バカップルのケンカほど巻き込まれたくない物はない~後編~
2023/08/17…全体的に修正
スフィアから場所を聞き、まんまる鳥の棲み処から移動する。例の水浴び場は十数分歩いた所にあった。
幅は二百メートルくらいの泉で、水は下から湧いているらしい。中心部は深そうだが水際は浅い。スフェアが言っていた通り魔力の集まりも良く、周辺には実の成る木や昼寝に良さそうな草地もあり、居心地は良さそうだ。余裕があればひと泳ぎでもしていきたいような場所だ。
だがそれも遠くから見た場合だけ。近くに寄れば、泉には幾重にも透明な糸が張り巡らされているのがわかる。外敵の侵入と獲物の自由を阻む罠が泉いっぱいに張り巡らされていた。糸につく水滴がなければ、ここに水グモの糸があるとはわからなかっただろう。
「ミレディ、触らないでね。こう見えて粘着力はすごいんだから。一瞬で捕まって、水中に引き込まれて、いただきます」
「さ、触りませんわ! 絶対に!」
水グモはその名の通り水辺を棲み処とする。水を飲みに来た生き物たちを見えない糸で捕まえ水の中に引き込み、溺死させることで彼らは餌を得ていた。水中に引き込む際に粘着力が消え、獲物に逃げられては意味がない。そのため水グモの糸は水につけたくらいでは消えないほど強力な粘着力を有していた。
「それで、どうしますのマリオンちゃん。水グモを退治するにはまずこの糸を対処しませんと」
「うーん、弾力もあるから切っても切れないし。てか触れた時点で中に引きずりこまれそうだし。魔術で一掃するしかないかな。持って帰って加工すれば結構高く売れるから、なるべく持ち帰りたいんだけど」
水グモの糸自体には防水効果があるため、傘や雨合羽、水着、軽い水筒や水を弾くバッグなど幅広い製品の材料になっている。今目の前にある糸から推測して、最も高く売れるバッグを三十個は作れる。それを売れば一ヶ月はちょっと遊んでても暮らせるだろう。貯金がゼロになったから貯金しないとなんだけど、それでもいくらか余裕は出る。
「マリオンちゃん、目がゴールドでしてよ」
指摘されマリオンは目をこすった。
別にマリオンは金の亡者ではない。ただ定職についていなく毎月決められた給料が入るわけではないから、少しでもお金が欲しいだけなのだ。貯金ゼロになったし。
「魔術で一掃ということは、炎系の魔術ですの? わたくしは使えませんけど、たしかマリオンちゃんは使えましたよね?」
「使えるよ、うん。でも水グモって炎耐性があるから最低でも中等以上じゃないと効かないんだ。私が中等以上の炎系魔術使うと、ミレディ、どうなるかわかるよね?」
「この泉が干上がってしまいますわね」
マリオンは炎系の魔術が合わなかった。いや、合うには合うのだが、風属性が強いマリオンの魔力は想定以上に炎の威力を高めてしまうらしく、初等魔術ならまだ何とか使えるものの、中等以上を使うと必ずといっていいほど暴走する。中等の中で一番低レベルでも、ミレディの言う通りこの泉を一瞬で干上がらせるほどの威力を有してしまう。
炎系ならアイツなのだが、別に今は関係ないし。
「風系魔術で切れなくはないけど、糸が飛び散ったり変に固まったりで大変になる」
「そうなのですが……あとはわたくしが水系魔術を使えますが、水なんて、水グモの専門そうですし。……あ、これならどうでしょう!」
何かに気付いたらしいミレディが、顔を輝かせてマリオンに聞いた。
「氷系魔術を使って水グモの糸を凍らせることはできませんの? 氷系なら十位まで覚えましてよ」
魔術は各属性とも難易度がある。日常では学園で習う順に初等、中等、高等という大まかな分類で括っているが、難易度で分けるなら十五位――十五段階あるのだ。一番簡単なのから一位、二位と区別されている。十位は中等魔術の中でも最高威力のモノである。
ちなみに最高難度の十五位は、人の一生で学ぶのは余程の才能と努力と魔力がないと使えないと言われている。使える人間がマリオンたちの周りに二人ほどいるが、普通は出会えない伝説的な存在だ。
「十位なら充分凍らせられると思うよ。でもこの泉の糸を全部凍らせるには相当の魔力がないと」
「それはマリオンちゃんからお借りしてもよろしいですか?」
「……そうだよね。『純十二位の流、同士との分け合い―魔力共有―』」
マリオンの詠唱に反応して、彼女とミレディの左手の甲に同じ魔力の紋様が浮かび上がった。
「これで私の魔力、使えるようになったから」
―魔力共有―はその名の通り、同じ紋章のある者と魔力を共有する魔術だ。魔力量は使用者に依存するため、魔力バカのマリオンが使えば誰でも半無限的な量の魔力を得ることができる。
「ありがとうございます! では行きますよ。……『氷十位の場、冷たき洗礼―吹雪―』!」
唱え終わると同時にミレディの周りに冷たい風が吹き荒れる。慌ててミレディの傍、魔術の範囲外に入り、マリオンは外の様子を確認した。
―吹雪―は瞬く間に泉を覆っていく。白く染まった視界は、見ているだけで凍えそうだ。
「くっ……!」
ミレディが必死に魔術を制御しようと集中する。
「そういえばミレディとは初めてだっけ、―魔力共有―」
―魔力共有―は他人の魔力を使うわけだから、自分のを使うときとは違和感を感じる。高レベルになればなるほどその程度は強くなり、魔術は操りにくくなる。初めてで十位の魔術はきついかもしれない。
「こ、これで全部は凍らせられたかしら」
「大丈夫?」
何とか暴走させることなく魔術を使い終わったミレディは今にも倒れそうだ。マリオンが支えると、だが彼女は嬉しそうに笑った。
「ええ、今はとても嬉しい気持ちでいっぱいですわ。わたくしずーっと―魔力共有―していただきたかったのに、ユウ様がなかなか許してくださらないから」
「ま、まあ、使わないに越したことはないないけど……」
「わたくしだって、みなさんと一緒に戦いたかったんですもの」
「うっ」
うるうるした目で見つめられ、マリオンは言葉に詰まる。
元々生粋のお嬢様で、かつ途中から過保護なユウの恋人・妻となったミレディはモンスターたちと戦い慣れていない。回復系の魔術も使えるため、みんなで冒険に行った時はいつも後衛の後衛。絶対に攻撃はされないが、前にも出られないような防衛っぷりであった。
本音を言えばミレディとも派手にやってみたかったが、ユウともう一人の判断でできなかった。正直いうと今この戦闘エリアに防御力心許ないマリオンしか居ない状況で居ることが、怖い。ユウが。
「え、えーっと、糸は全部凍ったみたい。少し休んでてね。ここからは私の番だから」
わざとらしくミレディを泉からは少し離れた木の傍に移動させる。これ以上無理をさせれば魔術の暴発に巻き込まれることも、身体を壊すことも考えられる。旦那対策だけではなく彼女の友として、そんなことはさせられない。
「わかりましたわ。ご武運を」
ミレディに頷いて水際に戻った。冷気が漂い、寒い。とりあえず風邪をひかないように気を付けよう。
マリオンは木の棒で凍った糸に触れ、感触を確かめた。張り付感じも、水の中に潜む水グモが反応した様子もない。といっても泉には―吹雪―のせいで分厚い氷が張り、水グモが自力で出てくるのは難しそうだった。
「だったら冬湖釣りでも」
マリオンは―重力緩和―をして、凍った糸の上に乗った。これぐらいの太さと強度であれば問題ない。氷の下では突然の魔術に混乱しているらしい水グモや魚の様子が見て取れた。
中心に来て、マリオンは下の氷に向けた魔導銃から弾を連続して撃った。凍った水面に穴が空く。大きさは水グモの基本体長に合わせ、直径一メートルくらい。
そして少し離れて穴の様子をうかがう。餌の位置を告げる音はさせた。これで氷の下の水グモは出口となる穴を見つけ、のこのこと這い上がってくるだろう。生からの出口だとは露ほども知らずに。
結果はすぐに出た。通常よりは少し小さめの水グモが次々と出てくる。普通に大きいクモは気色悪いが、水グモの何も隠さない透明な身体も加わり、見た目は余計に気色悪い。
「……早く済まそう」
言うよりも早くマリオンは魔導銃の引金を引いた。得意属性である風と―攻撃力増加―の魔術を付与し、穴から出てきた水グモを一体ずつ倒していく。
「――――百五十三、百五十四、百五十五…………終わったかな?」
「お疲れ様です」
単純作業だが、同じ場所に向けて同じ体勢で撃たなくてはいけないので変な風に疲れた。寒さも相まって肩が凝った気がする。
休んでいたミレディは氷が溶け始めた水際まで来ており、そこから問いかけてきた。もう体調の方は良いみたいだ。
マリオンは頷いてから、撃ち殺した水グモに近付いた。短剣で腹部を切り裂けば、中から粘着性の強い糊状のモノが出てきた。糸のもとであるこれでは布を作ることはできないが、既製品に塗布すれば同じく防水効果を得られる。他の材料費やらなんやらがかかるが、百五十五匹分の量が手に入るのでそれほどの差はないだろう。
全部の腹を裂き回収していくのは骨が折れるが、まだ日も高いし問題ない。まんまる鳥の棲み処までの道には凶暴なモンスターの気配はなかったので、ミレディには棲み処に戻って依頼完了の報告をしに行ってもらえれば時間も潰せるだろう。そのまま卵をいただいてきて、帰り道で合流すれば良い。マリオンがお茶の淹れ方を習えなくなるが、場所も覚え時間もある身なのでまたあとで来ればいい。
「ミレディ、私ここの素材採取って行くから、先にスフェアさんたちのところに戻って――ッ!?」
「マリオンちゃん!」
ふいに水面下の強烈な動きを―感知―し、すぐさまマリオンはその場所から飛び退いた。ミレディの切羽詰まった悲鳴と、氷の割れる音が混ざり合う。
水グモの死体が割れた氷の下に落ちていく。死んだ水グモは水に浸かればすぐに溶ける。取り損ねた良素材にマリオンは落ち込んだ。
だがすぐに意識は変わる。氷の隙間から現れたのは通常サイズとまんまる鳥スフェア並みの巨体である水グモ二匹だ。
「もしかして親?」
思い返せば、水グモが集団で居ることは少ない。あの小さかったのは孵ったばかりの子供で、今出てきたのは親か。
二体はマリオンとミレディ、別々に襲ってくる。巨体の方がマリオン、通常サイズの方がミレディだ。
通常サイズの動きは思ったより速い。特異種かもしれない。ミレディとの間に割り込もうとするが、ほんの少し間に合わない。
「ミレディッ!!」
「……問題ない」
第三者の声がした。その途端、通常サイズはミレディとは正反対に吹っ飛ばされた。その衝撃は飛んで行った方の木が数本薙ぎ払われるほどの威力だ。
それほどの威力を持ち、ミレディを真っ先に救おうとする人物をマリオンは知っている。
「ユウ様……」
ひょろりと縦に長い青年がミレディを庇うように立っている。それは彼女の旦那で、普通今の時間なら孤児院の庭先で子供たちと遊んでいるはずのユウだった。
突然の乱入者に驚き、もう一つの可能性とこれから起こるであろうことを考えてしまい足の止まったマリオンに、好機と見た巨体が迫り来る。
迎え撃とうと魔導銃を構えたが、それより速い斬撃を巨体に加えた人物が一人。
男は火属性の魔術を宿した長剣で巨体を叩き斬った。一撃で水グモ巨体バージョンを真っ二つにできる剣士はそれなりにいるが、ユウと共に現れる人物はアイツしかいない。
「ギルバート、仕事は?」
「……まずする質問がそれか」
長剣を収めた男、ギルバートは呆れたように前髪をかき上げた。
「いやだって、学院の先生がこんな時間にこんな場所には普通いないでしょ」
「それは嫌味か。俺の担当は初等科で、すでに授業は終わっている。―転移―使ってここまで来たから時間もかからない。それに正式なギルド依頼だ。抜けても問題はない」
“ギルド依頼”。簡単なお使いから邪竜退治まで、いろいろな依頼を取り扱う労働組合はマリオンもお金稼ぎのためによく使わせてもらっている。そこ経由で出された依頼というわけだ。彼が勤める魔術学院内にも学生(や教師)の小遣い稼ぎや実地訓練のために支店が置かれていた。ギルド依頼なら特別許可が出て欠席しても文句は言われないから、学院支店から受けて来たのだろう。
ちなみにこの場所は、来る時たまたま会った隣の家の奥さんにもしもの時用に伝えていたので、彼女から聞けばわかる。
「……早く会いたいからって、わざわざ依頼出すんなら初めから喧嘩しないでよ」
依頼するのだって無料ではない。
「それは同感だが。それよりもお前、まだ怪我は完治していないだろ。どうして戦闘をしている?」
藍色の瞳でギロリと睨みながら、ギルバートは問いただしてくる。マリオンがこの間のミノッコ狩りで負った骨折はまだ治っていない。医者にも「まだ安静にね」と一昨日言われたばかりだ。
「流れ?」
「少しは断ることを覚えろ」
「断る」
「使い所が違う!」
一喝された。
ギルバートはため息をつくと、マリオンに着ていたコートを被せた。
「なっ」
「こんだけの氷の魔術の範囲に居たのなら、冷凍庫の中に篭っていたのと変わらないだろ。寒そうだから着てろ。少しはマシだ」
そのまま背を向けミレディ達の方へ戻ろうとするギルバートの後を、マリオンはコートを握りしめ追いかけた。嬉しいわけでなく、落としてクリーニング代を出せと言われるのが嫌なのである。別に嬉しくはない。
内部を快適温度にするための魔術が編み込まれているコートは確かに暖かい。毎回一着くらい買おうかなと思うが、結構なお値段なんで庶民には辛い。自分で作ろうにもかなり精密な魔術が組み込まれているので、失敗して爆発するか灼熱か極寒かになるのが目に見えているので、やらない。
「マリオンちゃん、ギルさん、大丈夫?」
「問題ないが……お前たち」
元の位置に戻り、寄り添うミレディとユウを見て苦笑いする。すでにもう仲直りをしてしまったようだ。
ギルバートも何か言う気はなくなったらしい。
「わかっていますわ。もう“目玉焼きに何をかけるか”では喧嘩しませんわ。ね、ユウ様!」
「……ああ」
「そんなことで家出するほどの喧嘩したの!?」
「ええ、そうですけど……?」
不思議そうに首を傾げるミレディに、マリオンは頭が痛くなった。もう、家に帰っていいだろうか。
「そうそうマリオンちゃん。もうわたくしユウ様と仲直りしてしまって、よかったらマリオンちゃん、まんまる鳥様の卵いただいてくださいな」
「え」
「お伝えしてきますね」
仲良く手を繋いでまんまる鳥の集落へ向かうバカ夫婦に、巻き込まれた彼らの親友二人は取り残された。
「ここまで来て、水グモ退治までした意味は……」
「俺たちも行くか」
「待って、あの二体の水グモから採取って来るから」
「勝手にしろ」
レア素材なので、マリオンは意気揚々と水グモの糸の元を回収した。
まんまる鳥の卵は、帰宅した後でマリオンとギルバートによって美味しく頂かれた。
だがお腹は一杯になっても、彼らの心に残された一部の虚無感は満たされなかった。
満たされていたこともあったが。