第二話 クラフテッド・ウィッチ
ソファに仰向けに寝転がったまま待っていた雇い主を、ヴィルマは冷たい瞳で見下ろした。くたびれた焦げ茶色のスーツに、皺だらけの臙脂のネクタイ。顔の上に載せた中折れ帽から覗く無精髭。いかにも仕事の無さそうな自称私立探偵には、相応しいと思える風貌だった。
「ミスター・藤堂、人造魔女が天然の魔女を認識出来るのなら、事前に情報くれないかしら? 危うくヤられた上でヤられるところだったわ。それも猟奇的な方の順番で」
厳冬期の黒い森を想起させる凍り付いた声が、ヴィルマの喉から漏れた。雇い主である藤堂は、冷気を散らすかのように中折れ帽を振りながら、にやけた顔を露にする。
「無茶を言わないでくれよ、お嬢さん。魔女なんてものの実在を知ったのは、今回の件でお宅のエージェントを紹介してもらってからだ。事前に調査出来るわけがない」
聞いている通りであれば、確かに調べようがない。藤堂は魔術が使えない単なる人間。向かいのソファに身を沈めながら、ヴィルマは話題を変えて、もう一つの苦情を口にした。
「それならそれで、別の作戦が良かったわ。娼婦の真似事なんて御免」
「腕を試したかった、と言っても怒らないでくれよ? あれがこなせないようでは、残る四人の処分は到底無理だ。接触する機会を設けるだけで困難な奴らばかりだからな」
半眼にした蒼い瞳で睨み付けながら、ヴィルマは腕を組んだ。藤堂は珈琲のカップを押し出して勧めてきたが、どう見ても既に冷め切っている。それには手を出さず、慎重に様子を探りながら、藤堂に問う。
「で、試験の結果はどうだったのかしら? あれが何なのか、詳しく話してくれる気になった?」
「警察筋から得た情報では、行方不明事件として処理されそうだ。何の痕跡も残さず、内側から鍵の掛かったままの密室から忽然と二人が消えた、神隠し事件。わざわざドイツから呼び寄せた甲斐があった。こちらの理想に適った能力だ。素晴らしくクリーンな、文字通りの暗殺」
満足気に相好を崩しながら、藤堂はそう答えた。試験とやらは合格なのだろう。まだ事件から三十分も経っていない。少々情報が早過ぎる気もするが、予想される舞台裏から考えると、当然のことなのかもしれない。
「死んだことになってないのなら、暗殺じゃないと思うけど? まあいいわ。人造魔女、誰が何のために、どうやって作ったモノなのか、教えてもらえる?」
藤堂は即答せず、ヴィルマに勧めたカップを手元に戻し、そこに砂糖を放り込み始めた。
「その前に確認したい。あれは本当に魔女だったか? 俺にはただの人間と区別がつかないのでね」
暗殺を命じておいて今更何を言う。そうも思ったが、先程の発言からすると、彼も最近資料から得た知識しかないのだろう。反応を探りたいこともあって、ヴィルマは素直に答えた。
「魔女であることは間違いない。状況的に、人造である可能性もとても高いわ。大して生きてきてはいないけど、これまで同じアスタロトの力を行使する魔女には出会ったことがないし、他の女性悪魔の魔女も一人も知らない。偶然にしては出来過ぎてる」
「ふむ……大して生きてきてはいないと言うが、一体何百年の話だ?」
砂糖を放り込み続けながら藤堂が問う。ヴィルマはシュガーポットを手に取って口を開いた。
「十六年。見た目通りの年齢よ。偶々希望に沿う能力だから派遣されたけど、魔女としては本物のひよっこ」
カップの上に中身をぶちまけつつ、ヴィルマは可憐な微笑を浮かべた。藤堂は嫌な顔もせず、意外そうに瞬きだけをした。砂糖だらけの珈琲をかき混ぜつつ、独り言のように呟く。
「魔女狩りの魔女の組織と聞いていたから、皆歴戦のベテランなのかと思ったんだが……とりあえず、人造と決めつける根拠としては薄い。が、上からの情報が間違っているとも思えん」
いくらかき混ぜても溶け切るわけがなく、諦めたのだろう。砂糖ごと飲み込むように中身を回転させながら、藤堂は口をつける。砂糖の方か珈琲の方か、ゆっくりと堪能するように目を瞑った後、突然ばさりと音がして、テーブルの上に紙の束が放り投げられた。
「先の質問に答えよう。この国が去年やっと政権交代を果たしたことくらいは、ドイツにも伝わっていただろう? 月並みだが、前政権の負の遺産ってやつだ。右傾化が心配されていたが、実際そうでね。いずれ予定している戦争に向けて、時間をかけて研究が進められていた」
紙の束はその資料の一部のようだった。故人の表記が多いが、軍閥系の旧政権幹部が何人も掲載されている。彼らの極秘計画によって、悪魔の細胞を利用して造られたのが人造魔女。
めくっていくと、製造方法が簡単に記されていた。悪魔の細胞核に人間のDNAを組み込み、人工多能性幹細胞の技術を使用して胚を発生させ、人間の子宮に入れて産ませたとある。
荒唐無稽と思えた。悪魔の細胞自体は、相応の贄を用意し、正しい手順で召喚の儀式を行えば、手に入れることが可能だろう。等価になっていれば、断れないのが悪魔というもの。そこに人間のDNAを組み込んで成長させることさえ出来れば、確かに魔女になるかもしれない。
仕組みとしては天然の魔女と同じ。悪魔と人間の間に生まれた子、またはその子孫が魔女。
しかし、ここに記載された方法で造られたわけがない。年齢が合わない。事前の資料では、あの若頭は三十二歳だった。確かにそれくらいに見えた。だが三十三年前には、まだ人工多能性幹細胞の技術自体が存在しない。
ヴィルマが疑問を抱くことは予想していたのだろうか。そのことを問おうとすると、藤堂から先手を打って説明が入る。
「それは最新式の製造方法だ。人工多能性幹細胞の技術が完成する前は、その礎となった技術を用いて製造されていた。何せ悪魔の細胞だ。普通の生物ではうまくいかないような未熟な技術でも、成功の余地はあったのだろう。成功率は相当低かったらしいがな」
そう言われてしまうと、有り得なくもないと考えてしまう。ヴィルマの身体は、少なくとも常人の数百倍の回復力がある。指を失くしたくらいなら、生えてくる。悪魔の細胞そのものなら、ある程度の誘導が出来れば、人間に育ってもおかしくはないと思える。
「専門的な科学知識は私にはないし、極秘計画なら、非公開技術が使われていた可能性もある。判断しかねるわ。製造方法についてはもういい。せっかく作ったものを処分するのは何故?」
資料はそこで終わり。今後の方針はもちろん、始末する動機なども記載されていない。ヴィルマが知っても意味はないのかもしれないが、興味本位で訊ねてみた。
「前政権の負の遺産と言っただろう? 新政権としては、これが明るみに出る前に、闇から闇へと葬りたい。マスコミにでも嗅ぎつけられたら、政権関係なく国としてダメージを受ける」
誰が始めたのかは関係ない。海外から見れば、どの国が始めたのかが重要。そして国民から見ても、これを知って放置した新政権は同罪となる。藤堂の言っていることは論理的と思える。
「製造施設は閉鎖済み。育成中の人造魔女も廃棄したそうだ。既に外に送り出されていた者たちを、暗殺者を雇って処分している途中。だが、残り五人というところで行き詰まったらしい」
「伝聞が多いわね?」
「俺も今回のが一人目でね」
藤堂は大げさに肩を竦めて、その指摘に答えた。訝し気な視線を浴びせ続けるヴィルマに向かって、テーブルの端に置いてあった雑誌を掴んで放り投げてくる。空中で受け止めると、最初に眼に入ったのは、表紙に大きく書かれた元大臣の汚職に関する見出し。
「それが本来の俺のやり方だ。暗殺ではなく抹殺。依頼者にとって不都合なことが出来ない状態に追い込む。政治家であれば、汚職などの証拠を掴んでそれを流し、失脚させる。今回は殺すか捕らえるかしろと言われたから、不本意ながら、暗殺という前任者の手段を踏襲した」
標的を始末しにいく道中、念のため確認した藤堂の事務所のサイトには、彼の経歴が掲載されていた。元検察官。公の資料にも、確かに彼と同じ藤堂雅紀という名前が存在した。写真は見つけられなかったので、同一人物という保証はない。しかし、本当であれば納得はいく。
「俺の今回の仕事は単なる仲介じゃあない。暗殺したことすら認知させず、この世界から消すこと。それが出来る状況を用意して、お前に実行させること。作戦はすべてここに入っている」
自信あり気に不敵な笑みを浮かべた藤堂が、自分の頭部を指す。言っている内容の割には、先程の作戦は雑過ぎて、いまいち信用がならない。
(まあ、誰彼構わず、目撃者ごと強引に消せと言われるよりは、ずっといいけれども)
疑わし気に半眼で見つめながら、ヴィルマは問う。
「次は、もっとマシな状況を用意してくれるんでしょうね? 身分もよ?」
「今後は基本的にちゃんとした設定の役柄だ。残り四人のうち一人は所在不明だが、三人は既に各界の上層部に潜りこんでいる。男相手なら、またあれで簡単に釣れそうだが……」
ヴィルマの視線が鋭くなると、それをさらりと躱して藤堂が続ける。
「まあ、次の標的は女だ。そういう趣味もないようだし、向こうもお前が魔女だと認識出来るとなると、どちらにせよあの手はもう使えない。いないと思わせ、奇襲するしかない」
「一人目からそう計画して欲しかったものだけど?」
「手の内を明かしてもらってないからな。一つ確認したい。お前があの部屋から出てくるところは、監視カメラに映っていた。しかし、誰も気付いていなかった。あれは何かの魔術か?」
手の内を明かしていなかったのはお互い様。とはいえ、今後もああでは、下手したら自分の生命が危ない。藤堂の言う通り、監視カメラには映ってしまうのだから。
今回は事前に警備システムに細工をしてもらえたので、そこは気にしなかった。しかし、どこでも加工や消去が可能なわけではないとも伝えられている。
「あれは夜の霞っていう中級魔術。路傍の石になるとでもいうのかしら? 側にいても誰も気にしなくなる。でも制約は多い」
「一つはカメラに映ること。機械は誤魔化せないってところか。他には?」
「既にこちらを認知している相手の意識を逸らすことは出来ない。その前に発動する必要がある。それから、身体に触れたり声を出したりして注意を引いてしまうと、認識される」
ヴィルマの返答を聞いて、藤堂は腕を組んで考え込み始める。左手の人差し指だけを動かして、とんとんと自分の右腕をしばらく叩いた後、身を乗り出すようにして訊ねてきた。
「相手が魔女でも効果はあるか? 身を隠す魔術なんてないという仮定で計画を立ててある。しかし、想定外があった。魔女と認識されてしまうことだ。それを誤魔化せないとなると――」
「大丈夫、条件は一緒。事前に発動しておくなり、いなくなったと思わせた後に隠れれば平気。対抗魔法はあるから、そこまでされたら見つかるけども」
返答を聞くと、満面に笑みを浮かべながら、藤堂は倒れ込むようにしてソファに身を沈めた。
「ならば完璧だ。用意しておいた設定で、更に向こうの虚を突ける。一度警戒し、その後安心したときこそ、一番隙が生まれるものだ」
「どういうこと?」
「簡単さ。敢えて知らない魔女がいることを認識させてやる。それがいなくなったと思わせて、実はまだいるというだけ。具体的な計画は当日に話す」
ということは、少なくとも今日一日はゆっくり出来るということだろう。壁の時計の短針が既に天頂を過ぎているのを見て、ヴィルマはそう考えた。
「ホテルの部屋の鍵だ。流石にスイートとはいかないが、五つ星ホテルを用意した。すぐ近くなんだが、この辺りは迷いやすい。車を用意しよう」
「わかった。計画はまたこの部屋に聞きにくればいいの?」
ICカードを受け取りながらヴィルマが問うと、藤堂はそれには答えず別の要求をしてきた。
「その資料、もう頭に入っただろう? 消してくれないか、この場で」
テーブルに戻してあった紙の束を見て、ヴィルマは目を瞬いた。今時紙で資料を用意した理由に合点がいった。小さく溜め息を吐くと、手のひらを上にして右手を伸ばす。瞳が紅に染まると共に、地獄門が現れた。左手で紙の束を放り込んで閉じると、藤堂は手品でも見た子供のように好奇心剥き出しで、ヴィルマの両手を眺める。
「そうやって消すのか、何でも」
「そうよ。これで満足?」
小首を傾げて問うヴィルマに、藤堂が先に立ち上がりながら答えた。
「場所は毎回変える。資料は今後も紙で用意する。わかっているとは思うが、センシティヴな案件なんでな」
「あなたの雇い主って――」
その問いは、物理的に遮られた。唇に触れる寸前まで伸ばされた藤堂の指によって。
「詮索はしない方がいい。自分も始末対象に含められるのは嫌だろう?」
指が離されるのを待って、ヴィルマが告げる。小悪魔のような微笑を浮かべながら。
「あなたも、自分が始末対象に含められるような質問は、今後控えるように。地獄門の向こうを見てみたいのなら別だけど」
藤堂の依頼人は、かなりの大物だとヴィルマは確信した。内容的にそうとは思ったが、政府の最高機密に触れられる立場の人間。そして新政権の要でもある人物から、直接雇われている。
そうであれば、ヴィルマにとっては好都合だった。仕事がやりやすくなる。影響を及ぼせる範囲が広い上に、向こうも痕跡を残したくない。最高レベルのサポートが得られるはず。
終わった後の口封じが心配だが、流石にそこまで愚かでもないだろう。魔女狩りの魔女たちを敵に回すというのがどういうことか、知らぬわけはない。魔女が狩るのは、魔女だけではないのだから。