52話 忠実なるシモベ
「朝ですよ、向日葵さま」
見知らぬ声が聞こえてくる。功じゃないし、撫子でもない。隆之介がわざわざ起こしに来るはずもないし、一体誰だろう。
「今日は、功さんや隆之介さんと調査に行く日でしょう」
布団にくるまる向日葵を、小さな手で誰かが揺さぶる。その手はシワシワで、まるでおじいちゃんのようだ。薄目で見てみると、モコモコとした白い毛が首あたりに触れている。何を寝ぼけていたのだろう。ひつじいが起こしに来たではないか。
「あと5分だけ〜」向日葵は布団を巻き込み、ひつじいに背中を向ける。
「そう言って30分は眠り続けるのでしょう。貴方様に忠誠を誓ってから1週間が経ったから、もう予想がつきますよ」
ひつじいは強固に巻かれた布団を無理やり引っ剥がした。寮のおばさんといい、功といい、寝ている人間を叩き起こす人の力は、なぜこんなに強いのだろう。
「はい、これ着替えです。私は下で待っていますから、早く来てくださいね」
パジャマから普段着に着替え、一階に降りると、功とひつじいが談笑しているのが見えた。
「あっ、向日葵おはよう!今日は早く起きれたじゃん」
「ひつじいのおかげだよ。本当はもう少し寝たかったけど」
「向日葵を起こすのは大変でしょ、ひつじい?」
「えぇ。まぁヒノカグツチの熟睡っぷりに比べたらマシですがね」
魔神の名前が出ると、ソファでゴロゴロしていた隆之介、平一郎、アーロンがぴくりと反応した。
「そういえば、平一郎くんとアーロンくんとは、仲直りできたの?」向日葵が三人を見て、コソコソと言った。
「いえ。私にできるのは謝り続けることだけですが……過去に犯した罪が大きすぎたのです」
「そう……」
突然、向日葵のお腹が鳴った。向日葵は朝食を食べていないことに気づき、長テーブルの端っこに座った。テーブルの席は決められておらず、サイズも均一に作られているため、小ぶりな向日葵では足がつかない。
「今日は早かったねぇ。はい、これ朝ごはん」
千代子がテーブルに白米、おかず、お茶を並べた。ホマレ荘ができてから、千代子には朝昼晩のご飯、部屋の掃除、衣服の洗濯など、家事のほとんどをやってもらっている。
「いつもありがとう」向日葵が笑顔で言った。
「私にもできることがあれば、手伝いたいのですが……」ひつじいが言った。
「いえ、家事はアタイの専門分野ですから。この生活が身に合っているんです。あと、今日も結構冷えるそうなので、白湯をどうぞ」
千代子は向日葵の隣に立つひつじいの前に、湯呑みをおいた。まさかこんな厚意をいただけるとは思ってもいなかったようで、ひつじいは固まっていた。
「いやはや、ありがとうございます」
千代子はお盆を抱え、アーロンたちの方を見る。「あいつら、中々心を開かないでしょう。アタイも何回か言ったんですが……」
「私の罪が重すぎるのですよ」
「確かにあなたはアーロンと琉太を斬り、死の淵まで追いやった。でも、長年仕えたヒノカグツチを裏切り、向日葵に新たな忠誠を誓った。その覚悟は、認めてやってもいいと思うんですけどねぇ」
千代子は哀愁ただよう顔で言った。
朝食を食べ終わり、支度を済ませて外に出ようとすると、奥の階段からものすごい勢いで撫子が降りてきた。カバンから一対の鉄扇がはみ出している。
「私も―連れてって―」
「何言ってんだ!外は魔族がうろちょろしてるかもしれねぇ。危ねえぞ」
「―軍団長に襲撃されたとき、向日葵と功は持てる力で魔神軍と戦っていたのに、私は逃げ惑うだけだった。このままじゃ役立たずになっちゃう。こんな自分を変えたいの。大丈夫、荷物持ちぐらいならできるよ」撫子は汗だくの顔で言った。
「―分かった。お前のことは俺が守る。ひつじい、それでいいですよね?」
ひつじいは微笑みながら頷いた。
「『俺が守る』だってさ。よくもまぁそんなイタいセリフを……」
アーロンが隆之介に聞こえないよう、口元を覆ってコソコソと言った。
「なんか言ったか?」隆之介が目尻を釣り上げながら、低い声で唸った。
「いやっ?なんでもないよ?」
怒髪天を衝いた隆之介から目を背け、アーロンは冷汗ダラダラで言った。
一悶着あったが、ひつじいと向日葵たち幼馴染4人は、フレル暗殺の真相を求め、北に向かって歩き出した。久しぶりに4人で行動をともにするので、向日葵と功はスキップしながら、ルンルン気分で進んでいた。
「いやぁやっぱこのメンバーでお出かけするのは楽しいね!」向日葵が言った。
「ここんとこ魔神軍やら軍団長やらで、息つく暇もなかったからね」功が呟いた。
「おいおい、その話をひつじいの前でしてやるなよ」
隆之介が指さした方に視線を移すと、ひつじいは特になんの動揺も見せず歩いている。しかし、よく見ると腰に当てた手が小さく震えているではないか。
「ひつじい、こいつらはまだ幼いので―気遣いとかは期待しないでください」
「いえいえ、私が悪いのです」
向日葵に仕え始めてから一週間。ひつじいは取り憑かれたかのように、「私が悪い」と言い続けている。これでは魔神軍を抜けた意味がない。
「ひつじい、一つ命令して良い?」
「はい、何なりと」
「これから、私の前では『ごめんなさい』とか『私が悪い』っていうの禁止!やっちゃったことは消せないけど、もう私はあなたのこと許したもん。それに何十回も言われると、こっちもモヤモヤするし……とにかくダメ!」
「私も賛成。アーロンくんと琉太くんがどう思ってるか分からないけど……少なくとも私達の前で謝ったりする必要はないと思うな」撫子が胸に手を当てて言った。
ひつじいは下を向いて、しばらく沈黙した後に告げる。「承知しました」
「そうだ、ちょうどひつじいに聞きたいことがあったんです」隆之介が呟いた。
「なんですかな?」
「魔神軍から抜けるとき、息子に家督を譲ったと言ってましたが……それは向日葵に仕えるための方法でしょう。俺達は抜けた理由を知らない。ちょっと聞いておきたいんです」
確かにそうだ。前に剣を交えたときも、ひつじいはヒノカグツチに操られたような感じだったけど、あくまで私の感じたことだから―。
ひつじいは一転、森の中を歩きながら空を見上げる。
「―理由はたくさんありますよ。ただ一番大きかったのは大昔にヒノカグツチと交わした約束です」
「約束?」
「ヒノカグツチが正気を失いつつあるという話は、いくらか耳にしているでしょう。じつは私が若い頃はもっと聡明で、優しい方だったのです。今のヒノカグツチは、野望を果たすためなら手段を選ばないようなお方ですが、昔は無駄な殺しを避け、部下への気遣いを忘れないお方でした。
しかし、ヒノカグツチは変わってしまわれた。島に点々と存在している神族の街をほとんど滅ぼし、女子供もろとも呪文で焼き尽くした。以前は虫すら殺すのを躊躇うお方だったのに、今は神族や魔族を殺すことになんの迷いもない。フレル殿が暗殺されたのが、顕著な証拠でしょう。もっとも、向日葵様たちは神族や魔族とはまた別の種族なので、ターゲットから外れていましょうが」
撫子はほっと胸を撫で下ろした。
「話を戻しましょう。ヒノカグツチがまだ正気であるとき、私に一つ命令したのです。今後、僕が信念をなくして暴走するようなことがあったら、己の良心に則り、直ちに始末してほしいと。
自分の行く末を予見していたのか、ただのノリで言ったのか分かりませんが、私は『はい』と答えました。そして今、その言葉の通り、ヒノカグツチは暴走している。反対する者を押しのけて、アシナヅチを亡き者にしようとしている。交わした約束を果たすため、私は向日葵さまに仕えることを決めたのです」
ひつじいが話を締めくくると、しばしの沈黙が流れた。
「では、もし正気を取り戻したら、あなたはヒノカグツチの元に戻るということですか……?」撫子が恐る恐る言った。
「いいえ。ヒノカグツチの目が醒めるとは思えませんし、仮に醒めたとしても、向日葵さまに仕え続けますよ。ただの老骨にできることは……このくらいしかありませんですから……」
そう語るひつじいの目には、光がこもっていなかった。
1時間ほど歩くと、森の様相が変わった。木の背丈が低くなり、地面には大量の松ぼっくりが落ちている。針のような葉っぱには雪が積もっていて、油断すると頭から被ってしまいそうだ。
「私の記憶が正しければ、この辺にいたはずなのですが」
向日葵たちは少年を探そうと辺りをキョロキョロと見渡す。ひつじいが先に進もうとすると、
「なっなんだ?」
突如、東の方で爆発音がした。功は気付いた。この呪文は琉太が使っていたやつと同じ―フレイムだ。距離はそう遠くない。
「お前ら着いてこい!」隆之介がいち早く音が聞こえて方向へ向かう。
松ぼっくりの上を駆け抜け、隆起した根っこを飛び越える。猿のようにしばらく走ると森が開けている。隆之介は木々の間から漏れ出す光に飛び込む。
「何だ貴様?」
木の下で息も絶え絶えに地面に突っ伏す少年と、それを取り囲む魔族。目の前には、理解しがたい光景が広がっていた。




