43話 心の拠り所
オプサの脅威が消え、桜花が心待ちにしていた「家」の建設も無事再開した。ヴィラージュから許可が降りたときの桜花の目は、以前よりも輝きが増していた。その隣りにいたアーロンも、やっと自分の本領を発揮できると、腕を鳴らしていた。
計画がストップするまで、アーロンは「家」の建設が、めんどくさいものだと感じていた。あくまで自分の専門は、林業やそこで生産される木材のみだと考えていたからだ。桜花に参加を促されると、アーロンはカワイイ女の子の頼みであると、快く承諾した。しかし、実際の作業内容はというと、魔族と何ら変わらない、ただの力仕事だった。たまに木材の性質や、数についての質問もされたが、当の本人は、一鉄と一緒に上から指示を出していることが多く、その立場の違いからアーロンの胸の中には不満が溜まっていった。
いざ作業がそれまでの流れを汲まずに止まってみると、それまでの多忙な毎日の反動からか、アーロンは普段の日常が非常につまらないものだと感じた。それだけならまだしも、海釣りにいったら胸をバッサリ斬られ、親友は死の淵をさまよい、おまけに魔族で一番話しやすいゴリベアも死にかけ、まさに散々な日々を送った。アーロンは、汗水垂らして働くことの楽しさに気付いた。傷が治ってからというもの、桜花といっしょに、工事が再び始まるのを、いまかいまかと待った。そして、来たる晩秋のある日、アシナヅチからヴィラージュへ、ヴィラージュから桜花たちへと、命令が伝達され、アーロンと桜花はハイタッチして喜んだのだ。
魔族そして神族の助けもあって工事は順調に進み、桜花の発案から2ヶ月半、ついに向日葵たちの「家」が完成した。その翌日には、セレモニーが行われ、「家」の前の広場には、ヴィラージュ、クライゼルの他に、まだ腹部に包帯が残っていたゴリベアも集まっていた。神の都からはフレルが代表で来ていた。本当はヌーラスが参加するようだったそうだが、フレルが興味を示し、アシナヅチに直談判して、その枠を無理くり引き抜いたらしい。フレルは、スカート丈が少し短い、黒のワンピースを着用していた。入口の扉が開くのを待ちきれず、その場にいた全員を魅了するような笑顔を浮かべながら、ソワソワしている。そんなフレルを、平一郎はよだれを垂らし、木陰から覗いていた。
「うへへ……フレルさんって、やっぱりべっぴんさんやなぁ。眼福眼福……」
平一郎は猫背になりながら、ジュルリとよだれをすすった。その音に隠れて、森の中から足音がする。後ろを振り返ると、和装に身を包んだ、面長の女の子が立っていた。えくぼが引きつっており、平一郎について何か言いたげだ。
「なんや、茶々やないか!」
「こんなところで何してるんです?」
「いやいや……色んな人が来てるんやなぁって、ちょっと見てただけや……」
「なるほど。そんな下品な表情を作る必要はあるのです?」
女の子は片方の眉毛を釣り上げ、疑うような目つきで平一郎を見た。
松原茶々。日本古来より伝わる名家の末裔で、実家は神社である。本人も神道を信仰しており、アシナヅチと対面した際、数時間頭を下げ続けたのは有名な話だ。悠玄と同レベルの国語の才能も有している。
「そんなことはどうでもいいのです。平一郎さん、もうそろそろ桜花さんの案内が始まります。早く行きますよ」
「えっ!わざわざ呼びに来てくれたんか!優しいやん……」
「別にわっちが所望したわけでは無いんですけどね―。ヴィラージュ様がわっちに直々に命じられたのです。もし可能なら断っていたのですが、もう時間もないので」
茶々は、平一郎の服を引っ貼りながら、淡々と言った。平一郎は女子に触れられて、頬を赤らめていたが、茶々はそんなこと興味ないという顔をしていた。
人混みを押しのけ、茶々たちはアーロンらの隣に飛び込んだ。目の前には学校の校舎ほどの高さの「家」が見えた。周りには溢れんばかりの魔族がいる。村の魔族がほとんど集まっているようだ。
「遅いぞ、平一郎。もうそろそろ桜花の晴れ舞台が始まるぜ。そういえば、この前神の都に行ったとき、ヌーラスさんからまんじゅうもらったんだ。茶々ちゃん、食べる?」
「いえ。お気遣いは嬉しいですが、神道の信仰者たるもの贅沢はできませんので」
茶々がきっぱり言った。仕方なく、アーロンは今にも鼻血を吹き出しそうに平一郎と、まんじゅうを半分こにして、貪り食った。平一郎が手についたあんこをぺろりと舐める。
「皆さん、おまたせしました!まもなく、お披露目会を開始します!」
ちょうど屋上から声がした。オーバーオールを身にまとい、緊張した様子の桜花が立っている。
桜花は、外壁に隣接された鉄骨の足場を駆け下りる。壁付近まで魔族がごった返していたが、桜花が通ろうとすると、一気に魔族が後ろに下がり、スペースができた。入口の扉の前まで走り抜けると、そこにはアーロンがいた。階段を下っているうちに、魔族の間を通り抜け、今の場所まで移動していたのだ。アーロンと桜花は見つめ合い、互いに頷いた。桜花は黄土色の鍵を取り出し、扉の南京錠を外す。閂を引き抜くと扉が開いた。
下駄箱があり、横幅が5メートルもありそうな長いテーブルが見られた。床は茶色の木材で作られており、ところどころに杢目があった。壁や天井も同じような感じだったが、そのすべてがピカピカに磨き上げられていた。それまでボロボロのテントで生活していた向日葵たちにとって、まさに夢のような場所だった。
「さぁ早く入ろう!」桜花が呼びかける。
80はいる魔族が波のように動いた。ヴィラージュが辺りに轟く声で、魔族たちを静止させる。
「ちょっと待つのじゃ!いくら桜花が広々とした『住処』を造ったからといって、このような人数ではぎゅうぎゅう詰めになってしまう。桜花と一緒に手を動かした者にとっては、少しばかり理不尽かもしれぬが、ここは子どもたちだけで、心ゆくまで案内させるのがよいじゃろう。異論はないな?」
魔族の集団から、不満の声が漏れる。だが、ヴィラージュの命令には逆らえない。魔族たちはまるで一つの塊のように、後ろに下がった。魔族に揉まれて散り散りになっていた向日葵たちも、無事玄関の辺りに集合することができた。
「うわぁ〜、メッチャきれいだね!」背が低くて見えていなかった向日葵と功が言った。
玄関に靴を入れ、服についた土ぼこりを払い落とし、木の段に一歩踏み出すと、温かな木の香りが向日葵の鼻をついた。人生で一度も体験したことのない、独特だけど……優しい香りだ。奥にはキッチンが見える。流しやガスコンロなどはあるが、冷蔵庫がない。功が言っていた、地下の保存スペースが、冷蔵庫の代わりになっているのだろうか。テーブルの近くに一つまた段になっているところがあり、その上には、学校の教室と同じような、でっかい黒板があった。向日葵は、大嫌いな勉強を始めなければならないと思うと、頭を抱えて突っ伏したくなった。そして、ちょうど玄関の真横には、大きく「ゆ」と書かれたのれんがあった。赤色が女子、青色が男子だろう。温かい湯船に浸かれる―そう考えるだけで、向日葵の気持ちは少し軽くなった。
「うへぇー、なんかいろいろあんなぁ」平一郎が言った。
「一つずつ紹介していくよ!」
「なんかルームツアーみてぇだな」隆之介が呟いた。
桜花はテーブルを背後にして、興奮しながら手を広げた。
「ここは共有スペース。みんなでご飯を食べたり、雑談したり、ゆくゆくはボードゲームとかもしたいと思ってまーす!本当は黒板をつけるつもりはなかったんだけど……琉太くんが『勉強も大事だ』って言ってたから、しかたなく設置しました」
向日葵と功は、歯ぎしりしながら、腕を組む琉太を見つめた。琉太もそれに気づいていたが、今二人がどんな文句を言ったところで、馬の耳に念仏といったところだろう。
「その奥にあるのがキッチンです!包丁とかまな板とか、基本的な器具はもちろん、オーブンやガスコンロなどの機械もあるから、お菓子とかも作れちゃうよ!」
「へぇ……これはやりがいありそうだねぇ」千代子が腕まくりをした。
「千代子ちゃんがどんな料理つくってくれるか楽しみだよ。ちなみに、冷蔵庫は地下にあるから、食材運ぶときは、アーロンに頼んでね」
「はっ?僕なの……。力いるんだったら一鉄に頼めよ……」
桜花は大きめに目を開き、アーロンの右手に抱きついた。エリーが「まぁ」と上ずった声を出す。
「アーロン、お願い?」
もうそろそろ了承しなくなりそうだったので、桜花は秘密兵器を使った。アーロンは、無類のスケベだ(本人はレディーファーストが発展しただけだと言っているが)。顔が真っ赤になり、蛇口を捻ったように鼻血を放出した。
「喜んでやりますよ」
「これで使い魔が一人増えたねぇ」千代子が満足そうに言った。
風の音がしたので、向日葵がふと後ろを振り返ると、下駄箱を取り囲むように、左右二手に分かれた階段があった。先程までは、ただの壁だと思っていたが、この先に何があるのだろう。近づこうとする向日葵の動きを、桜花は見逃さなかった。
「やっぱり、そっち気になっちゃう?だけど、先にお風呂の紹介するよ。そこで……みんなに相談があるんだけど……」
桜花はモジモジしながら、クラスの女子ひとりひとりに目配りをした。千代子が察しの悪い向日葵を引っ張り、話が漏れないよう円陣を組んだ。
「これから女子風呂に行くんだけど―男子も連れて行くべきだと思う?」
「うーん。蛍二とかロペスはそういうの興味なさそうだけど……問題はあの二人だねぇ」
千代子のすきまから延びた視線の先には、アーロンと平一郎。
「ねぇねぇ、そういうのって何?」向日葵が何も考えていないような顔で質問する。
「しっ、向日葵は黙ってて」撫子がボソボソ声で言った。
「それなら、他の男子を案内している間に、二人に待ってもらうのはどうかしら」コルチが言った。
「流石に不平等じゃない?勘付かれたら面倒だし」葉月が言った。
「じゃあ女子だけで行こっか」
話がまとまり、その内容をアーロンたちに伝えると、平一郎は分かりやすく不満を漏らした。
「何やねん。俺らが同行してもええやんか」
その言葉を無視して、桜花たちはのれんをくぐった。最後尾がのれんに手をかけたところで、平一郎はあっかんべーをしたが、茶々も舌を出し返した。
脱衣所には人数分以上のロッカーとかごがあり、女子が一斉に入っても問題なさそうな感じだった。洗面所の隣には、ばねばかりの体重計があった。向日葵は、以前「重い」と馬鹿にされて、功を蹴り飛ばしたことを思い出した。
大浴場に入ると、まず目を奪われたのは、楕円形の湯船だった。泳いでも窮屈しなさそうな湯船を見ると、今まで冷たい川でからだを洗っていたことが、おかしく思えてくる。床や壁は石で造られていた。右手には複数のシャワーがあり、奥には巨大な木箱のようなものが見られた。
「ここがお風呂だよ。今回の設計で一番頑張ったところ!みんなどうかな?」
千代子たちはしっとりとした言葉を返した。
「やっと……やっと……温かいお湯に浸かれる……。平一郎のバカに―覗かれそうにならずに済む」
それほどまでに、晩秋の川というのは冷ややかだった。学校寮の給湯器に対して、何回恋い焦がれただろう。
「ねぇねぇ、この中には?」
向日葵は、天井にすら届く木箱のようなものに興味を示した。モヤが発生してわかりにくいが、ドアノブがついている。
「あぁ。それはサウナだよ。ほら、こっちに水風呂もあるし」
隣には、人が二人ほど入れそうな、小さい浴槽があった。ここに水を貯めるのだろう。
向日葵にとって、サウナは大人の趣味というイメージだった。一回入ったことがあったが、すぐにのぼせてしまい、お母さんに担ぎ出された。あれからかれこれ数年……もう一度挑戦してみたい。
「偲さん。もし明日暇でしたら、サウナで我慢くらべしませんか?」
「おっ、いいですね」
エリーと偲が話している。向日葵も加わる。
「私も混ぜて!」
「いいですよ。でも、のぼせないでくださいね」
「ちゃんと我慢するもん!」
お母さんとまったく同じ注意をされて、向日葵はへそを曲げた。エリーたちは声を上げて笑った。
風呂場から出たあと、桜花は次に男子の浴場の案内に移った。しばらくして帰ってきた桜花に話を聞くと、アーロンと平一郎が互いに我慢比べをしようと提案していたらしい。思わぬ血縁の発揮に、向日葵と撫子は吹き出しそうになった。
「じゃあ次はいよいよ個人部屋!」
桜花は有頂天に達していた。玄関から入って、右手が男子、左手が女子のスペースらしい。向日葵は一枚の紙を渡された。3階のいちばん西……自分の部屋の場所が書いてある。あらかじめ決められたものらしい。撫子は……2階の東。向日葵とは距離が離れていた。
「撫子ととなりが良かったなぁ」
向日葵は一縷の望みにかけて、部屋を交換してくれないかと、撫子の隣のひまりに話しかけた。事情を説明すると、ひまりは戸惑いながらも、指でOKサインを作った。
「やったー!ありがとう!」
これから先は、各自部屋を確認して、テントから荷物を運んでくるようにと、桜花が指示を出したので、向日葵たちは一時ばらばらになった。撫子と一緒に階段を登り、紙で指示された通りの場所に行くと、二つのドアが現れた。
「じゃあ向日葵、また後で」
撫子が先に部屋に入る。向日葵もドアノブに手をかけ、緊張しながら―開けた。
広々とした縦長の空間に、窓のそばにあるのは、柔らかそうなベット。トイレを覗き、奥に進んで目に止まったのは、向日葵の背丈の2倍はありそうな、クローゼットだった。ただ開け閉めするだけで、興奮の色が増した。向日葵はベッドに飛び込む。フカフカで、暖かだ。こんな空間で寝るのは、何ヶ月ぶりだろう。向日葵は感動すら覚えた。
ふと窓の外を見る。すっかり辺りは暗くなっていた。本来ならもう寝る時間だが、まだやることがある。向日葵は部屋を出て、せっせと階段を降りた。
それから何往復かして、ようやっと荷物を運び終えた。ベッドのすぐ下のカーペットに、乱雑に荷物を置く。整頓しなければ千代子に怒られるだろうが、そんな元気はない。
向日葵は、今日一日が夢で無いことを期待しながら、眠りについた。




