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ルーカス=ハイドランジア

「ええと、二本目の大通りを左、そこから四つ目の十字路を右に曲がった先、だったよね。たぶん、ここ…かな」


 教わった通りの道を進んだ先にあったのは、大通りから少し外れた場所に建つ、木の看板が目印の宿屋だった。


 立派というほどではないが、どこか落ち着きのある佇まいで、とても大きな建物だった。食堂が併設された宿屋としてはこれが標準的な大きさだったのだが、生憎と村育ちのライラには、それは知る由も無い事であったが。


(両替も済んだし、ひとまず宿の確保が先…)


 途中、両替と質屋を兼ねた店を見つけ、金貨一枚だけを小銀貨に崩しておいた。王都での物価に合わせれば、これで当面の生活には困らないはずだ。


 カラン、カラン。


 ドアベルの音と共に扉を開けると、どこか気の抜けた声が迎えてきた。


「いらっしゃいませー、お食事ですか?それともご宿泊ですかー?」


 カウンターにいた青年は本から顔を上げず、客の姿すら確認せずに声をかけてきた。ぱらりとページをめくる音が、静かに響く。


「えっと、両方でお願いします」

「かしこまりましたー。ご宿泊は、お一人で?」

「はい。一人です」

「はいはい。宿泊一名様…っと」


 帳簿にさらさらと書き込みながら、青年がようやく顔を上げ、ライラの方を見た。


「……っ!」


 一瞬、目を見開いて固まった彼に、ライラは首をかしげる。


「どうかしました?」

「い、いえっ!なんでもありません!」


 慌てて取り繕うように顔を背けた彼の頬は赤く染まっていたが、ライラにはその理由がまったく分からなかった。


 ライラは世間一般的に見て、美人の括りに入る。しかし、彼女の育った小さな村では皆が親戚で、その平均的な顔面偏差値自体がそもそも高く。故に自分が、栗色の髪と瞳の色をしていようと、他人から見ると惚れ惚れする容姿をしている事に、まだ気付いていなかった。





 名前を書き、代金を支払うと、青年はようやく本を閉じて立ち上がった。


「では、お部屋へご案内します。僕はエリック、この宿の次男坊です。よろしくお願いします」


 そう名乗った彼は、先ほどとは打って変わって丁寧な口調に変わっていた。


(さっきは、本に夢中だったのかな…)


 ライラは若干訝るも、先程までは読んでいた本にでも夢中になっていたから等閑(なおざり)になっていたのだろうと結論付けた。


「こちら、二〇七号室になります。お食事は朝夕共に六時半から九時の間なら、食堂に来て注文戴ければ何時でも御用意させて戴きます」

「分かりました。ありがとうございます」

「では、ごゆっくりおくつろぎ下さい」


 鍵を受け取り部屋に入り、ライラは鞄と弓矢を背中から下ろすと、ベッドに腰掛けた。


「ふー、初めてこんな長距離歩いたなあ」


 靴を脱いでぶら下げた脚をやわやわと揉み解しつつ、息を吐く。彼女にとって知り合いでない人間と話すのは、物心付いてから初めての事で、王都に着いてから少し緊張していたのだ。

 角部屋の此処は一階の食堂の真上な様で、窓を少し開けただけで美味しそうな匂いが漂って来る。きっと食事の時間になると、夕食や酒飲みに来た人間の声で騒がしくなるのだろう。




(……騒がしくても、その方がいい)


 村を出るまでは、親と離れて暮らす事は無かった。自室に一人だったとしても、昼間ならいつも誰かが立てる音がしていた。外に出ていても、誰かが話している声が聞こえたならそれは、血の繋がった誰かの物だった。

 その誰かは、此処に居ない。

 知らない誰かの声だったとしても、そんな寂しさを紛らわせてくれるかも知れないと、ライラは階下から騒めきが聞こえてくる様になるまでと目を閉じた。



***



 再び目を覚ました時には、すっかり日も暮れていた。時計を見ると、短針は七を少し過ぎたところ。どうやら一時間ほど眠っていたらしく、下からは談笑する声が聞こえてくる。


「服は大丈夫そう…髪だけ整えればいいかな」


 簡単に身なりを直し、ライラは一階の食堂へと足を運んだ。


「いらっしゃい!空いてる席に座って、ちょっと待ってておくれ!」


 食堂は思っていたよりも賑やかで、宿泊客だけでなく地元の人々も食事や酒を楽しんでいるようだった。


「こちら、お隣よろしいですか?」

「……ああ、構わないが」


 空いていたカウンター席の一つに腰を下ろすと、ライラは正面の壁に掛けられているメニュー表を眺める。

 頼む料理が決まったライラは注文をしようと店内を見回してみたのだが、食堂に入った時に来店の挨拶をしてくれた女性は忙しそうに駆け回っていた。


「かみさーん、酒もう一杯!」

「ここは食堂だって言ってるでしょ!飲みたきゃ酒場に行きな!」

「でも此処の料理で飲みたいんだよおお…」


 後ろから聞こえる、どこか呑気なやり取り。村では聞いたことのない光景だけれど、その会話の中に気安さが伺えて、不思議と心が和んだ。


「——君は、一人で此処に来たのか?」

「え?」


 静かに隣の男性が声を掛けてきた。カウンターの右端に座っていた彼は鋭い目をした、青みがかった黒髪の男で、どこか凛とした雰囲気を纏っている。


「はい。今日はこの宿に泊まる予定なんです。村から出てきたばかりで」

「そうか。此処に若い女性が来るのは珍しいから尋ねてしまったが、気に触る様だったら申し訳ない」


 堅い口調ながらも、真摯に向けられた言葉にライラは苦笑を返す。


「いえ、大丈夫ですよ。それより……注文って、どうやってすればいいんでしょうか?」


 周囲を伺って言ったライラのその質問に、男は固まった。

 この国で店員を呼んで注文をするのは当たり前の事である。それなのに、彼女はそれを知らないらしい。王都周辺は商人なんかの往き来も多いので、食堂や酒場があるのは当たり前。村から出て来たという彼女が、それを見るのも利用するのも初めてなんて事はあり得ないはず——と男が訝しんだ所で。


「あっ!ライラ様、お待ちしてました!」


 その時、明るい声が会話を遮った。受付にいたエリックが、注文を取りにやってきたのだ。


「エリックさん、ちょうど良かったです!」

「え?!——ああ、注文がまだだったんですね。それなら僕が伺いますよ」


 ライラの言葉に何かを期待して、状況を見て彼女が求めていたのが「自分」でなく「店員」であろう事を理解したエリックは、少し肩を落としながらも仕事の対応として言うべき台詞を口にした。


「トマトソースパスタと山羊のミルクスープ、それから白ワインを一杯下さい」

「かしこまりました。では後ほどお持ちしますので、しばらくお待ち下さい」


 頭を下げて戻って行ったエリックは、カウンター向こうの男性に一言二言告げている。その姿をライラが眺めていると、隣りの席の男が小さく呟いた声が耳に届いた。


「家出、ではなさそうだな」


 男がそう考えた理由は、ライラが頼んだ物の値段だった。もしライラが家出娘だったなら、その懐を気にして安い料理を一品位に留めておくはずである。この後、夜も活動する様な事でもあるなら別かも知れないが。


「家出……ではありませんよ。母にはかなり反対されましたけど、村長にも助けて貰って、ちゃんと許可は取ってきましたから」


「そう、か。……そういや名乗って無かったな。俺はルーカス。ルーカス=ハイドランジアだ」


 ライラの屈託無い笑みに男は少し拍子抜けして、今の所は一度、彼女に対して湧き上がる不信感を胸の奥にしまい込んだ。


「え、ハイドランジアって事は…貴族、ですか?」


 男——ルーカスが名乗った家名に、ライラは目を瞬かせる。それは、この国の貴族は花の名を家名として用いるからで、また、庶民が花の名を家名として用いる事は許されていないからだった。

 ライラの驚きにルーカスが首肯で返すと、一瞬きょとんとした彼女は、先程よりは幾分改まって背筋を伸ばし名乗り返す。


「失礼致しました。私はライラ=セレーネと申します」


 紫陽花(ハイドランジア)

 その名を名乗る者は、辺境伯家の一員。


 そしてライラが名乗ったその名は、彼女がこの旅のために用意した偽名だった。

 けれど、ルーカスがそれを知るはずもない。




「お待たせしました!トマトソースパスタと山羊のミルクスープ、それから此方が白ワインになります」


 ライラの頼んだ料理を運んで来たのは、その注文も受けたエリックだった。

 少し手が空いたらしい女性店員やカウンター奥でフライパンを振るう男性、常連客の面々が一様に、普段やる気を見せないエリックの、嬉々として仕事をするその姿を生暖かい目で見守っていた。

 もちろん、エリックがライラに惚れているのであろう事が一目で判ったからこそ、である。


「ライラ様、もし良かったらお話良いですか?」

「?私が答えられる範囲なら、大丈夫ですよ」


 視線に何となく気付きながらも、口にはしないエリックと、その意味を(はか)り兼ねているライラ。

 二人はその考えを異にしながらも、それらを無視するという同じ結論を出すに到った。


「ありがとうございます!えっと、ライラ様はどちらからいらっしゃったんですか?」


 そしてエリックが最初にした質問は、ライラにとって答えにくい物だった。


「…スターチス、って名前の村です。森や川に囲まれていてほとんど人の訪れない場所だけど、その分たくさんの自然の恵みを受けられて、良い所ですよ」

「素敵な村なんですね。じゃあライラ様は、どうして王都にいらっしゃったんですか?」


 ありきたりな言葉だけで表現して、自分の村の本当の特徴を述べなかった彼女は、疑問を持たれなかった事にほっと息を吐く。


「そうですね…。村の外を、見てみたかった。それだけなんです」


 これは本音だった。触れた事の無い外への渇望。それが彼女を此処まで連れて来た。

 それと、年に一度だけ村に来る幼馴染を、驚かせようと思って。

 その言葉を口にした彼女が浮かべたイタズラっ子な笑みは見る者の目を惹きつけていたが、それは本人には知り得ない事だった。



 先程、何処にある、とは明言せずに一般的な村の特徴だけを答えたライラ。浮かべた笑みに質問主は納得して頷いていたが、隣で聞いていたルーカスは村の名に眉を顰めていた。


(スターチス、か。どう考えても花の名だな)


 花の名を家名として名乗るのは、貴族だけ。

 ではそれを地名として冠する様な物はどんな所かと言うと、貴族の治める領名とその領都のみである。ただの村が、その名を花から付けた物とする事は出来ないのだ。


(明日の休憩時間にでも、一度調べてみるか)


 少女の笑顔の裏に隠された謎。

 そして、それに気づき始めた男。


 歯車は、ゆっくりと回り出していた。

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