第三話 ウィッチ・ハント
送迎のハイヤーから降り立ったのは、コンベンションホールのエントランス前。革製のビジネスバッグを二人分手に取ろうとすると、一つは同行人が自ら手にした。
「それには及ばない。イメージが悪くなる」
会場で行われている学会の趣旨を思い出し、ヴィルマは曖昧な笑みを浮かべて頭を下げた。中で既に始まっているのは、生殖発生医学会の学術講演会。秘書の設定とはいえ、男性が女性に荷物を押し付けるのは、確かに最も問題視されそうな場所の一つだった。
「それで結局、君は何をしに来たんだね?」
同行人は学会の正会員でもある大学教授。毎回のように出席している常連なので利用された。恐らく厚生労働省か文部科学省経由で、目的を告げずにヴィルマの帯同を依頼されただけ。
「ご存じなければ、聞かれない方がよろしいかと。教授も含め、誰も何も知らないまま終わります。決してご迷惑はおかけしません。ご心配なく」
「そう願うよ」
教授はそのことを忘れるためか、何度か首を振ると、先に立って会場へと足を踏み入れた。
人が多い場所を敢えて選んだのには理由がある。不特定多数の人間が出入りする場所であれば、ヴィルマの姿が監視カメラ映像に残っていたとしても、これから起こることになる神隠し事件との関連性が疑われにくい。
正会員以外でも、学生などが当日参加することも可能である故、なおさらである。少なくとも、すぐにヴィルマと結び付けられることはない。次の仕事を行う猶予は、必ず生まれる。
身分の知れた常連の同行者であれば、会場内の移動にも支障はなく、標的が確実に一人になる場所へと潜入することも容易。
時間を合わせて来たので、次が標的の出番。前の講演が終わるのを待ってから、教授と共に会場となるメインホールへと入っていった。なるべく前の方の席を確保して、標的が現れるのを待つ。この距離なら、互いに魔女だと認識可能な位置で間違いない。
一応、演壇にある講演者の氏名を確認した。豊野玲佳。発生医学の研究にて医学博士号を取得し、民間の研究所に勤める女性。魔女としての才能はほとんどなかったそうだが、高い知能を発揮した上に健康体だったため、人造魔女を効率的に増やす研究の道に進ませたという。
藤堂との打ち合わせでは、処分の動機は二つあると説明された。一つはもちろん彼女が人造魔女だから。もう一つが何だと思うかと問われたが、ヴィルマはこう答えた。
『ソフトウェア的に消せないデータは、記録メディアごと破壊するしかないから』と。
人造魔女についての研究成果のデータは、すべて消去する必要がある。残しておいたら、いずれまた研究が再開されるかもしれない。通常の記録メディアを探し出して消すのは藤堂の仕事。彼では破壊出来ない|人間の脳(記録メディア)を消すのが、ヴィルマの仕事。
演壇に標的が現れた。ちらりとヴィルマに視線を送ってきてから、講演が始まる。内容は、人工多能性幹細胞を使用した、不妊治療に関する研究について。表向きは、困っている人たちを救うための医学的研究。しかし実態は、人造魔女の胚の効率的作成のためのものと聞いた。
研究成果は、もちろん正しい用途に応用することが可能だろう。こうしてカムフラージュのために行う講演も、何かしらの役に立つかもしれない。
もし彼女が人造魔女でなかったら。その頭脳と研究成果の使い途を考え直してくれたら。どうしても、そう考えてしまう。真面目に聞いていると流石に後味が悪くなりそうなので、標的の反応を観察することに集中した。
こちらを気にしながら講演を続けているように見える。ここまでは藤堂の計画通り。敢えて認識させ、警戒心を抱かせる。残り十分というところで、ヴィルマは教授に耳打ちをした。
「申し訳ありません。少々お花を摘みにいってまいります」
トイレに行くという暗喩だとは理解したようだった。途中で席を立つのは失礼とでも言いたげに、教授は眉をひそめる。彼を置き去りにして、他の聴衆の邪魔にならないよう、身を低くしてホールの外へと出た。それから、告げた通りに実際に化粧室へと入る。
鏡の前に陣取り、口紅を塗り直している女性がいた。ヴィルマが横に並んで手を洗い始めると、塗ったばかりなのに拭い取り出す。しばらくすると、先程とは別の派手な紫の口紅を手にして、塗り直していく。それを横目に、ヴィルマはその場を離れ個室へと消えた。
(アスタロト、血を贄として捧げる。夜の霞の発動を)
今のは藤堂が用意した協力者のはずだが、詠唱は聞かれたくない。心の中で呼びかけて、詠唱を破棄しての発動を要求すると、くらりと眩暈を感じた。思わず壁に手をついて音を立ててしまうところだった。発動はしたようで、周囲が僅かな暗闇に包まれている。
(取りすぎよ、アスタロト)
苦情を言うも何の返答もない。やはり彼女は、今回も非協力的な態度を貫くようだ。中等魔術の詠唱破棄如きでこの仕打ち。しかも交渉すら無しに、問答無用で贄だけ回収したのだから。
考えても仕方ないので、すぐに次の行動に移った。音を立てないよう個室を出て、そのまま化粧室の外へ。出てくるところは、監視カメラには映らない。先程の口紅の持ち換えは、録画済み映像のループへの差し替えが出来たという合図。
講演が終わったようで、ホールから拍手が聞こえてきた。ヴィルマはやや急ぎ足になって、一つ上の階へと階段で向かう。通路に人が多くなると映像が明らかに不自然になる。その直前に解除される予定。それまでに移動を済ませる必要がある。
標的のために用意された控室には、予想通り護衛らしき女性が二人張り付いていた。
一度通り過ぎて、エレベーターから遠い方の角を曲がった。それから引き返し、カーペットに付けられた傷を目印に、ゆっくりと歩いて彼女たちの前まで戻る。その場でしばし立ち止まってから、再度先程の角へと消えた。明らかに不自然な動きだが、夜の霞によって意識を逸らされた彼女らは、視線すら向けようとしない。
これでヴィルマだけを消すための、映像加工用AIの学習が済んだはず。そのまま待っていると、標的が他に二人の側近か護衛らしき女性を連れてやってきた。
「ここに金髪の女が来なかった?」
藤堂の術中に嵌まったようで、標的は見張り番にそう訊ねた。当然、首を振って否定する。
「いえ、誰も来ていません」
「中を確認してきなさい。監視カメラの映像は?」
連れてきた側近の一人が扉を開けて、控室の中に入る。もう一人はどこかと通話を始めた。それを見てから、ヴィルマは動く。先程と同じく正確に目印を踏んで近付いていった。標的と同時に滑り込める距離まで来ると、そこで様子を見る。
「あの女は、一階の化粧室に入ったまま、まだ出てきていないようです。ここの監視カメラの映像にも異常はありません。加工もされていないかと」
側近の一人がカメラのある方に手を振りながら、手元の端末を確認している。前政権を通じて、主催者か会場の所有者にコネがあるのだろう。だからこそ、見えるものがすべてと思い込む。魔術で機械は誤魔化せないと知っているからこそ、騙される。
「隅々まで確認しましたが、中も異常ありません。完全に無人です」
部屋から側近が出てきて、扉を開けて中を見せる。標的も覗き込みながら首を傾げた。
「見たことない顔だったけれど、仲間だったのかしら? ……愛衣はまだ来ていないの?」
「渋滞に捕まったらしく、少々遅れるようで。もう、すぐ近くまでいらっしゃっています」
「そう。少し疲れたわ。愛衣が来るまでは、一人にして」
実際疲れた様子の表情で、標的が控室に入ってくる。彼女らのやり取りの間に、ヴィルマは先に侵入していた。中に入ると、標的は壁のパネルに手を伸ばし、部屋の照明の一部を落としていく。ヴィルマはその背後に立ち、標的の頭の上に右手をかざした。
護衛が扉から手を放し、音を立てて閉まったその刹那。ヴィルマの瞳が紅く光ると同時に、地獄門が発生する。瞬時にそれを振り下ろした。標的は何の反応も示す間もなく、手に持っていた書類ごと消えた。文字通り、跡形もなく。
(すべて藤堂の予定通り。よく出来た計画だわ)
ここで一人になりたがることまで、彼は読んでいた。理由は知らないが、標的は男性恐怖症だと言っていた。身の回りに置くのは常に女性だけ。こういった場などで男性を相手にすることになると、そのストレスを解消するために一人になりたがると。
藤堂は恐ろしい男だと思う。汚職の証拠を掴み、政敵を失脚させると言っていた。しかし、彼自らがお膳立てをしているのではないのかと、考えてしまう。利害の一致する二人、汚職に手を出しそうな組み合わせを用意して、出逢うよう誘導する。如何にもやりそうと思える。
確かにある意味クリーンなやり方である。藤堂自身は何も悪いことはしていない。そもそも相手に悪の心が少しでもなければ、汚職は成立しない。欲に目が眩み、勝手に陥穽に陥るだけ。
ハンカチを取り出して、頬を伝う雫を拭き取りながら、ヴィルマは次のアクションを待った。ここでそれなりに時間を潰す必要がある。一人にならなかった場合に備えて、機会を窺えるよう、スケジュールにはかなりの余裕を持たせてある。
この後は、非常ベルの誤作動で、火事騒ぎが起こる予定。それを聞いて標的が控室から出てこなければ、流石に外の護衛が扉を開けて確認するはず。その隙に逃走することになっている。
しかし、それまで待たなくていいのかもしれない。来訪者があるかのような会話をしていた。どういう人物かはわからないが、仮に人造魔女仲間であったとしても、問題はない。異変に気付いて捜索系の魔術を使う前に、さっさと撤退してしまえばいいだけ。
(来た……やはり人造魔女)
入り口すぐ横の壁際に身を寄せて待ち続けると、先程愛衣と呼ばれていた人物だろうか、アスタロトの力を背中越しに感じた。常時捜索系の魔術を発動しているわけがない。見つかることはない。そう自分に言い聞かせて、扉が開いたときに入れ替わりに出ようと隙を窺う。
「お嬢様、お母様はお疲れのようですので、早くお側に行ってあげてください」
護衛の声。そこに含まれる二つの単語に、ヴィルマは強く反応した。
(お嬢様……お母様!?)
標的の娘なのだろうか。人造魔女仲間ではなく。
有り得なくはない。女性悪魔の力は、女系を通して伝わる。人造魔女の母からなら、魔女として子が生まれる可能性はあるはず。そして標的は、子供がいても全くおかしくない年齢。
思考に囚われ意識が逸れていたのだろうか。はっと気付いた時には、既に扉が開けられ、子供が中に入ってきていた。
肩甲骨の辺りまである長めの黒髪。白いブラウスにプリーツの入った暗赤色のスカート。女の子で間違いない。百五十センチに満たなそうな身長と、明らかに幼さを残す体型。後ろ姿の特徴からすると、年齢的には標的と母娘であることを疑う余地はなかった。
気を取られているうちに、扉は閉じられてしまった。だが、このまま隠れ続けていれば、誤報火事騒ぎが起こる。逃げ出すのには困らない。
少女は無言で辺りを見回し、標的を探しているようだった。ヴィルマは自分が見つからないことを祈った。いるはずの標的がいなければ、少女は捜索系の魔術を使用する可能性がある。隠れているヴィルマを認識出来てしまうようなものかもしれない。
くるりと少女が振り返り、ヴィルマは硬直した。二つの意味で。
似ていた。疑いようがないくらい、母親である標的と顔立ちの特徴が一致している。そして、気付かれたかもしれない。少女は真っすぐにこちらを見ている。
(まさか、そういう天賦? それとも詠唱破棄?)
詠唱はしていなかった。しかし、天賦の魔術の行使には必要ない。通常の魔術でも、声を出さずに贄を捧げ、詠唱破棄することは出来る。いるはずの母親がいないという異常事態で、敵の存在を警戒した可能性はある。
一歩、また一歩と近付いてくる。蛇に睨まれた蛙のように眼を見開き、身を竦ませるヴィルマに向かって、少女の手が伸びた。