エラとガラスの靴
約束の週末。
エラ以外の家人が出掛けたのを確認して、ライラはエラの家の扉をノックした。
「は、はい!——あっ、ライラさん!」
見送ったばかりの継母達が戻って来たのかとビクついて扉を開けたエラだったが、其処に居た本日約束していた相手にホッと息を吐いた。
挨拶を交わし一旦家の中に入ると、早速とばかりにライラは持参したカバンから物を取り出す。
「じゃん!帽子持って来たよ!あと、エラは髪を留めるピンとか持ってる?」
「え、ええ。持って来ますか?」
「うん。せっかくのお出掛けだし、エラもおしゃれしようよ。それに、髪型変えて雰囲気変えた方が、他の人にも気付かれないかもよ?」
「まあ…!私の為にそんな所まで考えて下さったんですね…!ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げたエラに、「気にしないで」と首を振る。
「それより、友達と遊ぶのに片方が敬語で話してる方が違和感抱かれちゃうよ。ほら、敬語やめて?」
「え、ええ?ううぅ…わかり、あ、わ、分かったわ…!」
ライラの催促に吃りながらも、何とか敬語を外しす事にしたエラ。
臆面も無く「友達」と言うライラに、少しだけエラの瞳が潤んだ。
「…あ、ありがとう」
「ん。早く支度して出掛けよう?エラ、もう少し綺麗な服に着替えてこれる?」
「ええ。私、今日の為に、お気に入りの服を用意しておいたの!」
待ってて、と一言言って駆けて行くエラの頭の後ろで、ひっつめの髪が揺れる。
「あんなに楽しみにしてくれてたんだったら、誘って良かったなぁ…」
自身も友人との街歩きは初めてのライラ。
自分だけ楽しみにし過ぎて空回りせずに良かった、と笑みが溢れた。
いつもの灰に薄汚れたワンピースは、エラの碧眼に似合う綺麗めの水色のワンピースに。家事をする為にひっつめにしていた髪型は、綺麗な金髪を編み込んで。更にその上からライラの持って来た、鍔の大きめな帽子を被ったエラ。
薄く化粧も施した彼女は、気品さえ漂うほど美しくなっていた。
「見違えたね、エラ」
「そ、そうかな…?ありがとう」
所作も美しく、微笑みは儚くて、深窓の令嬢と言われても納得するだろう。——家事で荒れた手さえ見なければ。
「では行きましょうか、お姫様?」
「まあ…!」
くすくすとライラの冗談に互いに笑い合い、手を取り合って街へと繰り出した。
***
ライラとエラの王都散策は、主にウィンドウショッピングになった。
村に持ち帰れるほどの荷物しか持ちたく無いライラと、自室に隠し切れず目立つ様なら継母達に奪われてしまうエラ。
必然的に購入は最小限で、お互いに似合う服や小物を見立てては楽しんでいた。
「あ、きれい…」
「ホントだ。飾りって書いてあるけど、エラなら足小さいから履けそうだね。
——あの、店主さーん!」
「えっ、わ、私、そんなつもりじゃ…」
ガラス細工の店でエラが目を留めたのは、ディスプレイ用のガラスの靴だった。
左右両方一つずつ置いてあるそれは、見れば成人女性とは思えないほど足の小さなエラに、ぴったりなサイズ感である。
ライラは思い至ると、直様奥のカウンターに居る店の主人へと訊ねに向かった。
「おう、何だい嬢ちゃん達」
「店主さん店主さん、このガラスで出来た靴って、靴として履いても大丈夫?」
「あん?こんな小せぇの履けんのか?」
「私じゃなくて、この子なら履けそうなの!」
追いかけて来たエラの肩をずいと押して、店主に見せる。
「す、すみません、友人が暴走してしまって…」
「……いや、まあそれは良いんだけどよ。えらい別嬪な姉ちゃんだな。美人の友達は美人ってか?
とりあえず、カウンターから少し離れてくれ。近過ぎて嬢ちゃんの足の大きさが見れねぇよ」
店主の台詞に、素直にエラの肩を掴んでいた手を放したライラ。そしてライラの提案を受け入れられている事に目を瞬かせたエラも、言われるがまま一歩カウンターの向こうから見える様、後退した。
「ほう…。確かにアンタは足がすごい小せぇな。これなら履けるか…?」
「あ、あの…これって飾り用じゃないんですか?」
ライラがカウンター上に置いた物を見つめ、エラは眉を下げる。
「実はな、とあるガラス工房の親方が『新しい挑戦として靴を作ったぞ!』と持って来たんだが、これが女性用としても小さい割に、ヒールが高くてな。
大人の女性では、足の大きさ的に履けない。子供が履くには柔軟性も無く、ヒールが高過ぎて怪我の元だってんで、置き物として売る事にしたんだよ。
元々履く様として作ってあるから、ガラスの割に丈夫ではあるそうだが」
店主はガラスの靴の来歴を語ると、左右揃えてエラに渡した。
「それだけ足が小さいアンタみたいな人が居るとは思わなかったが…もし可能なら、一度履いてみてくれ。それがコイツを作った職人の願いだったからな」
「わ、分かりました…!」
大事に受け取って、エラは透明が美しいそれを床に下ろす。
履いていた靴を脱いで、そっとガラスの靴に足を通した。
「わあ…!綺麗だよ、エラ!」
「おお、本当に履けるとはな!これで工房の親父に良い報告が出来るぜ」
「ほんとに、ぴったりだわ…」
感嘆する二人の言葉も聞こえないくらい、エラは自分の足が収まったそれに、目が奪われていた。
革の靴の様に自分の足の形に変わるのではなく、まるで最初から自分の為に誂えたかの様だった。
「嬢ちゃん、買って行くかい?」
「あ…そうですね、買わせて頂きます。ただ…靴としてじゃなくて、今日の思い出として」
エラは元の靴に履き直すと、店主へ“二つに分けて”包んでくれる様頼んだ。
「おや、そうかい。まあ確かに普段使いにゃ向かねぇし、充分な思い出の品にはなるもんな」
少し残念そうな顔をしつつも、店主はエラの言葉通り左右片方ずつを割れない様に包んだ。
代金を払ったエラは、片方をライラに渡す。
「一度履いた物で申し訳ないのだけれど…」
「え?エラが買ったのに、な、なんで…?」
「今日、誘って頂いたお礼よ。誰かとこんな楽しい時間が過ごせるなんて、ずっと思ってなかったから、とても嬉しくて…。それに、今日の記念に、友達同士でお揃いの物が欲しかったの」
「お揃い…」
渡された中身の見えない箱を、きゅっと抱き締める。
「嬉しい…!ありがとう、エラ!後で私もお返しに何か贈らせてね?」
「ふふっ、それならライラに貰うのも、お揃いの物が良いわ」
店主に礼を言って、店を出る。
彼はライラ達の会話に感動したのか涙を滲ませ、笑顔で見えなくなるまで二人を見送ってくれた。
***
「うーん、良いの見つからないねぇ…」
カランコロンとグラスの中で氷が音を立てる。
ガラス細工の店を出てからも幾つか店を見て回った二人は、一度休憩と遅い昼食の為にカフェに入った。
あまり買い物らしい買い物もしておらず、予算の余っていた二人は少し良いカフェに入ったのだが、お陰で冷たい飲み物が飲める。
氷は冬も過ぎてしばらく経った今、それなりな値段が掛かる。
最近は魔石の研究が進み、水を氷に変えたり、簡単に火が起こせたりといった魔道具が開発されている。
《魔道具》は魔法使いの作る《魔法具》と違い、魔石の魔力を動力に、少しの物理法則を引き起こす回路を持つ道具だ。
魔法は物理法則に反した事も可能とし、魔法使い自身の魔力でもって事象を引き起こす。それをより容易に、より長時間留める為の物が《魔法具》である。
——つまり二人の居るカフェは、魔道具を使用するお高めの飲み物の出てくる店という訳だ。
「お揃いのお返し、今日でなくても良いのだけれど…」
「うーん…、でも、今日の記念でもあるなら、今日見付けないと」
頑固なライラの意見に苦笑するエラ。
窓際の席に通されていた二人は、その美貌で外の道を歩く人々の視線を惹きつけていた。
悩む二人のそんな所へ。
——コンコン
外からガラスを小さく叩かれる。
「あれ、ウィル…?」
「ライラ、知り合い?」
窓をノックしたのは、以前と同じ変装したウィリアムだった。
此方が気付いた事を確認した彼は店の入り口へと回ると、カランとドアベルを鳴らして店員の案内を待たずに、飲み物の注文だけしてからライラ達の席へとやって来る。
「やあこんにちは、ライラ」
「こんにちは、ウィル。王都に居てもそんな頻繁に会えるとは思ってなかったけど、こんな偶然もあるのね」
「あー、まあ、年に一度よりは頻繁って言えば頻繁か…」
前回の再会から、既に一ヶ月弱ではあるが、今までのライラとウィリアムの対面頻度からすると“頻繁”に値するだろう。
「ところで、そちらの彼女は?」
「あっ、は、はじめまして!ライラさんの友人の、エラと申します!」
「これはご丁寧に。私はウィリアム。ライラの幼馴染だ」
「お、幼馴染だったんですね…」
どことなく緊張が隠せないエラの視線が、ライラとウィリアムの間を行き来する。
「此方で友人が出来て良かったな、ライラ」
「むっ、エラだけじゃなくて、ルーカスともあの後友人になったよ!年下の癖に、上から目線辞めてくれる?」
「なんだ、村から出た事が無かったお前を心配してただけだろうに」
「それはそれは、ありがとうございますぅ」
ウィリアムとは気心知れているからか、少々幼い言動が飛び出すライラ。「ちょっとお手洗い」と一旦頭を冷やす為に、彼女は席を立った。
それに苦笑しながらも了承して、入れ替わりに店員が持って来た飲み物を礼を言って受け取った後、ウィリアムはエラに向き直った。
「こんなだけど、良い所もあるから、これからもライラと仲良くしてやってくれないだろうか?」
「は、はい。それはもちろん。ライラさんが優しくてとても良い人なのは、私もよく分かってますし」
頷いたエラに、しかしウィリアムは目を眇める。
「……ライラが貴女に、隠し事をしていても?」
視線は鋭い。
ウィリアムは大切な幼馴染が、彼女が魔法使いと知らない人間に深入りして、万が一正体がバレた時に拒絶されないか心配していた。
「………隠し事をされていても、彼女が私を友人だと言ってくれている気持ちは、本物だと思います」
真剣さには、真剣に返して。
エラは真っ直ぐウィリアムの瞳を見つめて言った。
「彼女は私を助けてくれました。悪い事をしているので無いのなら、私は彼女を信じます」
「……そうか」
一度、ゆっくりと赤い瞳が伏せられる。
次に開かれた時は、その顔に柔らかな笑みが浮かべられていた。
「ありがとう、エラ。君の想いに感謝を。改めて、ライラをよろしく」
「こちらこそ、認めて頂きありがとうございます」
二人の空気が軽くなった所で、気持ちを立て直したライラが戻って来た。
「ただいまー。初対面なのに二人にしちゃってごめんね?大丈夫だった?」
「ああ」「はい」
二人分の首肯に笑ったライラは、笑みを溢す。
「良かった!私の友達同士が仲良くなってくれたなら嬉しいよ」
「そうか。ところで、ライラ達は此処に来る前は何をしてたんだ?」
「今日の記念になる物を探してたの!ウィル聞いてよー」
そこから、ガラス細工の店での出来事や、その後の記念品探しの道のりを、エラの補足を交えてライラは説明した。
「なるほど、揃いの品、ね…。それなら、全く同じの物でなくても、色違いとかで選んではどうだ?アクセサリーなら、一般市民でも買えるような良い店を知っているから、案内しよう」
「え、なんでウィルがアクセサリーの店…?」
王族であるウィリアムは、基本宝石商が売りに来る物から選ぶ立場だ。恋人や婚約者も居ない彼は、お忍びの時にまでアクセサリーを着ける事は無く、何故そんな店を知っているのかライラには分からなかった。
「昔は兄姉と下町に出る事もあったからな。姉上達が嫁に行く前は、そういう店にも連れ回されていたんだ」
弟だからか、二人の姉の良いおもちゃにされて来たウィリアム。それを上の兄が諌めていた姿が、ライラの記憶にもある。彼の下の兄も弟という立場は同じだったが、のらりくらりと躱すのが得意なひとだった。
——ウィリアムの歳が、他の兄弟達と少し離れている所為かも知れないが。
「じゃあ、案内お願いね、ウィル」
「ああ、任されよう。とりあえず、注文した物を片付けてからだな」
見ればウィリアムの飲み物は、まだあまり減っていないし、ライラとエラの食事も三分の一が残っていた。
それらを残らずそれぞれの腹の中に収めてから、三人は移動することにした。




