33. ライオネル
国境に面したクルトの町では一触即発な物々しい雰囲気に包まれている。
普段は露天が立ち並び活気あふれる町並みなのだが、今は人一人いない。
皆、公爵の指示通り家の中で待機しているようだ。
「準備が整いました。」
「…そうか。」
「ジュリアス様。やはり私一人で…。」
「しつこいぞ。」
「そのような御身体では危険が伴います。」
「私の事より…エレノアはどうしているだろうな。少しは良くなっただろうか。」
今にも降り出しそうな曇天を見上げながらそう言った彼はライオネルの深い溜め息など聞こえていないのだろう。
エレノアが居なくなってからというもの自分から言い出したこととはいえ、心が追いついていないと虚ろな目で外を眺めている事が多くなった。
彼女が居なければ味がしないと食事は殆ど喉を通らず、睡眠も隣りにあるはずの温もりを求めて何度も目が覚めてしまう。
このままではいつ倒れてもおかしくないとミリアをアストールへ送り出したのだが、戻ってくるだろうか。
頼り気のない後ろ姿に極悪公爵と呼ばれていた頃の彼を懐かしく思っていた。
元婚約者であるバレンシアとは互いに好意を持っていたが、彼女の動向だけで体調を左右されることなどあるはずもなく。
妻であるエレノアが服毒自殺をした際も煩わしいという反応以外見せなかったというのに…。
原因は全て現在のエレノアという存在だ。
彼女はあの日を境に別人に変わってしまった。
確かに悲しいことが起きれば人は変化を起こすと言うが、昔のエレノアは一切存在しないように思える。
だからこそ彼女に一切興味のなかったジュリアスがこれほど恋焦がれているのだろう。
今まで公爵家当主として厳しく育てられてきたとはいえ、求めなくても与えられるのが当たり前だった彼にとって初めて自ら手を伸ばしたのだ。
とはいえ、彼女にはその手を取ろうという意思はなく。
それこそジュリアスが少しでも伸ばした手を緩めれば、満面の笑みを浮かべたまま何処かに行ってしまうことだろう。
不思議に思うのは公爵であるジュリアスは才色兼備で一生困らないで生活ができる優良物件だ。
始まりは政略結婚とはいえ、今は一途に彼女を想っているのは周知の事実。
受け入れてしまえば、花の都でやっていたとうウエイトレスの仕事をする必要もない。
普通の令嬢なら…。
あぁ、そうか。
現在の彼女は言動の全てが令嬢ではない。
あれほど高価なプレゼントをいくつも受け取りながら着飾ることなく、ドレスを着ているとはいえ動きやすさを重視したものばかりで。
バレンシアは一度着たドレスは二度と着ないのが令嬢の嗜みだと言っていたがそういうことも一切聞いたことがない。
財政難で政略結婚をした彼女は以前から高価なものを強請るということはなかったが、やはり令嬢というだけあってある程度公爵にふさわしく着飾っていた。
きっとそれをエレノアに言えば、そんな無駄なことしたくない。
嫌ならさっさと別れれば?とか言いそうだと彼女のムッとした表情を思い浮かべてクスリと笑みを浮かべた。
「一人で笑うとは気持ちが悪いぞ。」
「エレノア様の事を考えておりました。」
「エレノアの?」
「自害されてから変わられたことはジュリアス様も感じていらっしゃいますよね?」
「…ああ。そうでなければ、私は彼女の事をこれほど愛おしいと思うこともなかっただろうな。」
「そうでしょうね。私も公爵家にお仕えする前に数多のご令嬢の護衛をしてきましたが、彼女のような方は居ませんでしたね。こういうと失礼に当たるのですが、令嬢とはほど遠い言動をされますから。」
「いや、ライオネルの言う通りだ。私を怖がっていた頃もある程度令嬢としての嗜みとして自らドレスや宝飾品を揃えていたと聞く。今のエレノアはそれには一切興味がないようだな。」
「ふふ。その代わりに珍しいお菓子をお持ちすればとても喜んでいただけますね。」
そんな話をしていると彼女がここに居ないことがやけに寂しく感じ、こんな感情を持つのは初めてだとライオネルは自分自身に驚いている。
公爵の正妻でなければ…頭に過ったその考えを否定するように視線を窓へと移すのだった。




