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終  章

石の剣の王 第2巻 七賢者の末裔 終章をお届けします。

最後まで読んで頂けますと嬉しいです。

       終  章


 誰もいないだだっ広い広間の只中に、ユキア=カトラはぽつりと一人佇んでいた。

 彼女がいるのは、〈庭園〉の中心にそびえ立つ塔〈聖なる杖(サーナン)〉の中にある、唱和の間と呼ばれる大広間だった。ハランたちがその歌声で天の水晶を操り、〈天の民〉が住まう空中都市〈黄金の鷺(アルゴーフォア)〉を維持する為の唱和を行う場所だ。

 唱和は、ハランにとって最も重要で神聖な務めだ。日に四回、交代で行われる。一回の唱和に費やす時間は約三時間。天の水晶が奏でる歌に全神経を集中し、一切の雑念を払い、正確によどみなく歌い続けなければならない。なかなかの重労働だ。

 しかし、今は夜の唱和もとうに終わり、広間の中は静かだった。

 ハランの耳にしか聴こえない、天の水晶が常に奏でている美しく柔らかく囁くような調べ以外には。

『こんな所で何をしている?』

 ふいに、立ち尽くすユキアに向かって冷やかな問いが投げかけられた。

 声の主を振り返ったユキアは、はっと表情を固くした。

 ロイック=ミュイスが立っていた。相変わらず仄暗く陰鬱な影を身にまとわせ、夜の湖畔を漂う霧のように静謐に。魂の一部をなくしてしまったかのような、生気のない青白い顔。落ち窪んだ目。こけた頬。長い金髪がいく筋か、額と頬に垂れている。

 まるで亡霊のような男だと、彼を見る度にユキアはそう思う。

 ロイックは硬質な足音を響かせながらユキアの傍らまで歩み寄ると、冷たい沼のような目で彼女を見下ろした。

『今の君には、ここに来る理由などなかろう?』

『!』

 ユキアはロイックを睨みつけた。

 図星だったからだ。

 ガラハイド国攻防戦で甥ベルギットを失った彼女は、以来、守護者テンペランスから唱和の務めから外されていた。

『そなたの歌声には乱れがある』

 全てを見通す緑玉(エメラルド)色の瞳でユキアを見据えながら、テンペランスは厳かに、そして無情にそう告げた。

『最愛の甥を失った悲しみと、甥の命を奪った〈地の民〉への憎しみが、そなたの声を曇らせている。それでは、天の水晶を正しく操る事は出来ぬ。そなたにもわかっているはず』

 ベルギットを失った自分から更にハランとしての務めと誇りまで取り上げておしまいになるのかと、ユキアは必死に訴え抗議したが、テンペランスの決断は覆らなかった。

『悲しみを和らげ、憎しみをほどき、心を癒すのです。そうすれば、そなたは再び唱和の務めに戻る事が叶うでしょう』

 テンペランスはそうユキアに告げたけれど。

 そんな事、どうやって?

 日を追う毎に、悲しみと怒りと憎しみは和らぐどころか増していくばかりだというのに?

 まるで鋭い棘で覆われた牢獄に閉じ込められているかのようだった。最も重要で神聖な務めを禁じられ、かと言ってハランであるがゆえに〈庭園〉を去る事も許されない。食事は喉を通らず、眠る事も出来ない。頭はぼんやりと霞み、目に映るもの全てが色褪せて見える。

 日に日に痩せ衰えていく彼女の様子に、心配した同僚のハランたちが親身に世話をしてくれたけれど、血を流し続けるユキアの心はそれすらも疎ましく煩わしいと感じてしまう。

 もしかしたら、今の自分はロイックよりもよほど亡霊のような姿をしているのかもしれない。

 だが、それでも………

 『唱和の間(ここ)にいる理由はない』などと、何故、よりによってロイックにそのような事を言われなければならないのだ? ハランの長たるテンペランスに公然と背きながら、平然と〈庭園〉を歩き回り、厚かましくも唱和の務めさえ続けている、この男に?

『どこにいようと私の勝手でしょう。あなたには関係のない事です』

 唇を引き結び、固い表情のまま踵を返したユキアの背に、まるで流れる霧のようにロイックの声が届いた。

『愛する者を亡くし、悲しむのは当然だ』

『!』

 ユキアは思わず振り返っていた。

 (くら)く沈んだロイックの薄青色の目が、彼女を見つめていた。

『そして、何故? と思う。それも当然だ』

『ロイック………』

 ユキアは微かに目をみひらいた。抑揚のない、感情のこもらぬ声音だというのに、深く傷ついた彼女への慰めの言葉に聞こえたからだ。

 ロイックは、唱和の間の四方の壁にぐるりと飾られた巨大なレリーフに視線を移した。

 そのレリーフには〈天の民〉の長い歴史が刻まれていた。

 天空に浮かぶ数十もの空中都市。その中には〈黄金の鷺(アルゴーフォア)〉の姿もある。天の女神が神々の王から与えられた水晶を壊してしまい、天空と民を支配する王の座と覇権を巡って空中都市同士の間で争いが起こる様。いくつもの空中都市が滅び、破壊され、射貫かれた鳥のように地上へと()ちていく。嘆き苦しみ、次々と斃れゆく〈天の民〉。

 言葉にするのも忌まわしい、暗黒の時代だ。

 そして、その悪夢のような争乱の世に終止符を打った、偉大なる初代翼の王ロムルス=カンタベリスの登場。

 両翼を広げる美しい大鷺の下、王の剣を掲げるロムルスと共に毅然と立つのは、ハランであり彼の最愛の妻でもあった〈庭園〉の初代守護者アウルディア。

 このロムルスとアウルディアの二人によって、現在に至るまでの〈黄金の鷺(アルゴーフォア)〉の………いや、〈天の民〉の輝かしい栄光の時代が始まったのだ。

 ここに刻まれているのは、〈天の民〉の歴史の光と影。

 噂では、〈聖なる杖(サーナン)〉の最上階にある守護者の間と、王宮の翼の王の居室の壁にも同じレリーフがあるという。

 じっとレリーフを見つめたまま、ロイックはまるで独り言のように言った。

『……………君にハランの才があるとわかった時、君の家族はさぞ喜んだのだろうな。…………私の家族と同じように』

 一体、この男は何が言いたいのか。

 ロイックの真意がわからず、ユキアは困惑した。

 だが、ロイックの言った通りだった。〈庭園〉からやって来た使者に自分たちの娘にハランの才があると告げられたユキアの両親は、小躍りして喜んだ。ついに我が家からハランが出た、名誉な事だ、と。

 突如訪れた両親との別れに幼いユキアの心は悲しみでいっぱいだったが、喜び浮かれる両親の姿に、これは良い事であって泣いてはいけない事なのだと自分に言い聞かせた。家族や親族や村中の住人たちの祝福と歓声に見送られ、立派なハランになれるよう頑張るからと笑顔で手を振って、ユキアは故郷を後にした。

 生まれ育った村が見えなくなった頃、彼女を迎えにきたハランがそっとユキアの頭を撫でて言ってくれた。

『泣いてもいいのですよ、我らの幼い妹。悲しくて当然なのだから。私もそうでした』

 〈庭園〉に着くまでの長い道のりの間、ユキアは声を上げて泣いた。

 あれから百三十年余り。

 ユキアの家族は今、彼女が家に里帰りする事を拒んでいる。

 ロイックはユキアに視線を戻した。

『君に提案がある』

『提案?』

『そうだ』

 ロイックは青白い影のようにスーッとユキアに歩み寄ると、彼女の顔を覗き込むようにして言った。

『間もなくシファ陛下は、アトフ将軍ら増援部隊と共に空中要塞コンシャナフォアへ出撃される。その時に、エマイアスら数人のハランも同行する。………君もそれに加わる気はないか?』

『!』

 思いもよらぬ提案だった。

 言葉をなくすユキアの表情を確認しながら、ロイックは続けた。

『テンペランス様は、今の君には唱和の務めは無理だと判断されたが、私はそうは思わない。いやむしろ、愛する者を失った悲しみと、奪った者への憎しみを知る今の君ならば、戦の最前線にあるコンシャナフォアを操るに相応しい。エマイアスも、今コンシャナフォアを操っているハランたちも皆、君と同じように傷つけられた者たちばかりだ。〈地の民〉によって、あるいは同胞であるはずの〈天の民〉によって。此度(こたび)の戦でシーマーに家族を討たれ、君と同じようにテンペランス様から歌声の乱れを理由に唱和から外された者もいる』

 ユキアは目をみはった。

『! 本当に?』

『本当だ。だが、コンシャナフォアは崩壊する事なく、正常に機能している。〈地の民〉がまき散らす穢れから将兵を護っている。力強く、強固に。だから、君にも出来るはずだ、ユキア=カトラ』

『でも………』

 ユキアは、躊躇うように足元に視線を彷徨わせた。

『それでは………テンペランス様の意に逆らう事に………』

(ベルギット)の仇が討てるかもしれぬぞ』

『!』

 ユキアははっと顔を上げた。

 ロイックは、まるで甘い誘惑の言葉を紡ぐ悪魔のように彼女に囁いた。

『それとも、テンペランス様の(めい)におとなしく従い、ハランの務めも禁じられたまま、ただ無為に〈庭園(ここ)〉で時間(とき)を過ごすのか? 他のハランたちが毎日唱和の務めを果たしている様を横目に見ながら? そして、シファ陛下やアトフ将軍が甥の仇を討ってくれるかもしれないと、淡い期待を胸に抱きながら?』

 ユキアは、体の脇でぎゅっと固く両の拳を握り締めた。

 先の大戦の後、家族に拒まれたユキアにとって、ベルギットは変わらず彼女と接してくれた唯一の身内だった。

 彼はよく叔母であるユキアのもとを訪れては、新しく覚えた〈地の民〉の言葉や習慣を彼女に聞かせた。〈天の民(じぶんたち)〉とはまるで異なる、けばけばしく雑然とした〈地の民〉の世界は、彼の好奇心を刺激してやまない様子だった。〈地の民〉は、髪も瞳も肌の色までも様々だとか、王はひとりなのに国がいくつもあるとか、孔雀は人が乗れないくらい小さいうえに色がついているとか。

 ベルギットがあまりにも熱心に聞かせるので、ユキアはいつの間にか彼と同じくらい〈地の民〉の言葉と習慣に詳しくなってしまっていた。

『あなたは〈地の民〉の話しかしないのね』

 と、ユキアは笑ったものだ。

 もしかしたら、身近に〈地の民〉に興味を持つ者がいなかったから、ベルギットはいつでもにこやかに話を聞いてくれる叔母が嬉しくて、休暇の度に〈庭園〉まで訪ねて来ていたのかもしれない。

 あるいは、実の家族に『帰って来ないでくれ』と言われてしまったユキアの心中を(おもんぱか)って、わざと実家や家族の話を避けていたのか。

 ベルギットは心細やかな優しい青年だったから。

 その彼が、興味を抱いてやまなかった〈地の民〉に命を奪われてしまう事になろうとは。

 その事実もまた、ユキアの心を引き裂くのだ。

 〈地の民〉への憎悪と共に。

 ユキアは顔を上げた。頬にひと筋、涙を伝い落としながら。

 彼女の青い両眼には、強い決意の炎が燃え上がっていた。

 ユキアは言った。

『コンシャナフォアへ行きます』

         *


  どれほど最良の答えでも

  常に正しいとは限らない


         *

 

  君はどちらを選ぶ?

  争乱か静寂か


                    第二巻 終わり


最後まで読んで下さいまして、ありがとうございました。

石の剣の王 第2巻 七賢者の末裔 は、これにて終わりとなります。

この後は、第3巻 集結 へと続きます。

舞台は王都へと移り、これまで名前だけ出ていた新しいキャラも登場します。


尚、読者の皆様には大変申し訳ないのですが、諸般の事情により、次回(第3巻 集結)の投稿開始まで日にちを頂きたく存じます。

予定と致しましては、次回の投稿日は、10月の最初の週末(10月5日(日))になってしまいそうです。

1ヶ月以上、間があいてしまいます事を心よりお詫び申し上げます。

投稿再開まで気長にお待ち頂けますと幸いです。

ではまた。


※2026.1. 本巻は一部加筆修正しました。

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