20 草原のフェロー諸島総督就任式
「お待たせしました」
振り返ると、三つ揃いの背広を粋に着こなした紅宮綺羅が知事へと歩み寄っていた。まったく何を着ても似合う人だ。洋一たちはファッション誌の見本のような姿に見とれた。その胸には内親王であることを示す勲一等宝冠章を斜めに佩用していた。
「あいにくと燕尾服を持ってきていないので、これで勘弁願いたい」
「いえ、そのお姿に文句を付けるものはこの島にはおりますまい」
その言葉には社交辞令以上のものが含まれていた。
「それでは、トースハウンの議事堂へ」
服を着替えたと云うことは提案に応じたと云うことを示す。車へ案内しようとした知事を、綺羅は軽く手を上げて制した。
「申し訳ないが少々急いでいる。ここで行えないだろうか」
突飛な申し出に知事も驚きの表情を隠せない。
「し、しかし準備が……」
「私も部下を預かる身なのです。略式でかまいませんので、ご配慮を」
見渡す限りの草原に四機の飛行機。双方合わせても二十人いない立会人。そして人間よりも多いヒツジたち。この島の主権がかかった大事な儀式を行うにふさわしいとはとても思えない場所であった。しかし紅宮綺羅は譲る様子は見せない。そして何故かそれに従うのが当然のように人々は感じてしまった。
「では、後日正式な就任式を行うと云うことで」
そう云って知事は随員に準備を命じた。秋津側もいくつか資材を提供して、簡素な机を設置する。洋一の持っていた航法用の紙に手書きで条文を書き始めた。
こうして寒風吹きすさぶ草原が、フェロー諸島総督就任式会場となってしまった。頭数と云うことで洋一たちも参列させられた。向こうも行政関係者は知事を入れても五人だけで、あとは自警団と羊飼いで誤魔化された。
机を挟んで知事と綺羅が向かい合って立つ。
「デンマーク国王クリスチャン十世陛下より委任された権限により、フェロー諸島総督への就任を要請する」
知事はデンマーク語とノルマン語で文面を読み上げる。洋一はノルマン語の方だけなんとか追いかけてみた。不思議な言い回しであったが、複雑で無理のある状況のための苦肉の策なのだろうか。
「先の大君大華帝が一子紅宮直仁、デンマーク王室との血脈によってその要請を受け入れる。直仁が一女、綺羅が父の代理人としてこれを認める」
洋一は隣に立っていた朱音に小さな声で尋ねた。
「これって総督を受けたのは隊長のお父上ってこと?」
綺羅様が文面であれこれごねていたのはそこだったのか。しかしおかしな話だ。デンマーク国王も綺羅様の父親もここには居ないのに、双方代理が勝手に話を進めてしまっている。
「カルマン同盟以来の伝統により、ここに総督の証しとして城門の鍵をお渡しする」
そう云って知事は古めかしい鍵を差し出した。
「謹んでお受けする」
綺羅が恭しく受け取り、それを判子のようにして紙に押しつけた。
「あの鍵って、多分羊飼いの家の鍵だぜ。さっきあの羊飼いが持ってきてた」
「じゃあ伝統がどうのって」
「多分無いんじゃないのかなぁ、そんな習慣」
寒風に紛れるほどの小声で秋津の少年達は噂し合っていた。
双方書面に署名をして、知事と綺羅はしっかりと握手をする。
とんだ茶番ではあるが、役者が紅宮綺羅だとそれなりに説得力のある光景になってはいた。随行の写真家がその様を撮影する。あの様子だと満足できる絵が撮れたらしい。
「就任おめでとうございます総督代理閣下」
儀式を終え、知事は新たな主人に礼をした。
「つきましてはこれからのことを」
総督としての仕事を話そうとしたところで綺羅はそれを手で制した。
「総督代理として、最初の仕事がある。よろしいかな?」
有無を云わさぬ圧で言葉を遮ると、綺羅は先ほどの鍵に手を伸ばした。
「ヒルベルト君、君をフェロー諸島代官に任命する。あとはよろしく」
そう云って綺羅は先ほど受け取った鍵を知事に押しつけた。
「では我々はこれで帰ります。あ、父上には一月に一回ぐらい報告上げてください。この後秋津軍が来るかもしれませんが、もめ事があったら父上経由ならなんとかなると思います。では」
用事を済ませたとばかりにさっさと飛行機の方に綺羅は歩き出した。
「朱音ちゃん、洋一君達の機体は飛べそう?」
「洋一の十式は応急修理ですがラジエータの穴を塞いで水を入れました。松岡機は持ってきた燃料と、皆の分を少し回しました。母艦まではなんとかなります」
後を追いかけながら朱音は修理状況を報告する。
「九式艦爆は持ってきた部品だけでは無理ですね。必要な部品をリストアップしました」
「じゃあ今村少尉の遺体は連絡機に乗せて、一旦引き上げよう。今なら日没前に母艦に戻れる」
冬の北海は日が落ちるのも早い。明るいうちに戻るなら急がなければならなかった。
「来てくれて、ありがとうございます。でも、あれで良かったんですか?」
洋一は先ほどのおざなりな式を思い出した。
「ここでうかうかと捕まると、戦争が終わるまで総督にされて身動きがとれなくなる。そうなる前にさっさと逃げるに限るさ」
綺羅は声をひそめていった。
「大体、私は寒いところが苦手なんだ」
背広の上から防寒着を羽織ると、綺羅は自分の機体に向かった。




