北の森の魔女 "The Baba Yaga of the Northern Forest" -0.8
少年は走っていた。
どこに向かうのではない。ただ、その場から逃げなくてはならなかった。藪を突き抜け、斜面を転がるように降りる。息はあがり、喉はカラカラだった。それでも、走らなければならなかった。
この森に来た時には、12人の少年少女がいた。同じ格子付きの馬車に乗せられ、開けたところに降ろされたのだ。
馬車の御者は何も言わず、皆が降りると馬車を走らせて、丘の向こうに去っていった。少年たちは何が起ころうとしているのか、まったくわからずにいた。
ある少年が広場から離れたところに木箱が置いてあるのに気づいた。不安だった皆は木箱の所に集まり、自然と木箱を開けようとした。簡単な留め具でとまっていた箱のふたは簡単に開いた。
「なんだこれ……」
中には剣や斧、盾や弓などが入っていた。誰もその使い方はわからない。だが、不安が彼らに武器を取らせた。
それを待っていたかのように、広場を囲む木々の間から騎馬が現れた。鎧兜に身を包み、長い槍を手にしている。
掛け声とともに騎馬が走り、数人が対抗する間もなく串刺しになった。それを見た少年たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「あっ!」
少女の姿が消えた。彼女は自分が落とし穴に落ちたことに気づいた。だが、身体を動かすことはできなかった。穴の下には無数の斜めに切られた木の枝が立っていたのだ。それに身体を貫かれていた。
穴の上に誰かが顔をだした。兜の面防を上げ、いやらしい表情を浮かべる若い男だった。男は下卑た笑みのまま、少女に向かって油をかけ、そして火縄を投げ落とした。
騎馬に囲まれた少年が、懸命に剣を振って、攻撃をかわそうとしている。騎兵たちはそれを嘲笑うかのように、馬をくるくると回している。少年はそれに合わせてぐるぐると回る。一人の騎兵が投げ縄を放った。それが少年の首にかかる。兵は馬の腹を蹴り、馬を走らせる。
何とか広場の周りの森に入った者たちには、矢と太矢が放たれた。疲労で膝をつくと、頭上を矢が通り過ぎる。肩や腿を射貫かれた少女が転がり、そこに数本の矢が飛んだ。
それらを見た少年は走った。とにかく逃げるしかない。死にたくはなかった。
木の根につまづき、斜面を転がり落ちる。背中をしたたかに打ち、口から大きなため息が出た。息が吸えない。絶望的に空を見上げるしかなかった。
少年たちは人買いによって集められ、何も知らされることなく、そのままここに運ばれたのだ。人買いが「商品」に行く先を告げることはまずなく、その場に着いてから、自分たちの「仕事」を知るのだった。そのほとんどが、荘園の畑であった。
少年は荒く息を吐き、絶望で動けなくなっていた。自分にはもう死しかない。そう諦めの心が出てきたのだ。それはそうである。ようやく畑に出られるような歳になったが、苦しい家計は少年を家にいることを不可能にしていた。何も知らない世界に、少年は文字通り放り出されたのだ。
「……生きてるか?」
少年は頭上から声をかけられた。見上げると、薄いブロンドの髪の老女が立っていた。見たこともない服と鎧を身に着けていた。
「どこから来た?」
老女は少年を腕をつかんで引き起こすと、木に寄りかからせた。身体中を触り、少年が苦痛の声を出すとふむんとうなずいた。
「左腕の骨折と腰の打撲か……下手に動けないね。何があった?」
少年は事の詳細を話した。その間、老女は少年を薄くて銀色の布で覆い、少年に水を飲ませた。
「……なるほど」
老女は少年を抱き上げると、斜面の下、茂みの中に置いた。そこに水とパンを置く。
「明日の夜明けを待て。それまでにわたしが帰って来なかったら、今指さした方向に向かって行け」
老女は少年の手に銀貨の入った袋を握らせた。
「村に着いたら、その金を使ってどうにか生き延びろ。いいね?」
少年はうなずくしかなかった。
「じゃぁ、行ってくる」
老女は少年が見たことがない、長い武器を手に歩き出した。
「10、11。一人足りねぇ」
地面に引きずってきた死体を並べた騎兵が、銀色の鎧を着た騎士に言う。
「今回は手ごたえがなかったな。もっと歳が上の方がいいか」
騎士は水筒の水を飲み、干し肉を口に放り込む。
広場には、騎士とその仲間が6人いる。馬はそのあたりの草を食んでいる。
「武器が使えるような連中じゃないといけませんかな」
「荘園の傭兵を借金まみれにするとか。冒険者に嘘の依頼を出してもいい」
「いや、冒険者は万が一がある。魔法を使われたらこっちが危ない」
それもそうだな、という笑いが起きる。
「一休みしたら、最後の獲物を追うぞ。まぁ、クソガキだ。そんなに遠くまでは逃げられんだろう」
騎兵たちは軽食をとり、水を飲み、そこらに放尿すると装備を改めた。
「ん?」
騎兵の一人が、茂みから出てくる人物に気づいた。痩身の老女だった。見慣れない鎧に、いくつかのボウチをつけたベスト状のものをつけている。そして、手には長い木製の杖のような武器を持っていた。
老女はまっすぐ騎士たちの方に向かって歩いてきた。老女の口元から煙が流れる。騎士たちは突然の闖入者に、どう対応すればいいのか迷った。それぞれの顔を見合わせ、答えを出そうとする。
老女が剣の間合いの外で止まる。
「誰が頭だい?」
老女は煙草を口から離し、紫煙を吐く。
「何の用だ?」
騎兵の一人が絞り出すように声を出す。目の前の老女の、得も言われぬ何かに気圧されているのだ。
「話は聞いてる。人間狩りをしているようで」
その言葉に騎士のこめかみがピクリと動く。
「見れば山向こうの子爵様のようで」
老女は微かに笑いながら煙草を口にくわえる。
「あんたぐらいの地位にあれば、人の命なんざ、虫けら同然だろうけど。さすがにこればっかりは見過ごすわけにはいかないんでね」
「では、どうするのか?」
子爵が何とか威厳を保った声で言う。老女は子爵を見、仲間の6人の騎兵の顔を順々に見回した。
「わたしが狩りをする」
老女は手にしていた武器を素早く肩づけすると、引き金を引いた。爆発音と金属音が鳴り、一人の騎兵の鎧の胸に孔が穿たれる。騎兵は衝撃で転がり、鎧の隙間から血が流れだした。騎兵は眼と口を大きく開いたまま絶命した。
「わたしは本気だ」
子爵たちは驚いた。これは魔法なのか? それとも武器なのか? こんな簡単に鎧を着た兵を屠る武器なぞ聞いたことはなかった。
一人の騎兵が剣を抜き放ち、老女へと向かった。老女は少し横にずれると、武器の先を騎兵に向けた。また爆発音が響き、鎧に孔があき、首元から血が噴き出した。
「あんたらのような騎士向きの銃弾だ。貫通するとロッドが開いて、内臓をぐしゃぐしゃにする。まず助からない」
誰も老女が言っている事を理解できなかった。銃弾? ロッド? それは魔族の言葉のように聞こえた。
「くっ!」
まず動いたのは子爵だった。馬に向かって走り、素早く飛び乗る。それを追うのを阻止するかのように騎兵たちが立ちふさがる。老女はそれらに向かって武器の先を持ち上げ、爆発音を放つ。また一人地面に転がり、自らの血だまりに沈む。
さすがの騎兵たちも勝ち目が無いと気づき、馬へと走った。飛び乗り、子爵に向かって走りだす。老女は煙草に火をつけ、スッと吸い込むとぽわんと濃い紫煙を吐き出した。そして武器を構え、最後尾の騎兵に向かって引き金を引いた。
老女から離れ、少し安心した騎兵は、背中に衝撃を感じた直後に死に見舞われた。銃弾は鎧によって外に飛び出すことができず、体内でめちゃくちゃに跳ねかえったのだ。
騎兵の身体が地面に落ち、それを横目で見た騎兵が振り返る。老女は弓やクロスボウ、魔法では届かない距離にいる。しかし、現に仲間を殺したのだ。それはいったい何なのか? そう思う間もなく、小さな炎が噴き出すのを見、そして死が訪れた。
子爵は後方で何が起こっているのか理解できなかった。噂に聞く魔族なのか、と思った。砂色の服と鎧を着、手に火を噴く武器を持つ存在。そして、ある言葉を思い出した。
『マリンコ』
幼いころ、昔話として聞いたものだ。マリンコは遠くの世界からやってきて、破壊をもたらした後に、どこかに消えた存在だと。火を噴く武器を持ち、灰色の鉄の鳥でやってくる、死の化身。
今、後ろにそのマリンコがいる。子爵は振り返ることはできなかった。振り返れば、それが自分が見る最期の光景になるだろうと。
老女はまたぷわんと紫煙を吐くと、子爵の後ろを走る騎兵の背中に銃弾をめり込ませた。馬は死んだ騎兵を振り落とし、しばらく走ると足をとめた。
「さて」
魔女はM14を構えると、子爵に向かって二発の銃弾を放った。
馬上の子爵は死神の気配を感じた。恐怖が腹の奥から湧き上がってくる。吐き気がする。尿が漏れる。
突然右の肘が砕けた。そして、右のふくらはぎが破裂した。子爵は馬から振り落とされた。
落馬し、その痛みと右腕と右足の激痛のため、子爵は動けなくなっていた。
「──狩られる気分はどうさね?」
老女が自分を見下ろしていた。煙草の先が上下に動く。笑っているのだ。子爵は何も言えなかった。
「あんたには機会をやろう。わたしはここから去る。馬は1頭だけ残しておいてやるさ。あんたが無事に逃げ延びれるか、それとも……まぁ、それはあんた次第だ」
老女は騎兵たちが乗っていた軍馬を集めると、手綱をつかんだ。
「それじゃぁ。またどこかで会おうかね」
老女は地面でもがき、救済と呪詛が混じった声を放っている子爵を背に歩み去った。
魔女は少年を馬に乗せ、近郊の村へとやってきた。見かけない服装の魔女を見て、村人たちは震えあがった。魔女は村の顔役を呼び、軍馬6頭と袋一杯の銀貨を渡し、少年を村の一員とするようにと言った。村にとっては、屈強な軍馬が、それも6頭も手に入ることは嬉しい限りだった。それに魔女が渡した銀貨は、村の一周期の収入より多いものだったのだ。こうして少年は村に受け入れられた。それを見届けて、魔女は立ち去った。




