54話 闇の君子
ホマレ荘が見えてきた時点で、少年の容態はこれ以上ないぐらいに悪化していた。紫の顔からは血の気が引き、魔族の血の色である青が脱色したことで、少年の肌の色はツバキの花びらのような、赤紫色になっていた。息も徐々に浅くなっている。
向日葵は魔族や神族が死ぬ瞬間を目の当たりにしたことはない。ヴィラージュ軍の一員として、魔神軍を実力で迎撃したことはあるが、やはり絶命の瞬間というのは目を背けたくなるもので、早急にその場を離れていた。
そんな向日葵でも、自身の背中に体重を預ける少年が、三途の川を渡りそうになっていることぐらいは分かった。
「さっきまで余裕ありそうだったのに……ちくしょう!」隆之介が少年の顔色を確認する。
「蛍二のところへは俺と撫子が運ぶ。お前らはひつじいと一緒にヴィラージュ様のところに行ってこい!」
あれこれ考えている時間はない。向日葵は隆之介に少年を預け、その足でヴィラージュの家に向かった。
ヴィラージュの家の門をノックすると、すぐ横の小さな扉からクライゼルが屈んで出てきた。最初は「なんだなんだ」とやつれた顔をしていたが、息も絶え絶えの三人を見て、すぐに表情が変わった」
「どうかしましたか?随分必死に走ってきたようですが」
「あのね……どっから説明しよう……?」
向日葵は焦りの中、全力ダッシュした影響で、頭の中がとっ散らかっていた。
「僕が説明するよ」功が前に出た。
「さっき、魔神軍との戦闘を経て、魔族の少年を保護したんだ。ほら、前にフレルさんが殺されたヒントを知っているんじゃないかって言ってたやつ。歳は僕達と同じぐらいかな。本当は話をちょっと聞きたかっただけだったんだけど、魔神軍に攻撃されてて、もう死んじゃいそうだった。だから、蛍二くんのところに急いで運んできたんだ。ヴィラージュ様にも伝えたいんだけど……」
「生憎ヴィラージュ様は上様とご対談中です。最近魔神軍の侵攻が目に見えて増えているでしょう?より最適な一手を打つために、連日案を練っているのですよ」クライゼルはため息をついた。
「ヴィラージュ様には私から伝えておきます。今日はもう休んでください。特に向日葵さん、足がかぶれまくっていますよ。蛍二さんのところに顔を出すことをおすすめします。それでは、お疲れ様でした」
クライゼルは目にも止まらぬ速さで礼をし、乱暴に扉を締めた。
「なんか……クライゼルさん、性格変わった?」功が首を傾げながら言った。
「そうですね。私はここに来てたった一週間ですが、目に見えて精神的な余裕が無くなっています。フレル殿の暗殺―さらに軍団長のリスクも有る。焦りと不安が大きくなるのも当然でしょう」
「うーん、よくわからない」向日葵が無邪気に言った。
オプサは向日葵に向かって微笑む。「それでこそ向日葵様です。さぁ、さっさと薬を貰いに行きますよ」
リマンに薬を処方してもらったあと、自分の部屋でゴロゴロして、その日は終わった。リマンと顔を合わせた時点で、少年の様子はあまり変わっていなかったようだし、せっかくの薬も激臭が漂っていたので、気分最悪で心がモヤモヤして、なかなか寝付けなかった。
一方ヴィラージュは、向日葵たちが眠りについたあとも、暗い寝室で一人、少年について考えを巡らせていた。
上様はオプサの存在を認めてくれたが、少年に関してはどうだろう。魔神軍と敵対しているという情報はあったが、年齢は向日葵たちとそう変わらない。単なる家出かもしれぬ。だが、そうなると行方を追うならまだしも、死にかけの重症を負わせる理由がわからぬ。しつけが厳しいだけかもしれないが、だとしたら魔神の手先を、上様の手の届く範囲に招き入れてしまったことになる。御心の穏やかな上様とて、お許しになるはずがない。なにより、軍団長に首元を狙われるこの時代に、向日葵たちが危険因子を投入してしまったことが問題だ。
いや、推測だけで色々決めつけるのは得策でない。一番考慮すべきは、聞き取り役を誰にするかだ。適任はクライゼルか琉太だろう。それ以外の魔族は少年を信じられずに、窓から放り投げるかもしれぬ。ゴリベアあたりを筆頭に。琉太以外の子どもたちも、落ち着いて情報を引き出すのには向いておらぬだろう。
落ち着くという点では、千代子のほうが良いかもしれない。初めて我らと対面したときも凛とした態度で接していたし、声を荒げることはあっても、琉太よりは少ない。
子どもたちだけでは心配だ。やはり魔族も遣わすべきか。なら、オプサがいいだろう。やつが我らの陣営に加わってから、まだ一週間しか経っておらぬ。裏切りの意思も感じられぬし、これだけ短い期間から、向日葵や我らの命令を無視して、自分の意思に従うこともあるまい。
それから数日、ヴィラージュのもとに、少年が意識を取り戻したという知らせが入った。状況を把握できていない今がチャンス―。ヴィラージュはクライゼルと通じて、二人に指示を出した。
千代子とひつじいはほぼ同時に、診療所に集合した。時間はピッタリ、あたりを見渡しても周りには誰もいない。
「あれ、ひつじいもヴィラージュ様から命令を受けたんですか?」
「えぇ。正確にはクライゼル殿から指示を受けた向日葵様からですが。もしかして千代子さんも?」
ヴィラージュが何を考えているか分からなかったが、とりあえず中に入ることにした。
玄関では、ブカブカの白衣を着た蛍二が待ち構えていた。どうやら、ヴィラージュから同じような指示をくだされたらしい。
「お二人とも、お待ちしておりました。事情は聞いています。さぁ、こちらへ」
あまりにもトントン拍子で千代子は「ちょっと待って」と言いそうになったが、ひつじいは平然とした顔で歩き出すのを見て、肺から出そうな言葉をぐっとこらえた。
一番奥の病室に行き、蛍二がドアを開ける。
「体調はいかがですが?」
千代子が少年と対面するのは初めてだった。向日葵の言っていたとおりだ。紫色の肌に、サラサラの白髪。アーロンが見たら張り合うに違いない。瞳は絵の具を垂らしたように赤い。あまり大きな声では言えないが……ヴィラージュたちには感じられない気品がある。
「別に変わんねぇよ。一人になりたいから失せてくれないか?そこのお前らもだ」
千代子は面食らった。口が悪いと聞いていたが、まさかこれほどまでとは。
「この人、私が何回も質問しているのに、名前すら教えてくれないんですよ」蛍二がクスクス笑った。さすが漢方薬が大嫌いな向日葵を相手している蛍二だ。ちょっとやそっとの暴言にはピクリとも反応しない。
「それでは、頼みますよ」蛍二はそそくさとその場を去った。
少年の態度は「断固拒否」という感じで、取り入る隙がない。まるで見えない壁があるようだ。
「聞こえなかったか?今すぐ立ち去れと言ったはずだが?」
千代子の後ろに隠れていたひつじいが前に出た。「まぁまぁ、少しぐらい情報を吐いてもいいじゃないですか」
その瞬間、少年の目が見開かれた。
「お前のその顔……知っているぞ!お前オプサだろう!ヒノカグツチに仕えているっていうあの!なんでここにいるんだ!」少年はひつじいに指を突きつけて病的に叫ぶ。
「落ち着いてください。まず、私のことはひつじいとお呼びください。それと、私はもうヒノカグツチには仕えていません。今は別の主人に従っています」
「はんっ!魔神軍ってのはすぐに嘘を付く。現に俺は『神の都の者だ』と言われて襲われたこともある。お前を信用できる証拠がどこにあるってんだ?」
「あなたが眠っているのは、魔神軍と敵対しているアシナヅチ様の陣営の領内です。そこに私は好意的でなくとも招かれている。それ以上の証拠がありますか?」
真正面から正論をぶつけられて、少年は押し黙った。そっぽを向きつつ、静かに呟く。
「いいぜ。俺に話せることがあるなら、話してやるよ。といっても、価値のある話はないと思うがな」
「ありがとうございます」ひつじいは朗らかに言った。
病室には少年以外誰もおらず、いくつかのベッドも、その周りに置かれた椅子も使われていなかった。千代子は椅子を2つ持ってきて、ひつじいと並んで座った。
「聞きたいことがあるなら聞け。とっととしろ。まぁあのちんちくりんに質問されるよりはましだがな」
口を開こうとすると、少年がぶっきらぼうに言った。
千代子はだんだん怒りが込み上げてきた。少年がアタイたちを怪しむのは理解できるが、魔神軍を退け、怪我を治癒したのは、紛れもなく向日葵たちと蛍二だ。その仲間であるアタイたちに、少しぐらいつながりを感じるべきではなかろうか。
「じゃあまず、名前を教えてくれるかい?あと、魔神軍に敵対する理由も」そんな気持ちを押し殺して、千代子はできるだけ優しく言った。
「ダージェだ。ダージェ・ブラテ。名前に関してはこれ以上知らない。誰が名付けてくれたのかも、どんな由来があるのかもな。魔神軍に敵対する理由が聞きたいと言っていたが、そんなモンはねぇ」
「えっ?でも、ひつじいは魔神軍がアンタを追っているって……」
「そりゃ襲われたら反撃するさ。だけど、俺の方から魔族を攻撃したことはない。分かっているのはただ一つ。過去の俺が何かやらかしたってことだ」
千代子とひつじいは目を見合わせた。「これは意外ですね……」
「そもそも俺は現在に至るまでの記憶がほとんどない。俺は今年で15だが、はっきりと覚えているのは、14の頃からの約1年間分だ。1年前、俺は一人で川の岸辺で目を覚ました。記憶しているのは自分の名前ぐらいで、わけも分からず木の実や魚を採って生活していた。だがある日、魔族の奴らに襲われた。奴らの会話から、奴らが魔神軍の手先であること、ヒノカグツチを主君とすること、神族を中心とした敵対陣営である神の都が存在することを知った。俺は魔族を撃退し、自分のことについて知っている人物を求めて、あちこち彷徨ってるってわけさ」
少年は虚ろな顔をして天井を見上げる。「俺に話せるのは以上だ……」
「じゃあこの人に見覚えはないかい?」千代子はクライゼルから渡されたフレルの写真を提示する。「この前、魔神軍の手で殺されたばかりなんだけど……真相を追っているんだ」
少年はイライラしながら言う。「聞いていなかったのか?これ以上話せることはない!その女のことも知らないし、殺されようがどうでもいい!」
千代子は誰にも聞こえないように、小さく舌打ちをした。アタイたちを拒絶するならまだしも、夫を失いつつも懸命に働いていたフレルさんを侮辱するとは……。
ひつじいが千代子の肩に手を置いた。思わず振り向くと、朗らかな笑顔でこちらを見つめている。自分のやるべきことをなさいと言っているようだった。
ダージェは記憶を失っている。こいつをこのまま帰すのは少し可哀想だし、多分向日葵が文句を言うだろう。なにより、同い年の少年が魔神軍によって傷つく姿をこれ以上見たくない。琉太だったら目的を果たせなかった以上、迷いなく森まで送るだろうが、アタイは違う。
「ねぇダージェ。アンタは記憶を取り戻したいんでしょう?それならアタイたちと一緒に暮らすってのはどうだい?」
「あぁ?なんでだ?」
「ここには衣食住が揃っているし、たくさんの仲間もいる。もうひとりさみしく、寒々とした場所で寝ることもない。それに、神族の人たちなら、アンタの出生について知っている人もいるかも知れないよ」
ダージェは目を見開いたあと、再びそっぽを向いた。
「考えておく。だから今日は一人にしてくれ」
千代子とひつじいは顔を見合わせて互いに微笑んだ。そのまま部屋を退出し、音が出ないよう静かに引き戸を閉めた。




