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3 一ヶ月ぶりの帰艦

十月八日 伊勢湾


 薄曇りの中を、洋一たちの操る十式艦上戦闘機が翼を連ねて飛ぶ。眼下に目を転ずると、鏡のように凪いだ海面に、力強い白線が引かれていた。

 白線の先頭を征くは、洋一たちには見慣れた空母〈翔覽〉であった。ドックで牡蠣殻を落としたお陰か、前より速い様な気がした。

「クレナイ一番より中隊各機、ご挨拶したら降りるよ」

 無線の向こうから紅宮綺羅の凜とした声が聞こえてくる。〈翔覽〉戦闘機隊第一中隊十二機、糸でつながったように見事な隊列で懐かしの母艦の上を通過した。

 着艦よろしの旗が揚がる。上空で輪を描いて順番を待つ。観るも鮮やかに、紅宮機が真紅の尾翼を翻して降下していく。

 脚を出して着艦フックを降ろし、〈翔覽〉の後方に付くと吸い込まれるように甲板に向かっていった。

 まるで空にレールでも引かれたようだった。甲板上でワイヤを捉えて、動きを止める。上空から観ているとよどみや迷いのない、中隊の手本となる見事な着艦だった。

 中隊長機が無事に降りたのを観て、列機もそれに続く。中隊長に無様なところは見せられない。それは洋一も同様だった。

 自分の番が来たので洋一も母艦に向かう。座席を一番上まで上げ、翼を傾けて大きく旋回する。真っ正面に空母〈翔覽〉の甲板。我ながらピタリと決まった。十式艦戦も、大分身体になじんできた。

 トンボ釣りの駆逐艦を越えて〈翔覽〉の艦尾が迫る。真正面は長い機首で隠れるので首を横に突き出して甲板を見る。よし、このまま。最後の確認を済ませて洋一は見えない正面を睨んだ。

 プロペラの音が少し大きくなる。艦尾を越えて、甲板に達したな。反射してくる音であたりをつけると、洋一は僅かに操縦桿を引く。翼が風を捉えて更に速度が落ち、着艦フックが突き出された。次の瞬間衝撃と共に身体が前に押し出される。甲板を横に走るワイヤを、着艦フックが捉えた証しだった。

 シートベルトで身体を支えながら機体が跳ねないように更に操縦桿を引く。行き脚を失った洋一の十式艦戦は、寸前まで七十ノット出していたのが嘘のように停止した。

 なんとか無様は晒さずに済んだかな。感慨にふける間もなく走ってきた整備員によって機体が押される。艦前方の駐機場所に置かれると、すぐさま後続機がやってきた。秋津海軍最大を誇る二百六十mの甲板も、飛行機から見れば小さすぎる。僅かな隙間に機体を押し込まれていた。

 温度計を見て、エンジンが冷えてきたところで洋一は点火レバーを欠にする。名残の爆発音を残して、葛葉発動機(エンジン)は息吹を止めた。機体を降りて洋一は周囲を見回した。なるほど、着艦時に覚えた違和感はこれだったか。洋一は〈翔覽〉の甲板の端に視線を向けた。

 両方の舷側、そこかしこで閃光が上がっている。溶接のための火花だった。

「あれ、何ですか?」

 先に降りていた成瀬一飛曹に尋ねる。

「対空銃座の増設、だそうだ。工員も乗込んでいるから揉めるなよ」

「予定より一月も早くドックから出たから、まだ作業が終わらないんだ。今だって本来は修理明けの全速航行試験で、その最中に我々が着艦訓練している」

 言葉と共に不意に頭の上に誰かの手が置かれる。びっくりして振り返ると洋一はさらにびっくりした。

「い、いきなり何ですか……隊長」

 洋一の上司である紅宮綺羅が、気安く洋一の頭の上に手を置いていた。

「気にしないでくれ。なんかこう、高さが手頃なんだ」

 少しは気にして欲しい。不意に触られるたびに心臓が飛び出しそうになる。

「あんまりいじめんでくださいよ。背丈が気になるお年頃なんですから」

 成瀬一飛曹がたしなめるが、何か論点がずれている気がする。

「いいことじゃないか。人間高ければ良いってもんじゃない。こうして私が手を乗せるのにちょうどいい」

「こ、これからもっと伸びますから」

 頭を撫でられる状態を脱して、洋一はわざとらしく咳払いをしてから話題を戻した。

「そういえば、先月上陸したときの予定では十月いっぱいは二見で訓練の筈でしたね」

 間に何故か各務ヶ原で試験飛行を手伝ったりしたが、基本的に年内は訓練と聞いていたのだが。

「つまり急がなきゃならない理由が出来たらしい。これは面白いことになりそうだ」

 髪を掻き上げて綺羅は楽しげに笑った。不敵でありながら彫刻のように美しい立ち姿に、つい洋一の目が吸い寄せられてしまう。

 やがて中隊全機が甲板に降り立ち、駐機場所と分けていたネットが倒された。即座に機体をエレベータで格納甲板へと運び込む。遠くから爆音が風に乗って聞こえてくる。見上げると次の編隊が上空待機している。急がねばと搭乗員たちも機体を押すのを手伝い始めた。

 やがて飛行甲板が空き、着艦よろしの旗が揚がる。それを見たのか上空を旋回している編隊が高度を下げてきた。もう一つの戦闘機中隊である第二中隊だった。

 先頭で着艦した機体から降り立った長身の影に綺羅が声を掛ける。

「やあ麻倉、久しぶり」

 声を掛けられた方は漂う空気があからさまに喜びに変わった。

「紅宮、ああもう、久しぶりなんてもんじゃない。一月ぶりだよ」

 なんだか一月が十年のような口ぶりでその男、麻倉忠夫大尉は綺羅の前に歩み寄った。

「気がついたら各務ヶ原に行っているし。教えてくれれば行ったものを」

 士官同士のことに下士官の洋一が口を挟む余地は全くないのだが、兵学校同期だからといって馴れ馴れしいだろう。なんとなくだが洋一は腹が立った。

「仕方がないだろ。急に思いついたんだから」

 しかし紅宮綺羅は蝶の様に自由だった。

「まあこの様子ではじきにここを離れるだろう。明野の陸軍と野良試合も出来なくなるから、そうなったらお相手を頼むよ」

 そう云って綺羅は麻倉の肩を軽く叩いた。麻倉は表情を変えていないつもりだろうが、眉が派手に上下しているので周囲には丸わかりだった。

 麻倉忠夫大尉。海軍兵学校次席卒業で、背も平均より高く、客観的に見れば整った顔をしているのだが、紅宮綺羅の前に立つとおかしなことになってしまう。何なのだろうなこの人は。些か呆れた面持ちで洋一は見上げてしまう。

「ほら中に入るぞ。ぼやぼやするな」

 背中を強く成瀬一飛曹に叩かれる。上空には次の編隊、艦爆隊がやってきていた。艦内はこれから忙しくなりそうだった。


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