4 鳥羽港での補給
すべての飛行隊を収納して、〈翔覽〉は鳥羽港へと戻った。港で燃料や食料、各種機材を積み込んでいく。積み込む物資の中に対空機銃らしきものまで見えるので、どうやら工事はまだまだ続くらしい。
そして積み込むのは物資だけではなかった。下を見ると二、三十人ほどの集団がラッタルから上がろうとしていた。何人か見慣れた集団、洋一たちの飛行隊の整備員たちだった。彼らは艦に乗込むと、飛行甲板まで上がってきた。クレーンで運び込まれた物資の山の所に来ると、それを分類し始める。見ているとひょいとその内の一人と眼が合ってしまった。
「あら洋一、暇なら手伝って」
整備員にして洋一の幼なじみ、小野朱音だった。雑巾よりも容赦なくこき使ってくる。
「しょうがないなもう」
逆らっても仕方ないので軽めの箱に手を伸ばした。
「丁寧に運びなさいよ。大事な部品なんだから」
「はいはい」
飛行機用のエレベータまで運んで、それで艦内まで降ろす。
「これ整備用の部品?」
大小取り混ぜ様々な箱の山を見て洋一は尋ねた。
「それもあるけど改良用の部品もね」
少し楽しげに朱音は云った。
「艦も修理しながらだけど、飛行機も艦の上でいろいろいじることになりそう」
何だか随分とせかされているな。一月早まったドック修理に部品を積み込んでの飛行機改良。これは何かありそうだな。
「各務ヶ原で試したエンジンとか?」
エレベータが下につき、積み下ろしながら洋一は尋ねた。一割以上出力が上がっていて、中々良かった。あれならフォッカーにも勝てるかな。
「残念ながらねぇ、あれは百オクタンガソリン使うのが前提だから、海軍の補給体制も変えなきゃいけないの」
なんだか大事になりそうな話だった。
「まずはできそうなところからってことで、火薬式始動器への換装ね」
これまでの発動機の始動は慣性式始動器であった。はずみ車を回して勢いを付けて始動する。陸軍がよくやる起動車で回す方式に比べると人力に頼っているが、イナーシャハンドルを持った整備員が回すので狭い空母に向いた方法であった。
火薬式は猟銃の弾薬に似た火薬カートリッジを使用して、火薬の爆発力でプロペラを回す。その気になれば整備員なしで始動できる方式だった。
「これで重たいイナーシャ回さなくて済むんだからありがたいことよ」
整備員である朱音にとっては疲れる仕事が一つ減った方が嬉しいようだった。
「もう一つはキャブレターね。ほら、マイナスGがかかるとエンジンが咳き込むって話があったでしょう」
十式艦戦の心臓たる葛葉一二型には背面飛行などマイナスGをかけると、燃料が正しく供給されずエンジンが止まってしまうと云う欠点があった。洋一も一度欧州でひどい目にあっている。
「本当はノルマン式の燃料噴射装置が一番なんだけど、技術的にまだまだちょっとね」
秋津が世界に誇る葛葉エンジンも、一部の部品は輸入に頼っている。最新の技術はなかなか譲ってくれないだけに色々苦労をしている。
「そしてもう一つ参考になったのがブランドル式ね。こっちは背面になったら燃料の流路が変わる仕組みがあって、マイナスG用の補助燃料室から供給するの。背面でも十分ぐらいは飛べるはず」
洋一には今ひとつ判らなかったが、世の中偉いことを考える人が居るものだと感心した。
「こっちは構造が割と簡単だったから、真似してみることにしたらしいの。109も動く実物が手に入ったお陰でためになることも多かったってこと」
「ひょっとして今のフォッカーの話って」
動くフォッカー109なんて早々手に入らないはずだ。
「そう、あたしたちが持ってきたやつ」
三ヶ月前、欧州はアミアンから撤退する際に不可思議な事態となり、洋一や朱音、それに綺羅様の三人で敵地を逃げ回る羽目になった。そして最終的に、敵から奪ったフォッカー109で脱出してきた。
「色々大変だったけど、苦労して持ってきた甲斐はあったのね」
そう考えればあの冒険も無駄ではなかったということか。
「でもそれでもマイナスGは十分だけなの?」
何だか小手先で誤魔化されたような気分になる。
「あんた、背面で十分も飛び続ける?」
「それもそうか」
逆さでそんなに飛んでいたら人間の方が根を上げてしまう。そういう意味では小手先の誤魔化しでも充分なのかもしれない。ブランドルらしい合理的な割り切り、という奴かもしれない。
「ま、前より良くなるなら歓迎だね」
敵だって日進月歩で進化してくるのだ。こちらも改良していかなければ太刀打ちできなくなる。
「にしてもすごい量だなぁ」
再び甲板に上がってから洋一は埠頭を見下ろした。大小様々な木箱や袋がうずたかく積まれている。大半は食料のようであった。
「今日中に積み込んで明日には出港だからもう大変よ。クレーンの取り合いなんだから」
さっき試験を終えて入港したばかりなのに明日には出港とは。どうやらなにかやっかいな事が起こっているらしい。
そして積み込まれるのは物資や食料だけとは限らない。
「はい通してください通してくだぁさい!」
賑やかな声が聞こえてきたのでそちらの方を覗き込む。一人の人物が〈翔覽〉に乗込もうとしていた。服装やしゃべり方など、とても軍人には見えない。しかし舷梯に立っている衛兵はこのちん入者を止めてくれない。そして覗き込んでいた洋一の顔を見つけるや、甲高い声を張り上げてきた。
「ああ、丹羽さん! そこに居た。今行きまぁぁす!」
残念ながら洋一の知っている人物だった。中京毎々新聞の記者、吉谷文絵。彼女こそ、洋一に「実録紅姫様空戦記」を執筆させている担当編集だった。小柄な身体をすばしっこく動かして飛行甲板へと駆け上がってきた。実に元気だった。
「お久しぶりです丹羽さん!」
無駄に大きな声を張り上げる子ネズミのような人物が洋平の前に駆けつけた。こんな人に取材のための乗船許可を出した海軍省は、一体何を考えているのやら。
「明日出港と伺いましたので、今できてる原稿をいただきに上がりました!」
さすがブンヤさんらしく、耳が早い。
「おとつい渡したばかりでしょう。そんなにすぐに書けませんよ」
まだまだ下っ端の洋一には、やらねばならないことがたくさんあるのだ。
「草稿だけでも結構ですから、今後の展開が判ると挿絵の手配もし易いですから」
かまわずぐいぐいと押してくる。
「いやもう編集部でも好評でして、販売の方も手応えがあるんですよ。これは来てますよ」
駆け出しながら掴んだ手柄のようで、随分と鼻息が荒い。
「特にこの前の脚を出したまま追っかけ回されて綺羅様に助けられた話なんか最高でしたよ! ああいうのを求めてたんですよ!」
気合いの入った言葉に洋一は頭を抱える。自分の失敗が全国に晒されてしまった。
「やっぱり。あのネタ絶対大受けするから詳しく書くべきって云ったんですよ」
朱音まで余計なことを云い始める。
「判ってくれますか小野さん」
文絵は朱音の手を取った。嫌な意気投合をしてしまったらしい。
「これからも丹羽さんの叱咤激励、よろしくお願いします。読者目線で、女性が読んでも面白くしていきましょう!」
力強く宣言されてしまった。著者の人格は、どこに行ってしまうのだろうか。
「とにかく!」
更に力強く文絵は洋一の正面に立って云った。
「全国民が貴方の原稿を待ち望んでいます! 次に入港したときには是非お願いします!」
そんなに勢いよく頭を下げられても困る。
「いや、次にどこに入港するかなんて判らないですし」
下っ端の洋一にはこの後どこに行くのか想像も付かない。
「電報一本入れてくれれば、例え蝦夷道だろうと支局から向かわせます!」
何だかえらい話になってきた。たかが下っ端下士官の体験記にそこまでするか。洋一は思わず後ずさってしまった。
「欧州はまだまだ難しいですが、今特派員の連絡網を作っておりますので十日遅れ以内でなんとかして見せます!」
いやまあ、新聞社として戦地で入手した記事を国内に早く伝える仕組みは重要であるのは判るが、そこに自分の手記が必要なのか? 洋一はどうにも理解できなかった。
「まあ、その、頑張ります」
向こうが異様な熱意だとこちらもどうにも逃げられない。どうやらこの航海も訓練の他に執筆作業にも追われそうだった。