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ちょっといいショートショート

誓いのキスはレイニーブルー

作者: 真波馨

 S男には、青子という彼女がいた。結婚を誓った、大事な彼女である。

 S男と青子は、会社の飲み会を通して仲良くなった。S男はドライブが好きで、週末はよくあちこちに車で出かけて行った。青子は写真が趣味で、特に風景を撮るのに凝っていた。同じ部署になったときから何となくだが青子に惹かれていたS男は、飲み会で席が隣になった彼女に、チャンスとばかりに「良かったら、今度ドライブに行きませんか。景色の綺麗なところ、知っていますよ」と声をかけた。青子は控えめだが嬉しそうな笑みを浮かべて「喜んで」と応じた。

 そうして少しずつ交際を重ねていき、S男はある日思い切って青子に告白したのだ。

「あなたのことを愛しています。一生幸せにします。僕と結婚してください」

 S男の顔をまっすぐ見つめる青子の瞳は、どこか日本人離れした灰色を帯びていた。時折、光の角度によって深い青にも見える、不思議な瞳をもっていた。青子は天女のような柔らかな微笑みで、「嬉しいです。私も、S男さんのこと、愛しています」と静かに答えた。

 愛の告白からおよそ二か月後、二人はウエディングドレスを見に行った。純白のウエディングドレスに身を包んだ青子を見たかったS男だったが、彼女はブルーのドレスにこだわった。「この色がいいの。これじゃなきゃ嫌」と、珍しく譲らない彼女を不思議に思ったS男だったが、いざ試着してみると、そのドレス姿は彼女の名前に実に似つかわしいのだった。目を引くような青。晴天の空のようであり、広大な海のようであり、また雨の雫のような青であった。青子の花嫁姿はあまりにも美しく、人間離れすらしているように思えるほどであった。未来の花嫁のドレス姿を、S男は眩しい思いで眺めていた。

 いよいよ、S男と青子の結婚式の日が訪れた。新郎新婦の控室に入ったS男の目に映ったのは、あのブルーのドレスを纏った青子の姿だった。彼女は少し恥ずかしそうに微笑すると、「今日の天気、残念ね」と呟いた。

 空は晴れ間すら見えるのに、何故か朝からぽつりぽつりと雨粒が降り始めていた。S男は控室の窓から空を見上げる。

「いいさ、このくらいなら大した雨じゃないだろう。あ、そういえば、〝狐の嫁入り〟っていうんだろう。こういう天気のこと。むしろ縁起がいいんじゃないのか」

 あっけらかんとしたS男の隣に立ち、同じように空を見上げていた青子は、ただ無言で少しだけ笑う。そのとき、控室に数人の人が入ってきた。S男たちの会社の同僚だった。「おお、いいじゃないか」「青子さん、とてもきれい!」と、二人の周りにガヤガヤと集まってきた。青子は恥ずかしさからか、「そんなことないです」と僅かに頬を赤らめている。

「あ、写真、撮ってもいいですか? 記念に、ね!」

 ふと、誰かがそう言いだした。周りも「いいね、いいね」とその言葉にのる。しかしその瞬間、「だめ!」という鋭い声が上がった。皆が驚いて声の主を見やる。青子だった。彼女は我に返ったようにはっとした表情になると、気まずそうに俯いた。

「すみません。私、被写体になるの苦手で……全体で撮るのとかなら、まだ何とか大丈夫ですけど。だから、ごめんなさい。遠慮してもらってもいいですか……」

 しんとした空気が部屋に下りる。重苦しい沈黙を破るべく、S男はわざと大きな声で言った。

「彼女、写真を撮るのは好きなんだけど、自分が撮られるの嫌がるんだよ。こんなに美人なのになあ。まあ、全体ではちゃんと撮るからさ。新郎に面じて許してくれ」

 S男の朗らかな口調に、一同は「まあ……じゃあしょうがないか」と何とか諦めてくれた。青子は申し訳なさそうな表情をS男に向ける。S男はそんな彼女に、「ほら、花嫁がそんな顔するなよ」と、にっこり笑いかけた。


 S男が振り向くと、ブルーの光をまとった青子が、手を引かれ静々と向かってきていた。S男の横にたどり着く。周りの息をのむ音が聞こえたような気がした。それほどに彼女は美しかった。

「二人は、永遠の愛を誓いますか」

 神父の厳かな言葉に、S男は「誓います」と声を張り上げた。続いて青子が、落ちついた、だが力強い口調で「誓います」とS男の後に続いた。

「それでは、誓いのキスを」

 神父の言葉に、S男と青子は向き合う。目を閉じた彼女の唇に、S男は顔を近づける。よくよく見ると、彼女の唇は微かに青みがかっていた。青いグロスとは珍しいなと、S男はやや見当違いな感想を抱く。だが、青子には青がよく似合っていた。青いドレスも、唇の青も、ときに色を変える青の瞳も。S男も目を閉じ、彼女の唇に自らのそれを重ねた。


 瞬間、カメラのシャッターを切るような音がした。真っ暗な視界の中で、フラッシュのような激しい光が見えた気がした。光の名残りが真っ黒な視界から消えると、S男はそっと目を開けた。

 S男の目の前に、青子はいなかった。彼女がいたところには、ブルーのドレスだけが残されていた。まるで、青子の体だげがそこから脱け出したように。S男は目を疑った。目を擦っては見、見ては擦るのを繰り返す。しかし、確かにそこに、青子はいなかった。S男は弾かれたように、青いカーペットの上を走り出す。ざわめく人の間を駆け抜け、教会の出入り口に向かった。

 教会の扉を開ける。外の光が、S男の視界に刺すように入り込む。S男は目を細めた。

 外は晴れ渡っている。しかし、S男の頬には、ぽたぽたと雨粒が落ちてきた。顔を上げると、虹のかかった空から小さな雫が降り注いでいた。日の光とそれに反射する雨粒を見つめ、S男は小さく口を動かす。

「誓いのキスは、レイニーブルー……か」

 虹の向こうに、青い狐が駆けていくのが見えた。一瞬止まったそれは、不意にどこか寂しげな鳴き声を上げると、青空に架かる色鮮やかな橋の先に消えていった。


 後日、S男は両親から聞いた。青子というのは本名ではなく、彼女はとある詐欺グループの一員だったこと。その中でも、彼女は主に結婚詐欺を中心に活動していたことを。

 付き合っていたあの頃の笑顔も、愛の告白も、誓いのキスも、全てが嘘だったというのだろうか。両親の話が終わった瞬間、S男は家を飛び出した。すると、彼の頬に何かがぽたりと落ちてきた。空を見上げると、一面の青空にもかかわらず、小雨がぱらぱらと降っていた。そういえば、青子と付き合い始めてから、雨が降ったことなんてあっただろうか。S男はふと思い返す。

 何故か、もうどうにでもなれというような思いが、彼の中から沸き起こった。何を嘆いたところで、青子はもういない。S男は彼女に騙されていた。どうやら真実はそれだけのようだと、彼は思い直すことにした。

 だが、とS男は空を仰ぐ。彼女と迎えた、雨降りの結婚式。目が覚めるような青のドレスを身にまとい、誓いのキスを交わしたあの瞬間。どうしてかあれだけは、嘘のようには思えなかった。例えそれまでの出来事が、全て真っ赤な嘘だったとしても。あの青い唇の誓いだけは真の愛だったのではと、彼には不思議とそう思えてならないのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とにかく「青」が異常に好きで「青」に執着を持っている私にはすらすら楽しんで読めました。ほかのかたの文章だと最後まで読むことがないので、理屈ぬきにこちらの作品がすきなのだと思います。 [気に…
2015/10/11 15:30 退会済み
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