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精霊

 魔法陣で召喚したのは、ライラの契約精霊——黒猫型精霊のルナである。

 ルナは普段《禁じられた森》の中を好きに行動しているものの、ライラが王都に行くと聞いた時は『落ち着いたら呼び出しなさい!』と上から目線のお願いをされていたのだ。

 宿が生き物の連れ込み禁止な事など知らなかったライラはそれを了承していたのに、召喚の儀式が出来る環境となった今日まで呼ぶ事が出来ないでいた。


『こんなに遅くなるなんて聞いてなかったわよ?王都に着くまで二週間って行ってたじゃない。もうそろそろライラが村を出て一ヶ月経つわ』


 首を傾げるルナに、ライラは宿で召喚出来なかった為、今日になってしまった事を話す。


『そう。それなら仕方ないわね。にしてもライラはこっちで困っている事は無い?友達は出来た?』

「困ってるというか、問題はあったりしたけど、自分で解決出来る範囲でだったよ。

 そうそう、友達は二人出来たの!ルーカスって歳上の男の人と、エラって言う歳下の女の子だよ!」


 王都に来てから起こった出来事を、ルナに説明していく。

 教会を見学した事、ルーカスとの出会い、ウィリアムとの再会とルーカスとの関係、初めての仕事、上司や先輩達の事。

 そして、今日あった事件と、エラとの出会い。


『んんん、村より余程充実した時間を過ごせた様で良かったわね。それにしても、そういう悪意ある人達が居るからかしら?村や森に居る時より、此処の空気は澱んでいる気がするのよね…』

「そうなの?」


 精霊は悪意と穢れに敏感だ。

 請われるまま呼び出したが、もしかしたら王都はルナにとって居心地の悪い場所かも知れない。


『まあアンタが無茶しないかも心配だし、しばらく一緒に居てあげるわ。アンタが仕事している間は、アタシも自由にさせて貰うけど』

「なにそれ…。まあでも、結局いつも通りって事なら、それで良いよ」


 相変わらずだ、と何処か安心して、ライラは肩の力が抜けた。

 ぴょん、と机から飛び降りて、ルナはライラを振り返る。


『——今日はもう遅いわ。アンタはさっさと寝なさい』

「…ルナはどうするの?」

『アタシは周囲に他の精霊が居るか、確認してくるわ。夜じゃないとあっちも姿隠してるだろうしね』

「はーい。気を付けてね」


 入り口を少し開けてやれば、するりと隙間を上手く潜り抜けて、ルナは夜の闇に溶けて行った。



***



 精霊は普通の人間には見えない。

 彼らを見る事が出来るのは、魔に属する者か、精霊側が気に入った者に対して自ら姿を現すかだ。それでも、精霊の言葉が聞き取れる事は稀である。

 精霊の存在は文献に載っているが迷信と考えられていて、魔法使いに至っては存在を知られてすら居ない。

 精霊も魔法使いも、存在を知る者達に自らの秘匿する様伝えているからだ。その為、精霊の存在が広まるのは、他者に見えない物が見える子供の様子に家族などが気付く事によってしかほぼ無かったりする。


(ま、それでもアタシ達は極力バレない様に、動物の姿を取ってるワケだけどね)


 月明かりの照らす道、ルナは異なる色の瞳を光らせながら、同族の気配を辿る。


(こんな所でも、意外と居るわね…。…いえ、街中だと魔物に襲われないからかしら?)


 力が弱い精霊は、魔物の格好の餌食である。

 食糧としてではなく、自らの力を付ける為の魔力を取り込む為の術として。

 だから精霊の気配は時々するのに、ひとつひとつの気配は弱々しい。


(清廉な人間の近くとでも関わりがあれば、少し力が強くなるはずなのだけれど)


 そう考える内に辿り着いたのは、大きめの住宅だった。


(何ココ…。結構な穢れの強さの人間と、途轍もない清廉な気配の人間が同居しているわ…)

『にゃあお』


 清廉な気配がするのは屋根裏部屋からの様なので、その上の屋根まで雨樋を駆け上がり、同族が居るか確認の為の鳴き声をあげる。


『……ちゅー?』


 しばらく待つと、小さな声で鳴いて通気口から頭を覗かせたネズミが一匹。

 グレーの体毛に、耳の先の毛だけが青い。

 ——精霊だ。


(やっぱり居た!)

『こんばんは、ネズミの精霊さん』

『わあ!もしかして猫の精霊さんですか…!?こんなに大きな姿の仲間、初めて見ました…!』


 ルナが呼び掛けると、その姿を視認したネズミが壁と屋根を走って駆け寄る。


『アタシは街の外から来たから、アンタの様な魔物にビクビクしてる精霊とは違うもの』

『そ、それはスゴい…!でも、それならどうして貴女はこの街へ?』


 目をキラキラ輝かせるネズミの視線を受け、得意げになるルナは契約者の魔法使いのお目付け役として来たのだ、と事実を誇張して説明した。


『わあ…!魔法使いの方も居るんですね?!』

『そうよ。アンタはこの清浄な気配の人間と契約しているのかしら?』


 ルナの質問に、ネズミは寂しげに目を伏せ、小さく首を振る。


『いえ…。他の人間にバレるのが怖いので、姿は見せても会話しようと試した事も無いです。ほら、お気付きかと思いますが、彼女の同居人はとってもタチが悪いので…』


 穢れた気配の漂う方を見て、ネズミは眉を下げた。


『ボクは本物のネズミの家族に混じって、彼女が時折くれるパンやチーズのカケラを貰ってます。この姿なら、それくらいで補給する魔力は充分なんです』


 ルナの方に顔を戻して、穏やかに言った。


『でも、もし願いが叶うなら。彼女が幸せになれる環境に移って、ボクとも話してくれると良いな、とは思いますけど』


 叶わぬ願いだ、と諦めた笑みが無性に腹立たしくて、ルナは自分の怒りが表面化する前に、此処を去る事を決めた。


『そうね…。じゃ、アタシはまた街の探検に戻るわ』

『あ、はい。もし良ければまた来て下さいね。お気を付けて』


 トントントンッ、とリズム良く屋根を降り、ルナは道に戻る。


(——自分の力で幸せにしようとは、思わないのかしら)


 力のある者と無い者の考えの違いは、ルナには分からなかった。



***



 翌日。明け方まで出歩いていたルナにベッドの中から見送られ、ライラはいつもより早めに家を出て仕事へ向かった。

 朝の空気はひんやりとして肌寒いものの、その冷たさが美味しく感じ、頭がすっきりとする。

 少し遠回りをして、クレアに忠告を受けた、あの家の近くの道を選ぶ。


「あ……エラ」

「あっ、ライラ、さん…」


 朝早くから玄関の掃除をしていたエラを見掛けて、思わず声を掛けてしまった。


「こんな早くから、掃除?」

「え、ええ…。朝が一番、埃が舞ってなくて掃除に向いていますから…」


 距離感が掴めないのか、ぎこちない笑顔で応答するエラに、ライラは近付く。


「——大丈夫だよ。私、エラと仲良くした事で報復されるんだとしても、返り討ちにするし、気にしないから」

「え」

「だから、」


 昨日と同じ様に、エラの片手を両手で包む。


「だから、安心して、友達になろうよ、エラ」


「え、え…?」

「今週末の予定は?」

「家の人は午前中から出掛けるそうなので、特にする事は無いです…」


 エラの答えに笑って「手始めに、今週末は変装して遊びに行こう!」と誘えば、目を潤ませたエラが「はい!」と破顔した。


「でも、変装していない時はあまり私に関わらないで下さいね? ライラさんが周りの人にも避けられちゃうかも知れません」

「うーん…、そっか…。じゃあ、次に誘う時の手段を何か考えておくよ」


 「今週末は迎えに来るから!」と告げ、仕事へ向かったライラをエラは見送る。


「……友達って、久しぶりだわ…」


 昔はエラにも沢山の友人が居た。けれど、母が亡くなり、父が今の継母と再婚してから疎遠になってしまった。

 時折見掛ける彼女達は、一様に視線が合った瞬間、目を逸らしていて。以前の様に話す事も出来ないでいる。

 今の彼女にとって、気兼ねなく話せるのは屋根裏部屋の自室に開いた穴に住む、ネズミの家族だけだ。


(後でネズミさん達に報告しましょ。素敵な友達が出来たんだ、って)


 止まっていた箒の動きは、先程より幾らか軽やかで。エラは今なら継母や義姉に何を言われても、耐えられる気がした。

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