第二話 ディプロマシー
目的の四五〇二号室の扉をノックすると、すぐに藤堂の顔が現れた。
「意外とポンコツなんだな。とりあえず入れ」
否定は出来ず、仏頂面になりながらも大人しく後へと続く。扉が閉じたのを確認してから、用意しておいた理由を語ろうとすると、藤堂に先手を取られた。
「で、あの女の子はどこの誰だ?」
連れ出したところか、ホテルの部屋に入れたところか。やはりどちらかを見られていた。あくまでも隠し通す気なら、別のホテルを取って置いてくるという手もあった。しかし、それを把握されたら、後ろめたいことがあるのは明らかと判断されてしまう。
「知らないわけないと思うんだけど?」
どうとでも受け取れる形で、相手の反応を探る質問で返した。
「知っていたら質問しないんだがね?」
肩を竦めつつ、藤堂がソファへと勢いよく身を沈める。こちらも探られているのは確実。そう思いながら、ヴィルマは向かいのソファへと静かに腰を下ろした。
「魔女仲間か? 今回は音すら立てないほど、完璧にやってのけたそうじゃないか。あの部屋で消えたことになっているのは、標的一人だけ。お前が入ったことすら認識されていない。前回の反省を生かして、協力者でも呼び寄せたのか?」
「魔女よ、あの子も。天然の魔女。だから連れてきた」
ばさり。既視感のある光景が目の前で展開されると同時に、藤堂の視線が獲物を狙う鷲のように鋭くなった。研ぎ澄まされた響きの言葉が、その口から漏れる。
「自分も始末対象に入れられないよう、注意しろと警告したはずだ。嘘はいかんな」
テーブルの上に放り出された紙の束は、愛衣についての調査資料のようだった。見えている一枚目には、顔写真付きでプロフィールが載せられている。それに視線を落としながら、ヴィルマは目を瞬かせた。
「私、嘘なんか吐いたかしら……?」
首を捻って、本気で考え込む様を装う。頭の中で展開されているのは、もちろん何が嘘と判断されたかの思考ではない。
(危なかった。肯定してしまうところだったわ……)
協力者と勘違いしてくれているのならそれに乗ろうと、『ええ、そうよ』と言ってしまいそうになった。すんでのところでその言葉を飲み込み、肯定に聞こえるが、実際には肯定していない内容に置き換えた。むしろ藤堂の方が引っかかって、手の内を晒してくれた。
「何か誤解してないかしら? ……これ見る限り、あの子やっぱり標的の娘だったのね。判断がつかないから、とりあえず連れ帰ったのだけれど、それでは拙かった?」
これも嘘ではない。資料を見て初めて確定したのは本当。判断がつかなかったのも本当。一番の動機は語っていないが、少なくとも嘘は一つも含まれていない。明らかな裏切り行為も一つもしていない。こちらの思考内容が読みとれる魔女でもいない限り、意図は確定出来ない。
愛衣の命運がどうなるかはわからないが、少なくとも今、藤堂と敵対する羽目にはならない。そう自分に言い聞かせて、疑問と困惑の表情を作ることに専念した。
藤堂はというと、腕を組んで考え込み始めた。いつかのように、左手の人差し指だけを動かして、とんとんと自分の右腕をしばらく叩く。
「確かにお前は、一つも嘘は言っていないな。俺の方だ、嘘を吐いたのは。いや、厳密には嘘でもないか」
ヴィルマの発言や行動をすべて振り返り、洗い直していたのだろう。藤堂の発言について、同じことをしてみた。『あの女の子』が誰かという質問。その後のやり取りで、『あの女の子』が誰なのか知らないという発言をしているが、互いに愛衣と特定出来る言葉は使っていない。
「あなたの頭の中で何が起きていたのかよくわからないけど、逃走用の車を見つけられなかったことで、何か誤解を招いたようね?」
「そのようだ。何故使わなかった?」
疑いが晴れたかどうかはわからない。考えておいた通りに進めることにした。
「あの会場の様子、直接見たのか聞いたのかは知らないけど、把握してるんでしょ? あんな人だかりが出来たら、見つかるものも見つからないわ。ちょっと大げさすぎたんじゃないの?」
「その書類の娘と入れ違いに出てくるかと思ったが、そうしなかったのでな。何かトラブルでもあったのかと考えた。予定より派手に混乱させて、脱出の機会を作ろうとしたってわけだ」
「魔女が入ってきたら、処分対象なのかどうか見極めようとするに決まってるでしょ? 一人は所在不明って言ってた。あの子がそうかもしれないと思ったの」
手元の資料を見る限り、魔女だと把握はしていたようだ。あの母親は、愛衣が生まれたことで、人造魔女の女性の子は魔女となる可能性があると知ったようだ。そして、従来通りの完全な人造の魔女製造よりも、本来の方法で増やすことの方を研究していたとある。だから不妊治療の研究。もしかしたら、人造魔女は妊娠率が低いのかもしれない。
「これを見る限りでは、消さないでおいて正解だったようね。あの場に現れる可能性は、充分考慮出来る。リストに載っていたのなら、見かけたら処分するよう命令があったはずだもの」
今更所在不明の一人だなどとは言い出せまい。これだけ調べておいて、居場所も現れそうな場所もわからなかったでは説得力がない。しかし、新たに追加すると言い出す可能性はある。ヴィルマは藤堂の反応を待った。
「一つ訊きたい。俺では判断出来ないのでな。お前はこの愛衣って娘のことを、天然の魔女だと言った。それはどういう意味だ?」
「女性悪魔の力は、女系を通して伝わる。人造魔女も一応は魔女。天然の魔女と同じく、子は魔女になる可能性があるはず。なら、あの子は天然の魔女と言って差し支えないでしょ? 顔を見て、実子と判断した。クローンってほどそっくりではないけど、かなり似ている」
「なるほどね。ならば、俺の判断は正しかったってわけだ。ポリシーに反した無駄な仕事をしてしまうところだったよ」
藤堂は端末を操作しながら独り言のように呟いた。それを見て、ヴィルマは心の中でだけ安堵の息を吐いた。危惧した通り、このやりとりの間に、既にヒットマンが向かっていたのだ、愛衣の元に。ヴィルマとの話で処分の必要はないと判断し、キャンセルしたのだろう。
しかしそれはおくびにも出さず、藤堂に判断を仰ぐ。
「何の話かわからないけど、あの子はどうするの? 処分を依頼されているわけじゃないのよね? 新たにリストに加えるの?」
「判断するのは俺じゃあない。が、まあ、今後も人造魔女としては追加もされないだろう」
『人造魔女としては』という表現が気になるが、少なくとも今すぐにやるつもりはないようだった。
「そう。あなたの雇い主が決めるのかしら?」
「まあ、俺もお前と同じく、命令されたことしかしない人間だからな。とりあえず、お前が連れ出したという報告はしないとならない。命令があればリストにも入れる。俺の予想じゃ、今更入ることはないだろうがね。その資料は、とっくに上に提出済みだからな」
愛衣が魔女であることは既に承知の上。それでも放置していた。ということは、現状では彼女自身は危険分子とは見られていない。確保済みであるのなら、なおさら。
「同じ質問をするけど、判断内容は別。あの子はどうするの?」
「しばらくは、お前が預かれ。何も知らず何も出来ないはずだ。少なくとも単独では、政権にとって不都合な存在とは言えない」
「そう。良かったわ。流石にこの手で消せと言われたら、心が痛むから」
はん、と藤堂は鼻で嗤ってから、ソファにひっくり返った。
「俺も殺しは好かないと言ったはずだ。後味悪くしないでくれよ? 今後リストに入るかどうかは、お前次第だ。彼女がどう育ち何をするかで決まる。さっさと仕事を終えて、ドイツに連れていってしまうというのはどうだ? 出国の手配くらいは、手伝ってやるさ」
話は終わりなのだろう。中折れ帽を顔の上に載せて、藤堂は完全に休憩態勢に入った。
(経歴通り。やっぱり悪い人物ではないのね)
元検察官ならば、正義感は強いのだろう。今の仕事を受けているのも、人造魔女は存在してはならない悪と看做しているからなのかもしれない。人造魔女ではなく、敵でもない愛衣を殺すのは、可能なら避けるつもりと考えていい。
「ああ、お前リアル十六歳って言ってたよな? 流石に子供育てた経験なんてないだろ? もし手放すようならこちらで保護する。引き渡してくれれば、悪いようにはしない」
中折れ帽を持ち上げ、思い出したかのように藤堂はそう付け足した。
渡した後どうなるか。ヴィルマは愛衣の将来を予想してみた。藤堂が自ら保護するにしろ、他の者が担当するにしろ、普通の女の子として育てるわけはない。人造魔女として作り出されたのと、同じ結果になりかねない。
(この歳で子育てすることになるとは、まったく予想もつかなかったわ……)
大げさに肩を落として溜め息を吐きながら、ヴィルマはそう考えた。藤堂が提案した通り、仕事が終わるまでの間は自分で何とかして、ドイツで里親となってくれる魔女を探すしかない。
魔女狩りの仕事はさせたくないが、そこは本人の意思次第だろう。どちらにせよ、日本に残すよりは、ドイツに連れ帰った方が愛衣のためになる。
「とりあえずは、私が面倒を見てみるわ。少し買い物が増えると思うけど、経費で落とせないようなら、報酬から引いておいて。あと、なるべく早く帰れるよう、今後の作戦よろしくね。特に、行方不明の一人。見つからないようなら、一度帰国出来るよう手配お願い」
そう言い残して、ヴィルマは席を立った。部屋を出ながら、愛衣のことを考える。
この先が思いやられてならない。短期間で済むとはいえ、はっきり言って自信がない。子育ての仕方なんてわからない。経験がないからではない。母の愛なんて知らないからだ。
自分の母は恐らくアスタロト。最初からいないも同然。物心ついた時にはもう、父もいなかった。魔法すら呑み込む地獄門。派手な魔法を使えない場所での対魔女戦や、奇襲攻撃なら、究極的に有利な天賦である。それを使って幼い頃から仕事をこなし、自力で生活していた。
故に、どうしてあげればいいのかわからない。何をすれば喜んでくれるのか知らない。悪さをしたときどう叱ればいいのか、どう教え導いていけばいいのか判断出来ない。それでも、引き渡すわけにはいかない。藤堂は、結局は上の命令で動く人間に過ぎないのだから。
道中どこを歩いてきたのか覚えていなかった。着替えなど必要なものがたくさんあるはず。何を用意すればいいのかを考えていた。
暗くなるまでまだ少し時間がある。この新宿界隈は大きな商業地。買える場所をフロントで聞いて、二人で出かけようと思いながら、部屋の扉を押す。
開けてすぐ、異臭に気付いた。まさかと思い、愛衣の元へと駆け寄る。無事な姿でソファに座っていた。先程部屋を出る前と寸分違わぬ場所で、まったく同じ姿勢のまま。
ただし、一つだけ違うところがある。最悪のパターンではないが、これはこれで厄介だ。
異臭の元は、濡れたソファと床。愛衣は、その場で粗相してしまっていた。それを全く意に介さぬかのように、無表情のまま、ただ大人しく座っている。意識がないわけではない。ヴィルマに反応して、視線は向けたのだから。