最終話 君が忘れても
ここまでご愛読ありがとうございました。
最終話になります。
最終話 君が忘れても
世界は救われた。
神の支配は終わり、自由の空が戻ってきた。
人々は喜び、街に笑顔があふれた。
だが、その日、誰も気づかなかった。
この“平和”の代償に、たった一人の存在が世界から消えたことを。
* * *
魔王城の書庫――
ティリルは、今日も総務課の資料を片付けていた。
ふと、奥の棚に、見慣れない封筒を見つける。
中に入っていたのは、一冊の黒いノート。
表紙には、文字がない。
けれど、手に取った瞬間――涙があふれた。
「……なにこれ……どうして、こんなに苦しいの……?」
震える手でページをめくる。
そこには、几帳面な文字で、日々の記録が書かれていた。
『4月1日。総務課での仕事開始。書類の整頓に2時間。ティリルはまた寝坊。可愛いけど、ちょっと困る。』
『4月7日。ユリシアと初の飲み会。酒は強いが、情に弱いタイプ。笑った顔は、昔の妹に似ている気がした。』
『5月13日。クラトが愚痴を言っていた。「課長がいなかったら辞めてる」だって。……嬉しかった。』
名前は、どこにも書かれていない。
でも――分かる。確かに、ここに誰かがいた。
ページの最後、手書きのメモだけが残されていた。
『この世界に、もし俺の名前が残らなくても、
俺の言葉は、君たちの心に届いていると信じてる。
ティリル、ユリシア、クラト――ありがとう。
君たちが笑って生きてくれれば、それで、俺は――幸せだ』
――その瞬間。
ティリルの中に、記憶の波が押し寄せた。
笑っていた。
怒ってくれた。
庇ってくれた。
そして――
いつも、私たちの隣にいてくれた。
「……課長さん……」
崩れるように床に座り込んだティリルは、涙をこぼし続けた。
「どうして……どうして、名前が思い出せないの……っ」
* * *
その夜、魔王アリシアは城の塔から空を見上げていた。
誰かを待つように。
「あなたのことを、私は“魔王の側近”として記憶していない……
けど、心だけは覚えてるの。不思議ね」
夜風がそっと吹き抜けた。
「どうか、どこかで……幸せでいて。名前が思い出せなくても、ずっと、感謝してる」
* * *
そして、草原の小さな村。
一人の青年が、畑を耕していた。
名前は――自分でも分からない。
けれど、たまに夢を見る。
小さな妖精が笑っている夢。
凛とした女性が剣を構える夢。
豪快な戦士が酒を注いでくれる夢。
そして、誰かがこう言う夢。
「課長、また仕事残ってますよー!」
目を覚ました青年は、ふと笑った。
「……不思議だな。誰だろう、それ」
青年は空を見上げ、微笑んだ。
涙が、一筋だけ流れたことに、彼自身も気づかないまま。
その空の遥か彼方、風に紛れて、誰かの声が響いた。
「今日も、君たちが生きていてよかった。……ありがとう」
忘れられても――その“想い”だけは、世界を包んでいる。
おしまい
また他にも描いてみようと思いますので良かったら、コメントなど頂けると嬉しいです♪