第十章 決意と選択(2)
第十章 決意と選択(2)をお届けします。
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昼夜を問わぬ瓦礫の撤去作業のおかげで、当初の発表通り〈前門〉は六日後に通行可能となった。
と言っても、もちろん新しい門扉はまだ出来上がってはおらず、事実上一日中開いたままとなってしまった〈前門〉は大幅に警備の人数が増やされた。門扉本体もそうだが、門扉を巻き上げる鎖の鋳造にかなりの日数を要するからだ。
〈前門〉が通れるようになった途端、ナタリア公妃はまるで何者かから逃れるようにさっさとボルトカ国へと発っていった。
それを聞いたカナンは心の底からほっと胸を撫で下ろした。自分で思っていた以上にナタリア公妃と同じ街にいるという事が不安だったのだと、カナンは改めて気付いた。もう二度と顔を会わせずに済ませたいものだ。
尤も、おそらくナタリアたちの方もそう思っているだろうが。
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マリエルのもとへシルから馬車の修理が完了したとの知らせが届いたのは、ナタリアがホステッド・コスを発った翌日の事だった。
「わたくしたちはいつでも出立出来ますが………問題はカナンの回復の具合ですわね」
シルからの知らせの手紙を元通り折り畳みながら、マリエルは小さく溜め息をついた。
「それと、カナンがわたくしたちと共に王都へ行く意思があるのかどうか」
スヴェアと同様、マリエルもまたカナンはもう自分たちとは行動を共にしないのではないかと思っていた。そうなっても仕方がない、と。
マリエルはエイデンに向かって尋ねた。
「カナンは何と言っているのですか?」
「どうするかはまだ聞いていない。カナンの返答待ちだ。彼がどういう結論を下そうと、私はそれを尊重する」
エイデンは、いつものように翡翠の香炉からゆっくりと香煙が立ち昇る真っ白なマントルピースの前に佇んでいた。
カナンの出す結論を尊重すると言うが、胸の内ではどう思っているのか。
相変わらず表情が乏しいので、本心は全く窺い知れない。
「だが、実際問題、俺たちと一緒にいた方がカナンにとっては安全じゃないのか?」
眉間に皺を寄せ、スヴェアが言った。
「カナンの水晶の首飾りの事は、すでにボルトカ国に知られちまった。遅かれ早かれ他国も嗅ぎつけるだろう。カナンが七賢者ワクトー=ベルーの孫だという事も、遠からずバレる。ナタリア・ピッパのように、アリアンテを………カナンを狙う輩がまた現れるかもしれない。あんたが側にいて守ってやるのが一番だと、俺は思うがね」
最後の台詞はエイデンに向けられたものだった。
エイデンは苦い口調で答えた。
「わかっている」
自国の……自分の利益しか頭にない正貴族は多い。だからこそ大地は争いが絶えないのだ。再び〈天の民〉の侵攻が始まり、私利私欲を忘れ一致団結しなければならない時だというのに、〈地の民〉同士の争いの火が消える気配は一向にない。
ナタリア公妃の一件は、もはや過保護だ何だと言っている場合ではないという事実を如実に物語っていた。
扉がノックされた。
入って来た人物を見て、マリエルたちは驚いた。
「カナン……!?」
「もう歩き回って大丈夫なのか?」
これほど驚かれるとは思わなかったカナンは、何度かまばたきして頷いた。
「う、うん………もうすっかり」
「てっきりまだしばらくは動けないかと………」
包帯だらけでぐったりとベッドに横たわっていた姿を見ていたスヴェアは、信じられないというふうにまじまじと上から下までカナンを見回した。
本人の言葉通り、ひどい怪我をした事など嘘のようにすっかり元気になっている様子だった。包帯は取れ、顔色も良く、顔の痣もだいぶ色が薄くなっている。
カナンに続いて入って来たジーヴァが、彼の肩をぽんと叩いて言った。
「こいつ、見かけによらず頑丈だな。感心したぞ」
カナンは苦笑した。
「見かけによらずはよけいだよ」
「誉め言葉は素直に受け取るものだぞ」
ジーヴァはエイデンたちの方に向き直った。
「別れの挨拶に来た。私は〈石の鎖の庭〉に戻る。カナンもこの通り回復した事だしな」
エイデンはマントルピースから身を離した。
「そうか。皆によろしく伝えてくれ」
「わかった。お前に会ったと知れば、父上や兄上も喜ぶだろう。気にかけていたからな。私も来て良かった。ファミーガに再会出来たし、何よりシャリマーから貰った予言の意味もわかった。ラーキンに………ドン=エスの孫に会う為だったのだ。良い予言だった。途絶えたと思っていた血筋が生き永らえていたのだから。一族の者全員にとって朗報だ」
マリエルはジーヴァに歩み寄ると、彼女の手を取った。
「あなたに勝利と栄光を。またお会い出来る日を楽しみにしていますわ」
「ありがとう。貴女も元気でな」
明るい笑顔で答えるジーヴァを、カナンは複雑な思いで眺めていた。
この後、彼女はまた戦場へと戻るのだろう。誇りと命をかけて、〈天の民〉と戦う。パドーに跨り、一族の者たちと共に。それが彼女にとっては当然の事なのだ。戦いの場に身を置き、母親の形見の武器を手に戦う事が。
何と一途で、明快で、勇敢なことか。
自分も強くありたい。
ジーヴァのように。
カナンはジーヴァからマリエルに視線を移すと、ひとつ大きく息を吸い込み、言った。
「それで? 王都へはいつ出発するの?」
「……って事は………」
思わず独りごちたスヴェアに、カナンは頷いた。
「うん。僕も一緒に行く」
「!」
驚きを隠せない様子の彼らに、カナンはくすっと笑みをこぼした。
「そんなに意外だった?」
「いえ、ただ………」
マリエルとスヴェアが、様々な感情が入り混じった複雑な表情で互いの顔を見合わせる。
エイデンが尋ねた。
「君は………本当にそれで良いのか?」
「もう一緒には行かない」と告げられるのを覚悟していたような口調だった。おそらく実際にそう思っていたのだろう。
カナンはちょっと肩をすくめた。
「良いか悪いかって聞かれたら、正直良くはないよ。レディ・マリエルには申し訳ないけど、僕はみんなみたいに予言をすんなり受け入れる事は出来ないし、ジーヴァみたいに予言を良い事だなんて言えない。どうしてみんながこんなに予言にこだわって行動するのか、僕には理解出来ないよ。〈地の民〉なのにらしくないって言われたら、それまでだけど」
でも、自分はそんなふうにしか考えられないのだから、仕方ない。
ラーキンの家で静養しながら、ベッドの上でずっと考えていた。かつてワクトーがそうしていたように、胸のアリアンテを眺めながら。
自分はどうしたいのか。
自分はどうすべきなのか。
自分にとっての「終着の地」は、一体どこにあるのだろうか、と。
「薬屋のベヴさんを覚えてる? 彼女が、うちの店で働かないかって言ってくれたんだ」
「! それは………」
思わず息を飲んだスヴェアをちらと一瞥しつつ、カナンは続けた。
「そうすれば、僕は以前のように普通の平穏な暮らしに戻れるかもしれない。そうした方がいいのかもしれない。………でも、もし今ここであなたたちと別れたとしても、きっと僕は『約束の予言』の事が気になって仕方がないと思う。エイデンの事も。ラーキンさんの事も。だから、僕は一緒に行く。どんなに避けても、無視しても、いつまでも追いかけてくるのが予言なら、目を背けて見えないふりをしたってしようがない。だったら、真正面から向き合って、最後まで見届けて、きちんと決着をつけたいんだ」
「約束の予言」の結末を見届けるのだ。
晴れ渡る夏の空のようにどこかすっきりとした表情で語るカナンの言葉をひとつひとつ噛み締めるように、エイデンは聞いていた。
やがて、彼は暗闇色の目を伏せ、低く呟いた。
「…………そうか」
その呟きは、マリエルとスヴェアには「ありがとう」という意味に聞こえた。
ホステッド・コスへ向かう途中、カナンはベヴの薬屋も訪ねていた。元気な様子の彼に、彼女は心底安堵したようだった。
エイデンたちと旅を続ける事にしたと告げ、せっかくの彼女の申し出を断ってしまう事を謝ると、ベヴはいつものだみ声で豪快に笑ってカナンの肩を叩いた。
「いいんだよ。いつか気が変わったら来ておくれ。歓迎するよ」
ベヴと出会えて、本当に良かった。
カナンは心の底からそう思った。
ベヴに貰った麦の穂は粉々に折られてしまったけれど、彼女の優しさはずっとカナンの胸に温かく残るだろう。
カナンは扉の方を振り返った。
「ラーキンさんももうすぐ来ると思うよ」
キリとしばしの別れの挨拶を交わした後で。
二人きりにしてやりたくて、カナンとジーヴァは先に出たのだ。
「ラーキン=アクトールも一緒に来るのですか?」
聞いていなかったマリエルが、驚いて聞き返した。
彼女はエイデンを見返った。
「ですが、それならばもう王都へ行かなくとも良いのではありませんか? 王都へ行く理由は、彼以外のアンダーレイ家の者を探す為なのでは?」
「王都には他にも用がある。確認したい事があるのだ」
マリエルは形の良い眉をひそめた。
「確認したい事?」
「行けばわかる」
「おい、ふざけるな!」
相変わらずな返答に我慢できず、スヴェアが声を荒げた。
「もっと詳しく説明しろ。ホーデンクノス卿の時みたいな事は二度とごめんだ。一緒に旅をするからには、お前も少しはこちらに敬意を払え!」
エイデンは全く表情の読めぬ顔で、威嚇する猛犬さながらに凄むスヴェアを見やった。
「敬意は払う。だが、今ここで詳しく話すのは得策ではない」
「そんな答えでこっちが納得するとでも思ってやがるのか、お前は!?」
「いつか説明して頂けるのですね?」
横からマリエルが尋ねた。
「ああ」
頷くエイデンの顔をしばし見つめた後、マリエルは言った。
「わかりました。では、今ここではこれ以上尋ねません。わたくしたちに敬意を払うという貴方の言葉を信じます。サザーも、今はそれで矛を収めて下さい」
到底納得してはいない表情のまま、スヴェアは不承不承に頷いた。
「…………レディ・マリエルがそう仰るのでしたら、従います」
マリエルが言った。
「では、レディ・シルへ知らせましょう。出発の準備が出来た、と」
「御意」
スヴェアは騎士らしく背筋を伸ばすと、カッと踵を打ち鳴らした。
「では、使いの者をオスティナル・カドガへやるよう、手配して参ります」
もう一度エイデンを睨みつけてから客室を出て行ったスヴェアを見送った後、カナンは言った。
「それじゃ、僕もジーヴァを外まで見送ってくる」
ホステッド・コスの玄関の外では、パドーがおとなしくジーヴァを待っているはずだ。
ジーヴァと初めて会った日のように、あの羽根食いも一緒に中に入るか否かを巡ってまた支配人とひと悶着あったのだが、馬ほどもある大きさのパドーが階段や廊下を通るのはサイズ的に無理があるんじゃないかというカナンの言葉に、ジーヴァは渋々納得したのだった。
すれ違いざま、カナンは支配人から「わからず屋のご婦人」を説得してくれた事に小声で礼を言われた。
「じゃあ元気でな、ファミーガ。レディ・マリエルも」
爽やかな笑顔と共にもう一度別れの言葉を述べ、ジーヴァはカナンと共に出て行った。
エイデンとマリエルの二人だけとなった客室は、急にがらんと広くなった気がした。翡翠の香炉から立ち昇るスズランの香りが先ほどより強く感じられる。
開け放した窓から入って来るそよ風は夏の気配が色濃く、じんわりとした熱気を孕んでいた。夏の終わりの雨の季節が訪れるまで、次第に空の青は濃く鮮やかになり、暑さが増していく事だろう。
マリエルは長椅子に戻り、再び腰を下ろした。
「それにしても、カナンの回復が早くて驚きましたわ。サザーからはかなりの重傷だと聞いていたので」
「アリアンテのおかげだろう」
閉まった扉を見やったままエイデンが言った。
「あれは持ち主を護る。穢れを祓い、寄せつけず、持ち主に害ある者を退ける。持ち主が怪我を負えば癒し、病を治す。ワクトーが八十三才という〈地の民〉では稀にみる長寿だったのもそのせいだ」
「そんな力が………」
あの水晶の首飾りに。
つくづく不思議な首飾りだ。
マリエルはそう思った。
本当に、まるで意思を持っているかのようだ。
マリエルはテーブルに置かれたティーカップに視線を落とした。少し前に客室付きの侍女が持ってきたお茶はもう冷めてしまっていた。ノル・セルテンのお茶は適温を下回ると途端に風味が落ち、渋みが増す。取り替えてもらう為に侍女を呼ぶか否かマリエルが迷っていると、何の脈絡もなく唐突にエイデンが言った。
「…………〈前門〉では言い過ぎた。すまなかった」
黒衣の男の突然の謝罪に、マリエルは一瞬目をみはった後、うっすらと微笑んだ。
「いいんですのよ。罵られるのも予言者の仕事です。慣れていますわ。それに、わたくしにも非がありましたもの。………それにしても、貴方が素直に謝るなんて珍しいこと」
エイデンは「心外だ」と言わんばかりに片眉を引き上げた。
「必要な時は謝罪する。私の言動に少々問題がある事も自覚している」
「では、サザーにもう少し配慮してあげて下さい。何故彼が苛立つのか、貴方にもおわかりでしょう?」
エイデンは浅く息をついた。
「確かに配慮が足りなかった。以後、気を付けよう」
「ありがとうございます。………ついでと言ってはなんですけれど、ひとつ質問してもよろしいですか?」
「何だ?」
「ガラハイド国で、カナンが……カナンのアリアンテが〈天の民〉を一掃した時、わたくしたちにまで被害が及ぶ前に貴方が止めて下さったでしょう?」
エイデンの表情がわずかに固くなった。それはオスティナル・カドガで王都の出身なのかとシルに問われた時に見せた表情に似ていた。
しかし、マリエルは構わず続けた。
「あの時、意識を失う直前、カナンは貴方に何と言ったのですか?」
そもそも、あの時の彼は「カナン」だったのか。あの、慈悲の欠片もない、氷のような表情。暗く冷たい怒りを湛えた目。マリエルには全くの別人に見えた。
しばしの沈黙の後、エイデンは低い声で答えた。
「…………私にはよく聞こえなかった」
「そうですか」
マリエルは束の間目を伏せた。
「…………ですが、わたくし、けっこう耳は良い方なんですのよ」
「………だから?」
「ですから、わたくしには聞こえましたの。あの時、カナンは貴方の事をこう呼んだ。………『陛下』、と」
マリエルは、黒衣の男の白い顔を真っすぐ見た。
「……………貴方は誰?」
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
スヴェアの血圧が上がりすぎないか心配です(笑)
次回 終章 となります。
お楽しみに。
ではまた。




