テスト用紙の裏はよく迷路になる
2023/08/17…全体的に修正
このようなことがあり、今マリオンは抜き打ち、突然すぎる中間テストを行っていた。
テストは半分はできた。その半分は成人している者からすればキョーヨーみたいなものだった。座学が苦手だったとしても生活上必要なものだから、少し悩めど解けない物ではない。
問題は残りの半分だ。
魔術の呪文はどうだった。問題として出ている魔術は普段短縮してしか使っていないから覚えていない。
魔術陣の基本中の基本―結界―、て何だっけ。普段使わないからわからない。
池の周りをジョン君とボブ君お互い逆方向に、しかも異なる速度で走り、一定時間の間に何回すれ違うのか。何故これを求めなくてはいけないのか。そんなことが気になるなら、もう一緒に走ってよ。わからない。
わからなさすぎてペンを持て余したマリオンは、無意識のうちにテスト用紙の端の空白に迷路を書き始めた。マリオンが得意だった地図製作技術を駆使して作られたそれは非常に細かく、難解だ。
テストよりも迷路作りに集中し始めたマリオンは、せっせと線を足していく。とうとう表面だけでは足らなくなり、裏面に入った。真っ白な紙は、まさに未開の地だ。
――――ピピッ、ピピッ。
「できた!」
機巧式時間計測器が鳴ると同時にマリオンは声を上げた。超難問、しかも美麗で、遠くから見れば有名なあの絵画にも見えなくない、そんな迷路を作り上げたのだ。
「時間通りだな。思ったより静かにやってて…………おい、これはどういう意味だ?」
隣の席で高等科の女子生徒に難しそうな魔術式を教えていたギルバートは、マリオンの声を聞きつけて戻ってきた。満足気な表情のマリオンを見て「手ごたえがあったのだろう」と教師的な発想で答案用紙を受け取ったギルバートは、そこに描かれた落書きを見て固まった。そしてミレディの氷の魔法よりもはるかに冷たい視線をマリオンに向ける。
「『花と乙女』風凶悪迷路! 久しぶりに良いのが描けたな~。やっぱりテスト用紙は違う」
「テストだ、ということは覚えてたんだな」
痛む頭を押さえながら、ギルバートはマリオンの答案の丸付けをした。一応半分は解いてある。答えも、文字の綴りが少し危ないところがあるが、まあ許容範囲だろう。
問題が残りの半分だ。
「……お前、魔術使って生きているんだから、これくらいの呪文や魔術陣は覚えておけよ」
「覚えてなくても使えるもん。ほら」
そう言ってマリオンは無詠唱で掌に魔力の塊を出した。魔術を習う者が一番初めに覚える―純矢―、それの発射を指示する前の物だ。
この―純矢―は無属性なので、属性をつけるややこしい呪文を使わないで使える。しかし攻撃魔術なので失敗し、暴発してしまえば当然怪我をする。入学したての生徒ならかすり傷ぐらいの威力で済むのだが、「魔術を何でもできるすごいこと」ぐらいにしか認識できていない子供が、使い方次第でとても危険なことになることを身を持って体験させることができた。魔術の教え手たちにとっては一石二鳥の魔術であった。
「こういう場所で使うな。お前のはやたらと威力が高いんだから、万が一があったらどうするだ。たく、ちゃんとできたらここの新作ケーキでも奢ろうかと思ったが、この調子ならお預けだな」
「新作、ケーキ……いやいや、そんなことには釣られない。どうせ、その後に補習プリントでも出すんでしょ?」
「奢る奢らない以前に補習プリントは出すつもりだったぞ。まだ試作段階だが、お前が分かれば生徒たちは理解できるだろうから」
「人を最低基準に。しかもギルの生徒って初等科じゃ……!」
「だってそうだろ? 昔、先生が嘆いてたぞ。お前とイェーナは平均点をはるかに下回る結果だった、それで注意しても一向に良くならないって。頭の良い幼馴染だからってお前らの補習に付き合わされた俺の身にもなれ」
「自然に自慢を混ぜないでよ! げ、芸術の授業なら成績勝ってたよ! ギル音痴だし楽譜読めないし、絵は前衛を通り越して相手の後衛にまで突っ込んでたし! 家庭科の調理実習だって、火力強過ぎて全部焦がしたし!」
「別に芸術なんてできても、生活には必要ないだろ。お前の方が必要な知識だ。まあ、あの調理実習は悪かったが……とにかくだ。これ、ちゃんとやれよ? ヒント見てわからなかったら教えるから」
そう最後に優しく言い、ギルバートはマリオンに十数枚のプリントを渡した。書かれているのは全然わからなかった数学と魔術座学、それから一枚だけ文字の綴りが入っている。
「この量、今やれって言うの!?」
マリオンの抗議虚しく、ギルバートはほかに解説を求めてきた生徒の方を教え始めた。彼が生徒に教える様子を見る限り、彼が人気ある先生だということはよくわかる。丁寧にわかりやすく教えているし、ちょっとした雑談や相談にも乗ってくれる。
もっともマリオンにとっては最悪な先生だがな。けっ。
「何でこんな……」
目の前に積み上がるプリントを見つめ、マリオンはまた後悔した。この歳になって初等科の問題に手こずっている大人が生徒に交じっているのだ。しかもさっき、公共の場だというのにいつものように声を上げて喧嘩した。学院内でも人気のあるイケメン先生と。周りの人の視線がすごく気になる。誰かに見透かされているような、それでいてまるでクモの糸に絡まったような感覚に、マリオンは動けない。
「仕方ない、やるかぁ……て、芸術は必要ないって言いながら、絵描いてるじゃん」
プリントには問題を解くためにヒントを喋っているらしいキャラクターがいた。だが言っての通りギルバートの芸術感性は皆無だ。付き合いの長いマリオンだからコレがキャラクターであるというのが辛うじて分かるというのに、丸や四角などの図形で描かれたソレは、はたして子供たちに受けるのだろうか。いやバカにされそうだ。目の肥えた今の子だったら、これはただのミスプリントである。
問題よりもそっちが気になったマリオンは、その可哀そうなキャラクターの隣に子供受けしやすいだろうイラストを描いた。ギルバートに似せて、しかしギルバートよりも賢そうで可愛いチビキャラを描くのだ。名前は……先生の双子の弟、アルバート君にしておくか。
ポーズの違う何体かのアルバート君を描き終ったマリオンは満足し、声を出しそうになったが間一髪で飲み込んだ。これでギルバートに気付かれ、また怒られるのは嫌だ。
早くプリントを終わりにした方が良い、そう思ったマリオンは気を引き締めプリントに向かった。絵はともかくヒントは的確でわかりやすいから、確かに勉強しやすい。
調子よく一枚目を終えた。マリオンが次のプリントに移ろうとしたとき、その声はかかった。
「あら、あらあらあら、これはマリオン・ブレッカーさん? 御機嫌よう」
顔を上げなくてもわかる。一声聞いただけで背筋が凍るようなトラウマがマリオンの脳内に蘇った。そんな悪趣味な術を使える人なんて、マリオンの記憶の中には彼女一人だけだ。
目線をプリントから外し見上げると、大勢の配下を従えた美女、コーネリアが立っていた。
「……ご、御機嫌よう。コーネリアさん」
いつになく真面目な口調でマリオンは返した。
コーネリアがギルバートを好きで、彼と仲の良い幼馴染たち、とりわけマリオンを嫌っていることは、当時の生徒たちの間では周知の事実だった。だが先生方にまでそれが伝わっているわけではなく、マリオンが学院を卒業するまで嫌がらせは続いていた。そんな過去の記憶――数々の悪口、ノートや教科書、机への落書き、所持品の紛失、上から植木鉢が降ってくる、冬の冷たい川に突き落とされた、など――から、彼女の不評だけは買いたくないのだ。
戦々恐々とするマリオンとは反対に、コーネリアの表情は怖いくらいの笑顔だ。すでに機嫌が悪い。なんたってマリオンは彼女が好意を寄せるギルバートと手を|掴まれ引きずられながら《なかよくつないで》カフェに来たし、仲良く勉強させられていた。
「いつもよりカフェがうるさいと思ったら貴女が来ていましたのね。ほんと、昔から変わらず騒がしい人たちだこと。平民には公共でのマナーがなくて?」
「あ、はあ、すみません」
一体この中で何人の人間が「お前には言われたくないわ」と思っただろう。そしてその大半は女子だ。男たちはちらちらとコーネリアを覗き見ている。
世の中には女子にも人気な美女はいるが、あいにく彼女はほとんどの女子から良く思われてない。彼女自身が女子と仲良くしようとは思ってないからだ。彼女は一応教師なのだが、それは大丈夫なのだろうか。
「あら、こんなところで何をしているかと思えば初等科の補習プリント? マナーだけでなく学力もないのね。落書きまでして」
「……その絵はギル、バートが描いた物ですが……」
批判も、描いた人が狙っている相手だとわかれば、一転して内容を変える。
「趣があっていい絵ね。こっちのは可愛らしくて」
「……そっちのは、私のですが……」
「ふん、品のない絵。こんなものでギルバート様のプリントを汚すなんて!」
やはりマリオンのモノは認めない。それからもぐちぐちと嫌味を言われる。
「人前に出るのに化粧をしていないなんて、あらナチュラルメイク? 薄くてわかりませんでしたわ。倹約家なのですね。女性ならもう少し身だしなみに気を使った方がよろしいですわよ。でもまあ、その余裕がないから倹約しているのでしょうけど。香水は珍しい物を使っているみたいですがね。それに」
「…………それくらいにしてくれませんか、コーネリア先生。マリオンだけでなく、ほかの生徒たちにも迷惑です」
一向に減らないマリオンへの悪態に、しびれを切らしたギルバートが割り込んできた。自分が庇えば場が余計にややこしくなることはわかっているが、それでもマリオンの俯き気味の様子を見れば庇いたくもなる。
マリオンは自分に影がかかり、コーネリアの声が少し遠くなったことに少し安堵した。顔を上げなくてもわかる。ギルバートが盾になってくれた。コーネリアの機嫌はさらに悪くなるだろうが、少しでも彼女の威圧を避けられることで、マリオンは安心できる。
「まあ、ギルバート様。それは酷いですわ。あたくしはただ、この方に身だしなみの大切さを教えていただけですのに」
コーネリアは自分は悪くないかのように行為を正当化した。ちょっと瞳を潤ませ、自慢の胸を強調するような上目遣いでギルバートに迫る。取り巻きの男どもはその姿に少しドキッとした。
「度を越した物は指導じゃない、ただの当てつけです。それに他人がほかの家の事情に口を出すのは、道理に欠ける」
しかしそのコンボのメイン対象であるギルバートは全く動じない。むしろ腹立たしさを増したようだ。
わざとか気付いていないのか、どんどん低くなるギルバートの声を気にすることなく、コーネリアは彼を艶やかな瞳で見つめている。反論はできないが、色気で我を立てたいのか。
居たたまれなくなったマリオンは少しずつ後ろに下がっていた。逃げたい心境に襲われる。
――――ッ!!
突然校内に通常放送とは違うアラームが流れた。それは学院内外で緊急事態があった時に鳴るモノであった。
『――月陰棟から未確認の魔法生物が逃げ出しました。外にいる生徒、一般の方々はすぐに近くの頑丈な建物に避難してください。先生方はそれぞれの担当場所に向かって下さい。繰り返します。月陰棟から――』
実にタイミングのいい放送だ。マリオンはそう思った。
(これでこの場から逃げられる。それに倒せばいくらかの報酬が)
マリオンは小さく―加速―の魔術を呟いた。なるべく早く逃げ、早く手柄を取りたい。
「おい、マリオン!?」
マリオンの声を聞き、その先の行動を読み取ったギルバートは慌てて振り返った。危険な目には合わせたくない。
しかし振り返ったところで、もうすでにマリオンの姿はなかった。ただ外へと通じるカフェの扉が開け放たれているだけだった。