても全力で挑めと?」
「そこまでは言っていない。ただ、中途半端な覚悟で挑むのは――後悔を生むだけだ」
「あなたは、何を自分に求めているのですか?」
2人の話は続くが、蒼空の疑問はもっともであると榛名は判断した。そして、彼女は切り出した。
「それは、君がARパルクールを実際にプレイして世界を見極めてからにしよう。そこまで情報量を詰め込み過ぎても――君はハードルが高くなったと感じ、ゲームをプレイしなくなる」
榛名の一言は、現状の蒼空には理解できない物ばかりだった。
しかし、シティフィールドをプレイすれば全ては見えてくる――そう信じて、午後に行われるレースへエントリーを決める。