62話 君子、鬼になる
50センチほどまで伸びた爪を引き抜き、ダージェは片腕を切り落とされた魔族に歩み寄る。木の陰から見守っていた千代子は、その足取りにどこか気品を感じた。
「おい、あの少年はなんだ?神族か?」
「へっ、言う訳ねぇだろ」魔族は顔を引きつりながら無理やり笑みを浮かべる。
「親族だろうが魔族だろうが関係ねぇ。あんな小さな子を暴力を振るうなど、たとえどんな理由があってもだめだろうが」
「アシナヅチを滅ぼすためならどんな手も使う。アグカル様はそう言ってたぜ」
ダージェは魔族の胸ぐらを掴み、爪を振り上げる。「あぁそう。じゃあ死んでくれ」魔族は首から大量の血を流して死んだ。
千代子は木の陰から飛び出し、ダージェに駆け寄る。返り血でひどく汚れていたので、自身の上着を被せる。ダージェは「ありがとう」と小さくつぶやきながら、遠慮なく体を拭いた。
「アンタが無事で良かった。ただ……」千代子がダージェと目を合わせる。「殺す必要はなかったんじゃない?」
ダージェは眉を吊り上げ、明らかな不快感を示した。
「最初の魔族は仕方ないよ……殺すことでしか止める方法がなかった。だけど、もう一人は?腕を切り落とすだけにしておいて、魔神軍について聞き出し、そのまま帰せばよかったんじゃないかな?」
「こいつは一切の情報を喋ろうとしなかった。生殺与奪の権利はこっちが握っているのにだ。あと、魔神軍に帰すっていうのもあまりいい手じゃねぇ。情報が渡ることにもつながるし、下手したら侵攻が激化する可能性もある。そうなりゃ、死ぬのは自分たちだ」
「恩を売るっていう考え方もできない?」
「甘いな、千代子。これは戦争なんだろう?情なんていらない。それに、この争いには、相手を変に慮ったがために、何十億年も続いているという側面もある。情けを捨てて、相手を滅ぼすことのみを目的に戦う。これが無駄な死を無くすことにつながる!」
ダージェが叫ぶ。まるで自分自身に語りかけるように。ダージェは、地面に倒れて意識を失っている少年を担ぎ上げた。
「こいつはとりあえず村に持ち帰ろう」
「へぇ、情は捨てろとか言ってたくせに、今この場で殺さないんだ」千代子がいたずらに笑う。
「こいつが魔族か神族かまだわからねぇ。神族だったらもちろん保護するし、魔族だったら情報を搾り取った後に殺す。まぁこいつの立場次第だ……」
その後、千代子たちは少年を診療所に預けた。リマンは隆之介の世話を全面的に担っていたので、少年の治療は蛍二が担当した。幸いにも命に別状はなく、症状も軽い脳震盪ぐらいだったので、ほんの数日で、少年は目を覚ました。
動物のように野に離そうという意見もあったが、身の上が明白でないこともあり、ダージェのときと同じく面談をすることになった。聞き取り役には当初琉太の名前が挙がったが、病み上がりという理由で千代子が反対した。本人もダージェのときに一肌脱いでいるので、候補から外れた。別に人間に限定する必要はないと意見する者もいたが、魔族に暴力を振られている以上、魔族が話を聞くのは避けたほうがいいという方向になった。
その話を千代子がホマレ荘で愚痴のように呟くと、とある人物が手を挙げた。
「そのお役目、わっちに任せていただけないでしょうか?」
「あら、本当にいいのかい?気が狂って襲われるかもしれないよ?」
神道の天才、松原茶々だ。普段から後先考えず首を突っ込むタイプではないので、千代子にとっても予想外だった。
「茶々かぁー。頭に血が上っても、少年をぶん殴ったりしたらあかんで?」テーブルで茶を飲んでいた平一郎が言った。
「大丈夫です。あなたとは違いますので」茶々は冷たく言い放った。
会話には参加していなかったものの、茶々の隣に座っていたエリーが、一部始終をニヤニヤしながら見つめていた。
そして約束の日。茶々は診療所のドアをノックした。しばらくすると、向こう側からドタドタと廊下を走る音が聞こえた。勢いよくドアを開けたのは、ブカブカの白衣に身を包んだ蛍二だった。
「お疲れ様です。蛍二さん」
「すみません……。昨日夜遅くまで薬の調合をしてまして……すっかり寝てました。話は聞いています。どうぞ、多分少年も起きていると思いますよ」
病室の扉の前に着くと、蛍二は茶々の顔を下からまじまじと覗き込んだ。
「もしかして、化粧してます?」
「あら、バレちゃいましたか。わっちは普段から表情が硬いと言われましので、化粧で少しでも厳つい雰囲気を軽減しようと。そういえば、何か情報は聞き取れましたか?」
「名前はドラと言うそうです。なまっているので正しいかはよく分かりませんが。それ以外は何も……」
申し訳なさそうに顔に影を残しながら、蛍二はドアを開けた。
少年はベッドの上で辺りをキョロキョロ見ていた。目を覚ましてから時間が経過しているはずなのに未だに落ち着かないらしい。その行動はまさに年相応というべきだろう。
蛍二は部屋の端にあった丸椅子を取り、茶々に差し出す。それを受け取り、ベッドの横で腰を下ろす。
「ドラさんですか?」
少年はおどおどしながら、茶々の方を振り向いた。
「あの……おいら……言葉苦手で……ごめんなさい」
「心配ないですよ。わっちは茶々。ちょっとお話を聞きたいんです」茶々は怖がらせることのないように、できるだけ微笑みながら言った。
茶々は少年の顔を見て少し驚いた。診療所に連れてこられたときは薄汚れていてよく分からなかったものの、少年の顔はフェイスラインが整っていた。焦げ茶の髪にブルーの瞳。すっかり日焼けしていて、頭に狼のような耳が生えている。まつ毛も長い。目も大きい。ほっぺたがふっくらしていて美しいというより、可愛らしい印象だ。茶々は思わず、少年を目にしたときの平一郎の様子を思い浮かべた。よだれを垂らしてニヤニヤ笑うその姿を想像すると、茶々はちょっぴり嫉妬した。
「まず、フルネームを教えてくださいますか?」
「ドラ・ロゴッタ。これがおいらの本名。それ以外のこと、何も知らない」
ドラはカタコトの言葉で呟いた。
「では両親のことも?なぜ自分が魔神軍に狙われているのかも?」
「うん……分からない。気がついたら、魔族に殺されそうになってた」
茶々はドラに聞こえないよう、背後の蛍二へささやいた。
「これは……ダージェさんの時と同じですね」
「えぇ、全くそうです。ただ、ダージェさんとは違ってこの子が素直なのが救いですね」
茶々はブラックジョークに吹き出しそうになったが、なんとかこらえた。
「この前、魔神軍に捕まった。魚釣って、食べているところ。おいら、死ぬかと思った。だけど、あの魔族のお兄ちゃん、助けてくれた。そして、白色の小さなお兄ちゃん。ふかふかのベッド、用意してくれた。おいら、みんなに言いたい。ありがとうって」
ドラはほころびながら言った。その愛らしさに、茶々は胸がキュッとなった。同時に、この笑顔を壊そうとした魔神軍に、激しい憤りを覚えた。
これはもう、あの提案を告げるしかない。かつて千代子がダージェに言ったように。ヴィラージュ様や上様ならきっと許してくれる。陣営の中で、反対意見も出てくるかもしれないが、わっちが捻じ曲げてみせる。茶々はそう誓ったのだった。
「ねぇドラさん。この村に住むのはどうですか?」
「えっ?」
まさに藪から棒だったのだろう。ドラの瞳が小さくなった。
「お一人でさぞ寂しかったでしょう。ご両親のことも知れず、誰にも甘えることもできず……。ここには頼りになるお兄ちゃんやお姉ちゃんがいます。食べることに困ることもありません。出過ぎた提案ではございますが、検討していただけないでしょうか?」
「でっ、でも、おいら、戦力には……」
「別にいいんですよ。戦わなくたって。神の都に行って農作業をちょっと手伝ってくれるだけでも、大きな支えになります」蛍二が口を開いた。「私たちはあなたの力になりたいです。いま、そう決断しました」
「魔族のお兄さんだって。つい最近移住してきたばっかなんですよ」茶々が言った。
「えっ、そうなの?」
ドラは布団を握りしめ、下を向いた。その手はわなわなと震えている。他人を信用するのが怖いのかもしれない。初対面の人にこんな提案をされたのだから無理もないだろう。
「決めた!おいら、この村に住む!みんなにお礼、したい!」
ドラが急に声を張り上げた。
「ほ、本当にいいんですか?」思わず茶々も疑心暗鬼になる。
「だってまだ、魔族のお兄ちゃんにお礼も言えてないし」
「そうですか……」茶々は椅子から立ち上がった。「そうと決まれば早速上様に報告に……」
茶々は病室から退出しようとした。しかし、ドラに腕を引っ張られた。
「魔族のお兄ちゃんのところ、案内して!」
「えっ、でも怪我は……」
「もう平気!」
ドラはベッドから飛び起きて、腕を目一杯動かした。茶々はその尾てい骨あたりについているものに驚愕した。おしりの上に付いていた、いや生えていたのは、キツネのようなフサフサとした尻尾だった。ドラは体を伸ばすとともに、尻尾を手繰り寄せて、付着した毛玉を取り除いている。
「ほら、行くよ!」
茶々は元気いっぱいのドラに引っ張られながら、病室をあとにした。




