初仕事と噂好きな客
ファング商会は、魔物や動物の毛皮・革製品を主に扱う大店である。
国境の山に面し、魔物の出没が多いハイドランジア辺境伯領は主な仕入れ先である。もちろんそれ以外にも、酪農が盛んな街であったり、商業ギルドや行商人から買い付ける事もある。
仕入れた素材は専属の工房に加工を依頼し、戻ってきた製品を売るのが仕事だ。
「ライラさんには、経理と貴族の接客の手伝いの方を頼む事になります。仕入れや受注発注、運搬は雇っている人員が居るのでね」
挨拶の後、アッシュの先導で応接室に通された二人は、ライラがする事になる仕事を聞いていた。
「いきなり貴族への接客は難しいのではないか?平民相手の接客も未経験だと聞いているが」
ライラが「頑張ります!」と声を上げようとしたのを遮り、ルーカスが懸念を口にした。
「まあ、接客といっても最初はあくまで補助ですから。実際の応対は家内か倅が行います。ライラさんには、品物を運んだり整えたりする程度。礼儀作法が身についていれば十分です」
雇っている従業員の中には、貴族相手に接客の場に出られる者が少なく、数少ないその者達も動き回れない店主や息子嫁の代わりに仕入れ等、外の仕事を優先しているそうだ。
「…それなら、私にも何とかなりそうです」
小さく息を吐いたライラに、ルーカスも黙って頷く。
やがて夕食の時間になり、アッシュから食事の誘いを受けたが、ルーカスがきっぱりと断ってくれた。
「家族だけで用意されている食事に、他人が混ざるのは気が引ける。……それに、会ったばかりの上司と食卓を囲むのは、彼女にも負担だろう」
その言葉に、ライラは心の中で深く感謝していた。
「ルーカス様、色々と、ありがとうございました」
帰り道、宿まで送ってくれるというルーカスに頭を下げたライラの上から、「いや、」と言葉が返る。
「知り合った人間が困っているのを、ただ見捨てられなかっただけだ。殿下に頼まれた事もあるしな」
行きと同じくライラに合わせたゆったりとした歩調のまま、ルーカスから視線が落とされた。
「それでも、良くして戴いたので。私一人では、あんな良い所に雇って戴く事なんて出来ませんでしたから」
ふわり、表情が綻ぶ。
それを静かに眺めたルーカスが、ふと呟いた。
「——仕事以外で素直な感謝を聞くのは、久し振りだ」
「? ルーカス様、こんなに優しいのに…?」
「俺は表情があまり変わらないらしく、基本的に恐れられているからな」
淡々とした口調で告げられるそれに、ライラはムッとして言い返す。
「そんな事だけでルーカス様を恐れるなんて、おかしいです!
それなら私がルーカス様のお友達になって、いっぱいルーカス様の良さを見つけますから!」
そして勢い良く、言葉を重ねる。
「——手始めに、『ルーカスさん』って呼んで良いですか?!私の事は、『ライラ』って呼んで下さい!」
勢い込んで迫ったライラの真剣な表現に目を瞬いて、ルーカスはフッと小さく口角を上げた。
「君は真っ直ぐだな…。まあ、これからも関わる事になるだろう。よろしく頼む」
「わーい!」
ライラは飛び跳ねながら喜んだ。そして放った一言に、ルーカスの思考が一瞬停止する。
「ウィルの兄弟以外で、初めての友達だ…!」
スターチス村の住民は皆親戚で、外から来るのは王族とその従者ばかり。
ルーカスは、そんなライラにとって初めての“友人”となったのだった。
***
ルーカスに宿まで送ってもらったついでに食事に誘って、友人として一緒に夕食を共にした、翌日。
開店前の約束した時間にファング商会を訪れて、ライラはこれから仕事仲間となる従業員達と挨拶を交わしていた。
グレーの髪に青灰色の瞳、細身で年齢を感じさせない整った身なりをした、ファング商会長、アッシュ。
元々の髪色だろう茶髪が混じる白い髪に緑の目。夫であるアッシュに求められ、ハイドランジア領の騎士から商会長夫人になったという年上女房、ルプス。
二人の息子で、父親と同じ色味でがっしりとした筋肉質の体型をした、後継のラルフ。
茶褐色の髪と目をした妊娠中のラルフの嫁、イルヴァ。
彼ら四人が、現在のファング商会を切り盛りする家族経営者達である。
四人以外の従業員の名前も聞いたが、流れる様な紹介では一度に全ては覚えられない。仕事を共にする中で、少しずつ覚えていければ良いだろうか。
「早速で申し訳ないのだけれど、今日はアマリリス男爵夫人がいらっしゃる予定なの。
お昼までは仕事場の案内と説明をするけど、昼休憩の後…そうね、午後二時の予定だから、そのまま貴女の身だしなみも整えましょう」
元軍人らしく、キビキビとしたルプスに制服を渡されながら仕事の流れを習う。
貴族の接客をするのに全くの素っぴんという訳には行かない、と昼食後はルプスに化粧を施される事となった。
まずは更衣室で制服に着替え。
制服は白のシャツに落ち着いた青のネクタイ、グレーのロングボックススカートとベストだった。男性はスカートの代わりにスラックスを履いている。
「さあ、仕事場を案内するわよ」
ルプスに連れられて、ライラは各部署を回った。
経理、デザイン、外回り担当、店舗部門、そして搬入口と倉庫。
それぞれの担当の特徴や雰囲気を見ながら、ライラは真剣に話を聞く。
「午後には、あの貴族様方向けの個室で接客補助をしてもらうわ。細かい作法は私がやるから、あなたは指示通りに動いてくれれば大丈夫」
「あとは此処が休憩室。食堂が無いから昼食は外の市で買って来て此処で食べるか、もしくは午後の仕事時間に間に合うなら外食して来ても良いわ」
昼休憩。
今日は屋台市が多い通りまでの道を教えてくれるとの事で、ラピスに買い出しを頼まれた経理の先輩と市へ向かう事になった。
「同性の後輩って初めて!ライラって呼んで良い?」
「はい!よろしくお願いします、クレア先輩」
ライラの一つ上で十九歳だという彼女は、人懐こい笑みを浮かべライラの手を取ると、ブンブンと上下に揺らした。
「じゃあ、ファング商会のご近所も紹介しながら行こっか。あっちは織物店、その隣が家具屋さん、向かいは宝飾品を扱ってて……」
流れる様な案内に必死に頷きを返すライラ。
大店の並びを過ぎて近道として市街地の路地に入った中で、少し気になった事があった。
大店の主人達が住まう区画だという、大きめの家が並ぶ其処でされた説明が異様だった為だ。
「あそこの家の人には関わっちゃ駄目よ。後妻に貰った奥さんとその連れ子達がわがままで陰湿で、前妻の娘を召使い…よりも酷い待遇で扱ってるの」
「そんな…。旦那さんは何も言わないの?」
「旦那さんは貿易商でほとんど家に居ないし、居る時は猫を被っているみたい。前妻の娘さんを助けたりしても、バレたら彼女が更に酷い目にあって、助けた側にも制裁が加えられたりするしで、何も良い事が無いわ」
眉尻を下げたクレアの忠告は、イジメという物を知らずに育ったライラには到底理解出来なくて、彼女の心に小さなトゲを残した。
***
クレアのおすすめだという、硬めのパンにレタスと炒めたピリ辛の肉を挟んだ物を屋台で購入して戻り、昼食を終えた。
昼休憩を終えれば、ライラと髪と瞳の色が近いイルヴァに化粧品を貸してもらい、ルプスの手によってライラの顔に化粧が施される。
髪や瞳の色を変えている魔法具である髪飾りに関しては、そうとは説明せず、絶対に触らないよう頼んだ。
「化粧してなくても可愛らしかったけど、すると本当に美人さんねえ…。髪もいじって良いのだったら、もう少しアレンジしたのだけれど…」
にこりと笑ったルプスから視線を逸らして、ライラは「ありがとうございます…」と感謝を述べるに留めた。
店舗でルプスの斜め後ろに控えて、デザイン部門の女性と共に待っていたライラは、扉に付けられたベルが鳴る音の後、スカート裾を軽く持ち上げ腰を落としたルプスを見て、慌てて前に倣った。
「ようこそいらっしゃいました、アマリリス男爵夫人」
本日予約のお客様は、赤いドレスの映える白い肌が美しい女性だった。
彼女はルプスの挨拶に「今日はよろしく」と返すと、ルプスの後ろに見えたライラの姿にパチリと目を瞬いた。
「まあ…、初めて見る子ね?」
「本日から私の手伝いになりました、ライラでございます」
「今日は宜しくお願い致します、アマリリス男爵夫人」
紹介の言葉と共に、再度カーテシーをして挨拶をすると、男爵夫人の声が華やぐ。
「あら、所作も美しいのね。こんな良い人材を見付けるなんて、ファング商会も運が良いわねぇ」
「ええ。ご紹介頂いた娘ですが、良い拾い物をした物だと感じております」
二人から褒め言葉と共に微笑み掛けられ、ライラは頬を染め謙遜しながらも礼を告げた。
「本日は毛皮のコートをお作りになりたいとお聞きしていますので、まずは此方に用意しております素材をご覧下さい」
「前に見ていない物も色々あるわね…。此方は何かしら?」
個室に通した男爵夫人の要望に合わせ、部屋端の台から巻いた毛皮を、彼女の前の机に広げては片付ける。
夫人は事情通でおしゃべりな性質なのか、毛皮の産地を告げる度にその領地の噂を口にする。
「マリーゴールド家は婿に来るはずだった許嫁に浮気されて、破局したらしいの。まあ、そんな無責任な方に領地を任せる事にならなくて良かったと思いますけれど、彼女はお相手に本気だったそうですから、今は悲しみに暮れて外に出ていらっしゃらない様ですわ」
とか、
「最近、グラジオラス領を通る事があったのですけれど、領民が困窮していそうだったのよね。グラジオラス家の方は皆領地は代官に任せて王都に住んでいらっしゃるし、羽振りが良い割に商売をしている訳でも無いですし…何処から資金を調達しているのかしら?」
とか、
「ハイドランジア領は辺境なだけあって、魔物との戦闘も多い所為で令嬢には嫁入り先としては不人気よね。嫡男のルーカス様にお相手が見つかれば良いのだけれど…」
だとか。
「お相手が居ないと言えば、ウィリアム殿下もよね。上のご兄弟達はそれぞれご結婚されて、王太子殿下以外は公爵家を立てたり、隣国に嫁入りされて友好関係も良好ですし…。これ以上、王家に政略結婚の必要は無いけれど、どうされるのかしら…」
出てくる知り合いの名前にピクリとしてしまったけれど、何とか平常心を保って接客を続けたライラ。
生地が決まればデザイン担当が、夫人に似合いそうなデザインのラフ画をいくつか案として提出する。
オーダーメイドの注文とおしゃべりを四対六くらいの感じで話していた夫人は注文を済ますと、上機嫌に帰って行った。
決まったデザインを夫人の体型に合わせて型紙に落とし込む為、デザイン担当者はラフ画を持って自分達の部署へと速攻戻って行った。
「な、なんか…思ったより疲れました…」
「あの方はねぇ、とても噂好きの方なのよ。悪い方では無いのだけれどね?
それよりルーカス様の名前で貴女が反応しなくて良かったわ。もししてたら、今度は貴女が餌食になる所だったもの」
注文書を纏めながら、ふふふ、と漏らされたルプスの笑いに、片付けをしていたライラの背を悪寒が走った。
「うっ…。会話をルプスさんにお任せしていて良かったです…。ありがとうございました」
「どう致しまして。さあ、この片付けが終わったら、私達は事務仕事よ。もうひと踏ん張り、頑張りましょうね」
「はい!」
ふと、心配されていた幼馴染と友人の事を思う。
(二人とも、どうすれば長所に気付いてくれる人に会えるのかな…)
彼らには、幸せになって欲しい。
そう心から願いながら、ライラの王都での初仕事は、無事に終わりを迎えたのだった。