16話
翌朝、昨日よりも早めに起きた千代子は、ロペスに声をかけた後に偲の下へ向かった。偲は木の上で仰向けになって寝ている。どうやら、野生動物が襲ってこないか監視するため、わざわざ木の上に登っていたらしい。千代子は申し訳なくなりながらも、偲を起こした。
「ん…おはようございます」
「昨夜はお疲れだったね。朝ご飯はアタイがやるから、もう少し寝てな」
偲は一瞬戸惑うも、結局千代子の言葉に甘えて、その目を閉じた。偲が寝ている間に、千代子は朝食の準備を、ロペスはテントの片付けを行う。昨日はアワに栗を混ぜた疑似栗ご飯だったが、そこは千代子、今日はそれに加えて、デザートとしてヒエの団子が登場した。
「ロペス!偲!ご飯できたよ!」
二人は目をこすりながら、朝食を口の中に掻き込んだ。さて主食を食べ終わりお次はデザート、というところで偲が手を止めた。
「どうかしましたか?」
「いえ…この団子懐かしいと思いまして。わたしの一族は幼少期から任務があるのですが、非常食用に持たされえたのがヒエの団子だったんです」
そう言って偲は団子を頬張る。団子は砂糖で味付けされており、甘味に飢えていた偲にとって、この上なく嬉しいものだった。
それから約15分、千代子たちは後片付けを終え、村に向かって出発した。曲がりくねった川の向こうには葉を深緑に茂らせる針葉樹林が見える。おそらく、あの森の中に村があるだろう。3人は確信した。
「今夜はあの森で過ごすことになりそうですね」
3人は川沿いの道なき道を再び歩き出した。
歩きだしてから半日、千代子たちは針葉樹林を目前に控え、昼食を摂った。針葉樹林は全体的に丈が長く、木々が密集して鬱蒼としている。木の上からはカラスの鳴き声が聞こえ、不気味さを醸し出している。
「なんか、あんまり入りたくないですね…」
ロペスはその不気味な様相を目の当たりにし、たじたじしている。千代子たちのことを見つけると、カラスは大きな声で威嚇してくる。ロペスは更に後退する。
「ロペス。アタイも少し怖いけど、偲が守ってくれるから、さっさと行くよ」
千代子の激励に、ロペスは「はい!」と無理やり元気を出す。
「じゃあ昼ご飯も食べたし、行こうかね。偲、護衛頼むよ」
「お任せください」
いつでも武器が取り出せるように、偲は武器を整頓する。二人はその様子をじっと見ている。忍び装束を整えつつ、偲は平型と棒の2種類の手裏剣、煙幕弾、炸裂弾、苦無、忍者刀を地面に広げた。
「武器ってそんなにあるのかい」
「どんな状況でも対処できるように、武器は多めに持ってます」
偲の武器の整頓が終わり、3人は針葉樹林へ足を踏み入れた。
森の中でも、入口と変わらずカラスが大声で鳴いている。動物の姿は殆ど見られず、せいぜい蜘蛛やネズミが地面を這っているだけ。
「やっぱり、ちょっと怖いかもです…」
「アタイの後ろを歩きな」
三人は偲、千代子、ロペスの順になって一列に歩く。偲は、一ヶ月ほど前に功がオオカミに襲われたことを思い出し、今まで以上に警戒を高める。
「イノシシとか出てきたらどうしましょう…」
「その時はわたしが対処しますが…ロペスさんは迷わず逃げてください」
偲は千代子の影に隠れるロペスの背中を、優しくぽんと叩いた。
森の中に入って早三時間、森はどんどん深くなり、葉の密度が増したことで、日光もほとんど届かなくなってきた。森の中では、もはや朝と夕方の判断をすることさえ難しい。更に秋なのに肌寒さも感じる。偲は懐から松明と火打ち石を取り出し、松明に火をつけた。
「どんどん薄気味悪くなっていくねぇ。ロペス、大丈夫かい?」
「はい…千代子さんと偲さんがそばにいるので…」
ロペスの素直な返事に、千代子は思わず微笑んだ。3人の空気が一瞬和んだその時、千代子たちの後ろから地を這うような低いうめき声が聞こえた。
「まさか…」
そこにいたのはなんと熊。しかもツキノワグマを優に超えるヒグマほどの大きさだ。
「千代子さん、ロペスさん!逃げてください」
二人は一瞬逃げるのを躊躇したが偲の実力を信じ、熊の様子を伺いながらゆっくり後退した。次の瞬間、熊は忍者刀を構える偲に襲いかかった。しかし、偲の表情は変わらない。
「気性が荒いですね」
偲は冷静に煙幕弾で辺りを煙に包む。熊の突進が止まり、「厄介だ」と言わんばかりに唸り声を上げる。しかし、思わず漏らしたその声が、熊の未来を決めることになる。
「そこですね」
煙の中から飛ばされてきたのは、2本の棒手裏剣。2本は熊の眼球に正確に突き刺さった。視力を奪われた熊は叫び、煙の中に突っ込む。だが、偲には音でその挙動が見えていた。偲はその突進をひらりと避け、すれ違いざまに熊の頸動脈を断ち切った。
「グアアァァァ」
熊の断末魔があたりに響き渡り、辺りが血みどろとなる。煙が晴れ、熊の死骸が千代子の目に届くと、千代子はロペスの目を塞いだ。
「あれっ千代子さん。どうしたんですか?」
「アンタは見なくていいよ」
偲は熊に手を合わせ、千代子のもとに駆け寄る。
「終わりましたよ、千代子さん」
「う、うん。ありがとう。熊を撃退をしたはいいけど…これどうしようねぇ」
「せっかくですし、解体して食べちゃいますか」
偲は忍者刀を取り出し、一切の躊躇もなしに熊の解体を始めた。死骸から血が溢れ、辺りはもはや血の池になっていた。千代子の目を塞ぐ力が強くなる。
「千代子さん…ちょっと痛いです…」
「ごめんよ。ちょっと我慢してくれ」
一時間ほど経過すると、熊の可食部を各部位ごとにばらばらにしたところで、解体が完了した。偲は汗だくである。
「へぇ一匹のくまからこんなに肉が取れるんだねぇ。ロース、ヒレ、モモ、バラ…」
「少し早いですが、日も暮れてきましたし、ここでキャンプにしましょうか」
その日の夕食は、今までよりも何十倍も豪華だった。千代子は愛用のフライパンで、いろいろな部位の熊肉を焼き、塩コショウで味をつける。アワとヒエを準備し、そこに熊肉を乗っければ…。
「お手製熊肉丼の出来上がり!」
千代子たちにとって油が滴る熊肉丼は、よだれを垂らすには十分だった。「いただきまーす!」と熊肉を頬張ると、口の中に幸せが広がる。
「おいしー!」
こうして、遠征隊の三日目が終了した。




