61話 君子の戦い
保母千代子。料理、裁縫、洗濯、保育などあらゆる家事を得意とする女の子。ホマレ荘ができてからは、男子のパンツの洗濯も含めて、クラスのみんなの世話をしている。それは琉太と隆之介が意識を失っても変わらなかった。
千代子は天際ヶ丘学園にいた頃はクラスの学級委員を務めていた。曲者ぞろいのギフテッドたちをまとめ上げる必要があったが、自分にも他人にも厳しい千代子には、主に向日葵や功のせいで、なかなか難しかった。そんなとき、琉太はいつも力になってくれた。千代子には扱えない言葉を使い、まだまだ幼い向日葵たちを説得する。1年生の文化祭の時だって、琉太がいなかったら、きっと向日葵が調理室を爆破していただろう。もちろん隆之介も心配だ。しかし、千代子は琉太に対して、人一倍思い入れがあった。そして、それを自覚していた。
二人が意識を失ってから、一日がとても長く感じられた。普通の怪我なら、病院に顔を出すたびに病状が良くなっていくものだろう。だが、二人の容体は快方に向かっているとは言いがたかった。何回訪れても、目を覚ますことはない。これはリマンにとっても予想外だったようで、訪問の回数を重ねるほど、焦りが募っていくのが分かった。
2週間が経った。どうもロペスが定期的に遠方へ修行に行っているらしい。皆ができることをしようと努力している中、アタイは家事をすることしかできない。千代子は劣等感に悩まされた。
頭を抱える初春の朝。皆が出払ったため、朝食の片付けをしていた。そのとき、玄関の扉が勢いよく開いた。息を切らしながら、ダージェが立っている。
「千代子、吉報だ!琉太のやろう、目を覚ました!」
「ほんとかい!」
千代子は手ぬぐいを抱えながら、ほっと一息ついた。涙を流してしまいそうだったが、ダージェが見ている手前、それはできないと思った。
「早くリマンのところに行くぞ!」
「あぁ待って。洗い物が終わっていないんだ……」
「そんなの後にすればいいだろ!」
ダージェは机を飛び越え、キッチンで作業を続けようとした千代子の腕を引っ張った。靴も満足に履けないまま、千代子は強引に連れて行かれた。
全力で走れば、病室まで数分とかからなかった。琉太がいる部屋のドアはしまっていた。ダージェは突き破るほどのスピードで一応ノックを行い、病室に飛び込んだ。
「お前たち……久しぶりだな」
ベッドの上で腕を組んでいたのは、病院着に身を包んだ琉太だった。
抑えていた涙が溢れ出した。入口で口元を押さえながら、千代子はその場で崩れ落ちた。
「まったく……大げさだな」
琉太はフッと鼻で笑い、ベッドから降りた。隣にいたリマンが叫ぶ。
「待って!まだ怪我は治って……」
「いいんです。あいつと比べたら……」
千代子のそばで膝をつき、肩に手を置く。「心配かけて悪かったな。この通り、元気になったよ」
まだ泣いていたかったが、ダージェたちに見られているという事実が頭をよぎった。千代子は鼻をすすり、すぐさま立ち上がった。
「琉太……聞きてぇことがある。一体誰にやられたんだ」ダージェが目を鋭くして問う。
「俺も話したいと思っていたところだ。俺達を瀕死に追いやった犯人……それはサパコスだ」
琉太の返答に意外性はなかった。隆之介と琉太がそのへんの雑兵にやられるなど、ありえないことだからだ。
「サパコス……聞いたことがある。たしか、神族出身の軍団長だったか」
「やっぱりか……」リマンが言った。
「しかし、やつは一人だったんだろ?数の利はお前たちにあったのではないか?」
「そうだ。だが、根本的な戦闘力が違った……。まず、隆之介が突っ込み、切り合いに持ち込んだ。結果、サパコスに傷を負わせることすらできず、隆之介は深手を背負った。俺は横っ面を『炎の呪文』で叩いてやろうと思ったが、やつはチャクラムを投げてきた。すぐさま『硬化の呪文』で防いだものの、硬化できる範囲に限界があるという弱点を見抜かれ、腹を撃ち抜かれた」
「そういえば……あいつは?隆之介は?」
リマンは視線をそらし、首を横に振った。
「傷が想像以上にひどいわ。帰ってこれるかは五分五分ね。私もこんなことは言いたくないんだけど……覚悟はしといたほうがいいかも」
現実を突きつけられ、千代子は再び涙を流してしまいそうになった。たまらず、琉太が声を掛ける。「千代子。できることをしよう。あいつが戻ってこれるように祈ろう」
怪我人に慰めてもらって情けない気持ちになったが、千代子は間をおいて呟いた。
「うん……そうだね」
千代子は気持ちを切り替えるため、頬を軽くつねり、ダージェの方を向いた。
「ダージェ、これから夕食用の山菜を採りに行くんだけど、ちょっと手伝ってくれない?」
「まぁ、いいぜ」
ホマレ荘に戻り、千代子は倉庫から竹で編まれたかごを取り出し、片方をダージェに手渡した。建物の裏側、北の方角に向かって進んでいく。
残雪が積もる森の中、特に川沿いの辺りは、ふきのとうやタラの芽、わらびなど、スーパーでは高級でなかなか買えなさそうな山菜がたくさん生えていた。
山菜はクセのあるものも多いが、アクさえ抜いてしまえば美味しく食べられる。皆の笑顔の役に立てると思うと、多少は上機嫌になる。
「ダージェ、これなんて言うか分かる?」気分のままに、千代子は問題を出す。
「こごみだな。塩ゆでにすると美味しいんだ。独りで旅をしていたときによく食べた」
「うっ……。アンタ詳しいんだね」
ものの数十分でかごの半分が埋まった。煮物やツマミにするには十分だが、今日は天気もいい。
「ちょっと奥の方まで行こうかねぇ。ダージェも居てくれる事だし」
「あんまり信用しないでくれよ」ダージェの口角がほんの少し上がった。
ちょっとした未踏の地だったこともあり、それまでの1.5倍のスピードで山菜を集めることができた。ただ、いくらお日様さんさんとはいえ、鬱蒼とした森、あまり長居はしたくない。しかも、肌が紫のせいで、ダージェの居場所を把握しづらい。目を離したら、はぐれてしまいそうだ。ここは切り上げるのが正解だろう。
「ダージェ、もうそろそろ帰……」
千代子の声は、突如響いたダージェの叫び声で遮られる。「危ねぇ!」
暗闇からダージェが姿を現し、千代子の頭を落ち葉の積もった地面に押し付ける。
グサッ!肉をえぐるような音が耳を突く。恐る恐る目を開ける。何者かが放った弓矢が、ダージェの右腕を貫通していた。
「アンタ……その怪我……」
「問題ねぇ。魔族の俺にとって、こんなのかすり傷だ」
木の陰から出てきたのは二人の魔族。巨大ネズミがそのまま二足歩行し、服を着せたような見た目で、片方は弓、もう片方は槍を持っている。
「まさか……こんな近くに魔族が……」千代子は唇を震わせ戦慄する。
魔族はケラケラ笑う。「前回の侵攻で大勢の魔族が殺されたから、どれだけ恐ろしいガキが潜んでいるのかと思ったら……サパコス様に負けたんだもんなぁ」
ダージェは千代子を自身の背中に隠しながら、魔族が掴んでいるものを見る。
槍の魔族が荒々しく握りしめていたのは、オオカミのような耳を生やした少年ではないか。歳は14にも満たない。このような幼子に乱暴を加えるとは……やはり腐っている。
「千代子、隠れとけ。こいつらは俺がやる」
「でも、武器が……」
「お前に何ができるんだい?」魔族が尋ねる。
「せっかく気分が良かったのに、お前らのせいで台無しだ」
ダージェは一歩横にズレた。千代子の姿があらわになったことにより、魔族は再び矢を放つ。
「そう来ると思ったぜ」
地面を蹴破り、怪我した右手で放たれた弓を造作もなくキャッチする。その一瞬で、突き刺さった矢も同時に引き抜く。
「お釣りだよ」
2本の矢を一気に投げる。なんとか避けたものの、二人の魔族の体勢が崩れる。その瞬間、ダージェの両手の爪が伸びた。ダージェは木の幹を蹴って加速し、爪で魔族の片腕を切り落としつつ、少年を救出する。
「ぐうぅぅぅぅ!」魔族の表情が苦悶で満ちる。
もう片方の魔族が矢をつがえる。やつは少年を安全なところに降ろしている。こちらから視線を切っている今なら……。
「見えてんだよ、ボケが」
矢が放たれるよりも早く、ダージェは魔族の懐に潜り込む。迎撃しようと蹴りを繰り出すが、間に合わない。ダージェの伸びた爪が、魔族の腹を貫いた。




