邂逅 1部 Phase3
院長室――
豪奢な応接セットが中央に配置されて、両側の壁には本のぎっしり詰まった重厚な棚が並べられている。
窓際には繊細な彫刻の施された黒檀の机と黒革張りの椅子が置かれており、それを挟むようにして二人の人間が立っていた。
そのうちの一人は、上質な仕立てのグレーの背広に身を包んだ五十絡みの恰幅のいい男で、手入れの行き届いた立派な口ひげを蓄えている。
男――この学院の院長でガストンという―は、今一人の人物に背を向けて、後ろ手に腕を組んでいた。
「ラ・リューヌ・フォルチュンヌ君……」
ピクピクとこめかみを引きつらせながら、震える声を無理やり押し殺して院長が尋ねかけてくる。
「君は学内への持ち込みを禁じられたあるもの(、、)を所持していた……間違いないかね?」
「……はい、間違いありません」
一見しおらしく――その実、明々後日の方向を向いて答えるリューヌ。
そんな彼女を、横目でじろりと睨みながら院長は続ける。
「そのもの(、、)のために、君はわざわざ古式に則り、火と水の精霊を招喚してお湯を作りだそうとした。
――ティーポットにたくさんのお湯が保温されているにもかかわらず……だ」
院長は ゆっくりと振り返り、より一層声を低めて問いかける。
「……何故、そのようなことをしたのかね……?」
「王立魔法学院の生徒として、常日頃から魔術修行の研鑽に励むのは、ごく当然の事だと思いますが―」
あらかじめ答えを用意していたかのように、しれっとした調子でリューヌは答えた。
――が、もちろん建前に過ぎず単なる好奇心のなせる技である。
バン――ッ!!
両手をはげしく机に叩きつけ、院長が吼えた。
「たかがカップラーメン一つを作るのに、火竜を呼び出し、校舎を半壊させる必要がどこにあるのかね――っ!!」
肩で荒く息をつき机から身を乗り出して睨みつける院長。
そのド迫力に、思わずリューヌは仰け反った。
そして院長の怒気を押さえ込むかのように無意識に両手を上げ、
「まあまあ、落ち着いてよ、パパ……あんまり怒ると、また血圧が上がるわよ」
強張った笑みを浮かべて、必死に宥める。
リューヌが騒動を引き起こすたびに院長の血圧は上昇の一途を辿っている。
このままいくといつかプッツンするのではないか…と、娘としては心配しているつもりなのである。
――しかし、そう思うなら問題を起こさなければよいだけなのだが、その点には思いは至らないらしい。
「……学院内では院長先生と呼びたまえ。公私混同してはいかん」
いくぶん落ち着きを取り戻した院長が、じと目で睨みつけながら言うと、リューヌは
「はぁ~い……」と気のない返事を返した。
「まったく――終業式が済んで大半の生徒が帰宅していたからよかったものの……
一歩間違ったら大惨事だったんだぞ。」
ドスン…と倒れ込むように回転椅子に座り込む院長――
段々と薄くなってきた髪を掻き毟りながら、背後の壁に掛けられた楕円形のクリスタルフレームに向き直った。
――そこには、二十代後半と思しき女性の上半身の立体画像が映し出されていた。
王家に伝わるティアラに飾られた髪は幻想的な虹色の輝きを放ち、落ち着いた微笑を浮かべたその姿は気品に満ち溢れている。
視線を娘に戻した院長は、大きなため息をつきながら放心したようにこぼした。
「――どうせ名前負けをするのなら、もっと徹底的にしてくれたら良かったのに……」
……ぴくくっ……
ボソッと呟いた院長の言葉に顳顬を引きつらせるリューヌ。
全身から怒りのオーラを立ち上らせて―単なる比喩ではなく、怒りのため魔力制御ができなくなっているのである――父親を睨みつけた。
「……院長先生――公私混同はなさらないんじゃなかったのですか……?」
リューヌの名は、建国王ヒューベル=オウラニオイ一世の正妃であり、魔法文化の礎を築いたラ・リューヌ=オウラニオイに肖って付けられたものである。
魔法学院の創設者でもある王妃は、リューヌの直系の祖先である。
だが、数代前の当主が王位継承権を放棄し野に下ったため、フォルチュンヌ家は現在王室に属してはいない。
けれどリューヌは、虹色に輝く髪と巨大な魔力を持って生まれついてしまった。
そのため、まるで王妃の生まれ変わりであるかのように祭り上げられ、魔法文化形骸化の進行に歯止めを掛けるためのシンボルとして、期待を一身に背負うこととなった。
――だがしかし、幼少時から現在に至るまで巨大に過ぎる魔力を十分に…というかほとんど制御できずに、絶えず大騒動を引き起こしてきた。
おかげで『リューヌ』の名は、『敬愛すべき伝説の王妃』の名から『畏怖すべき破壊少女』という悪名に成り果ててしまったのだ。
何事にもあっけらかんとして気に病まない性格に見えるリューヌだが、この件に関してはいささか神経質になっている。
物心もつかないうちから、事あるごとに比較され続けていてはさすがに面白いはずがないのだろう。
「……まあ、とにかくだ――」
突き刺すようなリューヌの視線を浴びてハッと我に返ったガストンは、ワザとらしく咳払いをして強引に話題を変える。
「罰として、夏休みの間にこの《珠》全部に充填しておくように」
重々しい声でそう言ったガストンは、机の上に手提げ鞄をドサッと置いた。
開いた口からのぞくその中身は、無色透明な九つの球体であった。
《珠》と呼ばれるこの球体は、ラ・リューヌ王妃が創り出したとされる魔法具である。
《珠》は極めて小さな筐体の中に膨大な魔力を蓄積して、用途に応じた様々なエネルギーへの転換を可能とする超小型の魔力変換器なのである。
《珠》の発明により、人々は魔法の行使のために長々と呪文を唱え様々な手順を踏む必要性から解放された。
しかも全く魔力のない者でさえ、定められたごく簡単な操作によって魔法を利用することが可能となったのである。
四分五裂の混迷状態にあった中世を統一に導き、爆発的な魔法文化の発展とそれに伴う近代化を一気に推し進めた原動力は、間違いなくこの《珠》なのである。
人類の未来を切り開いた夢と希望の神具――そういっても過言ではなかろう。
「うそ~っ、こんなにいっぱい――っ!? 一個充填するだけでも結構大変なのに~~」
衝撃のあまり怒りもすっとんでしまったリューヌは、思わず愚痴混じりにこぼした。
そんなリューヌを半眼で見やり、ここぞとばかりに院長が言った。
「そう――、大変だからこそハンドメイドの《珠》は非常に高価な代物だ。
従ってこれだけあれば、君が壊した校舎の修繕費の足しにくらいはなるだろう」
ここで一旦言葉を切った院長は、机に両肘をついて指を組みその上に顎を乗せると、
「それとも……お小遣いで弁償するかね……? 百年はかかるよ……」
半眼を兇眼に切り替え陰鬱に呟いた。
「失っ礼しま~す……」
引ったくるようにして机の上の鞄を持ったリューヌは、そそくさと院長室を後にした。
ガストンは、扉の閉まる音を聞きながら緩慢に回転椅子の向きを変える。
深く大きな溜息を一つ吐くと、縋るような目付きでクリスタルフレームを見上げた。
淡く青い光を放つフレームの中では、建国王を支え魔法文化を育て上げた聖母が慈愛に満ちた微笑を浮かべている。
ラ・リューヌ様……あなたの名を戴いたあの娘に、どうか御加護を与えてください…」
そう呟く背中は、あまりにも物悲しかった。