第34話「正しさの重さ」
侵攻から三日。
街は、表面上の落ち着きを取り戻していた。
壊れた柵は修復され、
避難民の一部は元の村へ戻り始めている。
だが、失われた二人の名前は、
詰所の壁に小さく刻まれたままだ。
俺は、その前に立っていた。
「……見に来ると思った」
背後から、セリアの声。
「忘れないためだ」
「忘れないために、見るの?」
「そうだ」
目を逸らさない。
これが、判断の重さだ。
セリアは、壁の名前を見つめたまま言う。
「ねえ」
「何だ」
「もし、あなたが全部決めていたら」
「もっと助けられたと思う?」
問いは、静かだった。
だが、逃げ場はない。
俺は、少し考える。
「分からない」
正直な答え。
「もしかしたら、もう一人は助かったかもしれない」
「逆に、もっと落ちていたかもしれない」
「……曖昧ね」
「現実は、曖昧だ」
セリアは、小さく息を吐く。
「でも、あの瞬間」
「あなたが決めたから、動けた」
「それも事実だ」
「だったら」
彼女が振り向く。
「あなたが全部決める方が、効率はいい」
ヴァルターと同じ言葉だ。
俺は、静かに首を振る。
「短期的には、そうだ」
「長期的には?」
「壊れる」
はっきり言う。
「俺が判断する構造は」
「俺がいなくなった瞬間に、止まる」
セリアは、黙る。
「昨夜、俺が決めたのは」
「設計が機能しなかったからだ」
「例外ね」
「ああ」
「でも、例外って」
「必ず起きるわよ」
正しい。
「だから、例外を前提にした設計に変える」
彼女が、目を細める。
「どうやって?」
「判断者を、複数にする」
「全体を把握できる人間を、増やす」
「全員が指揮官になる?」
「違う」
首を振る。
「全員が“考えられる”状態にする」
沈黙。
やがて、セリアが小さく笑う。
「結局、あなたはそこに戻るのね」
「そこしかない」
俺は、壁の名前をもう一度見る。
「俺が全部背負えば、楽だ」
「責任の所在も、はっきりする」
「でも?」
「それは、俺の正しさを押し付けることになる」
声が、わずかに低くなる。
「正しいかどうか分からない判断を」
「一人の視界で決め続けるのは、危険だ」
セリアは、しばらく考え込んだ。
「……私は」
「あなたが決めてくれた方が、安心する」
正直な言葉だった。
「でも、それは依存だってことも分かる」
「そうだ」
否定しない。
「俺も、怖い」
「怖い?」
「昨夜みたいな状況で」
「また迷わず決められるか」
初めて、口にした本音だった。
「決められなかったら?」
「その時は、壊れる」
だからこそ。
「壊れない形にする」
セリアは、ゆっくり頷いた。
「……分かった」
「何が」
「あなたが、英雄にならない理由」
少し、苦笑する。
「なれない、が正しい」
「いいえ」
彼女は、首を振る。
「なろうとしない」
その言葉は、思ったよりも重かった。
夕方、ヴァルターが詰所に戻ってきた。
「街は持ち直した」
「はい」
「次の侵攻もある」
当然だ。
「例外は、また来る」
俺は、頷く。
「その時も、判断するのか?」
問い。
少しだけ、間を置いて答える。
「必要なら」
「必要でなければ?」
「させる」
ヴァルターの目が、わずかに鋭くなる。
「誰に?」
「現場に」
沈黙。
やがて、彼は小さく笑った。
「……面倒な設計だ」
「承知しています」
「だが」
彼は、窓の外を見た。
「昨夜のような例外を、減らせるなら」
「試す価値はある」
それは、承認ではない。
だが、否定でもない。
夜が来る。
街は、静かだ。
壁に刻まれた二つの名前は、消えない。
それでも。
俺がやるべきことは、明確になった。
正しさは、重い。
だが、その重さを、
一人で抱える必要はない。
戦えない戦術担当が選んだのは、
勝ち続ける道じゃない。
迷いながらでも、考え続けられる構造を残す道だった。
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