67話 オオカミ少年の能力
ホマレ荘から1キロメートルほど離れた海岸線の近く。ダージェとドラは互いに正面から向かい合っていた。二人の間には赤い旗を持った偲がいる。
「ドラ!手加減はしないぞ!」
「おいら結構強いからね、ダージェお兄ちゃん!」
二人の表情をちらりと見て、偲が旗を上げる。
「それでは……開始!」
偲の声が響き渡るのと同時、ダージェが地面を蹴ってドラとの距離を潰す。爪を伸ばし、攻撃の準備をする。
対するドラは武器などなにもない。さてどうするのかと偲はつばを飲み込む。
「へんしん!」
ドラが叫び、桜色の煙に包まれたかと思うと、中から出てきたのは巨大なヒグマだった。ダージェの爪が届くよりも先に、ヒグマの拳が顔面を捉える。
大きくふっとばされながらも、空中で一回転しながら、ダージェは体勢を整えた。「なかなかいいパンチじゃねぇか。まさか動物に変化するなんてなぁ!」
「えへへっ。すごいでしょ?」
見た目は動物なのに、声はドラのまま。いつもとイメージがぜんぜん違う。外野で見ていた偲は混乱した。
「今度はこっちから行くよ!」
ヒグマの姿のまま、四足歩行でドラが距離を詰める。図体だけ見ればのろく見えるが、実際のところなかなか早い。
「こっちも策はあるぜ!」
ドラの拳をダージェはひらりと躱し、そのまま背後に回り込む。振り終わりでドラは姿勢が悪い。後ろから軽く蹴ってやるだけで、簡単にバランスが崩れた。
その隙を見逃すダージェではない。高く飛び上がり、ドラの頭頂部に強烈な踵落としを食らわせた。ドラは目をグルグルさせながら地面に倒れ、いつもの姿に戻った。
勝負がついた途端、偲はドラのもとに駆け寄る。大きな外傷はないが、意識を失っている。体を揺らしてみると、ドラは目をしばたかせながら、ゆっくりと起き上がった。
「ちょっと!やりすぎですよ」
「すまねぇ、ドラ!大丈夫か?」ダージェが膝をつきながら言う。
「うん、なんとか。ちょっと頭痛いけど」
ドラは頭頂部をさすって答える。
「まったく、大怪我になったらどうするんですか?」
「偲……俺は物心ついたときから魔神軍に追われ、血で血を洗うような殺し合いを繰り広げてきた。だから手加減ってのが苦手なんだ。次からは気をつける」
ダージェは罪悪感からその場で俯く。ドラはそんなダージェの背中を優しくさすった。
「お兄ちゃんは悪くないよ。おいらだって魔力を制限するの苦手だもん。次もまた勝負しようね」
ドラはダージェの顔を見て、ニカッと笑った。
幼子の笑顔はなぜだか心惹かれる。俺がドラの世話をしていたつもりだったが、どうやら逆だったらしい。ダージェは「ありがとう……」と小さな声で呟いた。
二人のつながりに揺らぎはなかった。偲は一息つくと、ポケットにしまった懐中時計を確認する。時刻は12時。ちょうどお昼時だ。
「ここいらでお弁当にしましょうか」
風呂敷を広げ、2つの木箱を手渡す。
ドラがよだれを垂らしながら蓋を開けると、中身はのり弁当だった。鮭の切り身と、楕円形の茶色いおかずがある。こんなもの今まで見たことがない。
「ダージェお兄ちゃん、このおかず何?」
「これは確か……コロッケだったかな。中に芋が入っててな、俺も一回しか食べたことないが、めちゃくちゃうめぇぞ」
後ろでは偲がシートを引き、石を乗せて風で飛ばされないようにしていた。
ドラは弁当を落とさないよう気をつけながら、ちょこんとシートの上に座った。
「ドラさん、靴を脱ぎましょうか。ホマレ荘と同じですよ」
「ごっ、ごめんなさい」
靴をシートの外に放り投げて、弁当をいただこうとすると、今度はダージェが口を挟んできた。
「おいおい、靴はしっかり揃えろよ」
「そういうダージェさんも、最初の頃は桜花さんにずっと指摘されてましたけどね。靴をロッカーに入れろって」
「う…うるさい」
クールなダージェお兄ちゃんにもそんな一面があったのか。ドラは口を抑えてクスクス笑う。
なにはともあれ、やっとコロッケにありつくことができる。大きく口を開けてかぶりつくと、豊満な香りが広がった。
あれ?じゃがいもじゃなくて、ホマレ荘に入る前にたくさん食べた、あの懐かしい味がするぞ。
「お兄ちゃん!お肉入ってるよ!」
「ホントだ!もしかしてコロッケじゃないのか?」
激しく動揺する二人の魔族を見て、偲を笑みを隠せない。
「それは『メンチカツ』という別の料理ですね。衣は同じですが、具の大部分がお肉になってるんです。おそらく、耕作さんがイノシシでも獲ってきたんでしょう」
「なぁ、衣ってなんだ?」
「外側のサクサクした部分ですよ。パン粉を付けて、油であげると、ああいった食感になるんです」
「なんか、不思議な料理だね」
ドラが鮭を頬張りながら呟く。口の周りには食べかすがたくさんついている。
「今まで魚を焼いたり、どんぐりを茹でるぐらいしか調理方法がなかったもんなぁ」
そうか。二人はほとんど文明に触れたことがないんだ。あったとしても忘れている。基本的なこと以外は。なんとなく配慮していたつもりだったが、まだまだ気付かされることは多い。
昼食を摂り終わると、ダージェは一人で散歩に行くと言い出した。周りに魔族がいるかも知れないと警告したが、ダージェは「大丈夫だよ」と言い残してそのまま行ってしまった。
一方、偲は昼寝をしようと、近くの森の木に登った。30分程度で済ませるつもりだったが、疲れが溜まっていたのか、夕方まで眠ってしまった。
ドラが独りだ!目を覚ました瞬間に、偲は木の上から飛び降りる。
「起きてますか?ドラさん!」
ピクニックをしたところに向かって呼びかけてみるも反応がない。偲は森からすぐさま飛び出した。
レジャーシートの上で正座をして、ドラは誰かに話しかけていた。その相手は指先にとまった一羽のすずめだった。
「この辺はきのみが美味しいんだね!場所はどのなの?」
すずめは「ピヨピヨ」と鳴きながら、ドラの問いに答えている。
大事がなくてよかった。次はもっと用心しなければ。そんなことを考えながら、偲はドラのもとに駆け寄った。
「あっ、偲お姉ちゃん。どこ行ってたの?」
「ちょっと昼寝をしすぎました。ところで、一つ聞きたいことがあるんですが……ドラさんって動物と話せるんですか?」
偲は思い切って聞いてみる。
「うん。なんとなく動物の言いたいことがわかるっていうか……感じられるの。おいらの話すこともなんでかよくわからないけど理解してもらえるんだ」
「そんなすごい能力、なんで黙っていたんですか!」
しまった。こんな威勢よく聞いたら責めているようではないか。
「魔神軍に追われているときに、魔族の人たちに『気持ち悪い』って言われたの。だから、あんまり人に見せないほうがいいのかなって」
命を狙われるだけでなく、アイデンティティを否定される。その心の傷はどれほど深いものだろうか。魔神軍め、やっぱり奴らは相容れない存在だ。
「そんな事ありませんよ。私も最初は驚きましたが、あらゆる動物とコミュニケーションできるなんて、本当に立派な能力です。これからはじゃんじゃん使ってください」
「うん……。わかった。ありがとう」
ドラは涙を流しながら、嬉しさあふれる表情で笑った。
「わりい、ちょっと遅れた」
森の中から汗だくのダージェが姿を現した。謝罪の言葉は述べているが、その口調はひょうひょうとしていて、反省の色は見えない。
「ダージェさん、独りで遠くまでいかないでくださいよ。心配しましたよ」
「だから、これから気をつけるって。ところでドラ、どうかした?なんか泣いてるけど」
「話題を逸らさないでください!」
口論が巻き起こりそうになったその時、季節外れの冷たい風が偲の背中を突き刺した。まるで背筋を凍りつかせるような……。なにかまずい!偲とダージェは危険を察知して、海の方に目を向ける。
そこにいたのはハクビシンのような一人の魔族。忍び装束に身を包み、首にはボロボロのスカーフ。腰には忍者刀を携えている。
「そこの魔族たちに聞こう……。ホマレ荘というのはどこかな?」
その言葉と共に、魔族が忍者刀を抜いた。
偲の脳内で、ヴィラージュの言葉が即座に再生される。
―こやつは軍団長の中でもトップクラスのスピードを持つ。その体術から繰り出される忍者刀による斬撃は、斬られたのがわからないほどじゃ。
「ドラさん……逃げてください」偲は隣りに座るドラに呼びかける。
「えっ?」
「今すぐ逃げて!」




