33話―魔族の脅威―
もんどり打って地面に倒れたアーロン、平一郎、功はゆっくり起き上がりながら、痣になったところをさすった。をした。特にアーロンは自慢の顔に擦り傷がつき、今にも爆発しそうな感じだった。
「痛いな。なにするんだよ琉太―」
アーロンは一発ぶん殴ってやろうと後ろを振り返った。それまで想像していたのは、普段の腹いせに三人を押した生意気な表情の琉太の姿だった。しかし、視界に入ってきたのは、背中を切り裂かれ、血を吐きながら倒れる琉太だった。
「あなたにはちょっと眠ってもらいます。大丈夫、死にはしません」
琉太のつま先の先には、琉太を斬ったであろう一人の魔族が立っていた。その雰囲気は、村の魔族とは違っていた。男のメガネのレンズの奥には、任務を滞りなく遂行するという、冷たい殺気が宿っていた。
「琉太!」アーロンは腹の底から叫んだ。
平一郎と功は、遅れて琉太の様子を確認した。状況はすぐには飲み込めなかったが、男の放つ異様な空気に気圧されつつ、功は手甲鉤を装着した。分かる。この男は敵だ。平一郎はバックパックの中に手を突っ込んだ。
「お前……よくも琉太を!」平一郎が片手にナイフを持って言った。
男は黙って三人を見た。次の獲物を探す狩人のような、温度のない目をしている。隆之介たちが相手にした魔族も、このような目をしていたのだろうか。
「逃げろ……」琉太が、手のひらを血で染めて言った。
「逃げれるもんか!」功が叫んだ。
平一郎と功は琉太の指示を無視した。ここで尻尾を巻いて逃走したら琉太に危険が及ぶ。こいつから逃れるとしても、琉太と一緒だ。二人は意を決した。
「いや……」
二人は一歩を踏み出したが、アーロンの両手に阻まれた。
「なにするんや、アーロン!早くしないと琉太が―」
「そうだよ。戦う気がないなら、先に逃げて」
怒鳴り声を上げる二人を、アーロンは決意のこもった目で見つめ返した。普段のおちゃらけているときや魚を釣り上げたときとも異なる、初めて見る表情だった。
「ここは僕が引き受ける。二人はブリを持って、先に村に戻って」
二人は信じられないという顔をした。「何言ってるんや。ここは三人であいつを倒すほうが得策やろ。その後、琉太を蛍二のところへ連れていく」
「―琉太の傷は深い。いきなり蛍二くんのところへ運び込んでも、適切な治療をするためには、ある程度の準備がいる。だから二人は琉太の怪我を伝えるために戻ってくれ」
「俺からも頼む……」琉太も賛成の意を示すため、声を絞り出した。
二人は顔を見合わせた。そして無言で頷いた。アーロンたちに背を向け、平一郎と功は黙って村のある方角へと、走って言った。
「お相手は決まりましたか」二人が見えなくなったタイミングで、男が言った。
「お前、名前なんて言うの?」アーロンの声は怒りで満ちていた。
「一応、ヒノカグツチ様からは『オプサ』と呼ばれています」
「あっそ。お前をここで倒して、ヴィラージュ様に報告しておくよ」アーロンは鞘からサーベルを抜いた。隆之介やエリー、偲以外の相手に、サーベルを抜くのは初めてだった。
男からはただならぬ雰囲気を感じた。現実か、単に自分の心が弱いだけなのかも分からないが、肌がピリつくような感触も覚えた。熱いものを触ったときや直射日光で肌が焼ける感覚とも違う、不快な感覚だった。
オプサは、地面に横たわる琉太を避けながら、アーロンに向かって鉈を振りかぶった。アーロンはサーベルを横に構え、攻撃を防いだ。
いいぞ。隆之介との練習どおりにできた。
そう思ったのも束の間、オプサが再び、鉈を上から振り下ろした。その一撃は先程よりも力がこもっていた。オプサの鉈はアーロンのガードを弾き、腹を縦に割いた。
「アーロン……!」
「大丈夫、服が切れただけ」
アーロンはサーベルを持ち直し、後ろに下がった。背丈は功と同じくらいのはずなのに、パワーがまるで違う。割かれた腹を押さえながら、アーロンは苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「こいつのどこにこんなパワーが……」
オプサはアーロンに隙を与えない。瞬きにすら満たない時間で距離を詰め、空中に飛び上がり、先ほどと同じ上段斬りを繰り出した。アーロンはサーベルのみねに左手を添え、防御が弾き飛ばされないようにした。しかし、その一撃は幻だった。オプサは地面に着地したのと同時に、今度は下からアーロンを切りつけた。
「見える!」
アーロンは後ろに下がり、下からの刃を避けた。だが、オプサの口角は上がっていた。「安心するにはまだ早いですよ。アイス!氷よ冷却せよ!」
オプサは鉈を持っていない方の手で、土にそっと触れた。指先から地面を突き破って現れたのは、膝下ぐらいの高さの氷柱だった。まるで意思を持っているかのように、氷は隆起しながらアーロンに向かって進んでいった。跳んだ状態では体勢が悪かった。
「くそが!」
アーロンは再度避けようとしたが間に合わなかった。氷はアーロンのつま先に到達し、瞬く間にアーロンの足首を凍りつかせた。アーロンは痛みで声を上げた。更に、地面と脚が接着され、その場から動けなくなった。泣きっ面に蜂―。アーロンは切られた部分を押さえることしかできなかった。
「これでフィナーレです。まぁ、死にはしないでしょう」
オプサが、氷から脱出しようと必死にもがくアーロンの眼前で、鉈を振り上げた。琉太は「アーロン!」と叫んだ。そして無惨にも、オプサの一撃は胸を斜めに切り裂いた。
「ぐはっ……」アーロンは琉太と同じくらい、激しく血を吐いた。
オプサは自身の勝利を確信した。氷も溶けてきている。このまま、この少年は膝をつくだろう。ひとまず、ヒノカグツチ様のご要望を叶えることはできた。オプサは森に入ろうと、アーロンから目を離した。
「おい、どこに行くんだい……」
背後から声がした。オプサは振り返った。アーロンは倒れていなかった。サーベルで体を支えていた。アーロンは柄を両手で握りしめ、足元の氷柱に突き刺した。ヒビが入ったかと思うと、氷は星くずとなって砕けた。
「まだ、僕はやれる。かかってきなよ」アーロンは怒りをなぞるかのように手招きした。
オプサが深呼吸して言った。「いいでしょう。死んでも文句は言えませんよ」
相手が動くよりも先に、アーロンは距離を詰めた。オプサが目の前に来たタイミングで、サーベルを握りしめ、上から下から、右から左から、怒涛の連撃を放った。
「おらぁぁ!」
オプサはその攻撃を次々と防いだ。数十秒が経過すると、アーロンの呼吸に乱れが生じた。防戦一方だったオプサに、徐々に天秤が傾いた。
「どうしました?スピードが落ちていますよ」
オプサは、アーロンと同じ角度からの攻撃に、不規則な突きを混ぜた。アーロンは対応できなかった。何回目かの突きで、頬から鮮血がほとばしる。
「僕の美顔になにすんだよ!」
ギアを上げようとしたが、実力の差は埋められない。アーロンの体が徐々に削れていく。
琉太はその様子を見ていた。このままではアーロンが死んでしまう。男は「殺さない」と言っていたが、それも嘘かもしれない。琉太は自分の無力さに絶望した。なにかできることはないだろうか。
琉太の脳内にある言葉が舞い込んだ。それは村の魔族との訓練のときに、魔族が発していた言葉だった。琉太は力いっぱい叫んだ。「フレイム!炎よ燃え盛れ!」
直後、琉太の手から放たれたのは、真っ赤に輝く炎。その炎は一直線に進み、オプサを包んだ。
「おおっと!これはまずい!」
オプサはすぐさま地面に転がり、炎を消した。着飾っていたスーツも、少し濁った白色の髪の毛も、全て黒焦げになった。
「今日はこの辺にしときましょう。でも、いずれは軍団長があなた達を絶望の底に落としますよ」
オプサは不気味な笑みを浮かべ、森の中へと姿をくらませた。アーロンがすぐさま後を追おうとしたが、垂れ下がるツルに阻まれ、オプサの姿を見失ってしまった。
「ちくしょう……」アーロンは歯を食いしばった。
それと同時に、アーロンの胸に強い痛みが走った。痛み止めが切れたような感覚。アーロンはふらふらと近づき、琉太の隣で膝をついた。
「琉太―。上着貸して。今止血するよ」
航海士の父親から教えてもらった簡易的な止血方法。アーロンはそれを琉太に施した。琉太もアーロンからシャツを受け取り、同じ方法で流血を止めた。
幸いにも、アーロンの傷はあまり深くなかった。しかし、琉太は一歩踏み出すたびに背中が痛み、まっすぐ移動することさえできなかった。琉太はアーロンの肩を借り、二人は村に向かってゆっくり歩みを進めた。
「まずは診療所だ―。俺もお前も」
「その後、ヴィラージュ様に今回のことを伝えよう。琉太、僕は魔神軍の奴らがこんなに強いとは思わなかったよ。隆之介の下で一生懸命練習していたつもりだったけど、全然だめだった。今の僕じゃ、逆立ちしたって勝てない。絶対リベンジしてやる」




