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6/7

道具呼び出す月曜日


「……うぐう」


 夢の中で座学を経験したにもかかわらず、快眠だった。快眠だったが、夢見は悪かった。

 ゆっくり目を開けて、瞬きをする。

 何か、見えた。

 物から何かが出ている。

 黒いミミズみたいな、文字。


「は?」


 目元を擦ってもう一度目を凝らした。

 煙のように昇る黒いミミズが、見える。

 何だ一体。そう思って、昨日の夜、正しくは夢の中の出来事を思い出した。

 夢の中、ホワイトボードの前で黒マジック片手に富士野が言っていた。


「要は慣れですよ。そうだ、起きたらちょっとした助けをしてあげましょう」


 これが助けなのだろうか。

 良く見ると黒ミミズは旧式言語の文字だ。時計、机、鞄、その他色々。それぞれから伸びていくミミズ文字は同じ文字を繰り返している。

 発音は、富士野がぺらぺらと喋っていたが、とてもじゃないけど発音できそうにない。日本語以前に人類が喋る言葉じゃなかった気がする。オボロッヴェログィとかなんとか言ってた。文脈で察するとかそういうレベルじゃなかった。

 そのかわりに文字を見て、意味がそれとなく分かるようにはなった気がする。英語を覚えたての学生くらいには理解できたと思う。富士野主催講座は詰め込みで、割とハードだったけれど、非常に勉強になった。

 ベッド横にあった時計を手にとって、登る文字を見てみる。

 確か富士野の夢学習で出てきた文字だ。確か、そのまま『時計』という意味だったはず。

 時計を置いて、机を見る。机から登るミミズ文字の意味もそのまま『机』だ。

 実物を見ながら文字が出るから、分かりやすい。富士野さまさまである。


「朝よー! おきなさーい!」


 部屋をぐるりと見ていたら、母さんから声がかかる。時計を確認するともう7時半になろうとしている。

 慌てて飛び起きて、ミミズ文字が伸びていく制服をとって着替える。

 リビングに行くと、母さんがテーブルに料理を並べて洗い物をしていた。うん、見事に物という物からミミズ文字が。母さんが変な顔をする前に、さっさと席に着く。


「ねえ、ご飯終わったら行く前に、ベランダの鉢植えに水やっておいて」

「んー、わかった」


 ベランダにある鉢植えは母さんが趣味で植えているハーブがある。

 並べられたご飯を食べた後、器を母さんに預ける。父さんの姿が見えないので、今日は早出なのかもしれない。そういうことを言っていたような。

 窓を開けてベランダへ出る。ベランダには鉢植えの傍に銀色のジョウロが置いている。小さめのジョウロはシンプルな小口で、母さんが一目惚れした買ったものだった。

 そのジョウロだが、やはりというか、黒いミミズ文字が出ている。


「えーと、ジョウロ?」


 見覚えのないミミズだ。立ち上るミミズ文字を指差してなぞる。


「これで、ジョ、ウ、ロ……濁点どれだ」


 ジョウロの文字を見ながら、何回か空に書く。


「あんた、時間大丈夫ー?」

「はーい、今出る!」


 母さんの声に急いでジョウロを傾けて水をやる。入れっぱなしの水だったがいいだろう。鉢植えに水をやり終え、ジョウロを置いて鞄を取りに戻る。

 ばたばたと忙しなく出た俺は、そのとき起きたジョウロの変化には気づかなかった。

 ジョウロから出ていた文字が、揺らいで消えていた。



 学校へ向かいながらも見える、黒いミミズ文字にげんなりする。

 はじめは良かったが、いつまで続くんだろう、この効果。

 学校でもあちこちからミミズ文字が伸びる様が見られるとしたら、ちょっと都合が悪くないか。授業が困るぞこれ。いたるところから黒ミミズが伸びていく様は異様だ。

 こうなったら元凶に聞くしかない。

 今日も、ナヨから貰った厄除けの小袋を鞄に入れているが、来れるだろうか。前回はこのおかげで近寄れなかったとか言っていたけれど。

 通学路に人があまりいないのを確認して手を合わせる。


 召喚。いでよ、富士野。


 むむ、と念じて目を閉じてから開ける。

 ぱっと目を開けると、そこには、欠伸をしたイケメン様、もとい富士野がいた。

 無地の白のTシャツに黒のスポーツパンツだ。どう見ても格好良くない組みあわせだが、何故だろう、どこかでスポーツしてきたのっていう爽やかさがあった。イケメン効果、解せない。


「おっと、何か御用です? 八草君」

「おはようございます。あの、文字見えるようにしたのは、富士野さんであってる?」


 俺の言葉に、富士野はにこりと笑って挨拶を返した。


「おはようございます。ええ、そうですよ。便利でしょう?」

「いや、便利だけど、授業するときとかに邪魔になるからさ」

「おや、そうですか」


 器用に片眉を下げて、富士野は俺の頭を人差し指で指した。


「ええっと、なんでしたっけ。見えなくなーれ」


 その後に、よく分からない聞き取れない発音でホニャホニャ呟いて指が離れた。


「はい、おしまい」


 富士野が言った後、改めて周囲のものを見渡す。おお、本当にミミズ文字が消えている。


「富士野さんって魔法みたいなの使えたんですね」

「魔法? うーん、まあ、そんなものでしょう。魔女から教えられましたのでね」


 魔女というと、昨日は魔女の一族だという火釜さんを思い出した。富士野は、火釜さんの近しい親族にすごい魔女がいて、彼女の知り合いだったと言っていた。


「さて、これから八草君は学校ですか? いいですね、学校」


 しまった。付いて来たいと言いそうだ。俺は即座に首を振って手で制した。


「じゃ、ありがとう富士野さん! 遅刻するからまた!」

「はい、また後でー。また何かあったら呼んでくださいねー」


 俺の予想に反して、存外富士野は気さくに手を振って俺を見送った。なんだ、どうした。何か言われるかと思ったのに。



 富士野が消してくれたおかげか、ミミズ文字はすっかり見えず、授業中はいたって普通の時間が過ごせた。

 いやあ、消えてよかったミミズ文字。早朝と同じように文字が登り続けていたら、黒板の板書が見えなかったところだ。

 やっと終わった下校前のLHRの連絡事項をノートに書き写して、鞄に詰め込む。

 今日は昨日出かけていたナヨが帰ってきているはずだ。ミミズ文字もちょっとは分かるようになったし、報告も兼ねて会いに行こう。

 トモ男は部活に早々に出かけている。クラスにいる知り合いに適当に挨拶して教室を出る。そのまま校門まで出ると、声をかけられた。


 校門の塀に隠れて女性が立っていた。

 真っ赤な原色カラーの春コートが目に痛い。切りそろえられた髪と化粧をした小奇麗な顔は見覚えがある。

 ちょっとキツそうな目つきで俺を見る女性は、昨日公園で会った火釜さんだった。


「ヤクサ、ようやく会えた!」


 二の腕を組んで、カツンと高いヒールを鳴らす火釜さんは、俺を待っていたらしい。火釜さんの声に周りがこっちへ注目したのも気にせず、火釜さんは近づいてきた。

 俺の腕をむんずと掴むと、昨日使っていた小物ポーチをぱかりとあけた。


 瞬間、視界がぶれて、あたりに人がいなくなった。

 火釜さんの不思議道具のせいだ。この道具の説明は富士野が夢の中でしてくれた。俺がミミズ文字と格闘する傍らでぺらぺらとな。

 確か、対象を決めて切り取られた空間に限られた時間移動できるポーチだ。名前は『切り取りポーチ(化粧道具入れ兼用タイプ)』というらしい。魔女お手製の代物だそうで、世に二つとない貴重品らしい。

 前に火釜さん普通に落としていたような、と思ったので聞いてみたら、富士野は「彼女はお間抜けさんなので、貴重品をぽろっぽろ落とします」と言っていたので、取り合えずしたり顔で頷いておいた。なんだろう、この残念な感じ。

 しかも富士野の余計な情報により、火釜さんの年齢だとか小さい頃だとかが頭に記憶されてしまった。夢の中で直接頭に叩き込む使用なのかは知らないけれど、ばっちり覚えている。

 火釜さんの名誉のためにいうと、魔女の一族はそれなりに長生きなので、実年齢よりも幾分か若いまま保てるらしい。

 年齢については、うん、まあ、俺の母さんよりちょっと若いくらいでした。うん。いろんな意味で、火釜さんに好意を持ちかけてたトモ男はファイトだ。


「ねえ、ヤクサ? 私、オッラに会いたいのだけど、場所が分からないのよ。貴方知っているでしょう?」


 これは何か? 俺に案内しろというのだろうか。

 俺が黙っていると、火釜さんはなぜかムッとして続けた。どうも反抗的に見えたらしい。理不尽な。


「仕方ないじゃないの! オッラは私よりずううっと優れてるし、隠れるのが上手いんだものっ。私が一人で探すよりも、朝からずっと貴方を探し回ってオッラへの手がかりを掴むほうがはるかに楽よ」


 朝から探し回っていたのか。余程ナヨに会いたいのだな、と感心する。


「だから、今度こそ勝負よ! オッラの情報と私の魔女の血の誇りにかけて!」


 火釜さんは、いそいそと持っていたショルダーバッグの中から少し柄の長い団扇を取り出した。

 あのバッグもきっと、ナヨの持つエプロンのポケットみたいに容量がいっぱい入るような不思議道具なのだろう。

 それはともかく、火釜さんは、やや頼りない胸を張って団扇をこっちへ向けた。

 団扇は焼き鳥や蒲焼の屋台で見るような、赤い紙を張った竹で出来たものだ。この団扇は一体何なのだ。勝負ってなんの勝負だ。

 俺が戸惑った顔をしているのが分かったのか、火釜さんは怪訝な顔をした。


「……貴方、道具がないの?」

「まだ正式には、ないんじゃないですかねー」


 そもそも道具ってなんだ。そう言うより先に答えたのは、何処からともなく現れた富士野だった。本当に何処から来た。いきなり隣に立っていたので、思わず体がびくっとなってしまった。

 驚く俺と火釜さんとは対照的に、富士野は自慢げだ。


「ふふふー。朝会ったときにちょーっと一部分を八草君にくっつけていましてね。ああ、怒らないで。おかげでこうして来れたんですから」


 爽やかな笑顔を浮かべて富士野は俺の鞄を指差した。鞄の中に富士野の一部が入っていたのか。ぞっとする。

 そっと鞄をなでてみるが、普通のスクールバッグだ。そう思いたい。


「まったく。貴重な若手にちょっかいかけるのはいただけませんねえ、代わりに相手をしてあげましょうか?」

「ま、まだ勝負を挑もうとしただけよ! やってないじゃないの! 本当、かの魔女様に似てきて嫌になるわ……貴方とまともにやりあうなんて馬鹿はしないわよ、はあ」

「おや、そうですか。うーん、それはそれでなんだかつまらないですね」

「つまらなくないわよっ。嫌よ、ただでさえ馬鹿みたいな力を持つ相手にやりたかないわよっもう!」


 富士野は火釜さんの言葉に不服そうである。なんだ、そんなに強いのか富士野。

 富士野を見れば、富士野は俺に気づいて「だから言ったじゃないですか、俺はハイスペックなんです」と自慢げに言った。

 火釜さんはそれを横目で見て、団扇をくるくると手元で遊ばせている。


「本当に、何でヤクサと契約したのかしら……」


 ああ、それは俺もわからない。また富士野と目があったが、富士野はにこにことしていた。本当よくわからん。

 誰ともなく黙るなか、火釜さんが思案げに目を伏せたかと思うと、突如見開いた。


「あら、そうだわ! ねえ、私が道具の使い方ってのを教えてあげるわ! そしたら代わりに……ね?」

「ナヨ、じゃなかった、師匠に紹介すればいいんですか?」

「そう、そうよ。物分りいいじゃない」


 腰に手を当て、びしりと団扇で俺を指す火釜さん。


「それだったら、俺が教えてあげましょうか八草君」


 にこやかに富士野が言う。


「俺は、別にどっちでもいいんだけど……」


 ちらりと腕時計を見る。まるで違う場所にいるわけだけど、時間は経過しているようで、学校が終わってから数十分経とうとしていた。

 早く俺もナヨに会いに行きたいのだ。


「急がないと、ナヨに会えなくなるかもしれないし」


 そう、ナヨは夜になると会えなくなる。昔言っていた。夜はそこにはいないのだと。今もナヨが夜になると早く帰れと促すのは、そのせいだろうと思っている。


「あのー……やっぱり勝手に教わったらそれはそれでナヨが、師匠が怖いので、火釜さんがよければ紹介だけしますよ」

「へっ?」

「八草君……」


 素っ頓狂な声を上げたのは火釜さん。富士野は呆れた顔でこっちをみている。


「火釜さんは、多分大丈夫な人だと思います」


 火釜さんの香りからは嫌な臭いはしない。すっと呼吸をすると、暖かくて、落ち着く香りがした。

 あ、これ、今日は焼き芋の香りみたいだ。お腹が空いてきたと思っていたら、余計に二人に変な顔をされた。

 富士野は相変わらずフローラルでむせ返る香りだから、あえて言うなら富士野よりも火釜さんのほうが身近で落ち着ける香りだ。

 俺の鼻の能力とやらが正しいとするなら、警戒すべきは富士野のほうなのだろう。


「それに、富士野さんもいるし」


 仮に俺を使い魔の契約主と定めているのだから、何かあったら助けてくれるだろう。きっと。期待をこめつつ富士野に問いかければ、富士野は腰に手を当ててわざとらしく息をついた。


「困ったさんですねえ。でも、先に道具だけは決めたほうがいいかもしれません」

「どういうこと?」


 富士野は火釜さんをねめつけた。火釜さんはそれに気づいて睨み返している。


「火釜を大丈夫だというのが八草君の勘ならば、これは俺の予想です。当たりますよ、俺の予想は」


 そう言うと、富士野は誰もいない校庭に向かって進むと、何やら指を使って地面に描きはじめた。


「あっ、ちょっと、あなた勝手に」

「富士野さんは、何を?」

「召喚陣。ヤクサが道具を呼び出しやすくするためのものね」

「え、でも」


 ナヨに黙ってやってもいいものか。興味がないわけではないけれど、後々を考えると勝手はできない。

 けれど、富士野の予想というのも気になった。

 嫌な予感、というか。


 鼻に届く妙な臭いが漂っている。


 きっとこれは俺だけがわかる臭いなのだろう。なぜなら先ほどまではしない臭いだったから。

 嫌な感じだ。

 火釜さんは富士野を見ながら手に持つ団扇をくるくると回している。そういえば、火釜さんの道具はその団扇なのだろうか。

 富士野はまだ校庭に向かって複雑怪奇な模様とミミズ文字を書き込んでいるので、待つついでに尋ねてみることにした。


「火釜さん、その、団扇って」


 俺の言葉に火釜さんは顔を上げた。


「ああ、そうね。道具の説明も分からないわよね……いいわ、先輩として! 教えてあげようじゃないの!」


 最初は少し申し訳なさそうにしていたのに、途中で取り成したようにふんぞり返る火釜さん。校庭のほうから「先輩面したいだけですよー」と富士野が言ってきた。

 直後、富士野のほうへ、猛火が走った。

 間違いじゃない。何もない空間に炎が急に出現して、そのまま富士野目掛けて飛んでいったのだ。

 炎の出所は、火釜さんの団扇だった。


「私たち、魔術や呪いを扱うものには相応の道具というものがあるのよ。自分の力に合った、力を通すための道具がね。私の場合は、燃焼だから主に炎を操るわ。道具の形はイメージしやすいものが選ばれるのが普通ね」


 火釜さんは、なんてことのないように俺に説明するが、今それどころじゃないことをしなかっただろうか。

 俺が富士野がいたところを見ると、墨と人の肌が入り混じった状態の物体がスライムのようにうねうね動いて再生していた。


「うわ」


 思わず声が漏れると、火釜さんはそれを鼻で笑った。


「はっ。それで驚くなんてまだまだね! 富士野はこれくらいでどうにかならないわよ、腹立たしいことにね」

「八草君はー、まだそういうことは教えられてないんですよー。暴力はいけませんよ、全くー」


 間延びした声がした。富士野だ。

 もう再生しきったのか、手についた墨の欠片を払っている。服も一緒に焦げたと思ったが、まったく新品のシャツとズボンを着ていた。相変わらずラフな格好なのは富士野の趣味なのだろう、多分。


「さて、出来ました。火釜、ちょっとそこで待っててください」

「邪魔なんてしないわよ」

「万が一があっても困りますから」


 そう言って富士野が手招きしたので、近寄る。


「八草君は呪い師に何か言われるのを恐れているのでしょうけど、保身のため持っておいたほうが安心です。さ、そこの陣の前に。そこです」


 富士野が指定した位置に立つ。

 正面には富士野が描いた陣が。赤黒い色なのはなぜかは、予想できそうで聞きたくない。しかし、火釜さんの炎に巻き込まれたと思ったのに、くっきりと綺麗な図形は保ったままだ。


「八草君の力は何でしたっけ」


 にこりと富士野が言う。


「……ええと、回復と促進だってナヨが言っていたけど、戦闘向きじゃないから火釜さんみたいな感じは無理だと思う」


 そうだ。俺の力はRPGで言うところの僧侶ポジションだ。

 こんな力で火釜さんのあの炎に対抗できるとは思わない。もし、勝負をしてあの炎を受けていたらと思うと、今更ながらにぞっとしない心地がする。

 けれど富士野は殊更嬉しそうだった。


「そうですか、契約する前から思ってましたが、いいものじゃないですか。使いようによっては結構凄いものだと思いますよ? 八草君は力がそれなりにあるようですからね」

「回復が?」

「物は考えようですよ? あ、ちなみに俺の能力を教えておきましょうか。俺は再生、分解、構築。内緒ですよ」


 そう言って人差し指を俺の口へ向けた。


「内緒ですからね」


 にっこり笑って、富士野は手を召喚陣のほうへ向けた。


「さあ、八草君のイメージで結構です。自分の身近にある道具のほうが便利がいいと聞きますから、そういったもので能力に合うちょうどいいものを考えてみてください」


 富士野が陣に向かって手を払う仕草をすると薄ぼんやりと赤黒い陣が光った。

 俺は陣の前で目を閉じ、考えた。

 回復と促進といっても、ぱっと浮かぶものがない。浮かぶとしたらゲームの僧侶のイメージが強くてメイスとか杖とかしか出てこない。


「あ、考えるときは旧式言語で頭に浮かべてくださいね」


 富士野がさらに言ってくるが、余計にこんがらがりそうだ。

 ぐるぐると考える中で、頭にミミズ文字が浮かぶが、朝から見た机やらイスやらばかりで、イメージに結びつくものがない。

 ミミズ文字を浮かべながら、その中でぱっと閃くものがあった。

 朝、ベランダで見たあのジョウロの文字。

 そこまで思って目を開けると、目の前にちょこんとした小洒落たジョウロがあった。我が家の母がほれ込んだシンプルジョウロと良く似ている。それに比べると幾分か小さく、ジョウロの先が細長いが。


「出たみたいですね」


 富士野が言うが、これが俺の道具なのだろうか。

 まあ、確かに、物を育てたり注いだりというイメージで回復や促進はありかもしれない。

 ジョウロを手にとって、まじまじと見る。本当に家のジョウロにそっくりだ。


「道具の使い方は実践が一番です。火釜、そろそろ戻らないとあなたもしんどいのでは?」

「分かってるなら、もっと気遣って言うべきじゃないかしら」


 火釜さんがカツンとヒールを鳴らして、校門前のコンクリートを踏む。


「ああいった魔術道具は使用者の力を削りますからね。八草君、練習に丁度いいです。火釜に向かって使ってみてください。使い方は適当でもなんとかなります」


 おい、最後投げやりだな。


「はあ? ちょっと、ヤクサ、貴方の能力って何なの」

「ええと」

「攻撃じゃないですから。さ、八草君」


 俺が答えようとしたのを遮って富士野が促した。そっと小さく言われる。


「自分の力についてはあまり言わないほうが得策ですよ」

「火釜さん、自分で教えてくれたけど……」

「彼女、お間抜けさんなので。ささ、やっちゃってください」


 笑顔で言って富士野はぽんと俺の肩を押した。

 いいのだろうか。

 火釜さんは警戒した顔でこっちを見ている。安心してもらうために、敵意はないですと曖昧に笑ってジョウロをそっと前へ出してみた。

 体調回復、できたらいいなと念じながら。

 すると、ポウッと淡くジョウロの先が緑に光って、消えた。


「……なんなのよ……ってあら?」


 火釜さんの反応にジョウロを下げる。


「……ふうん、なるほど。貴方、回復系なのね……礼は一応、言っておいてあげるわ」


 ツン、と顎をそらして仁王立ちで言う火釜さん。これはあれか、ツンデレという奴なのだろうか。


「ほら、これで大丈夫でしょう? さっさと戻してくれますかね」

「わ、分かってるわよ!」


 富士野の言葉に言い返して、火釜さんはポーチの口を開いて閉じた。



 また瞬間、場所が変わる。

 人の気配がして、戻ってきたのだと分かる。あたりからは部活に励む生徒の声や音、下校する生徒や通行人がぱらぱらと通っていた。

 皆一様にちらちらこちらを見たのは、唐突に人が現れたからだろうかと思えば、そういうわけではないようで、見る人々はぽうっと富士野を眺めていたりする。

 ああ、そういえばこいつは滅多に見ない類のイケメン様だった。隣に立つ火釜さんもそれなりの美人であるから、相乗効果で余計目立っていた。

 ちょっと可愛い女生徒が富士野に見惚れているのを見て、こいつさっき消し炭になりかけてましたよって言いたくなったが堪える。

 ぎゅっと握った手のひらに感触が帰ってきて手元を見れば、手にはさっきのジョウロが握られていた。この道具、消えないものなのだろうか。

 そう思いながら、富士野と火釜さんへ声をかけようとして、鼻をくすぐるあの臭いが濃くなったことに気づいた。

 嫌な感じの臭い。

 冷蔵庫の中から発掘した、腐りかけた肉の、臭い。


「八草君、ちょっと」


 富士野が急に腕をとって校門から歩き始めた。後ろからヒールを鳴らした火釜さんが追ってくる。


「何よ、急にどうしたのよっ」

「火釜、貴方、最近妙な奴と会ったでしょう」

「妙? 富士野とヤクサ以外はあった覚えはないけれど……あら? ヤクサの友達とは会ったわね」


 トモ男のことか。

 しかしその答えは富士野の求めた答えとは違ったようで、盛大に嫌そうな顔をしていた。


「では、呪い師の弟子を探すとか吹聴しながら聞きまくった結果、つけられたのでしょうね」

「吹聴してないわよ! ちょっと、あたりに聞いてただけじゃないのよ……わ、悪かったわよ!」

「八草君」


 富士野は振り返らずに、真面目な声で俺を呼ぶ。


「俺も呪い師もね、結構有名なほうなんですよ。だから、ちょっと普通じゃないものとも知り合いは多いんです。友好かはともかくですが……呪い師からもらったお守りは持っていますね」


 お守りというと、あの小袋か。小袋ならば今日も鞄の中に入れている。けれど、今気づくと、小袋からの虫除けの臭いは弱くなっていた。


「えーと、うん……なんか弱まってる? みたいだけど」

「……そうでしょうね、嗅ぎつけられたくらいですから。家がばれるのはまずいです。近くの人気がない場所へ向かいます。火釜、貴方は呪い師を呼んできなさい。場所は」


 富士野が歩きながら指を空で指した。空にくるくると砂のような粒子が舞って羽根の突いた小さな目玉が出てきた。


「これが案内します。なるべく急いだほうがいいでしょう。怖い目にあいたくなければ」

「……分かったわ。その、ヤクサ、悪かったわ。富士野がいるから大丈夫だとは思うけど、ごめんなさい」


 しゅんとした火釜さんが軽く頭を下げて、目玉と消えた。


「瞬間移動……?」

「彼女は仮にも魔女の姪ですから。身を隠す道具くらいは持っています。問題は八草君、きみです」


 早足で歩く富士野に小走りで付いて行く。


「八草君は結構度胸があるほうだと信じて、堪えてもらいます」


 富士野が目指したのは、作業中止をしている工事現場だった。

 この工事現場にはビルが建つ予定なのだが、予算が間に合っていないとかで進行がとてもゆっくりなのである。いつ出来るのだろうかと住民の間で色々言われている土地だ。もっぱら現在は肝試しとかでよく使われるスポットとなっている。


 時間はいつの間にか17時となっていた。

 17時に流れる有線放送から夕焼け小焼けの音楽が流れている。

 臭いは、どんどんとこっちへ向かってくるようで、正直隣にフローラル芳香漂う富士野がいてほっとした。


 鼻が曲がりそうなくらい、嫌な臭いのそれは、猛烈な勢いで現れた。


 四肢で地を蹴る音を響かせ、やってきたのは動物らしきものだった。

 中型犬の成犬ぐらいの大きさで、凄いスピードだったからよく見えない。こちらへ勢い良く突進してくるのを、富士野が小走りで捕まえた。

 富士野のおかげで、飛び込んできた形がよく分かった。犬のようなものだった。

 顔面がケロイド状にただれていて、口だと思われる部位からは泡が吹き出している。

 怖い。心臓がばくばく鳴っている。

 足が竦みそうになるが、富士野の顔を見て少しましになった。

 富士野は捕まえた犬のようなものに、腕を千切られそうなくらい噛み付かれているのに、全く堪えた顔をしていないのだ。


「八草君。大丈夫。まだこいつは小手調べでしょうからね」


 そのまま犬らしきものをもう片手で掴んでひねって回した。

 粘土細工のように犬のようなものの首が回る。

 ぐろい。

 ぐろいと言えば、富士野の腕だ。はっとして富士野の噛まれた腕へ向けて、持っていたジョウロを向けた。


「ああ、大分混乱しちゃいましたか。大丈夫ですよ、気持ちだけで」


 富士野が軽く笑って腕を振る。二回三回振ると、腕は全くの元通りになった。


「富士野さん、この、こいつ」

「そうですね、こいつに向かって力を使ってみてはどうでしょう?」


 どうでしょう、じゃない。会話になっていない。

 富士野の言葉に俺はきっと途方もない顔をしたに違いない。富士野は俺を見て「ふふふ」と笑っている。


「物は使いようと言ったでしょう。ほら、過ぎたるは及ばざるが如し。過ぎた回復は毒になりますからね。怖いなら俺が抑えておきますから」


 富士野はそういって、足で犬らしきものを押さえつけた。

 本当にやっていいのか。

 そろそろとジョウロを向けてみる。

 本当に、大丈夫なのか。抑える富士野を見るが、富士野はガラス細工みたいな目を下の物体に向けている。

 こわごわと念じそうになったとき、鞄からぷんと臭いがした。

 虫除けの、香り。それから、嗅ぎなれた、香りが。


 ナヨ。


 同時にぱこんと音を立てて頭を軽く殴られた。


「お前にはまだ早い」


 向けたジョウロを、手で下げられた。

 ナヨが、横に立っていた。その少し後ろでしゅんとした火釜さんが立っている。


「すすんでやるようなことじゃない。不死身の」

「おや、早かったですね」


 富士野が犬らしきものから足をどけて、こっちを振り返った。


「道具をあつらえたのは大目に見てやろう。コンロ、手を貸せ」

「はっ、はい!!」


 ぴしっと直立不動で応える火釜さん。ナヨの渾名はよくわからないセンスだ。きっと、炎を出すからコンロとつけたのではなかろうか。


「ナヨ」

「お前はもう少し下がっていろ。あとこれ持っとけ」


 ぽいと手の中に、いつぞやナヨが編んでいたミサンガのようなものが渡された。説明を聞こうとしたが、しっしっと手で追いやられたので、大人しく下がる。

 言うとおりにしたほうが正解なのだ。今は。

 ナヨが来たことによる安堵感で一杯だった俺は、一息ついてミサンガを握り締めた。


「不死身の。あといくつ来る」

「今回は小手調べっぽいので、次で最後じゃないですかねえ」


 虚空に視線を向けて富士野が応えると同時に、入り口から今度は飛行物体が来た。


「ほら来た」


 遠めで見るからよくは見えないけれど、こうもりに似ている。恐らくこれも、さっきの犬らしきもののように恐ろしい容貌をしているのだろう。

 こうもりらしきものは飛んでくると、キーキーと甲高い音を発した。

 数体ならまだしも、相当の数だ。

 まず火釜さんが、あのポーチを開いた。

 場所がずれる。


「おい、捕まえておけ」

「人使い荒いですねえ」


 富士野がちょいちょいと指を動かすと、半透明の壁みたいなものがドーム上に広がった。


「あれが……」


 これが富士野が言っていた富士野の力の1つ、構築なのだろう……と考えたところで、富士野の力の名称が言えないことに気づいた。

 ぱくぱくと空気が口からもれるだけ。

 考えられるのは、富士野が何かをしたのだということ。「内緒ですよ」と指を向けられたあの時か。漠然と考えて、やはり富士野は得体が知れないと静かに鳥肌が立った。

 ふと、一際大きく鳴いたこうもりらしきものの音がびりびりと耳に入ってくる。

 ナヨは数歩前に出て、愛用のお玉を向けて、お玉で何かを掬って、投げつける仕草をした。

 その直後だ。

 こうもりがつぎつぎにぱたぱたと地面に落ちていった。


「ああ、オッラ素敵!」


 ポーチを抱えて火釜さんがきらきらした眼差しをナヨに向けているが、ナヨはいったい何をしたんだ。

 ナヨはパンと手を打って、今度はタベルを呼び出した。


「タベル、食べてよし」


 そう言うと、タベルはすいーっとこうもりらしきものの山へ飛んでいって浸透するように包み込んでいった。包み込んだ先からどんどんと消えていっている。


「終わったぞ」


 ナヨが言うと、火釜さんがまたポーチを開閉して場所を戻した。

 あたりがすっかり元通りに、犬らしきものもこうもりらしきものも消えたのを見て、俺はナヨへと近寄った。


「ナヨ、一体何をしたの」

「力を受け取って、苦手なものを付与して返した。お前に分かりやすく言うならカウンターだ」


 俺の前に立つナヨは、若干困った顔をしていた。


「ヤクサ、今後こういうことはないとは言わない……今日は疲れたろう、帰って寝るといい。また明日、落ち着いたら顔を出せ」


 どこか切り離す言い方をしてナヨは背を向けた。


「あ、ナヨ。このミサンガ」

「それは持っておけ。ゆっくり休め」


 ナヨは振り返ることなく言って、そのまま消えた。富士野がそれを見て頬をかいた。


「おや……ちょっとまずったかもしれません。うーん、八草君ちょっと俺も離れます。今日はもう安心して帰って大丈夫ですからね! さびしいでしょうけど、我慢してくださいね」


 俺に手のひらを振ると、さっと塵になって富士野も消えた。俺としては富士野と離れられて、少し安堵した。害はないとは思いたいけれど、信用するに足りない。

 必然的に残ったのは俺と火釜さんだ。

 火釜さんは決まり悪そうに俺のほうを見て、眉を寄せた。


「ねえヤクサ、私オッラに怒られたわ……私、大分考えなしだったわ。会おうとすることに一生懸命で……言い訳ね。ああいうこと、したことないのだものね……ああもう! 私、まだるっこしいの苦手なの! そんな情けない顔しないでよ! また、会えたら仲良くしてあげてもいいわ! って違う、違うのよヤクサ。えっと……そう、気持ちを切り替えてまた話しましょうねってことで……わ、私帰るわ!」


 一気に言いたいことだけ言うと、火釜さんは何故かぷりぷりしながら、消えた。

 手に残されたミサンガと、握られたジョウロを見る。

 ナヨの言うとおり、今日遭ったことは暫く忘れられそうになかった。

 ぼんやりと家路に着きながら帰れば、倒れるようにベッドへ向かった後の記憶がなかった。


 その日は、夢を見なかった。

 見なくてほっとした半分、ちょっとだけ不安になった。



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