エラ=シンティランス
「では先ず、二人の名前と年齢を教えて欲しい」
「は、はい…。エラ=シンティランス、十六歳です」
「え?ルーカスさん、私の名前知ってるよね?」
ルーカスの質問に素直に答えた少女——エラと、質問の必要性に首を傾げるライラ。
友人となったあの日、共にした食事の席で互いに敬語で話すのは辞める事にした。ただ、聴取される側がする側に取る態度で無い事は、ライラには分からない。
調書にエラの名と歳を記すと、投げ掛けられた疑問にルーカスは溜息を吐いた。
「調書は“正確に”書く必要がある。調書に記す為に“間違えてはならない”のだから、ちゃんと答えてくれ」
「そうなんだね…。えっと、ライラ=セレーネ。十八歳だよ」
「十八………」
殿下より歳上だったのか、と思ったルーカスだが、口には出さなかった。
ライラは世間擦れしていないのもあり、もう少し幼く見える。
「それでは、今回何があったのか教えてくれ」
「えっと、私は夕食用の材料を買いに市場に行ってて。帰ろうとしていた途中で悲鳴が聞こえたから、そっちを見たの。そうしたら三人組の男達と、彼らの前で膝をついた状態のエラを見掛けて。彼女が必死に手を伸ばして、ヤツらに何かを盗られたっぽいエラが、返してもらおうとしてたけど聞き入れていなかったから、咄嗟に助けに入ったの」
ライラが流れを説明する。
調書にルーカスがペンを走らせる音が響いた。
「乱闘があったと聞いたが?」
「違いますっ!!」
一度ペンを置いて、更なる質問がルーカスによってもたらされる。
それに悲鳴の様に否定の言葉を吐いたのは、エラの方だった。
「乱闘というか…彼女は私のブローチを奪い返して、それに激情した相手が襲い掛かって来たのを避けていただけです。ライラさんは決して自分から攻撃したりしていませんでした」
真っ直ぐな目で、彼女はルーカスに訴える。
ルーカスが視線をチラとやった先でライラが小さく頷くのを見ると、彼は小さく息を吐いて受け入れた。
「だが危険な事をしたライラには、注意しなければならない。騒ぎを悪化させて、周囲に迷惑を掛けたのだからな」
ライラ達が大立ち回りをしていた所為で、その近辺の店はその時間、売上にならなかっただろうと言う。
「そっか…。人が多いと、そういう所も考えないといけないのね…」
「ああ。これからは周りに及ぼす影響も考えて、行動してくれ。
…それから、エラ嬢、君はその男達に狙われた理由が分かるか?」
納得したライラに肯定してから、ルーカスはエラに向き直る。
質問を受けたエラは、先ほどライラを擁護した時と違い、目を伏せて俯いた。
「…あの三人は多分、私の継母の取り巻きなんです。私が大切に肌身離さず持っていた物を取り上げて来る様、継母に言われたんだと思います」
「エラ、家族にそんな事されてるの?!」
「……ライラさん、本当に私の事、知らなかったんですね…。噂されているのを見た事あったので私自身も知ってるのですけれど、私の家、腫れ物扱いされてて…。
…まあ、私を助けたら、あの人に報復されるんだもの。仕方ない事だわ…」
諦めた表情を浮かべたエラの言葉に、少し前、職場の先輩であるクレアに聞いた言葉を思い出す。
『あそこの家の人には関わっちゃ駄目よ。後妻に貰った奥さんとその連れ子達がわがままで陰湿で、前妻の娘を召使い…よりも酷い待遇で扱ってるの』
改めて見たエラの見目は、裾が灰色に汚れ、それ以外にも染みが散見される質素なワンピース。それから白い肌にあかぎれで痛々しい両手。
ただ、顔だけは怪我させない様にしているのか、傷のない美しい顔が、更に見窄らしさとの対比を否応なく浮き立たせていた。
「ライラさんが私の前に助けに来てくれた時、報復されるからそんな事しなくて良い、と思ってました。
でも、貴女の仮面をして顔が見えていないのが分かって、本当は助けてもらいたくて、でも『助けて』って言えなくなってたんだって…」
涙の滲むエラの手を、そっと温かさが包み込む。
「——それなら、私の事情ではあったけど、仮面をして助けに入って良かった」
手を重ねる少女達を眺め、話を聞いていたルーカスが静かに告げる。
「…我々、王都警備隊は、家庭の事情に口を出す事は出来ない。其方でどうにか解決する事は出来ないのか?」
「……難しいと思います。あの人達は私の話なんて何も聞いてくれないし、唯一対応出来る父も仕事で年に数度帰って来るだけで、父の前では猫を被ってるあの人達の本当の顔は知らないんです…」
実の娘であるエラが訴えても、父親は「家族仲良くな」と本気で取り合ってくれた事は無いと言う。報復を恐れて擁護に回ってくれる人も居ないと言うエラは、もう諦め切っていた。
「っじゃあ、私がこの街に居る間だけでも、私が貴女の味方になるわ!」
ギュッとエラの手を両手で握ったライラが、宣言する。
目を白黒させるエラと、自分に友達宣言をしてきた時と同じだと分かってしまったルーカス。
「………“あの方”を心配させる様な事は、しないでくれないか?」
彼女の勢いが止まらない事を実感として知ってしまっているルーカスは、最後の抵抗として確実に心配するであろうウィリアムの事に言及した。
「あら、大丈夫よ。だって私——」
スッと持ち上げられた指先が指したウィリアムの頬を、暖かい風が撫でる。
閉め切って風の入らないはずの冷たい部屋の中での“それ”に、ルーカスは目を細めた。
「………なるほど?」
ライラは魔法使い。
危険から身を守る術は、他の人間より多いのである。
***
事情聴取を終え、解散してそのまま今日からの寝床である貸し部屋へと帰って来たライラ。
今日の夕飯になるカブは、仮面にしていた魔法が解けて元の姿に戻っている。
「あー…、もう疲れちゃったし、今晩はお肉を焼いて、後はカブのスープで良いかな…」
使う食材だけカゴに入れて持ち、一階の共同台所へと下りる。
自宅で夕飯を作るには遅い時間なので、他の利用者は居らず、ライラは面倒になって鍋の中にそのまま魔法で水を出した。
「カブとー、玉ねぎとー、余ってたベーコンを入れましてー」
調味料も入れて、時短の魔法をちょいっと掛ける。
その間に、釜戸のもう一つの掛口の蓋を開けてフライパンを乗せると、薄く切った肉を炒め始めた。
「やっぱり二口釜戸、楽ちんだなぁ…」
焚き口から薪を追加しつつ、呟くライラ。
旅の間は毎回自分で釜戸を石で組む所から始めなければならなかった事も考えると、釜戸のありがたさが分かる。
調理を終え、ほかほかの出来たばかりの料理を装って、そこらに置いてある食事用だろう卓に着く。
「いただきます。…んーっ、美味しい!時間の割りに上手く出来た!」
時短魔法のお陰で、木のスプーンでも崩せる程柔らかく煮込まれたカブ。玉ねぎは溶けてスープに甘味を加えている。
肉炒めも、村では手に入らない牛肉だったから味付けを心配したけれど、それなりに美味しく出来ていた。ただ、もう少し塊肉で食べてみるのも良いだろう。鶏や豚肉と違って、牛肉は多少赤味が残っていても大丈夫らしいので。
食事と片付けも魔法で簡単に終えたら、風呂の代わりも魔法で全身を洗浄する事で済ませ、次は今日買ってきた物でやろうと思っていた事を始める。
本日は丁度満月。
魔法を使うのに、ぴったりの夜だ。
「まずは羊皮紙と烏の羽根ペン、ガラス瓶を用意して…」
ガラス瓶には、井戸から汲んできた水を入れる。
魔法を使うには、魔法で出した水よりも自然にある清らかな水を使う方が効率が良いのだ。
姿変え以外に魔力を抑える効果もあった髪留めを外し、月光にライラの特徴的な色の髪が煌めく。
「瓶に入れた井戸水に、砕いた魔石と、自分の血を垂らす」
トンカチで砕いて小さくし、乳鉢で更に細かくしておいた魔石を、包んでいた薬包紙から小瓶の中へ。更にナイフで指先を切り付けて、零れ落ちる赤い雫を残らず瓶の口から流し込んだ。
羊皮紙と羽根ペン、透明の水に混じった魔石と血が僅かに光った“それ”を、月明かりの差し込む窓辺に置く。
これで前準備は完了だ。
後は月の魔力がガラス瓶の中身を変質させるのを、待つばかりである。
待ち時間に、今日買って来た物の片付けをする。
ベッドの木枠の中に藁を敷き詰め、シーツを綺麗に被せる。旅の間に布団代わりとして使っていたマントを畳んで枕とし、掛け布もセットした。
背の低い小さな食器棚の上段に、木の食器と今日買った白磁のティーセットを並べて片付ける。下段は鍋やフライパン、ポットなんかの調理器具だ。
食器棚の上に、紅茶の茶葉が入った四角い缶を置いた。
食器棚の横にあった棚は野菜置き場にして、後で冷蔵の魔術具を作って設置しよう。
満月が中天に差し掛かり、真夜中を迎えた頃。
カッ、と一瞬強い光が窓際から放たれ、光源のガラス瓶の中身が赤から青に変わる。
その青い液体は、ゆらゆらと蛍の様に光を立ち上らせていた。
「——よし、」
出来た液体をインクとして、羽根ペンで羊皮紙に一時的でなく、永続効果を発揮する為に魔法陣を描く。
大きな円を描く様に十二時方向から、新月、三日月、上弦の月、十夜月、満月、十八夜月、下弦の月、 二十五夜月、と八つの月相を描いていく。
塗り潰された月の部位が光源となり、あたかも本当の月が其処にあるかの様だ。
血の止まり始めていた指先を押し、中心に血液を零すと、其処から浮かび上がった何十もの光がふわりふわりと立ち昇る。
描いた月相が満月から順に明滅し一周すると、最後に満月の部位が一際強く輝きを放った。
「我が血、我が魔力を捧げ、ライラック=セレーネ=スターチスの名に於いて命ずる。我が契約精霊ルナよ、我が呼び声に応え顕現せよ!」
ライラの召喚呪文と共に、羊皮紙の上の魔法陣が青白く輝き、その中に現れた影を浮き上がらせた。
『んんん〜!やっと呼んでくれたわね、ライラ!』
光を失う瞬間、魔法陣からぴょんと飛び出して来たのは、蒼と金の目が光る、喋る黒猫だった。