69話 VSヴィレッサム
偲の体は限界に近かった。腹にダメージが入ったことで、肋骨を貫通し、内臓にまで障害が出ている。以前もサパコスの発剄で同じような怪我をしたが、この感覚には慣れない。だが、なぜだか戦えるような気がする。痛みはさっきよりも和らいだ。脳からアドレナリンが出ているせいだろうか。何にせよありがたい。ついさっきの戦いで理解した。この男は私の上位互換だ。技能やパワーでは勝てるところがない。だからこそ、気持ちで負けたら本当に負けだ。
「それにしても趣味が悪いですねぇ。ホマレ荘の場所をわざわざ他人に聞くなんて。とっくの昔に答えはわかっているというのに」
「魔神が『撫子』という少女を懐柔したいと言っていてな。同じ子供のお前たちがどのくらい従順か確かめたかったんだ」
「それではいいことを教えましょう。撫子さんは私たちのクラスメイトです。ギフテッドという特殊な境遇を分かち合った大切な仲間です。だからねぇ、ここで倒れるわけにはいかないんですよ……」
忍者刀を握る手に力を込める偲。私が砦だ。
「隠し玉を解放しますよ。フレイム、炎よ燃え盛れ!」
偲が忍者刀とは逆の手から、火山のごとく燃え盛る炎を出す。熟練の魔法使いと比べればまだ小さい……だがヴィレッサムを包みこむのには十分だ。
「炎の速度が遅い、これでは容易に避けられる」
隠し玉とは言いつつ、ただの付け焼き刃だとヴィレッサムが確信した次の瞬間。炎が急激に加速した。
「どんなトリックだ?」
炎が瞬く間にヴィレッサムを飲み込んだ。
「私が一つの呪文しか使えないと思いましたか?」
そう告げる偲の手には、空気の渦が立ち込めていた。
偲は「フレイム」を唱えたあとに、すかさず「ウィンド」で追い風を起こし、速度の急変によるフェイントを仕掛けたのだ。
いくら軍団長でも、炎を無効化することはできない。反撃の隙は与えない。偲は忍者刀を構え直し、自傷を覚悟して、轟音を上げて燃え盛る炎に突っ込んだ。
「良い使い方だ。素人にしては」
炎の中から声がした。まさか、そんなはずない!これでダメージを受けないなんて!
空気をかき分けるかのように、なんの前兆もなくヴィレッサムが現れる。その手には同じく忍者刀。そのまま稲妻のような袈裟斬りが繰り出される。
偲は後ろにジャンプして直撃を避けた。しかし、加速していた分、ブレーキが甘かった。忍の頬には深い傷が刻まれた。
「なぜ火傷の一つもないか知りたいだろう。身を持って体験するといい。アイス!氷よ冷却せよ!」
ヴィレッサムの手から氷塊が生成され、地面を這いながら、偲に近づいてくる。
偲は高くジャンプ!さらに空中でウィンドを発動し、氷が届かない高度まで上昇する。
「頭上注意だ」ヴィレッサムが怪しげに呟いた。
偲が言われた通り上を見上げると、なんと別の氷がドラゴンのように迫っているではないか。だが、空中では細かい動きができない。
その一瞬のまごつきが仇となった。偲はヘビのように伸びた氷に拘束された。
鎖に繋がれているかのように手足が固定される。吐血を我慢してもがくも、脱出できそうな雰囲気はない。
「呪文には適した使い方がそれぞれ決まっている。炎の呪文なら純粋な火力、水の呪文は動きの補助、風の呪文は空中での機動力といった具合にな。そして氷の呪文が真価を発揮するのは、自分自身を保護し、相手を捕らえるときだ」
偲は感づいた。ヴィレッサムは炎に包まれたとき、氷の呪文で自分を覆って、炎をやり過ごしたんだ。
ヴィレッサムは空中に高く飛び上がり、
「殺しはしない。少しだけ入院してもらうぞ」
忍者刀を逆さに持って、降下する勢いで強烈な峰打ちを繰り出した。
偲の氷ごと打ち抜かれた。ホームランを決められた野球ボールのように、大きくふっとばされ、地面に激突する。
腹部へのさらなる追撃。肋骨は完全に折れている。内臓にも甚大な損傷がある。仰向けの体を動かそうとすると、臓器を絞られているような激痛が走る。
「私が……最後の砦……なのです」
忍び装束のフードを破り、腹部に巻き付ける。体中を走る痛みをこらえながら、偲は再び立ち上がった。
「まだやるというのか……」ヴィレッサムは呆れて物が言えないという顔をした。
もう戦ってよい怪我じゃない。早く治療を施さないと、きっと命を落とす。このまま意識を失うまで攻撃を続ければ、その時点で死ぬ。俺が殺したとなれば、たとえ不可抗力であっても、魔神はお怒りになるだろう。サパコスの馬鹿みたいに、言い訳もしたくない。
「よくぞここまで戦った……」
ヴィレッサムは音もなく、偲の背後に回った。
目の前から消えたというのに、気づいてすらいない。怪我の影響で、視界すらもぼやけているのだろう。
「これが……最大限の敬意だ」
ヴィレッサムは偲の首元にそっと触れた。わなわなと震えていた。
「ライトニング。稲妻よ、感電させよ!」
ヴィレッサムの指先から微弱な電流が流れた。ビリッという音とともに、偲が地面に崩れ落ちた。
偲の意識は消えていたが、執念によるものか、目は開いたままだった。ヴィレッサムは偲の目を優しく閉じさせた。
「死ぬのではないぞ、最強のくノ一」
ヴィレッサムは着実にホマレ荘へ歩を進めるのだった。
その数十分前、琉太と千代子、ヴィラージュたち魔族4人は、黒板に地図を張って、作戦会議を行っていた。魔神城を攻めに行くか……今までのように村に籠もるか……。今後の展開を練る重要な会議だった。
とはいえ昼前に開始してから、かれこれ5時間になる。小腹も空いてきたので、千代子特製のスイーツをみんなで食べようとしたその時、玄関のドアがバンッと音を立てて開いた。
息を切らしたドラがすのこに倒れ込んでいるではないか。千代子が駆け寄り、ドラの服についた砂ほこりを払う。
「ドラ!そんなに急いでどうしたんだ?」琉太が尋ねる。
「あのね……落ち着いて聞いてほしいんだ。おいら、さっきまでダージェ兄ちゃん、偲お姉ちゃんといっしょに海沿いで遊んでいたの。そこに軍団長っていう人が現れて、今二人が戦っている!」
一同に緊張が走る。琉太は椅子を蹴破り、ドラを問い詰める。
「その軍団長ってのは誰だ!」
「えぇーと……ヴィレッサム!ヴィレッサムだった気がする!」
暗影騎団長ヴィレッサム。その恐ろしさはヴィラージュから嫌というほど聞かされている。やつは金で雇われた一時的な兵士。だが、それも油断をしていい判断材料にはならない。
「ついに来ましたね……」クライゼルが呟いた。
「お主らに命令する。今すぐクラスメイトたちを全員集めて来るんじゃ!タイムリミットは3分、さっさと行け!」
クライゼル、ゴリベア、ひつじいが返事もせず、共有スペースを超スピードで抜け出す。残された千代子と琉太は、いつでも迎撃できるよう、会議の片付けを始めた。
ちょうど3分後、クライゼルとひつじい、その他クラスメイトが一堂に介した。まだゴリベアが戻ってきていない。まさかヴィレッサムに……!
「遅れました!」
琉太が緊張感を高めたのもつかの間、ゴリベアが悠玄組を引き連れて、ホマレ荘へ戻ってきた。
「多少の遅刻は許そうぞ。これで全員かのぅ」
「待ってください!蛍二がいません!」千代子が言った。
「すみません。悠玄たちとはすぐに合流できたんですが……蛍二だけはどれだけ探しても見つかりませんでした……!」ゴリベアが申し訳なさそうに言った。
「だれか今日の動向を知っている者は!」ヴィラージュが琉太たちを見渡しながら叫んだ。
手を挙げる者は誰もいない。行方知らずだ。
「どうします?もう一度探しに行きますか?」クライゼルが問いかける。
ヴィラージュは口元にヒレを当てがい、思考を巡らせる。肌の表面には、まだ春にも関わらず、汗がにじみ出ていた。
「いや、探しに行かなくて良い。早く子どもたちを避難させるのが最優先事項じゃ」
「蛍二を見殺しにするんですか!」琉太が机を激しく叩きながら言う。
「落ち着くのじゃ。蛍二はリマンといつも仕事をしている。やつは戦闘向きではないが、逃げ足だけは素早い。一緒にいればひとまず安全じゃろう。それに、わしの推測が正しければ……蛍二に魔の手が伸びることはないはずじゃ」
ヴィラージュにここまで言われれば、琉太も茶々を入れることはできなかった。
「わしの考えた作戦を伝える」ヴィラージュは向日葵たちの方を向く。「お主らは二手に分かれ、北の森へ避難してもらう。第一班は非戦闘員と護衛、第二班は撫子と護衛じゃ」
「あれっ、撫子ってあんまり戦うの好きじゃないよね。なんで一人だけ?」向日葵が疑問を呈した。
「簡単じゃ。ヴィレッサムの目的は撫子だからじゃ。撫子はわしらの陣営の中で、たった一人、回復呪文を扱える。魔神軍からすれば何としてでも潰しておきたいはずじゃ。その護衛に戦闘員を割きたい」
回復呪文で仲間の傷を癒やし続けたフレルが、最後どうなったか。琉太たちにとって、記憶に新しい。絶対に死守せねばならない。
「逆に言えば、非戦闘員が標的になっている可能性は薄い。そこは一人につき、護衛一人でいいじゃろう。お主ら、さっさと班分けを決めるのじゃ」
共有スペースがワイワイガヤガヤと騒がしくなっている間、ヴィラージュは魔族たち3人に別の命令を出した。
「クライゼル、ゴリベア、ひつじい。お主らはわしとホマレ荘に残り、ヴィレッサムを食い止めるのじゃ」
「了解です」クライゼル、ゴリベアがほぼ同時に言った。
「ひつじい、異論はないか」
「えぇ。そばにいること以外にも、主君を守る方法はありますから」
後ろの喋り声が静まった。ひつじいがヴィラージュの影から覗いてみると、右左できれいにグループが分かれている。なぜか琉太と撫子が輪から外れて、二人で話しているが、すぐに合流した。
話し合いは千代子がうまくまとめてくれた。第一班は向日葵、功、撫子、隆之介、琉太、葉月、耕作、一鉄、平一郎、茶々、美猫、ドラ。第二班は非戦闘員とエリー、アーロン、ロペス、悠玄、コルチとなった。
「よし、避難開始―」
「んー、やっぱ第一班にしようかな」
ヴィラージュの声と重なったのは、一人の女の子のカナリアのようなつぶやき。
「そんなこと言ってる場合じゃないぞ、琴音」琉太が厳しげな声で言った。
飯塚琴音。音楽を得意としていて、大体の楽器を演奏できる。絶対音感の持ち主で、その類まれなる美声は、学校で多くの人を虜にしていた。
しかしそれは、学園での話。琴音は体が小さく、訓練しているところも見たことがない。明らかに戦闘では不向きだ。
「大丈夫だって。私にも考えがあるモン」
このままでは口論になると思ったヴィラージュは、すぐさま決断を下した。
「分かった。琴音とそれからロペス!第一班に移るのじゃ」
二人が向日葵たちの輪に入った。これで一安心かに思われたが、肝心の向日葵が何やらそわそわしている。その視線の先には、武器のチェックをするクライゼルたち。
「ねぇ、ひつじいたちはどうするの?」
「……ヴィレッサムを食い止める」
「ずるいよ!ヴィレッサムを止めればいいんでしょ!私だって戦いたい!」
「僕も!」功が賛同した。
この言葉はあらかじめ予測していた。だから秘密にしていたというのに……。
「向日葵よ。お主は直接戦闘したことがないから分からぬかもしれぬが、軍団長はもはや強いという言葉では言い表せない。あれは『異次元』じゃ」
「でも……」
「お主は軍団長を甘く見ておる!相手にならないと言っておるのじゃ!いいからさっさと避難するんじゃ!」
ヴィラージュがこれほど声を荒げるのを、琉太たちは初めて見た。
これ以上の反論はできないと感づいたのだろう。向日葵は奥歯を噛み締め、無言でホマレ荘を飛び出した。
「ちょっと向日葵!どこ行くの?」
功が急いで後を追う。
「すまない……。隆之介よ、向日葵と撫子を頼んだぞ」ヴィラージュが言った。
「分かってます。任せてください」
隆之介はヴィラージュの目を見て、静かに返事をした。




