49話 水と風
サパコスとヒメマルの姿が見えなくなると、アーロンはバランスを崩し、地面に倒れそうになった。体のあちこちが痛い。葉月が駆けつけ、支えるも、肩を負傷している。
「アーロンくん、死んじゃだめだよ!」
「僕は大丈夫……。それより偲ちゃんと姉ちゃんがやばい……。応急処置をお願いできる?」
葉月はアーロンをそっと寝転がせ、二人の元で膝をつく。ズボンの裾を矢で切断し、ガーゼの代わりにする。
エリーは胸を斜めに斬られている。三人の中でも出血がひどい。布を間に挟み、傷口の真上から押さえつける。応急処置には苦痛を和らげる効果があるというが、エリーは歯を食いしばったまま、依然として意識を取り戻さない。葉月は下着姿となり、上着で傷口を縛った。今、私ができるのはここまでだ。
次に偲の処置に取り掛かった。ホマレ荘の屋上で待機していたとき、サパコスの攻撃で吹き飛ばされているのを見た。不良が繰り出すようなダサいパンチではなく、武器による一撃でもない。ただ、偲は激しく吐血していた。事態は急を要する。
赤い血で染まった忍び装束を脱がせると、お腹の中央が真っ赤に腫れていた。魔族たちと比べても遜色ない実力を誇っていた偲がここまでズタボロにされるとは―。軍団長の恐ろしさに身震いしながらも、葉月は全身の血を拭き取る。
負傷箇所はそれだけではない。片足が逆向きに曲がっている。しかも、ただ関節の可動域がおかしくなったのではなく、太ももとふくらはぎの間の骨が折れている。固定する布はある。だが、添え木がない。葉月は残った矢を全て取り出し、端っこを縛って一本にする。偲の脚を正しい形に整え、ズボンの切れ端で、矢に縛り付ける。やれることはやった。
隆之介の処置に取り掛かろうとすると、燃え盛るホマレ荘の裏から、リマンが現れた。葉月に対して手を降っている。
「おーい!大丈夫かい?」
安心したのも束の間、焼け焦げた屋根の一部が、リマンの真上から落下した。このままでは、下敷きになる!
「リマンさん!危ない!」
危険を察知し、白衣を揺らしながら前方に飛び込む。次の瞬間、真っ黒になった木材が激突した。一歩遅れていたら危なかった。リマンは地面を転がりながらもさっと起き上がり、葉月の下へ駆け寄る。
「お怪我は?」葉月が尋ねる。
「特にないわ。昔から、逃げ足だけは速いからね」リマンは轟々と燃えるホマレ荘を見る。「まさかホマレ荘が燃やされるなんてびっくりだわ。おおかたサパコスあたりの仕業しわざね」
「なぜ分かるんです?」
「そりゃサパコスの『なに考えてるか分からなさ』は昔から有名だもの。他の軍団長はヒノカグツチの命令を遵守し、彼のメリットとなることしかやらないけど、サパコスはそんな暗黙の了解を堂々と破るわ。ヒノカグツチはまだ人の道を弁えているからね……ホマレ荘を燃やすなんてことしないはずよ」
リマンはため息をつくと、目の色を変えた。横たわっている偲の手首に触れ、脈を取る。
「魔神を褒めている時間はないわ。こんなに負傷者がいるなんて。葉月ちゃん、サパコスの他に敵はいた?」
「ヒマメルって魔族と雑兵がいくつか。ヒメマル以外は、村の人たちが林の中におびき寄せてくれたので、この辺で相手したのは二人だけです」
「なるほどね。道理で一鉄とクライゼルは傷がきれいなわけだわ」
「どっ、どういうことですか?」
「あなたも戦闘を見てたから分かると思うけど、サパコスは戦闘狂よ。さらに相手を傷つけることを楽しみ、魔神の命令もロクに守らない。それが『子供を殺すな』っていうものでも関係ないわ。一応、今回は素直に手加減したみたいだけど、偲ちゃんとエリーちゃんの傷は命に達してもおかしくない。まるで死んじゃっても自分のせいじゃないって言ってるみたいね。逆に、ヒメマルは魔神に忠実だから、最小限のダメージに抑えている。クライゼルは別だけど……あの程度ならまだ大丈夫はずよ。一鉄も肩の靭帯を斬られただけ。とにかく、私のやるべきことは―」
リマンは救急バックを渡し、偲を背中に担ぎ上げた。
「この二人を診療所へ運ぶこと!葉月ちゃんは他の四人の応急処置をお願い。バックの中に包帯とか色々入っているから、処置には困らないはずよ」
リマンはゴリベアに負けずとも劣らない力強さで、森の中に入っていった。
葉月は傷がひどい順に、クライゼル、隆之介、一鉄に応急処置を施した。アーロンの処置に移ろうとしたとき、燃え盛るホマレ荘が見えた。すっかり屋根は焼け落ち、炎は2階の寝室に侵入しようとしている。桜花がこの光景を目の当たりにしたら、どんな反応をするだろう。そう考えると、いたたまれなくなる。
ギリギリで目を開けていたアーロンも、そばを離れている間に、意識を失ってしまっていた。しかし、葉月が焼けただれた皮膚に触れると、パチっと目を覚ました。
「葉月ちゃん……みんなは……?」
「もう処置はしたよ。あなたで最後。最後になっちゃってごめん」
「いや、しょうがないよ。それに……ほら、ちょっと時間が空いたから、自分で立ち上がれるようになったんだぜ」
アーロンはぷるぷる震えながらも、葉月の助けを借りずに立つことができた。フフンと鼻を鳴らすも、葉月の心配そうな表情は変わらない。
偲は診療所へ運ばれ、エリーももう少ししたら治療を受けられる。状況は確実に良くなっているものの、ホマレ荘だけは燃え続けている。アーロンの瞳に、赤い光が映る。
「ホマレ荘は―村のみんなと協力して、桜花が作り上げたものだ。僕もこき使われたけど、一番力を尽くしたのは桜花さ。そんな努力の結晶が―サパコスの手によって壊されるなんて―。ちくしょう―サパコスの―くそったれが!」
軋む体などどうでも良かった。アーロンは上空を向いて叫んだ。
林からゴソゴソと誰かがやってくる音がした。出てきたのは狩猟刀を持ったゴリベアだった。色んなところから血が出ている。いかに剛力が自慢と言っても、魔神軍を相手にして、無傷とはいかなかったらしい。
「お前ら、怪我はないか―ってなんだコレ!」
ゴリベアは着々と勢力を広げる赤い炎を見て立ちすくむ。つばを飲み込み、狩猟刀を鞘に戻し、髪の毛がチリチリになったアーロンを、大木のような腕で支える。
「ひどい火傷だ……誰にやられた?」
「ヒメマルです。でも、歩くことはできるんで、そんなに心配しないでください」
ゴリベアは歯を食いしばりながらホマレ荘を見上げる。「お前らの『住処』が放火されるなんて思わなかったよ。どうにか消したいところだけど、生憎僕は呪文が使えない。―クソが」
「―そうだ!ヴィラージュ様、ヴィラージュ様はどこにいるんですか?あの人ならこれだけ大きな炎でも消火できる」とアーロンが急き立てる。
「さっきサパコスが言ってたじゃん―。アグカルってやつと戦闘中だって」葉月が半ば諦めたような顔で言った。
「そのとおりだ。これだけ大きな火事だ……当然ヴィラージュ様も把握しているさ。だが、アグカルが戦闘から放してくれない。他の魔族は撤退したというのに、アグカルだけが村に残っている。やつは魔力の権化みたいな野郎だからな―ヴィラージュ様といえどもよそ見はできない」
アーロンは顔を真っ赤にし、ゴリベアに掴みかかる。「じゃあこのまま燃え尽きるのを黙って見てろっていうんですか!」
「そうではない……。だが、僕達にできることは―もう何も―」
ゴリベアはアーロンの真っ直ぐな視線から目を逸らした。沈んだ表情で、声にも覇気が感じられない。
「そうか―そうだよな―」
首元から手を離し、アーロンはゴリベアの胸元に寄りかかった。「誰かに頼ってちゃいけないんだ。それがたとえ、前人未到の魔力が必要な状況であっても」
「どうした?」
再びゴリベアの目をまっすぐに見る。「お願いです、ゴリベアさん!ホマレ荘の真正面に、僕を放り投げてください!」
ゴリベアは当然動揺する。「なにを言っているか分からない!もう火傷が広がってボロボロなのに、これ以上無茶をしてどうなるというのだ!」
「僕は今まで見てきました。ヴィラージュ様が得意とするあの呪文を、発動する瞬間を。手の動かし方だって、詠唱の台詞だって。だから信じてください」
耳がキーンとなるほどの大声。それがアーロンの覚悟を示していた。
「分かった。くれぐれも無茶はするなよ」
ゴリベアはアーロンを担ぎ上げ、右肩に乗せる。互いに顔を見合わせて頷き、右腕に力を込める。
「行けぇぇええぇぇええぇ!」
筋肉をフル稼働させ上空にアーロンをぶん投げると、いとも簡単に、正面まで上昇した。月明かりに照らされ、金色の髪が輝く。
アーロンはありったけの声量で叫ぶ。「バッサー!水よ唸れ!」
青色の光をまとい、両手から溢れんばかりの水が放出される。ヘビのように伸びたそれは左右対称に広がり、ホマレ荘を覆っていた火を次々に消していく。
「すごい……すごいよ、アーロンくん」葉月は息を呑む。
脚からも放水していたため、アーロンはしばらく空中にとどまっていた。いいぞ!このまま消えろ!
中央に残っていた最後の火が消えた。屋根は黒焦げだが、2階の寝室には到達していない。一番上の木材さえ取り替えれば、また過ごすことができる。桜花たちと―ともに―。
ほっと胸を撫で下ろすのと同時、力が抜ける。ゴリベアは無論キャッチしようとする。ゴリベアはなにかに引っかかり、勢いよく転ぶ。オーブが爆発した際に、吹き飛ばされた木材だ。
このままじゃ、地面に叩きつけられる!
考えるよりも先に、体が動いていた。葉月は一歩前に踏み出し、両手を突き出して叫ぶ。
「ウィンド!風よ立ち昇れ!」
柔らかな上昇気流が発生し、アーロンがふわっと持ち上がる。風船のようにゆっくり下降し、そっと着地した。
突然の出来事に、三人は豆鉄砲を食らったような表情になった。そして、大きな笑いが起こった。
「すごい!すごいよ!この土壇場で魔力を発現させるなんて!葉月ちゃんがいなかったら……僕死んでたよ」
「アーロンくんもすごいよ。あの量の炎を消したんだから」
「このタイミングで二人も魔力を発現させるとは……こりゃヴィラージュ様は腰抜かすだろうよ」
林をかき分け、小さくなったヴィラージュと、ローブを身につけた琉太が現れた。ひどく焦っているようで、二人とも汗だくだ。
「遅れてすまぬ―。なんと!炎が消えておるじゃと!」
「聞いていた話と違うぞ!」
二人は事の顛末を知っているはずもない。アーロンと葉月は互いの顔を見て、クスクス笑った。
「もう大丈夫ですよ。ヴィラージュ様!」




