3話:謎の商人との邂逅
王宮の喧騒から離れた裏通り。蔦の絡まる古びた商館の一室で、私は一人の男と対峙していた。
男は旅慣れた質素な服を纏い、「カイル」と名乗った。
〈カイル・ヴァン。表向きは隣国との交易を主とする中堅商会の主。……けれど、この国の港湾使用料の推移と、隣国の関税引き下げのタイミングが完璧に一致しているのは、この商会が動いた時だけ。この男、ただの商人ではなく、背後に大きな国家規模の意図を感じますわね〉
私は前世の記憶を頼りに王都の物流記録を分析していた。既存の御用組合は王家と癒着している。だが、この実体が見えにくい商会だけは、驚くほど合理的に、この国の市場を侵食しつつあった。
私は卓上に、あえて差出人不明とした「債権の一部」を記した書付を一枚だけ置いた。
「カイル様。貴殿の商会が、最近この国の食料流通ルートを買い占めているのは存じ上げております。……ですが、あと一歩、肝心の『保税倉庫の優先使用権』が足りないのではないかしら?」
カイルは書付に目を落とすこともなく、私をじっと見据えた。その瞳には、射抜くような理知が宿っている。
「……驚きましたね。ベルシュタイン公爵令嬢ともあろう方が、場違いな場所で、ずいぶんと具体的な話をなさる。卒業パーティーまで一ヶ月を切ったこの時期に、わざわざ泥に塗れた商人の館まで足を運ばれるとは」
私は扇子を動かす手を、一瞬だけ止めた。
〈あら。私の正体も、王宮の行事予定も、すでに織り込み済みというわけね。……マーケティング、いえ、事前の情報収集としては合格点ですわ〉
エドワード殿下との不仲や、昨夜の騒ぎ。それらを調べ上げた上で、彼は私を「公爵令嬢」としてではなく、「対等な取引相手」としてここで待っていたのだ。
不快感はない。むしろ、これほどまでに情報の扱いが巧みな相手を見つけられたことに、私は内心で快哉を叫んでいた。
「お調べが早くて助かりますわ。話が早いのはお互いにとって利益になりますもの。……そうです、私は、貴殿が欲しがっているその『権利』の……いわば、予約票を持っていますの」
「……自分の国が傾くのを防ぐのではなく、傾いた際の『分け前』を他国の商人に売り渡そうというのか。貴族の矜持よりも、実利を取ると?」
「あら、誤解なきよう。価値を理解しない者の手で腐らせるより、対価を払える有能な者の手に渡る方が、資産にとっては幸せなことですわ。……それともカイル様は、損得なしの慈善活動家でいらっしゃいますの?」
カイルは椅子に深く背を預け、低く笑った。
「いいえ。私は、利益に対して極めて忠実だ。……だが、あなたがなぜ私を選んだのか。他にもっと大きな、王家御用達の商会はいくらでもあるはずだ」
「御用達の商会は、王家と一緒に沈む運命にありますもの。私は、泥舟の最後を看取り、その後の更地で新しい商売を始める『嗅覚』を持った方と組みたいのです。……カイル様、あなたのような」
しばしの沈黙。部屋を流れる空気が、値踏みから「共犯」へと変わっていく。
「……面白い。令嬢、あなたは老練な代書人のような冷徹さと、百戦錬磨の豪商のような先見性をお持ちだ。……よろしい、その書付、私が適正な価格で引き受けましょう。ただし、単なる売買では終わらせたくない」
「と言うと?」
「私はこの国の『次の形』に興味がある。……あなたがパーティーで、どのように王家を清算するつもりなのか。その後始末のつけ方を、私に最も近い場所で見せていただきたい。それが条件だ」
私は差し出された彼の手を見つめ、迷わずその手を取った。
「ええ、喜んで。……損はさせませんわよ、パートナー?」




