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《禁じられた森》からの旅立ち

 とある王国。その王都から馬で一日ほど離れた場所に、《禁じられた森》と呼ばれる場所がある。

 その名の通り、一般市民はおろか王侯貴族でさえ、許可なく立ち入る事が禁じられている森である。


 しかし、その森を踏み入ってしばらく進んでいくと、不意に視界が開ける。

 そこには、世間から閉ざされた小さな集落がひっそりと息づいていた。

 その村に暮らすのは、その国において特殊なチカラを受け継ぐ一族——。


これは、そんな閉ざされた世界を飛び出した、ひとりの少女の物語である。



***



「お母さん、私、森の外へ行きたい」


 少女はこの日も、口癖になってしまったその言葉を口にした。

 まただ、と言わんばかりに、アネモネは眉をひそめる。


「何を言っているのライラ!いつも外は危険だと言っているでしょう!?」

「でも、もう遊びもやり尽くしちゃったし、毎日同じことの繰り返しじゃつまらないんだもん」

「そんな事言ってもね。ただでさえ貴女はこの村の中でも魔法の力が強いんだから、外に行ったりなんかしたら…」


 アネモネが続く言葉を探していると、その会話に割って入る声があった。


「行かせておやりよ、アネモネ」


 それは村の長老、サフランの静かな言葉だった。

 サフランはアネモネを一目で制すると、眩しい物でも見る様に目を細めてライラと視線を合わせた。


「ライラ、外には楽しい事もあるが、お前の母さんが言い聞かせてる様に危険もそれ以上にあるだろう。それでも行ってみたいと思うのかい?」


 ライラは真剣な顔で、力強くうなずいた。


「……そうか。なら行っておいで。ただし、その格好じゃ目立ちすぎる。どれ、(うち)にある変身用の魔法具を持っていくと良い」


「っ、はいっ!」

「長老……!」


 突然の展開にアネモネは困惑の色を隠せない。その気持ちも全て解った上で、走り出す娘の背中を見つめながら、サフランは小さく息をついた。


「昔から、あの子は人一倍好奇心が強かった。見たことのない世界に憧れて、自分の目で確かめないと気が済まない性分だったろう。

 ……遅かれ早かれ、外に出たいと言い出す事も、それを私達は留める術が無い事もお前だって分かっていたはずだよ。

 誰よりも、ずっとそばであの子を見てきたお前なら」


 アネモネは目を伏せ、ゆっくりと頷く。


「……ええ、分かってました。分かってたのに、心がついていかなくて……」


 反対し続けていたのなら、いつかライラは親の言葉も振り切って、勝手に外へ出てしまうかもしれない。

 ——かつて、産まれてくる娘をその手で抱く事も叶わずに逝ってしまった、あの(ヒト)の様に。


 それならせめて、見送れるうちに。

 その姿を隠す助けをしてやれるうちに。


 サフランの言葉に含まれたそんな意味を理解して、アネモネは力無く頷いた。





「それじゃ、行ってきます!」

「ああ、気を付けて行っておいで」

「……」


 まだ納得しきっていないのか、アネモネの口は開いたり閉じたりを繰り返すだけで言葉を詰まらせていた。

 その気配を感じ取ったサフランは、隣にあるその背をポンと叩く事で促す。


「ほら」

「っ——ライラ、ちゃんと帰っておいでよ!」

「うん!行ってくるよ」


 約束したのは、半年間の旅。

 こうしてライラは、生まれて初めて、森の外の世界へと足を踏み出した。



***



「お母さん、最後まで渋ってたなあ……」


 森の中を抜け、一本道を歩きながら、ライラはため息まじりに呟いた。

 母・アネモネはずっと、外の世界を恐れていた。

 最後には長老の言葉に押される形で許してくれたが、あれがなければきっと、外出の許可はもらえなかっただろう。


 ライラの家は、母と二人暮らし。

 父の顔は知らない。生まれる前に亡くなったと聞かされている。

 生活は村の他の家々と同じく、自給自足。畑を耕し、作物を分け合って暮らしてきた。


 《スターチス村》では三十軒にも満たない家々が、協力して農地を管理していた。

 家畜は少数ながら当番制で世話をする。

 このような共同体の形は国の中でも珍しく、そもそも村の存在自体、国のほとんどの民は知らないだろう。

 《禁じられた森》の奥に、村があると知る者はほんの一握りだ。


「にしても、お金ってほんとに価値あるのかしら……?」


 手にした革袋の中には、きらりと光る金貨が数枚。

 この国で最も価値のある《プロテア金貨》だ。


 建国当時から使われている古い金貨。村では使う機会もなかったため、彼女にとっては初めて目にする「道具」だった。


「ウィルには、金貨しかないなんて絶対変だって言われたけど……やっぱり変なのかな?」


 年に一度、初夏に訪れる幼馴染のウィル。

高貴な家の出である彼の言葉は、外の世界を伝える貴重な手がかりだった。


 彼が語る外の世界は、眩しくて、騒がしくて、美しい——

 怖い話もあったけれど、それでも、ライラは見てみたかったのだ。

 自分の目で、本当の世界を。


「えっと、まずは……両替屋さんに行くんだったよね?」


 ライラはそっと首元の髪留めに触れた。

 見慣れない色に変えられた髪が、風にふわりと舞う。


 サフランがくれた小さな紙には、外で守るべき注意事項が記されていた。


『髪留めを外さないこと』

『魔法の力は、誰にも見せてはいけない』


 魔法使いは、この国ではもはや伝説の存在。

それを使えるのは《禁じられた森》の者たちだけ——。


「……あ」


 目の前に広がるのは、木々が途切れ、空が広がる風景。


 森の終わり。

 そして、ライラの新しい物語の、始まりだった。



***



 ——ヒュンッ。


 放たれた矢が、唸りを上げて空気を裂き、目にも止まらぬ速さで獲物を撃ち抜く。


 ライラが歩いて目指している王都までは、馬車なら一日。徒歩では、おおよそ二週間ほどかかる距離だった。

 森の中にいる間は人目もないため、魔法で移動することができたが、ひとたび森を出てしまえば、あとは普通の旅人と同じように、ひたすら歩くしかない。


 とはいえ、ライラの旅は一般人よりは幾分か楽だった。

 魔物避けの香を焚き、万一襲ってくる生き物がいても、風の魔法を纏わせた矢で撃ち落とせばいい。

 しかもその矢は、目に見えないほど速く、静かだった。


 問題があるとすれば——王都と《禁じられた森》の間には町が一つもない、ということだろう。

 街道と合流するまでは、まるで世界から取り残されたような、誰にも気づかれない道が続いていた。


「お肉は狩りでどうにかなるし、水も魔法で出せるんだけど……野菜がないのがなぁ」


 森とは植生が異なるため、食べられる野草も見つけづらい。

 干し飯と干し肉、わずかに摘んだ野草。そして、さっき仕留めた蛇を捌いた肉をひとつの鍋に放り込み、煮込んでみる。


 火打石はこの旅で初めて使った。

 ……が、うまく火がつかず、打つふりをして魔法で着火するのが定番になっている。

 食べきれなかった獲物は、魔法の火で灰にして後始末。

 ただし、魔石だけは小さなナイフで取り出し、大事に袋へ入れていた。


 寝るのは地面の上。

 周囲の草を刈り取り、その上にマントを敷いて寝る。眠るのは、昼。

 夜は魔物が出やすいため、昼のうちに焚き火のそばで休むのが習慣になっていた。

 警戒には罠を張り、野営の心得もそれなりに身についてきた。





 ——そんな生活を続けて、ついに二週間。


 王都にたどり着いたのは、太陽が中天を過ぎた頃だった。


「……うわぁ」


 視界いっぱいに広がるのは、目が回るほどの人混みと、色とりどりの衣装。

 白壁に青い屋根の建物が並び、村の木造家屋とはまるで違う世界がそこにあった。

 王都は国で最も賑やかな街だとは聞いていたけれど、外の世界を知らないライラにとっては、その全てが目新しく、眩しく感じられた。


「こんなに人がいたら、両替商がどこにいるのかなんて分かるかな……」


 ライラが持たされてきた金貨は、たったの五枚。

 けれどそれは、この国で最も価値のある《プロア金貨》だった。


 通貨の単位はプロア。

 小銅貨が1プロア、大銅貨・小銀貨・大銀貨と、それぞれ十倍ずつ価値が上がる。

 金貨はその最上位で、たった一枚で五人家族が一年は生活できるほどの価値があった。


 ——そんな金貨を、ライラは五枚も持っている。


 普通に使えるはずもない。

 だからこそ、両替して使いやすくする必要があるのだ。


 金貨を手にした経緯は、村を出る前にまで遡る。

 初めて“お金”を見たあの日、長老サフランは笑いながら言った。


「一枚だけなんて寂しいし、持って行きなさい。どうせ村じゃ使わないしね」


 結局、ライラは断りきれず、五枚も持たされてしまったのだった。

 ちなみに村にあった金貨の総数は——なんと、二千枚。


 ……どうやら、禁じられた森の住人たちの金銭感覚は、少々世間とずれているらしい。


「門番さんに、両替の場所も聞いておけばよかったなぁ……」


 王都の門前では、長い行列ができていた。

 馬車の持ち込みや荷物の検査は厳しいが、一人ひとりに丁寧な対応はされていない。


 ライラは荷物も少なく、目的も“初めての王都観光”。

 門番は簡単な質問と荷物の確認を終えると、女性でも安心して泊まれる宿をひとつ紹介してくれた。


「《木漏れ日亭》、だったよね。まずはそこに行って……人に聞いてみよう」


 門からまっすぐ進んで、教会の手前を右に。

二本目の大通りを左に、そして四つ目の十字路を右。

 木の形の看板が宿の目印——そんな説明を受けたはずだ。


「……え、大通りって、どのくらい広い道のこと?」


 この国では、大通りといえば馬車がすれ違えるほどの広い道のことを指す。

 けれどスターチス村では、そもそも馬車が通る道自体がなかった。

 彼女にとって、“広い道”の基準がまるで違っていたのだ。


「まぁ……教会は屋根が黄色らしいから、それを探して……」


 プロテア王国の国教は太陽信仰であり、教会の屋根には黄色が使われている。

 ライラは教会を見たことがなかったが、村にあった本で読んだことがあった。


 そして数十分後。


「これが……教会……」


 他の建物よりもひときわ大きく、鐘楼の先には黄色いとんがり屋根と、太陽のオブジェ。

 それは確かに、ライラの想像をはるかに超えた建物だった。


「——おや、お嬢さん。我が教会にご用ですかな?」


 白に金縁の衣をまとった修道士が、にこやかに声をかけてくる。


「あ、いえ……初めて見たので、つい眺めていただけで……」

「もしよければ、中もご覧になりますか? ここは内部も美しいと評判なんですよ」


「えっ、いいんですか!?」


 もちろん、と頷く修道士に促され、ライラは初めて教会の中へと足を踏み入れる。


「……わあ……」


 大理石の床に敷かれたオレンジのカーペット、その先にはステンドグラスと天窓から降り注ぐ光。

 青空が描かれた天井に、左右の壁を飾る金の鷹のレリーフ。

 それはまさしく、神聖という言葉そのもののような空間だった。


「ふふ、美しいでしょう? 太陽神はいつでも人々を見守り、魔の者から我らを守ってくださるのです」

「……なるほど」


 魔物——それは動物の突然変異によって生まれた、人に害を成す存在。

 魔石を体内に持ち、異常な力と色彩を宿している。

 昼は活動が鈍るため、「太陽神が魔物を押さえつけている」と教会は説いているらしい。


(だから、村には教会がなかったんだ……)


 魔法使いは、“魔に属する者”と見なされる。

 彼らの信仰は太陽ではない。

 口には出さず、ライラはただ静かに微笑んだ。


「ありがとうございます。とても綺麗なものを見せていただきました」

「いえ、喜んでいただけて何よりです。どうか太陽神のご加護がありますように」


 別れ際に祈りの言葉を受け取って、ライラは教会を後にする。


 そして、最後にふと思い出した。


「……あっ、大通りってどういう道のことか聞いとけばよかった!」


 慌てて戻り、教会で「大通りの定義」を聞き直したライラは、改めて《木漏れ日亭》を目指して歩き出した。

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