7. 執事と公爵
エレノアが出掛けて行ってから数時間。
ミリア曰く、カンノーロを食べに行くだけだと言っていたから夕刻には戻るだろう。
そう思って執務室で仕事を済ませていたが、一向に帰ってくる気配はない。
「ライオネル。」
「いかがされましたか?」
「エレノアはまだか。」
「今日は宿屋にお泊りになると伝書鳩が飛んできましたよ。」
「…。」
「すぐに馬車の準備をいたします。」
黙り込んだリティルに何かを察した燕尾服姿の彼は一礼するとすぐに出て行った。
数分もしないうちに準備が整ったようで、すぐに乗り込めばライオネルも同じように入ってくる。
馬車で移動中の3時間。
特に話す事もないようで無言のまま流れる景色を眺めていた。
たどり着いたフェディ侯爵の領地は相変わらずだとため息を溢しながら彼女が泊まっているという宿屋を見ればこぢんまりとした作りに本当にここなのかとライオネルに視線を向ければ静かに頷かれる。
旅費としてミリアに渡しておいた金があればこの街一の宿屋に泊まることだって可能なはずだが、何故こんな宿屋を選んだのだろうか。
中へと入ってみると宿屋の主人の驚いたような表情が見えた。
「こ、公爵様ではありませんか!?何故このような荒屋に?」
「妻が世話になっていると聞いた。」
「エレノア様でしたら二階でお休みになられているかと。ご案内いたしましょう。」
主人の後に続き階段を登ればギシギシと軋む音が煩わしい。
こんな狭い場所で人が生活できるのかと思いながら歩みを進めると左側に扉が3つ見える。
「ここの一番奥がエレノア様のお部屋です。私はこれで。」
逃げるように去っていた主人を見送ってから奥へと歩いていけば、物音一つしない。
既に就寝したのかとそっと扉を開けば鋭い何かが見え、それを遮るようにライオネルが立ちふさがった。
「…ミリア。私だ。」
「ライオネルさんが何故ここに?」
「私が連れてきた。」
「旦那様。」
彼の姿を見たミリアは持っていた小刀を終い、何事もなかったかのようにエプロンドレスを整え軽くお辞儀をする。
その姿を見ながら窓側のベッドへと歩み寄れば、小さな木製のベッドで気持ち良さそうにすやすやと眠るエレノアの姿が見えた。
令嬢として生を受けているはずの彼女にとってベッドとは程遠い作りのはずだが…。
「ミリア、何故これほど粗末な宿にした?エレノアも嫌がっただろう。」
「いえ、全く。ここを選ばれたのもエレノア様ご自身です。宿屋のご主人と仲良くなられたようで是非ここにと。」
「…そうか。」
ベッドの脇に腰掛け、エレノアの顔に掛かっている髪をそっと移動させれば寝返りをうったようでこちらへと顔が向けるれる。
婚姻してから何度も見ていたはずなのに、何故こんなにも彼女に惹かれるのだろう。
そっと頬に手を触れてから唇にキスを落としてみると思っていた以上に心拍数が上がるのを感じ小さく溜め息を溢した。
彼女に嫌われていることは承知の上で、この婚姻もただの政略結婚。
以前のエレノアはこちらに好意を持っていたようだが、私自身に愛はない。
そう感じていたのだが、ミリアが怪我を追った一件で見せた凛とした姿は今までの弱々しい彼女からは想像もできないもので衝撃的だった。
あの時からだろうと自嘲しながら布団を退かしてエレノアを抱き上げる。
起きるかもしれないという懸念はあったが、熟睡しているようで胸に寄りかかってくると変わらず小さな寝息が聞こえてきた。
「ミリア、ロルフも呼んでくれ。屋敷に戻るぞ。」
「かしこまりました。」
「ライオネル、宿屋の主人に世話になった礼を。私は先に戻る。」
「承知しました。お気をつけて。」
ライオネルの横を通り馬車の待つエントランスへと移動するのだった。