仕事の条件
魔法使い一族の証明として、魔法の掛けられた髪飾りに寄る変装を解いていたライラは、再び髪を留める事で髪と瞳の色を栗色に戻した。
「そのバレッタで、見た目を変えているのか…」
自分の変装とは根本的に異なる方法に、ウィリアムが感心したように声を上げた。
「魔法もずっと同じ状態に保つのは難しいからね。これは村長に貰った物だけど、銀に月の魔力を閉じ込め魔力増幅して、それで変化と保全の魔法を掛けてあるんだと思う」
太陽を黄金が象徴する様に、月は銀を司る。
夜は魔物が活発化する時間であると同時に、魔法使いにとっても魔力が高まる時間で、とりわけ満月の夜は最も力が強くなる。
「なるほど、私も欲しいと思ったが、ライラに作って貰うのは難しそうだな」
「魔法具作るの、苦手だからねぇ…」
ライラは村一番の魔力を誇るが、細かい操作は苦手である。繊細な魔法を使う魔法具作りは、ライラの最も苦手とする事だった。
「それにしても、おまえを探しに先ほど木漏れ日亭まで行った際に、仕事を探しに出ていると聞いたんだが、何か良い仕事は見付かったのか?」
「うーん、それがイマイチぱっとしないんだよね…。五ヶ月したら王都を出て村に帰るから、短期の仕事を探してるんだけど。短期だと出稼ぎの仕事ばかりで、そうなると住み込みが多くてさ。寝る時は髪飾りも外すから鍵付きの部屋が必要だし。
でも普通のお店で住み込みの部屋なんて、鍵付きどころか相部屋の事もあるって聞いたの。かと言って宿に泊まり続けて働くのも収支が合わないし…」
「…だからといって、条件が良くても変な仕事には就くなよ?」
「分かってるよー」
ムムと口を尖らせて、ライラは温くなってきたティーカップを傾けた。
「——ライラ嬢、君は読み書き計算は出来るか?」
行き詰まった会話に口を挟んだのは、静かに二人の話を聞いていたルーカスだった。
一般的に識字率はそこまで高くなく、商家育ちでも無ければ、読み書き計算が出来ない人間も多い。田舎出身であれば尚更だ。
しかしそこは王家と交流のあるスターチス村の出身。ライラは村でも娯楽で本を読む程度には文字を読めるし、魔法使いとして魔法薬の調合をする為に計算も叩き込まれている。
「はい。字も計算も、ひと通りはできます」
ライラがそう答えると、ルーカスは静かに頷いた。
「読み書きができて身元も確かなら、紹介できる仕事がある。
ハイドランジア領から魔物素材を卸している商家だが、店主が怪我で動けず、後継の夫人も妊娠中で、仕事を休む直前らしい。短期間で接客を覚える必要はあるが、君にやる気があるなら紹介しよう。昨日も思ったが、君の礼儀に問題はない」
「っありがとうございます!雇って戴けるかは判りませんが、ご紹介戴けますか?」
「分かった。…殿下も、宜しいでしょうか?」
「ああ。お前の紹介なら、悪い事にはならないだろう」
頷いたウィリアムはライラに「面接頑張れよ」と告げると残り少なかったコーヒーを飲み干して、席を立つ。
「では私は失礼しよう。ライラの面接について行きたい所だが、私が口を出す訳にもいかないからな」
「えっ、紹介って今から?ルーカス様もまだ仕事中ですよね?」
ルーカスに縋る目と、慌てる彼女を見て弓形になる目と。
向けられた視線に、ルーカスは溜め息を吐いた。
「ライラ嬢の言う通り、我々はまだ職務中です。今は殿下の見張りという建前がありましたので、此処で休憩していますが。殿下が城に戻るなら、それを見届けてから巡回に戻ります。
ライラ嬢、今日紹介するので構わないなら、退勤後に木漏れ日亭まで迎えに行こう。構わないか?」
「は、はい。よろしくお願いします、ルーカス様」
ライラとルーカスが約束した事で「…仕方ないな」と呟いたウィリアムは、ハァと一つ愚痴をこぼした。
「ルーカスは真面目だな。お前がライラと一緒に行ってくれれば、私も監視無しでもう少し遊び回れたのに」
「あ、殿下、オレの事撒くつもりでしたね?」
聞き役に徹していたクリフがじっとりと半目でウィリアムを見ると、見られた本人は笑ってクリフの肩を叩く。
「ルーカスだと真面目過ぎて私から目を離さないだろうが、お前なら隙も多そうだからな!」
「酷いですね〜。仕事は真面目にしてますよ?」
「それは知っているが、お前は優しいから」
暗に「今後自由に外に出られなくなる私には甘くなるだろう?」と告げられ、クリフはそっと視線を逸らした。
「では行きましょうか、殿下」
「そうだな。…ライラはまだゆっくりすると良い。こういう店も初めてだろう、楽しんでくれ」
「うん、ありがとう。またねウィル」
頷きと軽く手を振って部屋を出て行ったウィリアムの背を、ルーカスとクリフが追う。
ルーカスは部屋を出る前に一度振り返ると、「ライラ嬢、また夕刻に」とだけ告げて去って行った。
「……はぁ、王都来て直ぐ、ウィルに会うと思ってなかったなあ…」
一人だけ注文したケーキを、一口掬って口に運ぶ。
「生クリームって繊細なのね…。こんなに口の中で溶けるなんて思わなかった」
何もかもが初めての王都生活。
食べたことのない料理。着たことのない、華やかな服。誰も知り合いのいない日々。
不安もあるけれど、それ以上に心が弾む。
見たことのない景色や習慣、それすらも——ライラにとっては好奇心をくすぐる対象だった。
「んー……下町で働くつもりだったから、服装なんてあまり気にしてなかったけど……ルーカス様が紹介してくださるのって“大店”なんだよね。普段着のままじゃ、さすがにまずいかも」
ケーキを完食する頃には、ライラの中で思いは固まっていた。
約束の時間までに服屋に立ち寄り、きちんとした服を用意しよう——そう決めて、席を立つ。
——そして、店を出る時。
さりげなく伝票を探して気づいた。
「……あれ?お会計、もう済んでる……」
誰が払ったのかは分からないが、恐らくあの三人のうちの誰かだろう。
胸の奥にじんわりと温かいものが広がるのを感じながら、ライラは礼儀正しく頭を下げて店を後にした。
***
大通り沿いの服飾店で、面接にふさわしい服装を相談して選んでもらったライラは、宿に戻って着替え、部屋で迎えを待っていた。
黒い生地の裾に草花の刺繍がされたワンピースから一転。
今のライラは、白いブラウスに、くるぶし丈の焦げ茶のスカート。そして胸元には同色のリボンをつけている。
目立ちすぎず、けれど誠実で清楚な印象を与える服装だった。
緊張とそわそわを胸に抱えたまま、部屋の扉を見つめていたその時——
コンコンッ
軽いノックの音に跳ねるように立ち上がり、勢いよく扉を開けた。
「うわっ!?そんな慌てなくて良いですよ、ライラ様」
立っていたのは宿の受付係、エリックだった。驚いた様子で目を瞬かせた後、少し頬を赤らめて言葉を続ける。
「先ほど仰ってたルーカス様が、迎えにいらしてます。でも……その、面接に行くんですよね? その服装で……?」
「はい。なにか、変ですか?」
「いえ、変という訳では……ないんですが……」
言葉を濁しながら、エリックの視線がライラの全身に彷徨う。普段の村娘らしい素朴な装いとは違う、可愛らしく整えられた姿に目を奪われているのがわかった。
「あの、本当に……面接なんですよね? デートとかじゃなくて……」
「ほんとですよ? ルーカス様に紹介してもらうんですから、それなりの格好をしないと、って思って」
待っているルーカスの元へ向かう途中、そんな事を話す。
階段を降りた先に居たルーカスが、二人の声に気付いてライラ達を見た。
「こんばんは。先ほど振りだな、ライラ嬢」
昼間の隊服ではなく、質の良い布地で仕立てられた、かっちりとした私服に着替えたルーカスが、一歩ライラの方へ近付く。
「こんばんは。お待たせいたしました、ルーカス様。……あの、この服で伺っても、失礼にならないでしょうか?」
緊張を滲ませながら、ライラは自分の服装に視線を落とす。
ルーカスはそんな彼女をひと目見て、静かに言った。
「良いのでは無いだろうか。君の長所である純粋な可愛らしさが現れているし、彼処へ行くにも悪くないと思う」
「あ……ありがとうございます……」
あまりに自然に褒められて、ライラは思わず頬を染めた。
その背で、エリックが目に見えてしょんぼりと肩を落としたのには、誰も気づかなかった。
そんな事は知らないルーカスがライラを促すと、彼女もエリックに「行って来ます」を告げて木漏れ日亭を後にした。
ライラがルーカスに案内されたのは、商業区の中でも王城側に近い、大店が建ち並ぶ区域だった。
昨日、王都に来てから見て回っていたのは、もっと外壁側の市民が利用する店の並ぶ騒がしい場所だった。
此処は活気ある騒がしさの向こうと比べると、閑静で建物一つ一つの外観も整って美しい。
「私、場違いじゃないですか…?」
思わず漏れた不安な声に、ルーカスは少しだけ視線を横に向ける。
「いや、そうとも言い切れん。むしろ、君の身なりや持ち物は、下町にいては目立ちすぎるだろうな。特にその銀の髪飾りなどは、目を引く」
「……それ、褒めてます?それとも注意?」
「両方だ」
きっぱりと返された言葉に、ライラはくすっと笑った。
「まあ、確かに。わたしが知ってるのって、村の人と、ウィルの家族と……その付き人たちくらいで。たぶん、身なりとか、田舎者っぽくないかも知れません」
城に勤める人間の中でも、王族の身の回りの世話をする者達ばかりという事は、身分も相応に高い者ばかりだ。
そんな人物の身なりが悪い訳が無く、必然的にライラも目が肥えていた。
「そうだな。君は目立つ。良くも悪くも」
「うー……王都で目立つのって、あんまり良いことなさそう……」
「ある程度常識を覚えるまで、君は市井に溶け込め無さそうだな。
——着いたぞ。此処だ」
視線を誘導されライラが見上げた先には、《ファング商会》と看板が掲げられていた。図形ではなく文字だけの看板は、市民街の方では見掛けた記憶がない。
「連絡はしてある。あまり構えずに、自然体で臨むといい」
「……はい。ありがとうございます、ルーカス様」
緊張をほぐす為に掛けてくれたのだろう言葉に大きく深呼吸をして、気持ちを整える。
ルーカスが扉を押し開けると、柔らかな鈴の音が室内に響いた。
中にいたのは、右足に添え木を当て、杖をついて立っていた男だった。年の頃は四十代半ばといったところか、グレーの髪に青灰色の瞳、年齢を感じさせないすらっとした身なりをしている。
男性は右脚に添え木を包帯で固定してあり、両手で杖をついている。怪我をしたという店主だろう。
「いらっしゃいませ、ルーカス様とお連れ様。本日は手伝いの者の紹介とお聞きしておりますが…彼女が?」
想像より若い、少女が面接に来た事で驚いたのか、青灰色の瞳を瞬かせた店主——アッシュがルーカスに確認する。
「ああ、そうだ。田舎の出だが、少し事情があってな。宿暮らしか、鍵付きの個室が必要なんだ。もし条件が合うなら、五ヶ月ほど働かせてやってほしい」
紹介されたライラはルーカスの隣から一歩進み出て、スカートの裾をつまんで小さく膝を折った。
「はじめまして、ライラ=セレーネと申します。読み書き計算は出来ますし、力仕事もそれなりに出来ます。もし宜しければ、雇って戴けないでしょうか?」
「……それが本当なら、是非と言いたい所ですが…。あの、本当に田舎の出ですか?何処かのご令嬢ではなく?」
失礼が無いように、とライラが考えてした挨拶は、セレーネ村にやって来たメイド達から教わった作法だった為、アッシュは目を白黒させた。
「……ライラ嬢、そこまで畏まらなくて良い。アッシュは大店の店主とはいえ、平民だ」
「あ、はい、分かりました。えっと、アッシュさん、これからよろしくお願いします!」
ぺこり、と体勢を戻してお辞儀をしたライラの元気な声に、ホッと息を吐いて笑みを浮かべ、アッシュは頷きを返した。