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石の剣の王2 七賢者の末裔  作者: 水崎芳
第七章 七賢者の末裔
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第七章 七賢者の末裔

第七章 七賢者の末裔 をお届します。

最後まで読んで頂けますと嬉しいです。

    第七章 七賢者の末裔


 ようやく土煙が収まると、そこにはこの世のもとは思えぬ凄絶な光景が広がっていた。

 落下の衝撃で砕けた門扉の破片が四方八方に飛び散り、信じられない事に建物の石壁にまで突き刺さっている。門扉を吊り上げていた太い金属の鎖は無残にちぎれ、倒壊した楼閣の残骸に半ば埋もれていた。〈前門〉の両脇の囲壁にも無数に亀裂が走っており、こちらも今にも崩れ落ちそうだ。それに気付いた〈前門〉を警備する騎士たちが、囲壁から離れるよう声を枯らして叫んでいる。

 誰かを探して名を呼び続ける者。茫然とただ地面に座り込んでいる者。顔を覆って泣きじゃくる者。あちらこちらで怪我人が地面に倒れ、血を流し呻いている。

「レディ・マリエル! お怪我は!?」

 怯えて左右に動き回る鞍下の赤粕毛馬を必死になだめながら、スヴェアがマリエルに尋ねた。彼自身も、舞い上がった土煙を浴びて髪も服も汚れている。

「大丈夫です」

 気丈に答えるマリエルも、さすがに青ざめている。

『………ファミーガ』

 ジーヴァがはっと息を飲んた。

『ファミーガは!? あいつは無事か!?』

 動揺のあまり〈天の民〉の言葉でスヴェアに尋ねた事にも気付かない。

 だが、彼女が何を聞いたのかすぐに察したスヴェアは、少し前まで巨大な門が高くそびえていた方角を振り返った。

 門扉が落下した時の衝撃波で吹き飛ばされた馬車の傍らで、二頭の鹿毛馬が悲しげな鳴き声を上げながらもがいていた。折れた(ながえ)(馬車と馬をつなぐ棒)と馬具が体に絡みついてしまい、起き上がれないのだ。半壊した馬車の中に閉じ込められていた主人をやっとの思いで引きずり出した御者が、自分の怪我など全く頓着せず、今度は馬の救出にかかる。近くにいた男が手伝いに駆けつけ、短剣を取り出して御者と一緒に頑丈な革製の馬具を切り離しにかかった。

 そして、そんな彼らの肩越しに、キジの羽根飾りが付いた帽子が瓦礫の間に埋もれているのが見えた。

 その下から流れ出る血だまりも。

 スヴェアの顔から血の気が引いた。

 エイデンはあそこにいたのだ。

 まさか………

「………冗談だろ、おい」

 スヴェアが呻き声を発したちょうどその時、瓦礫の山の影から漆黒の騎馬が姿を現わした。

 ジーヴァが安堵の声を上げた。

『ファミーガ!』

 黒衣も、跨る黒馬も土埃を被ってはいたが、それ以外はいつもと全く変わらない。黒馬の方はしきりと鼻を鳴らし頭を上下に振っていたが、怯えているのではなく、単に黒天鵞絨(びろうど)のような見事な毛皮が土埃で汚れてしまったのが気に食わないだけらしい。

 主人が主人なら馬も馬だ。

 スヴェアは安堵混じりの苦笑いを漏らした。

「…ったく、あんた不死身かよ」

 しかし、間近まで来たエイデンの左腕を見たスヴェアは、驚きの声を上げた。

「おい! 怪我してるじゃねえか!」

 エイデンの左上腕に、砕けた門扉の破片が突き刺さっていた。

「何てこと! すぐに手当てをしなければ」

「必要ない」

 慌てるマリエルに素っ気なく答えたエイデンは、腕に刺さった破片を無造作に引き抜くと、背後の瓦礫の山に向かって放り投げた。

 黒衣のせいで傷の程度や出血量はわからないが、かなり深い傷のはずだ。それなのに痛がる素振りは微塵も見せない。

 スヴェアは呆れて呟いた。

「…………痛覚がねえのかよ」

 「事故」を知った系譜図書館の騎士や司書、それに〈前庭〉の住人が大勢駆けつけてきた。

 あまりの惨状に一瞬息を飲むが、すぐに気を取り直し、怪我人の救助を始める。軽傷の者はその場で手当てを受け、重傷者は板や布でこしらえた即席の担架に乗せられて次々と運ばれていった。自身も血を流しているのに他の怪我人の世話をしている者や、ショックのあまり泣き崩れた女の背中をさすって落ち着かせてやっている者もいる。

 マリエルは、胸元のフクロウの護符をぎゅっと握りしめた。

「…………もっと早く予言()ていれば………」

 こんなに大勢の怪我人を出さずにすんだのに。

 あの門番も無事だったはず。

 いや、それ以前に、〈前門〉の倒壊そのものを防げたかもしれない。

「被害の甚大さに比すれば死傷者は少ない」

 一応慰めているつもりなのか、悔しさに表情を曇らせるマリエルに向かってエイデンが言った。

 マリエルは彼を睨みつけた。

「あの門番の家族にもそう言えますか?」

「良かった。みなさんご無事でしたか」

 安堵に満ちた声が投げかけられた。

 肩で荒い息をつきながら、ラーキンが立っていた。大急ぎで駆けつけたらしい。彼は、石と木と金属で作った不格好なオブジェのようになってしまった〈前門〉の残骸を見て目を丸くした。

「何て事だ………何故こんな」

「門扉を巻き上げる鎖の軋み音が違った」

 エイデンの言葉に、全員「え?」というふうに彼を振り返る。

「以前、ここに来たのはかなり昔だっだから、気のせいかと思ったのだが」

「〈前門〉が壊れるなど前代未聞です。ディアドラ系譜図書館始まって以来の事です」

 ラーキンは震える手で前髪をかき上げた。

「外へと通じる門はここだけです。瓦礫が取り除かれるまで、誰も外へは出られません」

「なんてこった」

 スヴェアは忌々しげに舌打ちした。

 この有様では、瓦礫の撤去には何日もかかるだろう。

 スヴェアはマリエルを振り返った。

「仕方ありません。ホステッド・コスに戻りましょう。〈前門〉が通れるようになるまで、あそこに滞在するのがよろしいかと」

 だが、マリエルは馬から降りた。

「いいえ。わたくしは怪我人の手当てをします」

「! レディ、お待ちを!」

 そのままさっさと負傷者たちの方へ歩き出そうとするマリエルを、自分も慌てて下馬したスヴェアが止めに入る。

 ジーヴァがぼそっと呟いた。

『…………彼女、なんか怒ってないか?』

『彼女が怒っているのは自分に対してだ。好きにさせればいい』

『相変わらず冷たいな、お前は。そんなだからシャリマーの怒りを買うんだよ』

 エイデンは訝しげにジーヴァを見た。

『? 私がいつシャリマーを怒らせた?』

『自覚がないところが最悪だな。お前がドラン(ワクトーのこと)からの手紙を受け取って〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉を出て行った後、それはもう大変だったんだぞ。お前、シャリマーにひと言も言わずに出て行ったろう?』

『何故、シャリマーに言う必要がある?』

 本気でわからないらしいエイデンに、ジーヴァはがっくりと肩を落とした。

『………もういい。ファミーガに女心をわかれって方が無茶だった』

 その時だった。

「ああいた! 良かった探したんだよ!」

 ひどく慌てたガラガラのだみ声がした。

 よほど大急ぎで走って来たのだろう、今にも心臓が止まりそうなほど息も絶え絶えの様子のベヴ=ヘイバースは、手を両膝に置いて呼吸を整えながらエイデンに向かって途切れ途切れに言った。

「大変なんだよ! カナンが……カナンがヘンな奴らに攫われちまったんだ!」

 エイデンは顔色を変えた。

「何だと!? 誰に!?」

 黒衣の男のあまりの剣幕に、ベヴは思わず後ずさりながらしどろもどろに答えた。

「き、騎士みたいだったよ。揃いの制服を着てたから、多分。止めたかったんだけど、相手は剣を持ってるし数も多いしで………」

「騎士が誘拐?」

 「信じられない」というふうにラーキンが呟く。

 横からスヴェアが尋ねた。

「どんな制服だった?」

「え、と………緑に金の縁取りで………」

「紋章は!?」

「あー………熊と……斧、それになんか蔓みたいな植物の………」

 ツタイチジクと熊と戦斧。

 ジーヴァ以外の全員がすぐに思い至る。

 スヴェアが食いしばった歯の間から獰猛な唸り声を発した。

「…………ボルトカ!!」

 ナタリア・ピッパの仕業か!!

「あのクソ女、レディ・マリエルを侮辱しただけでは飽き足らず………!!」

「レディ・マリエルを侮辱した?」

 聞き咎めたエイデンがスヴェアに問うた。

「それはどういう意味だ? サザー」

「ボルトカ国公妃ナタリアがホステッド・コスに泊まってるんだよ。昨夜突然押しかけて来て、レディ・マリエルを侮辱しやがった」

「………ホステッド・コスだな?」

 低く呟いたエイデンに、スヴェアは自分がとんでもない失言をしてしまった事に気付いた。

 エイデンは手綱を握り直した。

「カナンを救出に行く」

「ちょ、ちょっと待て!」

 スヴェアは咄嗟に黒馬の頭絡を掴んだ。怒った黒馬が歯を剥き出して噛みつこうとするのを避けながら、

「このままナタリア・ピッパのところに乗り込むつもりか!? 相手は正貴族(サストン)の公妃なんだぞ!」

「それが何だ?」

「今のあんたはレディ・マリエルの同行者だ。もし、あんたがナタリアを斬ったりしたら、ガラハイド国がボルトカ国公妃を斬った事になる。下手すりゃ戦になるぞ!」

「私には関係ない」

「ふざけるな! 関係ないで済むか!」

 いきなり、エイデンが手綱を引き絞ったまま黒馬の腹を蹴った。黒馬は棒立ちとなり、堪らずスヴェアは頭絡を離す。

「待って下さい!」

 荒々しく嘶いて駆け出した黒馬の前に、無謀にもラーキンが立ち塞がった。

 エイデンは馬を急停止させた。

 マリエルは思わず胸の前で両手を握り締めた。走り出した軍馬の前に飛び出すなど、正気の沙汰ではない。

 黒馬の怒りに満ちた鼻息を顔に感じながら、ラーキンは馬上から黒い死神のごとく自分を見下ろしている黒衣の男に言った。

「あなたを知っています、エイデン。祖母から聞いていました」

 ラーキンの祖母?

 マリエルとスヴェアは互いの顔を見合わせた。

 いきなり何を言い出すのか。

 エイデンだけは無表情のままだった。

 彼はベヴに向かって言った。

「すまないが外してくれ」

「え?」

 エイデンは少しだけ表情を和らげて続けた。

「カナンの事は私に任せて欲しい。必ず救い出す」

 ベヴは困惑げに頷いた。

「ああ………それじゃ、あたしゃ怪我人の手当てを手伝ってくるよ」

 名残惜しげに何度も後ろを振り返りながら、ベヴは怪我人の手当てをしている人々の所へ向かった。

 スヴェアがラーキンに尋ねた。

「あんたの祖母(ばあ)さんがなんだっていうんだ?」

「祖父と結婚した時、祖母のお腹にはすでに子供がいました。子供の父親は先の大戦で戦死していて、祖父はそれを承知の上で祖母と結婚したのです」

 だが、二人は本当に仲睦まじかった。情熱的ではないけれど、互いを思いやり尊敬し合う穏やかな愛情に満ちていた。

 ただ、それでも………ラーキンの記憶の中の祖母は時折寂しげだった。きっとそれは自分を置いて先に逝ってしまったかつての恋人に………一人息子の実の父親に思いを馳せていたのだろう。

「祖母は先の大戦の後、常に顔をベールで隠し、一歩も家から出ようとはしませんでした。表向きは、大戦で顔にひどい怪我を負ってしまった為という事になっていましたが、本当は違います。当時、〈地の民〉の間では、彼女の顔と名はあまりにも有名だったからです」

 ラーキンはふっと息をつくと、それから意を決したように続けた。

「祖母の名はロザリンド=アンダーレイ。かつて〈勝利王〉オニール陛下に仕え、七賢者と呼ばれた予言者です」

 スヴェアは目を剥いた。

「!! それじゃあんたは……!」

 マリエルとジーヴァも驚きのあまり言葉をなくしている。

 ラーキンはさらに続けた。

「もうひとつあります。祖父母が結婚した時、祖母のお腹の中にいた子供の実の父親の名はドン=エス。〈獣使い〉の一族で、彼もまた七賢者と呼ばれていました」

「それじゃあ………お前はドン=エスの孫なのか……?」

 青銀色の目を大きくみひらき、ジーヴァは掠れた声を絞り出した。

「エスの血族は、先の大戦で一人残らず死に絶えたんだ。お前は、エスの血を継ぐただ一人の生き残りなのか?」

 ラーキンはジーヴァに淡く微笑みかけた。

「今朝、あなたに『昔からの知り合いのようだ』と言われた時は、心臓が飛び出しそうでした。〈獣使い〉の一族は、ひと目会っただけで自分と同じ一族の血が流れる者がわかるのか、と」

「なんて事だ!」

 いきなり、ジーヴァはラーキンの手をがっちりと握り締めた。

「エスの血は途絶えていなかった! 今日はなんて良い日だ! 頼む、ラーキン=アクトール、私の父に会ってくれ! 一族の者全員に会ってくれ! 皆喜ぶ。エスの血が戻ってきた! ジェナのご加護だ! なんて素晴らしい日だ!」

「声を落とせ、ジーヴァ」

 今にも踊り出さんばかりに狂喜するジーヴァを、エイデンが諫める。

「気持ちはわかるが騒ぎすぎだ。周囲の注意を引いているぞ」

 ラーキンは、衝撃の告白を聞かされても全く表情を変えないエイデンに向かって尋ねた。

「もしかして、あなたは祖母の事を………私の事も知っていたのではありませんか?」

 エイデンは束の間目を伏せた。

「………ああ。知っていた。昨日、君が『アクトール』と名乗ったその時から。私は、君に会う為に系譜図書館に来たのだ。ローザと……ロザリンドとドンの孫に会う為に」

「おい! マジかよ!?」

 今度はスヴェアが大声を上げる。

「だったら、ホーデンクノス卿の子孫を探すってのは嘘か!? 何で俺やレディ・マリエルに本当の目的を言わない!?」

 エイデンは、怒りで顔が真っ赤になっているスヴェアを冷やかに見やった。

「私は系譜図書館へ行くと言っただけで、ナセルの子孫を探しに行くとはひと言も言っていない。そちらが勝手にそう解釈しただけだ」

 スヴェアは怒りに声を震わせた。

「てめぇ………いい加減にしろよ………!!」

「それに、ラーキンが自らの素性を知っているのかどうかもわからなかった。カナンに何も伝えなかったワクトーのように、ロザリンドが孫に何も打ち明けないまま逝った可能性もあると考えたのだ。だが………」

 エイデンはラーキンに視線を戻した。

「昨日、私を見た時の君の表情で、ロザリンドは君に全てを話していると確信した。そして、彼女は君に何か遺言を………予言を(のこ)したと」

「ええ。そうです」

 ラーキンは、黒衣の男の腰で光る漆黒の長剣を示した。

「『黒い剣を操る者がお前の運命を連れて来る』………祖母の最期の予言です。ずっと何もないまま年月が過ぎていったので、私自身、祖母の遺した予言の事は忘れかけていました。もしかしたら、このまま何も起こらないのではないかとも思っていた。………でも、あなたが現われた」

 エイデンを見た瞬間に悟った。ついにこの時が来たのだと。

 一度発せられた予言はどうやっても消えない。足元に長く伸びる自分の影のように、どこまでもついてくる。

 ラーキンはわずかに頭を傾けた。

「私に会いに来たのに、私が祖母の事を……自らの素性を全て承知しているとわかったのに、何故、あなたは結局私には何も言わないまま系譜図書館(ここ)を去ろうとしたのですか?」

 エイデンは、ほとんどわからぬ程度に一瞬だけ口元に笑みを閃かせた。

「君は一人ではなかったからだ。病弱の妻を残して、私の『約束の予言』の為に一緒に来て欲しいなどとは言えない」

「ですが………」

「ロザリンドが君に遺した予言の通り、私が君の運命を連れて来る者だとしても、進むべき道を選ぶのは君自身だ、ラーキン。君は、自分と君の妻の事を第一に考えればいい。私のように予言の通りに動かなくともよい。それに、アンダーレイ家の者は王都にもいる。君が気に病む必要はない」

 静かに語るエイデンを眺めながら、カナンにも同じように伝えたのだろうかと、スヴェアは思った。

自分の事を第一に考えればいい、と。

 もし、カナンがもうエイデンと共に旅をするのはやめると言ったら、彼はただ黙ってカナンが去るのを見送るのだろうか?

 エイデンは再び手綱を握り直した。黒馬が頭を振り上げ馬銜(はみ)を鳴らす。

「それに、今はカナンの救出が先決だ。ナタリア公妃は自国の領民の命でさえ軽んじる冷酷な女だ。ましてや、他国の平民であるカナンの命など全く頓着すまい」

「わたくしに策があります」

 マリエルが進み出た。

「任せて頂けませんか? エイデン」

 エイデンは、氷のような目で馬上からマリエルを見下ろした。

「昨夜、私とカナンをホステッド・コスに泊まらせなかったのは、こうなる事を予言していたからか?」

 返答次第によっては容赦しない、と言わんばかりの口調だった。

 スヴェアは思わず自分の長剣に目をやった。

 しかし、マリエルはきっぱりとした口調で否定した。

「いいえ。カナンがボルトカ国の騎士たちに攫われる予言を視たわけではありません。それならば、わたくしはそう貴方にもカナンにも告げました。わたくしが視たのは、ナタリア公妃がホステッド・コスに滞在しているという予言だけです。ですが………」

 マリエルは少しだけ言い淀んだ。

「ただ………その予言が視えた時、カナンをナタリア公妃と会わせない方が良いのではないかと考えたのです。カナンが……カナンのアリアンテがガラハイド国攻防戦でやった事を考えると、ボルトカ国がカナンに目を付ける可能性もありますので、念の為に」

「だが、結局はこうなった。ナタリア公妃のような危険人物が同じ街にいると前もって知っていれば、私はカナンが何と言おうと彼を一人で行かせたりはしなかった。予言者はただ予言を語っておればよいのだ。予言者の役目はそれだけだ。よけいな画策(こと)はするな」

「……っ!」

「おい! 言い過ぎだぞ!」

 全く容赦ない言葉に青ざめるマリエルを庇うように、スヴェアが怒鳴る。

 だが、エイデンは凄むスヴェアを完全に無視して、突き放すように言った。

「そんな事より、策とやらを聞かせてもらおう」

          *

 ドサッ! と乱暴に放り出され、カナンはその衝撃で意識を取り戻した。

 毛足の長い、手触りの良い絨毯の上に彼は転がっていた。起き上がろうとしたが、途端に顔に鋭い痛みが走り、カナンは呻き声を上げた。

 頭の上で衣擦れの音がした。

 痛みで動けずにいるカナンを冷たい目で見下ろし、ナタリアは高慢な口調で命じた。

「ひざまずけ」

 自分に向けられた命令だとわからなかったカナンは、痛みで霞む目で金糸銀糸の刺繍が煌びやかな豪華なドレスを見上げた。

 誰だろう? この人は。

 それに………ここはどこだろう?

 状況が呑み込めずぼーっとしているカナンに苛立ったナタリアは、今度は控える騎士たちに命じた。

「ひざまずかせよ」

「御意」

 イーデンスとジェスターレイヴァが、両脇から抱え上げるようにしてカナンを強引にひざまずかせる。

 ナタリアは、手に持つ扇子でカナンの顎をぐいと上げさせた。

「そなた、何者じゃ? どのようにして我が国の騎士を昏倒させた? 直答を許す。答えよ、平民」

「……………何の事ですか?」

 カナンは掠れた声を絞り出した。唇を動かすだけで腫れ上がった頬が火を吹くようだった。殴られた時に口の中も切ったのだろう、鉄のような血の味がする。

 ジェスターレイヴァがカナンの肩を骨が軋むほど乱暴に揺さぶった。

「ちゃんと答えぬか! ボルトカ国公妃ナタリア様のお尋ねだぞ!」

「僕は何もしていません………僕はただの薬師です」

「では『あれ』の力か?」

 ナタリアは螺鈿細工の丸テーブルの上を示した。

 六角形の水晶の首飾りがひっそりと光を放っていた。

「!」

 カナンは思わず自分の胸元を見た。

 いつもそこにあるはずのアリアンテがない。気を失っている間に外されたのだ。

「あれをそなたの首から外した我が国の騎士が、あれに触れた途端手に火傷を負った。豚のごとき無様な悲鳴を上げての。誇り高きボルトカ国の騎士ともあろう者が、まこと見苦しい」

 壁際に控えるアガノアが恥じ入ったように目を伏せる。

 彼の右手には真新しい包帯が巻かれていた。

「あの首飾りは何じゃ? 過日ガラハイドが〈天の民〉に勝てたのも、あれとなんぞ関係があるのか? どうすれば白い光を放つ事が出来る? 方法を教えよ。そもそも、なにゆえそなたのごとき貧相な子供があのような武器を持っておる? どうやって手に入れたのじゃ。誰ぞから盗んだのかえ?」

 あまりの言い様に怒りを覚えたカナンは、痛みも忘れてナタリアを睨みつけた。

「僕は何も盗んだりしない! 言いがかりはやめて下さい。あれは死んだじいちゃんの形見です」

「形見じゃと? は! あのような見事な細工の宝飾を、そなたのごとき卑しい平民風情が持っていようはずがない。見え透いた嘘を申すな!」

 カナンは、掌に爪が食い込むほどギュッと手を握り締めた。

 これほど激しい怒りを感じたのは、初めてだった。

 何故、こんな事を言われなければならないのか。人を無理やりこんなところに連れて来て、怪我までさせて、罪悪感のかけらもない。

 この人も、この人の騎士たちも、貴族なら平民に何をしても許されるとでも思っているのか?

 クレメンツ公が特別なだけさ。

 アニガンの言葉が脳裏によみがえる。

 彼を基準にしてしまうと、他の正貴族(サストン)に会った時に失望するよ。

 アニガンの言う通りなのだろうか? これが………こんな傲慢で非道な連中が「標準的な」貴族だというのか?

 だから、アニガンの家族を生きたまま焼くような残酷な真似が出来るのか?

 それがどういう結果をもたらすのか知る由もないカナンは、怒りに任せてナタリアを激しくなじった。

「あなたの方こそ、人を攫って、人の物を勝手に取り上げて、そんな事をして何とも思わないんですか!?」

 居並ぶ騎士たちを示して、

「あなたはこの人たちの主人(あるじ)なんでしょう!? 臣下にこんな真似をさせて恥ずかしくないんですか!? クレメンツ公なら絶対にこんな事はしないし、させない。あなたはそれでも国と領民(たみ)を治める正貴族(サストン)ですか!?」

「な……っ!」

 ナタリアは一瞬言葉を失った後、見る見るうちに怒りで顔を紅潮させた。

 ボルトカ国の騎士たちは青ざめた。カナンが、よりによってナタリアが日頃「卑しい侍女の息子」と蔑んでいるクレメンツを引き合いに出したからだ。

 案の定、ナタリアは激昂した。

「この………無礼者が!!」

 いきなりナタリアは扇子を振り上げると、カナンの顔面を激しく打った。

 両脇からカナンを押さえつけていたイーデンスとジェスターレイヴァが、とばっちりを恐れて慌てて後ろに飛びのく。

 何と言っているのかわからぬ金切り声を上げながら、ナタリアは何度も何度も執拗にカナンを殴り続けた。扇子の繊細なレースが千切れ、カナンの血と共に周囲に飛び散る。

 部屋の隅に控えていた侍女のハナとマエナが、正視に耐えず目をそむけた。

 グリーナウェイが進み出た。

「もう十分でしょう、公妃」

「騎士ごときが出しゃばるでない!!」

 狂った雌熊のようにわめき、見るも無残な姿になってしまった扇子をさらに振り上げたナタリアの腕を、グリーナウェイは遠慮のかけらもない動作で鋭く掴んだ。

 ボルトカ国広しといえど、ナタリア・ピッパ相手にこんな無謀な事をやってのける騎士は、グリーナウェイを置いて他にはいない。

 グリーナウェイは口調だけは丁寧に、しかし苛立ちを隠そうともせず言った。

「これ以上打ち据えては死んでしまいます。ガラハイド国がいかにして〈天の民〉に勝てたのかも、あの首飾りが白い光を放つ方法も、この者が死んでしまっては聞き出せなくなりますぞ。それでは、ハニアール公やケスタール公子に顔向け出来ますまい」

「……っ!」

 夫と………何よりも溺愛する一人息子の名を出され、さすがのナタリアもはっと我に返った。

 グリーナウェイはナタリアの腕を放すと、一歩退いて頭を下げた。

「ご無礼を致しました、公妃。どうかお許しを」

 ハナとマエナを示し、

「この者の手当てをせねばなりません。恐れながら、しばし公妃の侍女を一人、お借りする許可を頂きたく存じます」

 ナタリアは唇を歪めた。

「そのような事になにゆえわたくしの侍女を使わねばならぬのじゃ」

 こんなひどい有様の少年を、ボルトカ国以外の者に見せられるわけがないではないか。

 グリーナウェイは内心で忌々しく吐き捨てた。

 第一、この少年を連れていたレディ・マリエルもここホステッド・コスに泊まっているのだ。万一、彼女の耳に入ったら一体どうなるか。

 そんな事もわからんのか、この女は!

 ナタリアは不機嫌に言い捨てた。

「手当てなど馬車の中でさせればよい。すぐにボルトカ国へ発つぞえ」

「それは無理です、公妃」

 グリーナウェイは辛抱強く説明した。

「先刻のあの轟音、あれは〈前門〉が倒壊した音でございました。瓦礫の撤去が済むまで街の外には出られません。おそらく数日は要するかと」

 ナタリアの言い草ではないが、グリーナウェイも本当はすぐにでもボルトカ国へ発ちたかった。ボルトカ国領内にさえ入ってしまえば、レディ・マリエルもガラハイド国ももはや手出しは出来なくなる。たかが平民の子供だ、必要な情報さえ吐き出させれば、あとは死んでしまっても一向に構わない。まだ殴り足りぬというのなら、ナタリアに気の済むまで殴らせればいい。

 しかし、今は、この少年がここにいる事をレディ・マリエルに知られるのは得策ではなかった。昨日のイーデンスの言い様ではないが、外交問題になってしまってはハニアール公に仕える騎士として主君に申し訳が立たない。

 ナタリアは忌々しげに舌打ちした。

「系譜図書館の者共は何をしておる! なにゆえ〈前門〉が倒壊などするのじゃ!」

 そんな事知るか。

 ボルトカ国の騎士たちは内心で吐き捨てた。

 グリーナウェイが代表して答えた。

「わかりかねます、公妃。………では、別室にてこの者の手当てをさせる為、ハナを連れて参ります」

 ナタリアは野良犬でも追い払うようにさっと手を払った。

「さっさと連れてお行き、見苦しい! このような薄汚れた者と同じ部屋におるなぞ、これ以上耐えられぬ。そんな事より、早くわたくしの新しい扇子をもて!」


最後まで読んで下さいまして、ありがとうございました。

さり気にタイトル回収してます。

次章、エイデンはますます容赦ありません。ナタリアがちょっと気の毒になってしまうかも(笑)

ではまた。

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